90.紫の聖女とは
お店を出たわたし達は、広場までのんびり歩いていた。そのまま帰ってもいいんだけれど、久し振りにこの街にも来たから散策したい気分でもある。
口にしてはいないんだけど、超人護衛はそれに気付いているのか帰宅を促すことはしない。まぁ買うものも無いんだけど。
それにしてもすっかり年越しの準備をしているお店が多い。華やかな装飾で店先を飾りつけているのは、見ていて楽しい。そんな事を考えていると、隣のアルトさんが足を止めた。
「アルトさん? 何かありました?」
珍しいなと思って声を掛けると、アルトさんは口端に笑みを浮かべて首を横に振る。何だか機嫌が良さそうだけれど、気になるものでもあったんだろうか。
「お店、入ります?」
「いや、いい。それにしても冷えるな。温かいものでも飲みながら帰るか」
「そうですねぇ」
彼が見ていたものは……可愛らしいドレスのショーウィンドウ? いや、違うよね。この護衛にそういう趣味は無さそうだ……いや、隠しているのか?この超人っぷりなら隠し通すことも難しくは無さそうだけど。しかも似合いそう。
「別にドレスを見ていたわけじゃないぞ」
「何も言っていませんよ」
「顔に出ていた」
嘘ぉ、と思って頬に触れると可笑しそうに笑われてしまう。露天に向かうアルトさんを追い掛けてわたしは足を速めた。
露店でわたしが選んだのは、温かいココア。生クリームがたっぷりと乗せられている。アルトさんはホットワイン。前にライナーさんとも飲んでいたっけ。
わたし達は温かな飲み物を手に、大神殿までの一本道を歩いていた。
「アルトさんって、お酒が好きなんですね」
「そういうわけでもないが、温まるだろう。お前は飲まないのか?」
「この年ですから、飲めないってわけじゃないんですよ。こっちの方が好きってだけで」
そう言いながら、生クリームが溶けて甘さの増したココアを掲げて見せる。甘いものが苦手な彼は眉を顰めるばかりだ。美味しいのに。
ココアを飲んでふぅと息をつく。吐息が白く消えていった。
「降ってきた」
「……本当ですねぇ。また積もるんでしょうか」
「朝まで降り続けるかもな。そうしたらまた雪かきだ」
「お手伝いしますよ、もちろん。いい運動になりますし」
「お前は運動不足だからな」
「アルトさんみたいな超人と一緒にされては困ります」
はらはらと、綿雪が落ちてくる。この地方の雪はさらさらしていて、傘もいらないくらいだ。手で払えば、溶けずにすぐ落ちる。それだけ寒いということなんだけど。
風があるわけでもないし、たまにはこうしてのんびり帰るのも悪くない。そう思って隣のアルトさんを見ると、ちょうど彼もこちらを見たところだった。視線が重なって、どちらともなく笑みが零れる。穏やかな時間が、なんだかとても嬉しかった。
大神殿に着く頃には、雪はその勢いを増してきていた。
飲んでいたココアも無くなってしまって、冷え込むばかり。これは帰ったらすぐにお風呂に入りたいな。
「……誰かいる」
「えっ、まさか勇者じゃないですよね」
「違うが……こちらを認識しているな。今から裏手に回っても目立つ。マフラーで顔を隠しておけ」
「はい」
目がいいアルトさんは、お客さんが誰なのかもわかっているようだ。わたしは言われた通りにマフラーを口元まで引き上げる。
何も気にしていないよう、大神殿に近付くと門兵の方が片手を上げて迎えてくれる。わたしはいつものように軽く頭を下げた。
「おい」
門兵さんの横を、何でもないように通り過ぎようとした時、わたし達をじっと見ていたお客さんに話しかけられた。わたしは内心びくびくしているけれど、アルトさんはいつも通り。
お客さんは身なりのいい、煌びやかな服装をしていた。従者を一人後ろに控えさえた、恰幅のいいおじさんである。しかしその表情は険しい……というか、わたしの事をじろじろと見ては手元の紙と見比べている。
車輪の音にそちらに目を向けると、これまた派手な馬車が横付けされるところだった。
「お前、紫の聖女の護衛だな」
おじさんは偉そうな口調でアルトさんに話しかける。
紫の聖女?
「……」
「だんまりか。濃青の髪、ピンクの瞳、長身。お前が紫の聖女の護衛である、フライベルクだと分かっているんだ」
フライベルク。
久し振りに聞いた、アルトさんのファミリーネーム。というかアルトさんの瞳は黄赤でピンクとはまた違うと思うんだけど。
アルトさんは表情を変えず、ただおじさんの話を聞いている。対照的に門兵さんは苛々しているようにも見える。分かるよ、不躾だし偉そうだもんね。
「紫の聖女と一緒ではないのか? その女は……金髪青目、違うな。護衛の任から外れたのか?」
「……」
アルトさんは何も答えない。
というか待って。紫の聖女って、もしかしてわたしの事?
「……ふん。神官長といいお前といい、この神殿の奴らは礼儀がなっておらん。いいか、神官長に言っておけ。王命に逆らう事は許されぬとな」
おじさんは苦々しげに吐き捨てると、従者が開いた扉から馬車に乗り込んだ。アルトさんは無表情でそれを見送ったけれど、舌打ちが聞こえたのは気のせいじゃないと思う。
「……ヴェンデルのところに行くぞ」
「はい。……アルトさん、紫の聖女って……」
「お前のことだろうな」
わたしはきっと、ひどい顔をしていたと思う。わたしの手を引き先導するアルトさんが、振り返って吹き出すほどには。
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