第158話 元通りではありませんでした

 次の日、朝食は夜明けのすぐ後に始まった。早起きのミリアにとってはなんということもない。


 テーブルの上にはたくさんの料理が並び、立食パーティができそうだった。


 なるほどこれと比べたなら、以前の朝食は質素だとアルフォンスが言ったのもうなずける。


 笑顔でおしゃべり好きの方の夫人だったので、ミリアは緊張せずに食べることができた。


 夫人はミリアがいるとアルフォンスと会話出来て嬉しいと言っていた。どこも母親は息子のコミュニケーションに悩むものらしい。


 朝食が早かったのは、伯爵が王都に戻らなくてはならないからだった。


 当然ミリアとアルフォンスも戻るつもりだったのだが、これまで大変だったのだから一日休むように、と伯爵に強く言われ、ミリアとアルフォンスは次の日に出発することにした。ここまできたら一日くらい送らせても大差はない。


 朝食の後、伯爵と夫人を見送って、ミリアはアルフォンスと近隣の村に出かけた。前にミリアが置き去りにされたあの村だ。


 一人で行くと言ったのに、アルフォンスに危ないからと説得された。アルフォンスがいると交流できないと主張しても駄目だった。


 仕方なくアルフォンスと一緒に行ったが、やはり村人は二人を遠巻きにするだけで、ミリアが一緒に遊ぶことはできなかった。


 まあ、次期領主の婚約者ミリアのしたことは領内に知れ渡っているわけで、たとえアルフォンスがいなくとも、麦の生産をしている村でミリアが受け入れてもらえる訳はないのだった。


 村長が挨拶あいさつに駆け付けたままずっとアルフォンスについて回っていて、こんな辺鄙へんぴな村にと恐縮し通しだったのが気の毒だった。


 それでも、マークとエマの元気そうな姿が見られてよかった。この村でも被害があったと聞いていて、ずっと気になっていたのだ。


 いつか自分が領民に認められる時が来て、また二人と遊べるようになれたらいい、と思った。


 


 次の日朝早く、ミリアはアルフォンスと共に、王都に向けて出発した。


「それで、どうして私はアルのひざの上にいるのでしょうか?」


 馬車の中、ミリアはなぜかアルフォンスに後ろから抱えられるようにだっこされていた。


「嫌ですか」

「嫌ではないんですけど……」


 落ち着かない。とても。お腹に回る手だとか、背中に接している上半身だとか、すぐ側にある顔だとか、耳の近くで落とされる声だとか。


「リアが嫌でないのなら、このままでいて下さいませんか?」

「ええと、もう寒いから窓は開けないので、私がうっかり身を乗り出してバランスを崩すことはないと思うんですよ。それに、今回のことで領内のことはかなり勉強しましたので、アルに教えてもらわないといけないこともないと思うんです」

「それと何の関係が?」

「行きはそれでこの体勢になりましたよね?」

「それがただの口実であったことはリアもご存じでしょう?」


 いや、知らないし。


「本当の理由はなんでしょうか?」

「私がしたいからですが? それをリアは許して下さったのですよね?」


 あ、そういうことだったんだ。


 アルフォンスはただミリアにくっついていたいだけだった。


 あまりにも直球の好意に、ミリアは顔を赤くした。


 そんなのわかるわけないよ……。


「王都に戻ったら、二人だけでいられる時間は少なくなりますから」

「で、でもですね、ずっとこの体勢でいると、二人とも疲れてしまいますよね」

「私は平気ですが、リアが疲れるのは困りますね。……ああ、ではこうしましょう」


 アルフォンスはミリアの体を少しだけ回転させた。ミリアがひざの上で横座りする形になる。


 そして優しく頭を引き寄せて、胸へともたれかからせた。


「これなら楽でしょう?」


 全然楽じゃありませんけど!?


