第16話 傾いた天秤は揺るがない
「オオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
前衛関地に響く、濁った歓喜の咆哮。
フィオライトとアンテレナを呑み込んだ肉塊は、爆発的にマギナ量を増大させると共に、その肉体をみるみる肥大化させていった。それはさながら数十メートルに及ぶ肉の大樹。幹が成長するように肉体を太く長く築き、葉が生い茂るように無数の触手を生やし、実が成るように目玉を開花させていく。
「最悪だ……! 野郎、フィオライトとアンテレナの両方を食いやがった……!」
見上げるのは、
まるで、切実な想いでここまで駆けつけた自分を嘲笑っているかのようで。
「くっそお! フィオを返せええええ!!!」
絶望とやるせなさを怒りの力に変え、ミヤビは半ば破れかぶれになりながらルイワンダを振った。その先端は、頭上にある肉塊の触手の根本に巻き付く。
すぐさま糸を収縮させて空中へと舞い上がったミヤビは、数多く存在するもののうち、正面にある巨大な目玉へとルイワンダを叩き込んだ。
「ギィヤアアアアアアッ?!」
思いの外、効果的だったのか、肉塊は苦しそうな
「はっ! ざまぁみやが――」
と、いい気になるのは
「やばっ」
空中で身動きが取れないミヤビは慌ててルイワンダを振ろうとするが、間に合いそうにない。残された手段は、大きくしなりながらやってくるそれをルイワンダで受け止める、それだけだった。
しかし、ミヤビと肉塊の重量差は明らか。当然、踏ん張る足場も無いミヤビは触手の攻撃を受けきれられず、触手のスピードそのままに弾き飛ばされてしまった。
「うおあああっ?!」
弾丸のように前衛関地の上空を駆けるミヤビ。上も下も右も左もごちゃ混ぜになる乱れた視界の中で、司令本部がどんどん迫ってくる。
「やべえ! このままじゃあ壁に激突してミンチだ! どうにかしねえと……っ」
数秒後の未来を察したミヤビは、ルイワンダの糸を伸ばし、胸から腰に掛けて器用に何重にも巻いていく。そして、手に構えたそれの両端を同時に射出した。
その結果、ルイワンダの右の先端は高層建築物の
無事に事前準備を完了したミヤビは、両腕で頭を挟んで固定し、
けれど、これで速度を殺すことに成功した。――が、それで完全に危機が去ったわけではなかった。
ルイワンダの
「ぐあああっ」
ガラスの破片を
「~~~~っ、はあ、はぁぁ~~…………死ぬ、かと思った……」
未だ揺れる視界を
流れ着いたその場所は、会議室らしき大部屋だった。ミヤビは倒れたテーブルやイスを避けながら、自身が突入したために割れた窓へと近づく。
急成長を終えた肉塊は司令本部への移動を開始していた。前衛関地から逃げ出した人間を
――もっと真剣に考えるべきだった。
その光景を目にして、ミヤビは自責の念に歯噛みする。
どうしてもっと考察を深堀りしなかったのか。どうしてその可能性の一端を掴んでおきながら、それを疑問のままに終わらせてしまったのか。
「あの時……俺は確かに考えていたはずなのに……! あいつらが予言者の存在に気付いているかもしれない。この基地にレンヤがいる、と知っているかもしれない、と!」
今回の王連合軍によるフロントーラ侵攻は計画的に練り込まれた作戦である、とミヤビは認識していた。しかしそれは、状況証拠だけで組み立てた結果論に過ぎなかった。この推理を裏付ける決定的な確証が不足していたのだ。
しかし、肉塊の素体である人型とアンテレナに関係性があった事実が、ミヤビを真実へと導いた。それは、この考察の前提となる最悪の仮定もまた、限りなく真実に近しいことを意味している。
