61.魔王様とお茶③
わざとらしく咳払いをすると、笑い声は落ち着いたけれど、未だに彼らの口元には笑みが乗っている。必死にもなるさ、嫌いなんだもの。
「わたしは誰かの『生きたい』という願いに応える使命を持っています。イーヴォ君は強く生を願ったのでしょう? その声に呼ばれたのですよ」
「崇高な使命だな」
感心してくれるようなヒルダの声には、ただ笑っておくばかり。これはそんな尊いものではないからだ。わたしの願いをかなえる為の、浅ましい行為。
「わたしが魔王領に立ち入ったのはそんな理由なんですけれど。……それでですね、マティエルが勇者一行と一緒に居るのが、どうも解せないんですよね……」
「この戦にリュナ様の意思があるという事ではないのか?」
「うぅん、基本的に神様は地上の諍いには不干渉のはず。それにマティエルは人間嫌いだったと思うのに、それでも勇者に協力するというのは……何かあると思うんですよねぇ」
呻るわたしはぐいっと紅茶を煽る。桃の香りが口中に満ちる。勇者とマティエル、わたしの嫌いな人達が共に居るのなら、もう絶対に遭遇したくはないな。そんな苦い気持ちも、紅茶は静かに流してくれる。
「勇者の一族には『聖剣が輝く時、混沌が世界を飲み尽くす』という伝承がある。その混沌が魔族であるとしての開戦だが、混沌があなた達であるとシュトゥルム王国が断ずるのは何故だろうな」
同じく紅茶を楽しんでいたアルトさんが口を開く。それを耳にしたヒルダは手にしていたカップをテーブルに戻し、優雅に足を組み直した。
「私達が信仰しているのは、混沌から生まれた存在である主神、ケイオス様だ。どこかで歪んで伝わったのか、魔族は混沌を信仰し、世界を闇で満たすとシュトゥルムでは言われているようだな」
主神ケイオス。混沌より生まれた彼は、この世界の創造主だ。世界は混沌の上を船のように浮かんでいる。地の果てには誰も越えられない壁があり、そこが船の縁。もし越える事があれば混沌の中に沈むばかり。
この混沌からは悪魔が生まれる。神である混沌ケイオスより悪魔が生まれるのも不思議な話なのだが、それは遠い神話の世界。神々は口を閉ざしているし、人に伝えられているものは少ない。
だからこそ、ケイオスの事を主神でありながらも世界を滅ぼす混沌として畏れている者もある。ケイオスを信仰している魔族が、その存在意義を果たすために世界を滅ぼすとしてシュトゥルムは宣戦布告をした。……エルステの民である勇者を先導者として。
そこにマティエルがどう絡んでくるのか。
本当にケイオスが世界を滅ぼす存在だとすれば、マティエルではなく月神や他の神々が出てくるはずなのだ。しかし彼らは静観するばかり。やっぱりこれは、マティエル自身の意思で勇者と共に在るとしか思えない。そしてマティエルが執着するのは、わたしの母である
「……クレア」
気遣わしげなアルトさんの声で我に返る。顔を上げると、アルトさんだけではなくヒルダやイーヴォ君もわたしを心配そうに見つめている。アルトさんが優しいのは充分知っていたけれど、この魔族の人達も優しいと思う。今日会ったばかりのわたしを気遣ってくれるのだから。
「すみません、ちょっと考え事をしてました」
誤魔化すようにへにゃりと笑って見せるも、彼らには通用しないようだ。アルトさんなんて首を横に振る始末。誤魔化されてはくれないらしい。
「マティエルは戦争の行方などとは別の思惑があって、勇者に同行しているんだと思います。マティエルの望みを叶える為にはこの戦争で勇者が勝つ方が都合がいい、とか」
「ふむ……まぁ勇者に与しているのは天使一人だろう。神々を相手取るという事態ではないようで安心した」
そう言って笑うヒルダは最高に格好いい。本来、魔族である彼らがこの戦争を終わらせる事など難しくはない筈なのだ。