 余計に鼓動こどうが速くなる。体勢的には楽だが、精神的には全く楽ではない。


「そのまま眠っても構いませんから」


 アルフォンスは嬉しそうにとろけるような笑顔で見下ろしてきた。


 眠れる訳ないじゃない……!


 服越しに聞こえてくるアルフォンスの鼓動こどうはとても安定していて、自分一人で慌てているのがとても悔しい。


 ミリアはアルフォンスの首に両腕を回した。


「リ――」


 そして、突然の行動に目を見開いたアルフォンスの口を奪う。


「っ!」


 びくりと硬直するアルフォンス。


 一瞬のキスを終え、何食わぬ顔でアルフォンスにもたれると、アルフォンスの心臓は早鐘はやがねのように鳴っていた。


 これでおあいこ……だよね……?


 仕返しをしたつもりが、ミリアの鼓動も同じように速くなっていて、顔が真っ赤になっているのも分かってしまって、なんだか釈然としなかった。




 行きと同じ強行軍で進んで王都には夜に着き、次の日の朝、アルフォンスが迎えにきて、ミリアは久しぶりに王宮に出勤した。


 監査室までの向かう間、行き会う人々から不躾ぶしつけな視線が送られてくる。


 この手の視線に慣れているミリアは、何ということもなく流した。もはや達人の域である。


 監査室の扉の前までくると、懐かしさにほっとした。


 まだあと少しだけ自分の城だ。


 扉を開けると、正面の席に座っていたルーズベルトが椅子から飛び上がるようにして立ち上がった。


「おかえりなさい、ミリア様!!」

「ただいま、ベルン」


 ほほがげっそりとこけている。目が充血して真っ赤だ。ミリアに再会できて感動しているのではなく、激務による目の疲労だろう。


「戻ってきてくれて、本当に本当に本当に嬉しいです」

「急に押しつけちゃってごめんね」

「仕事ですから、仕方ないです……」


 そう言いながら、ルーズベルトは遠い目をした。


「話したいことはたくさんあるんですが、出勤したらすぐに来るようにとギルバート殿下から言伝ことづてがありました」

「わかった。ありがとう」


 ミリアはその足でギルバートの部屋に向かった。


 途中でアルフォンスとも行き会う。


「リア」

「アルもギルの所に?」

「ええ」

 

 二人は当事者なのだから、同時に報告を求めて当然だった。


 部屋に着くと、すぐに通された。


 ソファに案内され、お茶が用意される。


 ギルバートは遅れて現れた。


「大変だったね、二人とも」

「ギル、色々ありがとう」

「ご尽力、感謝いたします、ギルバート殿下」


 一度立ち上がった二人は、ギルバートにうながされて、ソファに座り直した。


「礼を言うのはこちらの方だよ、ミリア、カリアード。僕のめいに従って、よく今回の騒動を収めてくれたね」

「ギルの命令?」


 ミリアはカリアード家の危機を救うため、ギルバートに支援を願い出はしたが、命令を受けたつもりはない。


「そう。僕の命令。これが命令書だ」


 ギルバートは側に立っていた側近から受け取った二枚の紙を、それぞれ二人に渡した。


「ミリア・スタインは、カリアード領にて発生した麦の病原菌による被害を食い止めるため、可能な限りのあらゆる手段を講じること。また、病原菌の出所の調査を行うこと。……何これ?」


 日付は過去の物になっていた。ミリアがギルバートに提案し、王都を立った日だ。


「アルの方は何て書いてあるんですか?」

「同じ事が書いてあります」


 どういうことだろうか。 


 二人はギルバートの言葉を待った。


「今回の病原菌――麦角ばっかく病と言ったね――は、これまで王国内では見られなかったものだよ。それがカリアード領の複数の場所で突然同時多発的に発生した。どう考えてもおかしいよね」


