34.悪夢ー魔道具ー
わたしを起こす為に、わたしの部屋で過ごす事が多くなったアルトさんは最近では無遠慮だ。ノックもしないで普通に部屋に入ってくる。
それを咎めるレオナさんの声も聞こえない振りで、彼は抱えていた麻袋を床に下ろした。
「すぐに作るか? あの本では見辛いだろうから、翻訳してきたぞ」
やっぱりあの本が読めたのはアルトさんだったのか。
彼の口振りからするに、もう今すぐに魔導具を作るつもりのようだ。それはわたしとしても有難いので、クローゼットを指差した。
「レオナさん、あの中に敷布が入っていますので、床に敷いてくれますか?」
「あ、はい……」
意識が集中出来ないからか、頭の中が澱んでいるように重たいからか、空間系能力を使うのが難しくなってきている。使えなくもないが消耗が激しいから、出来るなら避けたい。
レオナさんは指示した通りに敷布を用意すると、ライナーさんに促されて部屋を出て行った。最後までアルトさんに『無理をさせない』と釘を刺すのを忘れはしなかったが。
「急かしてしまってすまないな。出来るだけ早くした方がいいかと思って」
「早いほうがわたしも助かります。もう勇者の顔を見ているのもうんざりなので」
アルトさんは小さく笑うと、敷布の上で麻袋を引っくり返す。幾つかの鉱石と、銀塊が出てきた。
わたしはベッドから降りて敷布に座ると、アルトさんの書き写してくれた紙を確認する。……うぅん、結構複雑だけど……まぁ出来なくはないでしょう。
鉱石を八個選び取る。まず、頂点部分の小さな玉を作るとしますか。
「辛かったら、寄りかかっていいぞ」
「それだとアルトさんが、細工しにくいでしょ」
「別に平気だ。無理をさせると怒る奴らが沢山いるからな」
「では遠慮なく」
低く笑うアルトさんはわたしに背を向けて座り直す。それに甘えることにしたわたしは、彼の背に凭れるように座って加工を始めることにした。
大きさを揃えた八個の玉を作る。
削って、形を整えて、輝くように研磨する。
得意だったはずの加工だけど、指先が震えて魔力を込めにくい。このわたしがこんな苦労をするなんて。これも、何もかも
わたしは
「……いやぁ、本当に面倒くさい魔式ですねぇ。夜神の力を借りるためには、これだけ複雑なものじゃないといけないってわけですかぁ」
アルトさんが写してくれた魔式を眺めて、溜息交じりに愚痴を零す。
「直接、夜神にお願いしちゃだめですかねぇ。あの人はきっちりしているから、やっぱりこういうのを触媒にしないと、力を貸してくれないかな」
「夜神と面識が?」
「わたしの父は夜神の部下だったんですもん」
「ああ、悪魔と言っていたな」
愚痴ると少し気持ちが楽になる。振り返ってアルトさんの腕越しに銀を見ると、細やかで美しい蜘蛛の巣が完成するところだった。僅かの乱れもない、均整の取れた輝く蜘蛛の巣。こんな蜘蛛の巣だったら、かかってもいいな……なんて思うのは、だいぶわたしの頭が沸いてきている証拠だと思う。
「はーぁ、やりますかぁ」
「終わればゆっくり眠れるぞ」
「それを期待します」
軽口に肩を揺らす。わたしは一度大きく伸びをしてから、改めて魔石と向かい合う。指先に魔力を込めると、集中して刻んでいった。
「……クレア?」
少しぼんやりしていたらしい。心配そうなアルトさんの声で我に返った。
絶不調の中で魔力を集中するのは、思ったよりも消耗が激しい。これは早いところ終わらせないと、出来上がる前に意識が遠退いてしまいそうだ。そうしたらまた、勇者の夢に囚われてしまう。
「すみません、少しぼんやりしていました」
「休憩にしよう。消耗が酷い」
「大丈夫ですよ。気力が持つうちに、完成させてしまいたいので」
平気だと示そうと、へらりと笑って見せるもアルトさんの表情は晴れない。彼の手元を見ると、蜘蛛の巣の中央には八本の脚も美しい優美な蜘蛛が出来上がっていた。
「蜘蛛を綺麗だと思ったのは初めてです」