その場合、シュトゥルム王国は滅ぼされ、戦争に賛同している国々は焼け野原になるだろうけれど。それをしないのは、この魔王が友好的で不要な争いを避けているだけで。
「幾度と無く、シュトゥルムには和平交渉の席に着くよう要請しているのだがな。聞き入れるつもりはないらしい。どうあっても、我ら魔族を滅ぼしたいようだ」
「滅ぼしたい目的があるのは勿論、戦争は金になるからな。シュトゥルムから仕掛けた戦でもある、振り上げた拳を下ろすのは難しいんだろう」
アルトさんがカップを口元に寄せる。その手首で、わたしの作った魔導具である腕輪が煌いた。
気付けば影が長く伸びている。東屋の屋根向こうに空を見上げると、陽が傾いてきていた。随分と長居してしまったようだ。
「勇者を討ってしまえば、この戦争も終わるんでしょうか」
夢の中とか、影を伝って出てきた時とか、死に様は何度か見ているんだけれど。そうではなくて実体を滅してしまえば。
「いや、それでもこの戦争は終わらない。むしろ勇者の敵を取るためにと激化するだろうな」
「うぅん……難しいですねぇ」
「平行線の戦を永遠に続けるわけにいかないのは、あちらの方だ。侵攻する側としては成果が上がらないと士気も下がるだけだ。ウチとしてもこれ以上領地に攻め入られないよう、何か対策をする必要はあるがな。オアシスが呪われるなど、他の場所でもやられては敵わん」
「気をつけてくださいね。ヒルダもイーヴォ君も、皆さんも。わたしに出来る事があればお手伝いはしますが……勇者とマティエルには極力会いたくないもので、なるべく直接見ないで済むようなお手伝いを」
切実な願いにも関わらず、ヒルダは笑うばかり。笑い事じゃないんだけど、この美女が笑うとそれでもいいかなって思えてくる不思議。いかん、流されている。
「どれほどの因縁があるか聞きたいところだが、長々と付き合わせてしまったからな。それはまた後日にしよう」
「わたしはネジュネーヴェにあるエールデ教の大神殿にお世話になっています。何かあればそこに連絡を」
「分かった。……クレア、貴方も充分に気をつけてくれ」
「ええ、ありがとうございます」
その言葉を終了の合図として、わたし達は立ち上がる。
ヒルダの向こうからイーヴォ君が近付いて来たけれど、相変わらずのしかめっ面。眉間の皺が癖になるんじゃないのかな。これを言ったら余計なお世話だって怒られそうだから、口にはしないけれど。
「おい」
「クレアちゃんですよ」
「だれがクレアちゃんだ。俺よか年上の癖にカワイコぶんな」
「イーヴォ君は年上に対する敬意を持った方がいいですねぇ」
「年上に見えねぇんだよ」
「じゃあカワイコぶっても良くないです?」
理不尽すぎる。
アルトさんがわたしの手を取るのは、転移を促されているのだろう。確かに長居し過ぎたし、ちょっと帰って色々考えたい。
「……クレア、ありがとな。お前のお陰で、こうして生きていられる」
「ふふ、どういたしまして」
「お前の助け方は手荒いからな!」
イーヴォ君はアルトさんの顔に指を向けて、苦々しげだ。まぁ確かにあれは手荒かったけれど、回復薬を飲まないイーヴォ君も悪いんじゃないかな。
「飲まないお前が悪い」
ほら、アルトさんも同意見だ。そのやりとりが可笑しくて、思わずくすくす肩を揺らすと二人に睨まれてしまった。アルトさんが睨んでも怒っていないのは分かるから怖くないし、イーヴォ君の垂れ目に睨まれてもやっぱり怖くないけれど。
向こうではヒルダが笑っている。
「何がおかしい」
声まで揃える二人は、案外気が合うんじゃないかなと思う。
「何でもないですよ。ではアルトさん、行きましょうか」
「ああ」
「またね、イーヴォ君」
「おう」
ぶっきら棒ながらもちゃんと応えてくれるイーヴォ君はやっぱり律儀だ。わたしはそんな事を思いながら、転移するべく大神殿を思い浮かべた。
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