今回のフロントーラ侵攻における王連合軍の
では、それを
一つは、肉塊を基地内に侵入させる手段の確立。
そして、肉塊が基地内の兵たちによって返り討ちにあわないための手回しである。
最初の条件は容易い。常に資源不足で悩んでいるフロンズ聖伐軍は、戦時中でも余裕があれば想生獣の素材を回収することは慣例となっている。そこに付け込めばいいのだ。だから、王連合軍は想生獣の中に肉塊を忍ばせる手段を用いた。
問題は、肉塊が返り討ちにあわずに済む方法である。人間を捕食し、そのマギナ量を吸収する能力は恐ろしいが、単体の戦闘能力は決して高くない。強力なナイト級が相手ならば、能力を発揮する間も無く
そこで王連合軍が
――と、ただ王連合軍による
そう、出来過ぎているのだ。全てが、王連合軍の都合の良いままに進んでいる。
どれか一つでも違っていれば、この状況まで追い込まれることは無かった。
慣例どおりに想生獣の素材を回収しなければ。それ以前に、戦場のナイト級が想生獣を基地付近まで接近させなければ。
アンテレナに肉塊の素体たちとの交流が無ければ。
レンヤがここに残っていれば。
全ては回避できた惨劇だった。
しかし、現実として、ルーク級は慣例どおりに想生獣の素材を回収し、アンテレナは素体になった人々と関係があり、レンヤは王の許へと飛び立っていってしまった。
これらを偶然や不運などの言葉で片付けるのは乱暴である。絶対に理由があるはずだ。
と、すると、考えられる可能性は一つ。
「ヤツらは前もって知ってたんだ……この基地にアンテレナがいることを。そして、レンヤがいることも」
であるならば、当然、次の疑問が生まれる。
「そもそも、こっちの作戦は予言者の予知に基づいて立てているんだ。だから、こちらの作戦が裏目に出ること自体、ありえない話なんだ」
では、その疑問を解消させ得る答えとは?
「考えられるとしたら……ヤツらには、予言者の予知能力を
考えてみれば、至極真っ当な思考の帰結だった。
人類を七つ目の世界まで追い詰めた強大な組織が、それから26回もの敗戦を重ねている。それも、
いや、むしろ、26回の戦いの中でその存在を認知した、と言った方が正しいか。ならば、それに対策するのは当たり前のことである。
「王連合軍はキリエ=オーバードの予知能力を踏まえた上で、それを逆手に取る作戦を練り上げた。それこそが今回の侵攻戦。そして、それはとある事実が土台となっている」
すなわち、東部周衛基地に騎士団が派遣されていないことを事前に知っていた。
すなわち、東部周衛基地にはアンテレナとレンヤが送られることを知っていた。
そして、東部周衛基地には肉塊を倒せる力を持つ者は残らないと確信していた。
これらから導き出せる結論は、一つ。
「王連合軍は、フロンズ聖伐軍の情報を手に入れる手段を持っている」
それがキリエ=オーバードのような予知能力の持ち主なのか、それとも内通者がいるのか。もしくは、別の手段か。
やり方までは分からないが、とにかく、フロンズ聖伐軍の情報が王連合軍に筒抜けになっていることは、ほぼ間違いない。
「今回の戦いで王が用意した兵の規模がいつもより大きいのも基地内になるべく戦力を残さないため……? 基地内の兵力をなるべく戦場に割かせるために。もしかしたら、王の軍勢が劣勢なのも、こちらの兵士たちを基地から遠ざけることが目的の演技か? 大規模という割には
だとするならば、レンヤが王の許へ飛び立っていったのも作戦の内なのだろうか?