 ミリアとアルフォンスも、その点については疑問を持っていた。


「それは、これまでも表に出ていなかっただけで発生はしており、麦の運搬にともなって点状に汚染されたのだろうと考えました。伝染病などでもままあることです」

「その報告は受けたし、僕もそう思っていた。けど、カリアード伯爵がシャルシン国の妙な動きを察知した」

「父上が?」


 アルフォンスは初耳のようだった。


代替だいたいの麦を都合してもらえるよう打診をしただろう。あれの承諾が妙に早かったことに疑問を持って、調べたそうなんだ。どうやらあちらは、ローレンツ王国が麦を必要とすることを、あらかじめ察知していたようだよ」


 それはおかしなことではない。あれだけの大騒ぎだったのだから。アルフォンスやエドワードへと情報が伝わる前に、シャルシン国が把握していることは十分にあり得る。


「不思議なことに、シャルシン国は今年の麦の作付け面積を増やしていた」

「それは……」


 ギルバートがソファにもたれた。


「偶然の一致にしては怪しすぎるよね」


 もしこれが繋がっているとしたら、シャルシン国は、麦の栽培が始まる今年の春から、ローレンツ王国が麦を必要とすることを知っていたことになる。

 

「それでね、方針を変えることにしたんだ。麦角病のことをおおやけにして、今回のミリア・スタインが起こした騒動は、僕の命令によるものということにして、種明かししてしまうことにした。全部麦を回収するための嘘だったよって」

「ええ!?」

「その上で、シャルシン国に圧力をかける。今回うちにどこからか病原菌が持ち込まれたようだ、と発表するんだ。シャルシン国を名指ししたりはしないけど、お前たちのやったことは知っているよ、ってね」


 カリアード家の管理が甘くて病原菌を発生させてしまったのならカリアード家の責任になるが、他国の陰謀だということなら話は別だ。


「幸い、二人の働きで封じ込めに成功したしね。いつも余った麦は輸出してるけど、回収が早かったから今回それで流出させてしまうこともなかった」

「ですが、それはカリアード家を守るための方便だと国内で批判を受けませんか」

「それは避けられない。けど、シャルシン国を手引きした者がいるはずなんだ。そいつがカリアード家を狙っているのなら、いずれ明るみになったよ。それなら、隠蔽いんぺいしているより、先にこちらから言ってしまった方がいい」

