25.西方神殿へ

 到着したのは、アルトさんが思い浮かべた通りの神殿だった。

 美しく整えられた庭園には、秋の花がまだ風に揺れている。やはりエールデの清浄な神気に包まれた場所だ。夜が明け始め、アルトさんの瞳のような東雲色に空が染まっている。


「これは……クレアさん、あなたは本当に妖精様なのですか。いえ、神の御使いでしょうか……!」


 転移を初めて経験したのだろうティアナさんは、驚愕の目でわたしを見ている。

 わたしは人差し指を唇にあて、片目を閉じて見せた。ぶ厚い丸眼鏡の奥で見えているかはわからないけれど。


「ふふ、どうでしょうねぇ。このことは内緒ですよ」

「は、はいっ!」


 いまにも祈りだしそうなティアナさんを軽く宥めつつ、わたし達は先導するアルトさんの後をついていく。ニーナちゃんはまだ目覚めないので、アルトさんが抱いたままだ。

 それにしても朝日が眩しい。これは帰ったらゆっくり寝かせて貰いたい。少なくともお昼までは。そう思うと一気に眠たくなってきて、わたしは欠伸を噛み殺した。



 神殿の中では早朝にも関わらず、神官や見習いの子ども達が活動を始めていた。アルトさんが姿を現すと皆、一様に頭を下げる。

 本殿にいる神官長の側近だから、やっぱり偉いのかなぁ。というかそんな人に護衛をさせてしまっていいのだろうかと、今更ながらに思う。


 アルトさんが手配してくれて、ティアナさんとニーナちゃんは神殿の一室に居を構える事になった。ティアナさんは診療所に勤め、ニーナちゃんは他の見習いの子ども達と一緒に雑務をするそうだ。

 金髪の綺麗な女性神官は親子の境遇を聞くと、こちらがびっくりするくらいに大泣きした。最初に会ったライナーさんを思い出してしまうな……なんて思っていたら、その女性神官は双子神官の母だという。道理で。

 母神官に二人を任せて、わたし達の仕事はおしまい。



「おねえちゃんも、おにいちゃんも、いっちゃうの?」


 立ち去ろうとした時に、ちょうどニーナちゃんが起きてきた。不安そうにその瞳が揺れている。

 目が覚めたら人が沢山いる場所に居て、これからはここに住むなんて言われたら不安にもなるよねぇ。


「大丈夫。またいつだって会えますよ」

「うん……」


 そう言うとニーナちゃんはアルトさんの足にぎゅぅと抱きつく。これは、わたしよりもアルトさんに懐いているようだ。うんうん、わかるよ。

 彼はちょっと困ったように眉を下げると、その場に膝をついてニーナちゃんの肩に手を乗せた。


「また会える。お母さんを大事にな」

「……うん」


 肩を震わせて泣くニーナちゃんを宥めるように、アルトさんが頭をそっと撫でやっている。感動的な光景だなぁなんて、蚊帳の外を感じつつ見ていると、ティアナさんがニーナちゃんに掛けていたストールを、綺麗に畳んで返してくれた。それを受け取り腕に掛けると、彼女は深く腰を折った。


「お二人には感謝してもしきれません。今はお返しするものが何もありませんが、いつか必ずお礼を致します」

「気にしないで下さい。さっきも言いましたけど、ニーナちゃんがあなたを助けたいって強く願ったからですよ」

「それでも、感謝します。本当にありがとうございました」


 今にも泣き出しそうなティアナさんの肩をぽんぽんと叩く。

 『対価』は貰っているのだけど、それは彼女達には関係のない話だ。


「行こうか」

「はい」


 いつしかアルトさんとニーナちゃんの涙の別れも終わっていたようだ。ニーナちゃんはティアナさんに抱き上げられ、まだ涙で濡れた瞳を手で擦っている。

 わたし達は手を振って、神殿を後にした。ここで転移をするわけにもいかないからね、まぁとりあえずはお別れです。



 神殿の敷地内から出て、わたし達はあてもなく朝日に照らされる町を歩いていた。

 すぐに帰ってもいいのだけど、折角来たし、少し見て回りたかったのだ。アルトさんも快く頷いてくれたので、散策する事にしたのだけど……まぁ店は開いていないよね。

 中心部の商店街は時間も時間だし、ひっそりとしていた。掃除をしたり荷物を配達したり働いている人はいるけれど、まだ静かで穏やかなひと時。


「朝市はもうやっているだろう。通りの向こうになるが、行ってみるか」

「行きたいです!」

「前に話した、鉱石が採掘出来る町とはここの事なんだ。市場でも色々出ているはずだから、きっとお前も楽しめると思う」

「この町だったんですねぇ。いつかは採掘現場も見てみたいです」

「それは危険な場所だからな、難しいかもしれないが……いや、お前なら大丈夫か」

「どういう意味でしょうか」


 軽口を叩きながら朝市へ向かうべく、通りを越える。確かに人の賑わう声が聞こえてくるようだ。お腹も空いてきたし、何か食べれるかな……なんて能天気な事を考えていたのに。

 一瞬の間に、わたしの体はアルトさんのローブの中に抱き込まれていたのだった。

 意味がわからん。


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