第133話 決めました

 カリアード領から帰る馬車の中、ミリアはずっと考えていた。


 自分がカリアード伯爵家に相応ふさわしくないのは自明の理だ。


 そもそもアルフォンスはミリアと婚約までする必要はなかった。


 クリスを頼って逃げたいとは思ったが、あれだけ場を整えられてしまったのだから、アルフォンスと婚約をしなくても、ミリアは説得に応じて王宮に入ることを承諾した。わざわざ新しい部署まで立ち上げていたのだ。今さら嫌だなんて言えない状況だった。


 この婚約は、ミリアに得なだけで、アルフォンスは損しかしていない。


 だけど――。


 ミリアはアルフォンスのことが好きだ。


 できることなら一緒にいたい。このまま、婚約者として。


 ならば、ミリアはカリアード家に相応しい令嬢になるしか道はない。


 生まれも育ちも容姿も身分もどうしようもない。


 だが、今からできることだってある。アルフォンスの隣に立てるだけの淑女レディになるのだ。


 ミリア・スタインは、諾々だくだくと現状を容認出来るほど、無欲ではなかった。



 

 王都に戻ったミリアは、さっそくローズに手紙を書いた。頼るならローズが一番だと思った。淑女教育はとうに終え、その上をいく王妃教育を受けているのだから。


 次の日、ミリアはアルフォンスの迎えを待たず、朝一番に自分で手紙をハロルド邸に届けに行った。返事は仕事の間に返ってきて、午後のお茶の時間に会えることになった。アルフォンスへの報告は書面で済ませた。


 王宮内のサロンで、ミリアはローズを迎えた。


「突然ありがとうございます、ローズ様」

「いいえ、ミリア様のお誘いですもの」


 ローズはにこりと笑った。邪気の感じられない完璧な笑みだ。ミリアもいつかこんな笑みを浮かべられるようになるだろうか。


「ローズ様、私に淑女としての振る舞いを教えて下さい。アルフォンス様に相応しい女性になりたいんです」

「……やっとですのね」


 ローズは口をつけていたカップをソーサーに置くと、呆れたように言った。どうやらミリアが言い出すのを待っていたらしい。


「わたくしは厳しいですわよ。淑女は一朝いっちょう一夕いっせきでなれるものではございません。平民出身のミリア様はさらに大変だと思いますわ」

「わかっています。それでも、アルフォンス様の隣にいたいんです」

「ミリア様はお仕事があるでしょう? お時間はとれますの?」

「できる限りとります」


 今日明日は不在の間の遅れを取り戻すので忙しいだろうが、部下のルーズベルトは予想より上手くやってくれていた。平時の仕事量に落ち着けば、夜と休日は使える。


 ローズはミリアをじっと見つめた。


「やがて伯爵夫人となるのであれば、振る舞いだけでは不足です。社交界についても学ばなければ。男社会の裏には女の戦いがあるのです」

「……はい」


 ミリアが最も苦手とする分野だ。


 だが、カリアード伯爵夫人となるならば、女社会も泳ぎ渡っていかなければならない。


「ご指導、よろしくお願いします」


 ミリアはローズの目をしっかりと見て言った。


「わかりましたわ。では、まず教師をつけましょう。ご紹介いたします」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 ローズはまた完璧な笑みを浮かべた。




 それからミリアの一日はさらに忙しくなった。


 夜のレッスンの時間を取るため、早朝に家を出発する。


 最初は悪いからとアルフォンスの迎えを断っていたが、できる婚約者様はミリアに合わせてくれたので、これまで通りカリアード家の馬車で行く。乗るたびに、ミリアはカリアード家に相応しくならなければと気合を入れた。