「そうだけど……」


 ミリアはアルフォンスと顔を見合わせた。


「というか、これは二人の意見を聞いているわけじゃないんだ。もう発表してしまったから」

「えっ!?」

「は?」


 初耳だった。


「昨日のことだよ」

「何も聞いてないよ!?」


 たった今発表されたというならわかる。だが昨日のことをミリアが知らないわけがない。屋敷では何も言われなかった。


 アルフォンスだってそうだ。知らないはずがない。


「カリアード伯爵がね、面白いから黙っていようって」

「何それ……」

「父上……」


 アルフォンスが片手で目を覆った。


 伯爵のキャラがわからなくなってきた。厳格な人ではなかったのか。


「え、ちょっと待って。それって父さんも共犯じゃない?」


 ミリアの耳にも入っていないということは、フィンが屋敷の者に箝口かんこう令を敷いたはずなのだ。


「うん」

「父さん……っ!!」


 婚約の事といい、この発表の事と言い、どうして父親二人は自分たちにこんな悪戯いたずらを仕掛けてくるのか。まるで悪友を得た悪ガキだ。


「というわけで、めるつもりだっただろうけど、ミリアは続けて監査室でバリバリ働いてもらうよ。僕も二人の代わりをするのはもう疲れた。頼んだからね」


 そうか、そういう事になるのか。


 文官になるための採用試験を受け直すとか、そういう話も全部吹っ飛んだわけだ。


「はい。じゃあ話はここまで」


 パンッとギルバートが手を叩いた。


「ミリアは不在の間のことはフラインに聞いて」

「う、うん」

「カリアードは明日エドが戻ってくるからその準備を」

「わかりました」

「戻っていいよ」


 ギルバートに追い出されるようにして部屋を出た二人は、扉の前で立ち尽くした。


「嵐は終わったと思ってたんですけど」

「最後にまだ残っていましたね」

「もうないですよね……?」

「ないと思いたいです」


 なんだかどっと疲れた。


「結局、全部元通りですね」


 二人の婚約も、ミリアの仕事も。フィンが一代男爵の爵位を剥奪はくだつされることもない。ミリアは男爵の娘のままだ。


「いいえ」


 アルフォンスがミリアの手を取った。


「リアが私のことを想っていて下さることがわかりました」

「あ……」


 そうだ。ミリアも、アルフォンスの気持ちを知った。


 完全に元通りという訳ではないのだ。


 アルフォンスがにこりと笑顔を向けてから、ミリアの手を引いた。


「部屋までお送りします」

「駄目です。アルも仕事に戻って下さい」

「では途中まで」

「よろしくお願いします」


 伯爵と夫人には認めてもらった。


 次は、使用人と領民と他の貴族たちだ。


 その道のりは簡単ではないだろう。


 だけど――。


 隣を歩くアルフォンスを見る。


 二人ならきっとできる。


 視線に気づいたアルフォンスが笑いかけてきたので、アルフォンスの手をきゅっと握りしめて、ミリアは笑顔を返した。




 ―― 第二部 完 ――
















 * * * * *


 ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


 第一部のテーマは「乙女ゲームのヒロインは悪役令嬢の・・・・・婚約破棄を阻止したい」でしたが、第二部は「乙女ゲームのヒロインは自分の・・・婚約破棄を阻止したい」でした。


 ようやく二人の気持ちが通じ合い、自分もほっとしています。


 読者の方々が読んで下さり、作品フォローして下さり、星を入れて下さり、レビューして下さったからこそ第二部も走り切れました。特に応援(ハート)下さったみなさま、本当にありがとうございました。読んでもらえているという実感が一番のモチベになりました。


 もし面白かったと思って下さったならば、星やレビューを頂けると嬉しいです。作品フォローと星の数でランキングが決まるとの噂です。


 これにて第二部完結ですが、このあと番外編が続きます(不定期連載)。よろしければ引き続きお付き合い下さい。第三部は構想をっているところです。



 最後に少しだけ宣伝を。他にも恋愛作品、異世界ファンタジー作品があります。以下は本作品読者におすすめの長編です。


▼竜帝さまの専属薬師

好きな人が唯一のつがいを見つけてしまって失恋する所から始まる恋愛ものです。ハピエン。完結済み、10万文字(文庫本一冊程度)。

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054896062956


▼男爵令嬢は王太子様と結ばれたい(演技)

 悪役令嬢ものあるあるの「残念なヒロイン」がちゃんとした令嬢(非転生)の演技だったら、という裏話的な話です。自分勝手に悪役令嬢と婚約破棄しようとする「残念王子」も出てきます。完結済み、11万文字(文庫本一冊程度)。

 別サイトのアルファポリスで第15回恋愛小説大賞の奨励賞を頂きました。

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054917740164


▼育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました

 現代恋愛。IT会社で働く主人公が、別部署から戻ってきた後輩と酔った勢いで関係を持ってしまい、セフレになる話。連載中、10万文字(文庫本一冊程度)。完結まで執筆済み。

https://kakuyomu.jp/works/16816700426643978053


▼魔導具の修理屋はじめました

 勇者と一緒に異世界召喚された女の子が修理屋として頑張る話です。現代女子高生の転移ならではの苦労もあります。連載中。第3回ドラゴンノベルスコンテストで特別賞を受賞し、8/5に発売、コミカライズ企画進行中。

 https://kakuyomu.jp/works/16816452220070279958


 それ以外の作品は作者ページからどうぞ。

▼藤浪保

 https://kakuyomu.jp/users/fujinami-tamotsu



 それでは、番外編もよろしくお願いします。

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