87.聖堂
神殿に戻ったわたしは、正直すっごく眠かったけれど、その足で聖堂へと向かった。場所など本当は何処でも構わなかったのだが、自室だと眠ってしまいそうだったから。
「聖堂……エールデ様か?」
「ご名答です。神様が何を考えているのか、聞ける範囲で聞こうと思いまして」
アルトさんも、わたしと共に聖堂へ向かう。わたしが早足をしているにも関わらず、アルトさんは難なくわたしの隣を歩いている。急いでいる素振りは欠片も見せないで。
なんだ、足の長さの差か? 考えると哀しくなるのでやめておいた。
訪れた聖堂には誰もいない。祈祷の時間でもないのだろう。
しかし相変わらず、エールデ様の清浄な気で満ちた場所だった。この神気は居心地が良い。さすが母神といったところか。
「エールデ様、お聞きしたい事があります」
わたしの声に呼応して、ステンドグラスの真下辺りに神気が集う。光が溢れたその場所に現れたのは、相変わらず美しい少女の姿をした母神だった。
『おかえり、クレア』
「……ただいま帰りました。ごめんなさい」
にっこり笑う母神だけれど、纏う空気がいつもと異なる。これはお小言を覚悟しなければならないようだ。
『お前が出て行ったと聞いた時は肝が冷えた。確かにあの山は結界に守られ安全な地ではあるが、絶対とは言い切れぬ。分かるであろう?』
「はい……」
『分かっているなら良い。アルトから離れぬようにな。私が迎えに行くと言っても断った男だ、お前を大事にしてくれるのは間違いない』
エールデ様の纏う雰囲気が柔らかくなる。そしてニヤニヤ笑う様子からして、今度はわたし達を揶揄うつもりらしい。怒られるのも勘弁だけど、揶揄われるのも勘弁だなぁ。
「エールデ様、それよりもお聞きしたい事があるのですが」
『リュナの事であろう?』
エールデ様はふよふよと浮かんだまま、わたし達の前まで近付いてくる。相変わらず白銀の髪が麗しい。ふわりと花の香りがした。
「そうです。リュナ様の命で、マティエルは勇者と共に在るのでしょうか」
『それはないであろう。人魔の戦争に神が干渉する事はない。クレア、私には口に出来る事と出来ない事がある。それは分かっているな』
「ええ、もちろんですよぅ。……最近リュナ様とお会いしましたか?」
わたしの言葉に、母神は首を横に振る。その表情は険しいようで、何かを悩んでいるような非常に人間味の溢れるものだった。
『……リュナは変わった。私達の前に顔を出すことも無く、いつもマティエルを使いに出す。私が最後にあやつに会ったのは、十七年前の月神祝の夜が最後だ』
十七年前の、月神祝の夜。
わたしが一度死んだ日。両親が禁忌を犯した日。
「……あの夜。……ねぇエールデ様、どうしてリュナ様は……わたしや、両親を助けて下さったのでしょう」
『分かっているだろうに。メヒティルデはリュナの怒りを買ったわけではないと』
「やっぱりそうなんですね。そうだろうとは思っていました」
『堕天したとはいえ、メヒティルデはリュナの可愛い天使よ。その娘であるお前の事も、リュナは気にかけていた』
「……わたしも、ですか」
お会いしたことはないけれど、両親はリュナ様を敬愛していた。あのまま幸せな時間が続いたら、わたしもいつか会えたのだろうか。
わたしは指先が悴む感覚に、ぎゅっと拳を握り締めた。手が冷たい。
隣のアルトさんが、気遣わしげな視線を向けてくるので、へらりと笑って見せるけれど……鋭いこの超人には誤魔化せるわけもなく。わたしの手を握ってくれたので、それに甘える事にした。
伝わる温もりが優しい。わたしも手に力を籠めた。エールデ様に見られるのは何となく恥ずかしくて、後ろ手に隠したけれど。
「エールデ様、宜しいですか」
『なんだ、アルト』
「リュナ様とお会いしていないと仰いましたが、何も連絡を取り合えないということでしょうか」
『いや、姿を見せないだけで、会話は出来ていた。それさえ出来なくなったのは……二年前の冬の頃か』
「人魔戦争が始まった頃ですね」
アルトさんは何かを考えるように、眉間に皺を寄せている。握った拳を口元に寄せ、考えを纏めているのか時折唇が動いた。
「
アルトさんの言葉に母神は答えない。しかしその沈黙こそが是という事なのだと思う。
「……エールデ様、もうひとつ伺っても?」
エールデ様は短く頷く。
わたしはかねてからずっと不思議に思っていた、ある疑問を口にした。
「混沌って何なんです?」
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