91.恋愛脳

 神官長執務室に向かう途中、応接間から歩いてくるのはヴェンデルさんとライナーさんだった。

 ヴェンデルさんはニヤニヤとわたし達を見ている。この人もレオナさんに負けず劣らずの恋愛脳だな。そこでわたしはようやく、アルトさんに手を引かれたままだという事に気付いた。

 こういう時ってどうしたらいいんだろう。解くのも意識しているみたいだし、そのままにしているとニヤニヤ見られるままだし……。


「二人とも、デートは楽しかったみたいだね」

「買い出しですぅ」


 そこだけは訂正させて貰おう。デートってアレでしょ? きゃっきゃうふふで艶っぽい雰囲気なんでしょう? ……経験不足で、想像でしかないけれど。


「ヴェンデル。お前、使者が来る事を分かっていて、俺達を外に出したな?」

「いやー、うまくはいかないものだよねぇ。あのおっさんがこんなに長居するとは思わなくて、かち合っちゃったんだもんね」


 アルトさんの指摘にも、ヴェンデルさんは笑うばかり。

 それにしても廊下は冷えるな、と思っていたらライナーさんが応接間を提案してくれた。まだ部屋も暖かいからって。その冷静さが有難いです。



 応接間でソファーに座る時には、さすがにわたし達の手は自然と離れた。あんまり深く考えなくても良かったのかもしれない。コートや手袋、マフラーをソファーの背凭れにとりあえず掛けておく。暖炉の火はまだ力強く、お部屋はとても暖かかった。

 わたしの隣にはアルトさん、向かいのソファーにヴェンデルさん。ライナーさんはその間の一人掛けのソファーに腰を下ろした。

 皆が座ると同時にノックが響いて、使用人さんがお茶を持ってきてくれる。湯気の立つ紅茶の香りが広がった。


「あれは王の使者か」

「そう。勇者が王に願ったんだって。『魔王討伐の成就には、エールデ教の紫の聖女が必須である』って」

「その紫の聖女って、もしかしなくてもわたしですかぁ?」


 多少うんざりした声になってしまったのは、致し方ないと思う。うんざりだもの。

 ヴェンデルさんは肩を揺らすと、紅茶にブランデーを垂らしている。聖職者だよね? 執務中だよね?

 わたしの視線に気付いたヴェンデルさんは、悪戯に片目を閉じて見せる。


「聖女だって、クレアちゃん。まぁ間違いではないけどね。人を救う使命を持って、特別な能力にも優れている」


 わたしは聖女なんかじゃない。

 使命だって、わたしの贖罪だ。


「エールデ教の支援は受けられないと知っている筈だろう」

「それでも、使者を送らないわけにはいかないんだろうね」


 わたしの機微に気付いただろうアルトさんは、さっさと話を変えてくれる。横目でちらりと表情を窺っても、彼はいつもと同じ。気負った様子もない。

 香りに促されるように、わたしはカップを手に取ると悴む指先をそれで温めた。それから口元に運ぶ。うん、美味しい。


「あのおっさんには断ったよ。紫の聖女の件には触れないで、エールデ教が勇者の支援をしないという事だけ念を押しておいた」

「ありがとうございます」

「でもあの使者、人相書きを持ってるんだよね。クレアちゃんには今みたいに、色を変えておいて貰った方がいいな」

「そうします。紫の髪と瞳で探してるみたいですもんねぇ。アルトさんの人相書きも持っていましたね」

「ああ。護衛だとバレているのは、勇者がそう言ったんだろう」

「いっそアルトも色を変える? クレアちゃんに魔導具作って貰ってさ」


 一度作れたのだから、前ほど苦労しないで作れるとは思う。

 しかしアルトさんは首を横に振るばかり。


「いや、俺は聖女の護衛から外れたという事でいいだろう。色を変えた事が知られたら、クレアに行き着かれてしまうかもしれない」

「それもそうか。まぁ後は、知らぬ存ぜぬってね」


 窓向こうの景色が真っ白い。

 降り始めた雪はその強さを増しているようだ。これは荒れるかもしれない。あの馬車に乗った使者のおじさんは、帰るのに苦労するんじゃないかななんて思った。

 それにしても、わたしの事がまさか王様案件になるとは。勇者はどんな手でも使うみたいだ。


「変な事は考えるなよ」

「変な事、ですか?」


 不意にアルトさんに頬を引っ張られる。手加減はされているのだろうが、痛い。


「クレアさんが出て行くことを、アルト様は心配しているんですよ。もちろん、私達も」

「あー……出て行った方が迷惑かけそうなので、もうしません。アルトさんに危険な転移をさせるのも怖いですし」


 ライナーさんの言葉に眉が下がる。

 紅茶を飲み干したヴェンデルさんが、空になったカップにブランデーを注いでいる。それってありなの?


「やっぱり危険だったんだ?」

「ヴェンデルさんは知らなかったです? 空間の狭間で体が裂かれていてもおかしくなかったんですよ」

「そこまでしてクレアちゃんを迎えに行きたかったなんて、愛だねぇ」

「ヴェンデルさんも末期ですね」


 だめだ、この人。恋愛脳を拗らせている。

 わたしの呆れた視線も気にした事無く、ヴェンデルさんはブランデーを楽しんでいる。慣れているのかライナーさんは、素知らぬ顔でお茶菓子を食べているし、わたしの味方はいないのだろうか。


「アルトさんもはっきり言った方がいいですよ」


 溜息混じりに隣の護衛を見るも、彼は肩を竦めて笑うばかりだった。そうか、アルトさんもヴェンデルさんの恋愛脳は諦めているんだな……。

 このもやっとした感情は、あの使者のおじさんに受け止めて貰おう。

 わたしは窓向こうの景色に向かって、荒れろー荒れろーと念じていた。


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