 フォーレンにいた頃はこれくらい早く起きていたから、特に苦ではない。朝の清々すがすがしい空気が気持ち良い。


 平民街はもう動き出している時間だが、貴族街は人通りが少なく、馬車がスムーズに進んだ。


 王宮に着けば、まだ護衛しかいないような廊下を歩き、途中でアルフォンスと別れて監査室に向かう。


 監査室は王宮の政務棟の端の方にある。空き部屋を急遽きゅうきょ改装したせいもあって内装は簡素だったが、華美を好まないミリアは気に入っていた。


 複数ある鍵を開け、重たい頑丈な両開きの扉から室内に足を踏み入れれば、インクの匂いがした。


 正面には茶色い窓枠のついた大きな窓が並ぶ。右手の壁には窓と本棚があり、左手の壁には有名画家の絵画が掛けられていた。


 壁はアイボリーで目に優しく、落ち着いた赤色の絨毯じゅうたんは踏みつけても靴の跡がつかないほどに厚い。


 ミリアの机は右手の窓を背にして置いてある。上質なマホガニーでできたそれは、王宮御用達ごようたしの家具職人が作り上げた一品だ。


 最初に見せられたときにはアルフォンス用だと思っていたそれが、実は自分の席用なのだと知って、ミリアは驚いてしまった。


 滅多にここで仕事をしないアルフォンスのための机は、ミリアの隣にちょこんと置いてある。それだって小さくはないのだが、ミリアの机に比べたら半分しかない。


 部屋の中にある机はあと二つ。扉の正面の窓を背にしていた。


 そのうちミリアの机に近い方が、ルーズベルト・フラインの席だ。フライン子爵家の嫡男で、ミリアの唯一の部下である。隣の机は予備であり、まだ持ち主はいない。


 ミリアが自分の机の後ろの窓を開け放ち、大きく深呼吸すると、鳥の鳴き声が聞こえてきた。王宮の敷地内は木が多い。もう少ししたら綺麗な紅葉が見られることだろう。


「よし」


 気合を入れて席に座り、鍵のかかった引き出しを開けた。中に入っていた書類を取り出して机の上に置くと、ペンを握って仕事に取り掛かった。


 と、ルーズベルトが出勤してきて、ミリアは時間の経過を知る。集中すると周りが見えなくなるのは、読書をしている時と同じだ。


「おはようございます」

「えっ、もうそんな時間!? おはよう、ベルン。これよろしく」


 かばんを置いたルーズベルトに書類を渡し、ミリアは書類をひっつかんで席を立った。これから会議だ。


「行ってらしゃい」

「行ってきます」


 アルフォンスに言った時にはあんなにどきどきしたのに、ルーズベルトに言われても何とも思わない。そりゃそうだ。


 説明を聞くだけの会議に出席する。たして自分はいる必要があるのかと疑問を持ちながらも最後まで話を聞いて監査室に戻ると、ルーズベルトがミリアが会議で不在の間に受け取った書類を渡してきた。


「ミリア様、報告書が上がってきました」


 ミリアたちが指摘した不整合な支出に対する、内部調査書だ。ぺらぺらと書類をめくっていく。


「うーん、上手く取りつくろってはいるけど……。何でもかんでも計算間違いにされてもねぇ……」


 あんたたちは高度な教育を受けて来たんじゃないの!?


 と言いたい気持ちはあったが、整合性は取れていたし、横領されたのではと疑っていた不足の資金はちゃんとあったことになっていて、十中八九犯人が穴埋めしたのだろうなと思うものの、それ以上は突っ込めそうになかった。


「仕方ない。この件は終わりにしよう。アルフォンス様に報告しとく」


 監査室は抑止力としての効果もある。見ているぞ、と圧力をかけることで、これ以上の汚職を防ぐのだ。


「あと、あっちはどうなった?」

「あれはまだです」


 ミリアのにも、ルーズベルトは迷いなく答える。熟年の夫婦のようなやり取りだ。この短期間でよく育ってくれたものだ。


「あ、ミリア様、次の会議が始まります」

「あー! 行って来る!」


 ミリアはルーズベルトが差し出した書類を受け取ると、監査室を飛び出した。


 ダッシュ……はできないので、速足はやあしで歩いていく。貴族がいれば速度を緩めて優雅にすれ違い、見えなくなればまた競歩だ。護衛はいてもスルーする。


 途中でお供をぞろぞろと引き連れたギルバートに出会った。


 さすがに第一王子をスルーするわけにいかない。


 ミリアは廊下の脇に寄って小さく頭を下げてギルバートが過ぎ去るのを待った。心の中では、早く早く早く、と叫んでいる。


 なのに、ギルバートに話しかけられてしまう。


「ミリア、ちょうどいい所に。今いい?」

「申し訳ありません。あいにくこれから会議がありまして」

「ああ、ごめん。じゃあお茶の時間の終わりに部屋に来て。行っていいよ」


 お言葉に甘え、ミリアは風のように去った。


 会議にはぎりぎり間に合った。もっと近くの部屋でやってくれればいいのに、と思ったが、ミリアに場所を決める権限はなかった。


 午前中の予定を全てすませたミリアは、食堂で用意してもらったサンドイッチをくわえながら書類をめくる。


 普段はしっかりと休むのだが、今日は特別だった。午後一で、監査室のこの一か月の成果報告会があるからだ。


 昼食から戻って来たルーズベルトに見送られて、ミリアは会議室へと向かった。

 

「――先月の監査の結果は以上です」


 ミリアが説明を終えると、参加者はみな苦々しい顔で書類を見つめていた。


 監査室室長として出席していたアルフォンスに視線を向けると、満足そうにうなずく。


 カリアード伯爵の提案により、ギルバート第一王子の管轄で急遽きゅうきょ新設された監査室。学園を卒業したての元平民の令嬢では何もできないだろう、と高をくくっていた高官たちだったが、ミリアは見事にその期待を裏切った。


 自分たちの部署にもメスが入れられているのは腹立たしいだろうが、成果が出てしまっては文句の言いようもない。


 いくつか質問を受けたが、ミリアは宿題にすることなくよどみなく答え、会議は無事に終了した。


「ミリア嬢」


 退出するときにアルフォンスから話しかけられる。


「お疲れさまでした。ご一緒します」


 これから午後のお茶会の時間だ。アルフォンスへの業務報告の時間でもある。アルフォンスは監査室まで一緒に行こうと言っているのだった。差し出された手は、ミリアが抱えている書類の山を持ってくれるということなのだろう。


「ありがとうございます」


 ミリアはアルフォンスに甘えることにした。半分程を渡そうと思ったら、ひょいっと全部持っていかれてしまう。


 こういうのをさらっとしてしまえる所が紳士だ。


 つくづくできる男だな、とミリアは感心してしまった。

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