「ありえる……なんたって、あの肉塊どもが活動を開始したのはレンヤが基地から飛び去った直後だ。ああ、ってことは何か? 物事を深く考えずに感情のままに暴走するレンヤの性格まで把握してる、ってことか? 戦場でこちらが優勢だから、この際、王も倒してしまおう、ってカンジで突っ走ったんだろ、あの馬鹿。くそっ、あいつさえこの基地に残っていればフィオは食われずに済んだのに……! 何やってんだよ! あいつを守るんじゃなかったのかよ?! テメェは!!」
言葉尻と同時に、激情のなすままにミヤビは窓の化粧木に両拳を振り落とした。パリン、とガラスが砕ける音がして、両手に鋭い痛みが走る。残っていたガラス片が刺さったようだ、拳の底から滲み出てきた鮮血が音も無く化粧木に広がっていく。
やがて、血が化粧木の縁から床へと零れ落ちる頃、力無く項垂れるミヤビもまた、溜息を零した。
「……なに言ってんだよ。馬鹿はテメェじゃねえか……予言者の存在を気付かれてるんじゃないか。レンヤがここにいると知ってるんじゃないか、とずっと前に思い付いていたはずなのに! どうしてもっとちゃんと考えなかった?! もっと深く掘り下げておけば、この事実に気付けて、そしたらもう少しうまく立ち回れたかもしれないのに! そしたらフィオも助けられたかもしれないのに!! くっそおおおおおおおおおおおお!!!」
今度は壁を殴りつけ、ミヤビは頭を掻きむしる。流れ落ちる鮮血が髪や顔に降り掛かるが、そんなこと今はどうでもいい。決意で
「考えろ! フィオをあの肉塊から救い出す方法を考えろ! フィオは絶対に生きている! 諦めるな!! 俺が諦めたら他の誰があいつを救う?! 考えろ考えろ考えろ!!!」
さらに自身の頭を何度も何度も殴りつけるミヤビ。その狂ったような言動とは裏腹に、彼の脳内では思考回路が急速に稼働を開始する。
「フィオを救い出す方法! キューブで吹き飛ばす? キューブの爆発力なら肉塊程度なら問題なく吹き飛ばせる。気がかりなのは、中にいるフィオに被害が及ばないかどうか……あれだけの体積だ、きっと肉がクッションになって爆発の影響はそれほど受けないはず。むしろ、キューブを全て使うくらいの破壊力がないと……いやっ、いや、違う! ただ助けるだけじゃダメなんだ!」
ハッと何かに気付いたミヤビは、激しく頭を左右に振る。
「キューブを全て使えば、あの肉塊はバラバラになるだろう。しかし、それで肉塊が死ぬとは限らない!」
脳内に蘇るのは、人型たちが寄り集まって一つの大きな肉塊となっていく光景。肉塊には標準となる形がなく、自在にその体形を変質することができるようだ。
つまり、例え爆発で木っ端みじんになったとしても、それが肉塊の死因になる保証はない。再び復活する可能性もあり得るのである。
「そうなった場合、ルイワンダを失った俺に戦う術は無い! あの肉塊から助け出した後、フィオを安全な所まで運ぶ! その上であの肉塊をフィオから遠ざける! そうして初めて助けたことになるんだ! 目的を誤るな!」
拙速な判断をしかけた自分に怒鳴り付け、ミヤビは肉塊を睨み付けた。
「ルイワンダはその時まで使うことはできない……しかし、だとしたらどうする? 他にフィオを救い出す方法はあるか? 一か八か、俺もあの肉塊に食われてみるか? そして、フィオを抱き抱えて外へ……ダメだ、不確定要素が多すぎる。精神汚染を受けるかもしれないし、仮にフィオを救い出せたとして、その後はどうするつもりだ? フィオを抱えたまま、あの肉塊の追跡をやり過ごせるのか? ダメだ……確実性が乏しい。せめて、救出後の行動……あの肉塊をしばらく活動停止状態にさせることができれば…………キューブの爆発ならそれができそうなんだが、しかし、ルイワンダが無くなるのは痛すぎる。なにか、キューブに取って代わる物があれば……だが、そんな都合がいいもの、この基地内に………………あっ」
思考の末に行き着いた、とあるアルニマの存在。
「……ある。キューブに取って代わる物が、この基地に、この司令本部に。だが、それを使うということは……」
人類を滅亡の危機に晒してしまう恐れがある。――と、そんな不安を今さら抱く自分に、ミヤビは皮肉染みた笑みを浮かべた。
「人類の事なんて考えるな。それを考えてどうにかできるほどの力なんてお前にはねえだろ。そんなのはレンヤやアンテレナが考えることだ。お前はただの一般人、それ以下のクズだ。クズはクズらしく人様に迷惑を掛けて生き恥を晒し続けろ。それでも成し遂げたい夢がある。そのために俺はこの道を選んだんだろうが!!」
良心に揺れる脆い自分に喝を入れ、ミヤビは顔を上げる。着実にこちらへと接近している肉塊の大樹。これから仕留めるにっくき相手を今一度、目に納めて、ミヤビは部屋を出ていった。
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