92.寒月の覗く部屋の中で

 数日前の吹雪が嘘のように、一の月アインスが細く輝く夜だった。

 わたしが念じたせいで吹雪いたのかと思ったけれど、もちろんそんな事はなくて。そんな能力に目覚めたら、勇者とマティエル目掛けて吹雪かせるわ。



『山に居た時と違うな。心が落ち着いているのが伝わるぞ』

「そんな事が分かるんですか?」

『ああ、何となくではあるがな』


 わたしは自室のソファーに寝転びながら、雪山に居るであろうグロムと念話で話をしていた。思えばゆっくり話をするのは久し振りだ。神殿に戻った事だけは伝えてあったけれど。


『して、小僧が魔王の転移陣を復元させたと』

「そうなんです。失敗したら次元の狭間で引き裂かれてたかもしれないって」

『それはそうであろう。お前は簡単に転移をするが、あれは本来それだけ難しいものなのだ』

「うぅん……物心ついた時には使えてましたからねぇ、そう言われてもピンと来ないというか……」


 わたしはクッションを片手に抱えて、逆手で膝掛けを手繰り寄せる。夜はやっぱり冷える。火鉢には真っ赤に燃える炭がくべられているのに。


『変に意識をする事はないだろう。お前はそのまま、お前のしたいように使えばいい』

「ふふ、ありがとうございます。そういえば聞いて下さいよぅ、勇者がわたしを“紫の聖女”だなんて言ってるんですって」

『ほう……』

「なにが聖女だって。魔王を討伐するにはその聖女が必須らしいですよ」

『考えたものだな』

「感心しないで下さいよぅ。その“聖女”は魔王と仲良しだってのにねぇ」


 可笑しそうに笑って、クッションを頭の下にやる。膝掛けを胸まで引き上げると、足元が寒い。これはベッドで寝るべきかな。でも本格的に寝てしまいそう。


『主、気をつけろ。あの小僧が優秀なのは分かるが、身辺に気を配るに越したことはないからな』

「そうですねぇ……うん、気をつけます。ねぇグロム、もう少しで年越しですね」


 年越しの夜を思うだけで、何だかわくわくするようだ。一人じゃない年越しの夜だなんて久し振りで、浮かれているのかもしれない。


『そうだな。クレアはそのまま大神殿で過ごすのか』

「ええ、そうです。グロムも年越しの夜は来ませんか? わたしが飾付けを選んだんですよ。吹雪もおさまったし、明日みんなで飾るんです」

『ふむ、それは楽しみだ。年越しの夜には行けぬが、お前の飾りは見に行こう』

「あら、年越しの夜にはご予定が?」

『守神達が集まる日だ』

「そんな日があったんですねぇ」


 知らない事ばかりだ。これは山に引き篭もっていたからじゃなくて、ほとんどの人が知らないだろうけれど。

 カーテンを開けたままの窓からは鎌のような寒月が見える。蒼くさえ映る、月宿る夜。


『もちろん、お前が呼べばすぐにでも駆けつける故に心配するな』

「ありがとうございます。守神様が集まっている様子は、きっと壮観なんでしょうねぇ」

『我と番えば、すぐにでも顔見せの儀を開いてやるが』

「今日は突っ込んでくれるアルトさんがいませんからね、わたしが断るしかないでしょうか」


 くすくすと笑い声が漏れる。グロムも笑ったのが聞こえた。

 不意にぶるりと体が震えた。だめだ、寒い。


「寒いからベッドに行こうと思うんですが、そしたらきっと寝ちゃいそうなので、今日はもう休みますね」

『傍に行って暖めてやろうか』

「もちろん狼の姿ですよね?」


 グロムは低く笑うばかりで答えない。これは人型でわたしを揶揄う気だな。


「グロムもちゃんと休んでくださいね。おやすみなさい」

『ああ、おやすみ』


 念話が途切れて、静寂が部屋に戻る。

 わたしはソファーから立ち上がると、窓に向かう。白銀の広がる庭園に、月影が伸びる。わたしは厚地のカーテンをしっかり閉めるとベッドへ向かった。


 枕元にアラネアがある事を確認して、ベッドの中へ潜り込む。寝具は冷たいけれど、すぐにわたしの体温に馴染むだろう。

 明日は飾り付けをする日だ。晴れるといいな、なんて思いながらわたしは目を閉じる。口元が綻ぶ事はどうしようもできない。今夜はきっと楽しい夢を見られそう。



 その日の夢は、幼い時の思い出だった。

 父と母と、三人で庭や家を飾りつける。几帳面な父は、等間隔に光飾りを吊るそうとしっかり測っているし、母が飾り付けると一部分だけに偏ってしまう。

 そんな対照的な様子が可笑しくて笑うと、両親も楽しそうに笑ってくれた。


 新年を迎える時には、想い人同士で贈り物をする風習がある。両親も毎年贈り物を交換し合っていて『いつかクレアにもそういう人が現れるよ』と言っていたっけ。

 あの月神祝の事がなければ、きっと両親はまた贈り物を交換していたのだろう。母は早めに準備をしていて、母の部屋の机の中に隠していた。いつもは大雑把な母だけれど、そういう準備をするのは早かった。そして父からの贈り物も大切そうに飾っていたり、身に着けていたのを思い出す。

 そんな、優しくて哀しい思い出。胸が苦しくなるほどに。

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