「これなら夜神も宿ってくれるだろうか」
「それはわたしの魔式の出来次第でしょうけれど、捧げ物にするには充分過ぎる程の出来栄えですよ」
本当に綺麗なのだ。八つの瞳も、光が宿っていないのに煌いている気がする。膨らんだ腹部にはぽっかりと楕円の穴が空いていて、そこに魔石を嵌め込むのだろう。
腹部の鉱石は、黒を選んだ。夜神の瞳の色。
すべてを飲み込む黒、すべてを包む濡羽色。
魔力を手に込めて、形を楕円に整える。研磨して輝きを増した黒色が、光を反射している。
「次は魔式を……うわぁ、これもまた随分とごちゃごちゃな式ですねぇ……。大半が夜神への賛辞じゃないですかぁ」
「夜神の力を借りるものだからな、そういうものなんだろ」
「……刻むほうとしては、もっと簡略化して欲しいものですねぇ。賛辞なんて『かっこいい! 最高!』くらいじゃだめですかね」
「軽いな」
「こんな『
「……力を貸してもらえないぞ」
「それは困ります。仕方ない、この通りに刻みますか」
くつくつと笑う様子につられて、わたしも笑う。夜神の化身だというこの蜘蛛の力は間違いないのだ。力さえ貸してもらえたら、もう悪夢を見ることはなくなるだろう。しかもこの魔導具は悪夢を寄せ付けない効果もあるのだ。勇者が夢を渡ってくることはない。
深呼吸をして、拳を握って開く。それを繰り返すと指先に魔力を込めた。
右手の人差し指に魔力を込め、左手で鉱石を持つ。あとはそれに式を刻むだけなのに、震えた指先がままならない。
「クレア、大丈夫だ。俺が支える」
アルトさんはわたしの後ろに座り直し、背中を包むようにしてくれた。わたしの手に自分のそれを重ねてくる。右手も左手もアルトさんの手に包まれて、力強い温もりのお陰で、震えが次第におさまっていった。
大丈夫、できる。
わたしは自分に言い聞かせると、意識を集中させて鉱石に魔式を刻んでいった。
最後の式を刻み終えると、わたしの顎を汗が伝い落ちた。
どれほどの時間をかけたのか、どれほどの意識を向けていたのかは分からない。ただ、窓から差し込む光は既に夕赤に染まっていた。
「でき、ましたぁ……」
わたしの背後でアルトさんも息を吐いたのが分かった。支えてくれた彼も疲れただろうと思う。
「このまま魔石を嵌めてしまおう」
アルトさんはその姿勢のまま、銀細工で出来た蜘蛛の巣を取る。頂きを灯すように、文献の通りに魔石を配置していった。アルトさんが魔力を込めると銀が揺らいで、魔石を包みこむ。
「ここは押さえていてくれるか」
「はい」
言われるままに、蜘蛛の腹部に魔石を嵌める。ずれないようにそれを押さえると、アルトさんがまた魔力を込めて銀を操った。いつみても見事な腕前だと思う。
出来上がった魔導具に、魔力を流す番なのだけれど……どれだけの魔力が必要になるのか予想もつかない。いつものわたしなら、どれだけ消費しても平気なのだけど……消耗しているこの体で魔力を注げるだろうか。
「俺も魔力を注ぐ。お前の魔力に合わせるから、何も心配しなくていい」
わたしの不安が漏れていたのだろうか。
アルトさんが背後で囁いてくる。そうだ、このハイスペックならわたしと魔力を合わる事など容易いだろう。わたしは何も気にしないで、いつもどおりにやればいい。
「では、お願いします」
わたしは魔導具に両手を翳し、目を閉じて魔力を注いでいく。
注いでも注いでも、魔力が満ちる気配は無い。魔石が罅割れたりはしないから、刻んだ魔式が失敗しているわけではないようだ。それならただ単に、魔力不足。
わたしの魔力に添うように、アルトさんの魔力も魔導具に注がれていく。波長を合わせたその魔力とわたしの魔力は波形もぴったりと合うようだった。
そうしてどれだけの時が経ったのか。それとも一瞬の事だったのか。
魔力で満たされた魔式は九つの輝きを強く放つと一気に収束した。
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