109.贈り物と、その意味
「お前は……エルステに行ったばかりだろうが」
わたしはアルトさんの部屋のソファーで小さくなっている。にこやかだったのに、わたしが用件を話した途端にこの渋い表情。呆れたように溜息までつかれてしまった。
「またあの変装をしたら大丈夫だと思うんですよね。リュナ月教、アルトさんも気になるでしょう?」
今回わたしがお願いしたのは、
「気にはなるが、マティエルの本拠地みたいなものだろうが」
「いない時を見計らって……。そんなずっと教会にもいないですよ、きっと」
希望的観測だが、あながち外れてもいないと思う。
エールデ様のように、軽々と具現化するのが稀なのだ。それだけの力があるのは、さすがは主神の妻である母神というところか。
ちなみにわたしの家があるシュパース山は、人の世の理とは離れた神域にも似ているらしく、神々が具現するのに問題はないらしい。
「大体、リュナ月教に行って何を見るんだ」
「リュナ様のお言葉が伝わっているのかを確認したいんです。わたしなら何か感じとる事が出来るかもしれないでしょう?」
「……何を言っても行くんだろう」
アルトさんは諦めたように深い溜息をつくと、その長い指でわたしの額を強く弾いた。
「いった!」
今までは手加減されていたんだと思えるくらいの衝撃。額がじんじんする。めちゃくちゃ痛くて涙目になってしまう程。
「マティエルの気配がしたら、すぐに離れるぞ」
「はい、それはもちろん。わたしも好んで会いたくはないですからね」
「俺もだ。姿を見たら問答無用で斬りかかってしまいそうだからな」
「え、アルトさんってそんなに好戦的でしたっけ」
「やられっぱなしは性に合わないんだ」
アルトさんは低く笑うと、赤くなっているだろうわたしの額をそっと撫でた。その優しい温もりに、わたしの鼓動は跳ねるばかり。
あのお風呂で、レオナさんとお話してからずっとこうだ。意識をしてしまっているのか、触れられるだけで心臓が喧しい。それなのに触れて欲しいと心が叫ぶ。
「だめですよ、教会の中で戦うなんて」
「そうならないためにも、会いたくはないものだな。まぁいつかは叩きのめすが」
本気なのが怖い。
「とにかく、気配がしたら逃げるってことで。それと…今日はもうひとつ用事があって」
わたしは隣に座るアルトさんに改めて向き直ると、片手で空間収納を開いた。そこから取り出したのは、わたしが自分でリボンをかけた緑の包み。それを差し出すとアルトさんは不思議そうにしながらも受け取ってくれた。
「俺に?」
「はい。何が欲しいかアルトさんは言わないので、わたしが勝手に選びました」
開けるように促すと、アルトさんは丁寧に包装紙を剥がしていく。中から現れたのは、アルトさんが髪を留めているのとよく似たヘアバンドだ。
伸縮性のある黒い布地に、銀糸でエールデ紋様がしてある。もちろん紋様を刺繍したのはわたしだ。
アルトさんは指で刺繍をなぞると、わたしを見て嬉しそうに笑った。いつもよりも幼いような笑みだった。
「これはお前が刺繍を?」
「ええ、自分でも中々上手に出来たと思っているんですが。ちょっと裏を見て貰えますか」
わたしの言葉に従って、アルトさんはヘアバンドをひっくり返す。そこにはよく見なければ分からないけれど、同色の黒で刺繍がしてあった。
「これは……魔式か? お前の魔力を感じる」
「そうです。魔力を染み込ませた糸で、魔式を刺繍しました。初めてやったんですが、これも魔式として発動するんですねぇ」
「試しても?」
「どうぞ」
アルトさんはヘアバンドを両手に持って、魔力を流す。魔力に触れた式が薄ぼんやりと青く光った。
「……身体強化か?」
「よくわかりましたね」
確かめるように手のひらを握ったり開いたりしながら、アルトさんが問うてくる。まさかすぐに分かるとは思わなくて、わたしは驚きを隠せなかった。
「身体強化と、結界です。わたしがしているように、詠唱も式も無く結界を張ることが出来るはずです」
アルトさんは片手にヘアバンドを握ったまま、逆手を窓に向ける。その瞬間、窓を覆うように結界が張られ、アルトさんは満足そうに頷いた。窓に向けていた手を握るとその結界は霧散する
初めて扱うはずなのに、無詠唱の結界をここまで自由自在に展開するとは。超人って怖いな。
「これはいいな、助かる」
「使えそうです?」
「もちろん。ありがとう、クレア」
アルトさんが魔力を流すのをやめたのか、魔式はその光を失った。
無事に発動してよかった。もちろん確認はしていたけれど、わたしの魔力のみで反応するものなら使えないし、結界が張れるかどうかを試しても……それが魔式のお陰かどうかは判別できなかったのだ。
アルトさんは着けていたヘアバンドを外すと、わたしの贈ったものを着けてくれる。耳を隠すよう、前髪を抑えるように整えるといつものアルトさんだ。
その口許は機嫌良さげに綻んでいて、わたしまで嬉しくなってしまう。
「大変だったろう、手間をかけさせたな」
「そんな事言ったら、わたしも同じように返しますよ」
そう言って、髪を飾るリボンカチューシャを指で示すと、確かにと頷いてくれる。
それにしても喜んでくれて良かった。これでわたしも贈り物が出来た。
……贈り物? あれ、これってわたしが遅れたけれど、年越しの贈り物交換になるんじゃないだろうか。その意味って……。
「クレア? 暑いか?」
わたしの額にアルトさんの手が触れる。熱を確かめているだけだと分かっているのに、わたしの鼓動は早鐘をうつばかりだ。
「いえ、大丈夫です。え、っと……リュナ月教にはいつ行けますかね」
「あの身分証をそのまま使えばいいからな、勇者達の所在次第だが明日にも行けるだろう」
「良かった。……リュナ月教の大教会ってどこにあるんですか?」
ネジュネーヴェにあると勝手に思っていたけれど、もしかして違ったりして。
「南にあるフェガリだ。王都にある」
「王都ですかぁ。じゃあ国境をちゃんと越えていった方がいいですか?」
「そうだな、泊まりで準備していこう。他の国を見るのもいいだろうしな」
きっと、前回の旅を楽しんでいたわたしを気遣ってくれているのだろう。その優しさが嬉しい。感情を隠せずに大きく頷くと、アルトさんが目を細めた。
この鼓動が落ち着く時はくるんだろうか。
いまはまだ、このまま。この関係を壊したくない。
だからどうか、この感情に気付かれませんように。
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