11.今日も今日とて人助け―林の遭難者②―

「うう……店……ぇ?」


 気が付いたらしい男が上体を起こす。ふらついているのは栄養失調が原因で、傷は完全に治っているようだ。恐ろしい角度になっていた足も、元に戻っている。


「はーい、ようこそー! ミルク粥なんていかがですか?」


 務めて明るく声を掛けると、スツールから立ち上がったアルトさんが怪訝そうな視線を向けてきた。こういう時は明るくした方がいいんですよぅ!

 男は不審そうにわたしとアルトさん、そして屋台を見ている。こんなところにどうして屋台がってやつですね。

 アルトさんは男に近付くと、立ち上がるのに手を貸してやった。歩いている姿を見るに、骨はしっかりくっついているようだ。アルトさんの手を借りて、スツールに座った男はミルク粥の香りに気付いたようで鼻を動かしている。


「俺は……死んだのか……」

「生きてますよぅ。どうしてみんな、おんなじ事を言うんでしょうねぇ」

「死んでないなら、これは一体……」


 カウンターに常温のお水を置くと、男は喉の渇きを思い出したのか一気に飲み干そうとする。それを横に立っていたアルトさんが手で制した。


「衰弱状態で一気に水を飲むと吐き戻す。ゆっくり飲んだ方がいい」


 アルトさんの的確な指示に、男は素直に従う。ゆっくりと水を飲み干すと、アルトさんが水差しから、またグラスに水を注いでやっていた。


「はい、どうぞ。召し上がってくださいなー」


 軽い調子でカウンターにミルク粥とスプーンを載せたトレイを出す。湯気立つ甘い香りに、男の喉が鳴ったのが分かった。


「こんな、食べていいのか……本当に……天国じゃないのか」

「冷めないうちにどうぞ。お代わりもありますよ。アルトさんも食べます?」

「いや、俺はいい」


 じゃあやっぱりコーヒーかな、と。とっておきのコーヒーゼリーを出してやると、アルトさんが驚いたように目を瞬いた。ミルクで満たした手の平サイズのピッチャーを添えて、はい召し上がれ。

 一心不乱にミルク粥を頬張る男の隣で、アルトさんがゼリーを食べ始める。味わうように一口ずつ、ゆっくりと食べるその姿は見ていて気分がいい。この男は何でも所作が綺麗なのだ。


「お代わり!」

「はいはーい。天使特製ミルク粥、たーんと召し上がれっ」

「やっぱり天使様だったのか!」

「違いますよぉ。ふふふー」

「何で嘘をつくんだ……」


 わたしと男の掛け合いに、呆れたようにアルトさんがツッコミを入れてくる。こんなの食事を楽しむスパイスみたいなもんですよぅ。

 わたしは先程と同じように、ミルク粥を盛り付けると男の前に出してやった。これだけ食欲があるならもう大丈夫でしょう。そう思って、フライパンを手にする。茹でたじゃがいもを少量の油でこんがりと焼いて、塩味がきいたチーズを蕩けさせる。黒胡椒を振って、皿に盛り付けて男の前に出してやった。


「食べられそうならこちらもどうぞ」

「いいのか、こんなにしてもらって……!」


 口で言いながらも、男の目は新たな皿に釘付けだ。フォークを渡してやると、溶けたチーズをこれでもかと伸ばしながら食べ進めていった。うんうん、元気そうですねぇ。



「ふぅ……っ、ごちそうさん! いやー本当に助かったよ!」

「お口にあって何よりですよぅ」

「それにしてもこんな所に屋台なんてなかっただろう? お前さん、本当に何者なんだ」

「妖精さんのきまぐれだと、軽く流してくださいな」

「妖精だったのか……!」

「違いますよぅ、うふふ」

「だからどうして嘘を……」


 アルトさんには冗談が通じないのだろうか。しかし口うるさいわけでもないし、人手があって助かったのも事実。危険ではない場所に連れ回して手伝わせて……あれ? これって報酬を払わなくちゃいけないやーつ?


「それにしても、何でこんなところで倒れてたんですか?」

「山菜採りに来たんだよ。だけどあんなとこに崖があるなんて思わなくて、気付いたら落ちてた。助けを呼んでも誰も来てくれねぇし……。もう少し生きていたかったな……なんて思ってたらあんた達がいたんだよ。俺の足を治してくれたのも、あんた達だろ? ありがとうな……!」

「いや、俺は……」

「いいってことですよぅ! 困った時はお互い様ですから」


 否定しようとするアルトさんを、声を被せて黙らせる。助けたのは事実なんだから黙って受け取っておけばいいのだ、まったく。

 わたしは屋台の中から出ると、エプロンのポケットから小さな魔石を取り出した。わたしが魔力を篭めると、足元に伸びた光が道を教えてくれる。


「これを持っていってください。この光の通りに進めば町に辿りつきます。役目を果たしたらこの魔石は土に還りますので、その辺にぽいっとしちゃってくださいな」

「こんな便利なもんがあるのか!?」

「妖精の秘術ってやつですよぅ」

「嬢ちゃんは結局何者なんだ……」


 お? このおじさんもノってこなくなりましたねぇ。適応力が高すぎるのもつまらないな。


「それは内緒です。女には色んな顔があるんですよ」

「そ、そういうもんか? しかし……こんなにして貰って、嬢ちゃんに返せるものがねぇ。取った山菜は全部萎びちまってるし……」


 男は申し訳なさそうに、腰につけていた籠を見せてくる。わたしとしては対価は既に貰っているからいいんだけれど……ん? んん?


「おじさん、その籠見せてください」

「お? なんか気になるもんでもあったか?」


 わたしは籠の中からお目当てのハーブを一束取り分ける。

 これは回復薬を作る時に使えるのだ。


「おじさんがよければ、このハーブをもらえませんか?」

「そりゃかまわねぇけど、そんな萎びた薬草で本当にいいのか? 町まで来てくれたらもう少しいい物を返せると思うんだが……」

「これで充分ですよぅ。出来れば、ここでわたし達に会ったのは内緒にして貰えると助かりますねぇ。毎度ここで店を出しているわけではないので、あてにされても困っちゃうもんで」

「おお、それもそうだな。こんな別嬪さんがやってる店なら、遭難してでも来たいなんて思う輩もいるかもしんねぇ」

「うふふふー、おじさんったら口がお上手」


 ふと姿が見えなかったアルトさんが、手になにか棒を持って帰ってきた。すぐ側にいるのは気配探知で分かっていたけれど、何をしていたんだろう。

 アルトさんは太い木の枝を男に差し出した。体を預けても大丈夫なほど太いもので、細枝や葉っぱは綺麗に落とされている。


「山を降りるには足元が悪い。杖に使え」

「これはありがたい! 何から何まですまねぇな」

「ではおじさん、どうぞお気をつけて!」


 にっこり笑って手を振ると、何度も振り返りながら男は山を降りていった。町までは然程遠くない。元気なら暗くなる前に辿り付けるだろう。

 わたしは胸元のブラウスを軽く引っ張り、胸に埋め込まれた水晶を確認した。淡い光で満たされている。よしよし、また溜まった。


「さーて、それでは帰りましょうか」


 スツールを片付け始めているアルトさんに声をかけると、ゆっくり頷いてくれた。

 皿やカトラリーを屋台の中に入れ、魔法を使って片付けていく。乾いたそれらを定位置にしまって、よし、終わり。

 屋台の外に出て幌を下ろすと、不意に冷たい風が吹いた。


「っくしゅ……! 寒くなってきましたねぇ。冬になると遭難する人が増えるので、お仕事が増えちゃうんですよ」


 両手を擦り合わせ、冷たくなった指先に息をかけながら困ったように笑う。同意してくれると思ったのに、アルトさんはケープのようなマントを留める金具を小気味よく外し、下ろしたそれをわたしの肩に掛けてくれた。

 ……いやいやいやいや! 何この恋愛小説でよくありそうなシチュエーション!

 動揺しているわたしを尻目に、アルトさんはマントの金具をしっかり留めると、フードもかぶせてくる。……まだ彼の温もりが残っているし、男物のコロンの香りがふわりとした。


「有難いんですけど、これだとアルトさんが寒いですよね?」

「平気だ」


 マントを外した彼の姿は、首元のボタンを外した被る形の白シャツだ。長袖ではあるけれどそれ一枚だとどう見ても寒い。しかし今これを返したとして、彼は受け取らないだろう。


「戻ったら、温かいお茶でも淹れますからね」

「ああ、頼む」


 有難く受け取るのが吉だ。次からは厚地のストールを持ってこようと心に決めて、両手を宙に翳す。魔力に反応するように空間が揺らぎ、そこに大きな口を開く。


「入れればいいのか」

「押せば勝手に入るので、大丈夫……ですっ」


 そう言って押そうとするけれど、横から出てきた逞しい腕にその仕事をとられてしまう。アルトさんが軽く屋台を押すと、吸い込むように屋台が飲み込まれてしまった。アルトさんは凄いなと小さく呟くばかり。うん、凄いことなんですよ。


「では冷えちゃう前に帰りましょう」


 そう言いながら取った彼の手が、少し冷たくなっているものだから、わたしは急ぎで転移をするべく集中した。

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