第132話 想定外が多すぎです side アルフォンス

 カリアード領に帰ってきて一夜明けた朝、屋敷を出たアルフォンスは、馬車の中でほほが緩むのを止められなかった。


 なんて幸せな朝なのだろう。


 ミリアと同じ屋根の下で目覚め、朝食を一緒にとり、玄関で見送られる。腕の中で「いってらしゃい」と言ったミリアの声が耳から離れない。


 できるだけ早く帰ろう。ミリアはアルフォンスを出迎えてくれるだろう。「お帰りなさい」と微笑むミリアを想像し、胸が高鳴った。


 ミリアと婚姻を結べば、毎日こんな朝を迎えられるのだと思うと、その時が待ち遠しい。いや、ミリアも王宮に勤めているのだから、一緒に出発することになるのか。それはそれでいい。同じ家から出かけるというのも悪くない。


 昨日の移動中も幸せだった。


 一日中ミリアと一緒にいることができた。これほど長く同じ時間を過ごしたのは初めてだ。


 眺めていられるだけで十分幸せだったが、ミリアとの話は本当に面白かった。女性に限らず、あれほど賢い人物をアルフォンスは知らない。


 そして、領地に入った後。


 ミリアはアルフォンスが抱えるのを許してくれた。膝の上にミリアがいるというのは最高の気分だった。ずっとミリアを腕の中に閉じ込めておける。


 ただ、ピンクブロンドの髪からちらちらと見える白く滑らかな首筋には参った。触れたくて触れたくて、ミリアが質問を投げかけてくれなければ、理性が飛んだかもしれない。


 こんな日がずっと続けばいい。ミリアを独り占めしたい。


 そのためには、このままミリアの隣に立ち続けなければならない。


 婚約までは了承してくれたが、きっとミリアは婚姻にはなかなか応じてくれないだろう。


 それでもアルフォンスは途中で諦める気はなかった。ミリアが根負けするまで、粘り強く説得するつもりだ。


 問題は、それまでの間ミリアがアルフォンスを婚約者として側に置いてくれるか、だった。


 今回領地まで連れて来たのも、カリアード領を知ってもらいたかったからだ。良い所だとわかって欲しかった。


 だというのに、昨夜から今朝にかけて、使用人たちの対応は最悪だった。


 ミリアのために用意させていたはずの部屋は、随分質素な部屋に変わっていたし、メイドはミリアの世話をしなかったという。


 朝食用の食材がないと言われた時はどうしようかと思った。そんなことがあってたまるか、と思った。だが料理長がそう言うのだからそうなのだろう。


 普段なら、別邸の一切を取り仕切る執事長のキースがこんな失態を犯すことはない。


 婚約者を連れて行くと言ったから、緊張していたのだろうか。あの女が押しかけてきたときには、理不尽なわがままにもそつなく応じていたのだが。


 幸いなのは、ミリアがそれほど気を悪くしていないことだった。


 だがそれはミリアだから許してもらえたのであって、他の貴族だったらと思うとぞっとする。どれか一つでもカリアード家の品性を疑われるところだ。

 

 それももう限界だろう。


 あと少しでも何かやらかせば、こんな家には入りたくない、と言われてしまうに違いない。そうなれば婚約は解消だ。アルフォンスはミリアの隣にいられなくなる。


 ああ、とアルフォンスは両手で顔を覆った。


 幸せを知れば知るほど、ミリアを失うことが怖くて仕方がなくなる。


 だが、何も知らなかった頃にはもう戻れない。


 ミリアのいない世界は、想像すらできなかった。




 可能な限りの速さで仕事を終わらせたアルフォンスは、馬車を飛ばして屋敷に戻った。


 残念なことに、ミリアは出迎えてはくれなかった。


「ミリア嬢はどちらに?」


 上着を渡しながらキースにたずねる。


「まだお帰りになっておりません」

「どういうことですか?」


 アルフォンスはミリアの案内をキースに命じた。そのキースが屋敷にいるのだから、ミリアも帰ってきているはずだった。


「ミリア様が近くの農村をお気に召したようだったので。夜にはお迎えに上がります」

「誰をつけたのですか?」


 コルドではなく農村と言ったことに引っかかったが、ミリアが望んだのならそれでいい。護衛がいるのなら問題ないだろう。


「ミリア様お一人です」


 さらりと言われた言葉に、アルフォンスの頭にカッと血が上った。


「ミリア嬢を一人で農村に置いて来たんですか!? 護衛もつけずに!?」


 貴族の令嬢を一人で放っておくなどあり得ない。


「……申し訳ございません」


 胸倉をつかんだアルフォンスに、キースは目を伏せていった。


 申し訳ございません。申し訳ございません。申し訳ございません。


「その言葉は聞き飽きました! どこの村ですか!」


 キースから聞き出したアルフォンスは、馬車に飛び乗った。


 カリアード領は治安はいい方だ。だが、女性一人でいれば、何があってもおかしくない。ミリアはそれなりの服装をしていたから、裕福なのは見てわかるだろう。


 強盗にあったら。誘拐ゆうかいされたら。乱暴されたら。


 嫌な予感が頭の中を支配する。


 握り締めた両手は力を込めすぎて真っ白になっていた。




 村に入ってミリアを見つけたとき、アルフォンスは馬車が止まり切るのも待てずに飛び降りた。


 ミリアを抱き締めて、無事を確かめる。服が汚れていたことに冷やりとしたが、何かされたわけではないらしい。


 アルフォンスの心配とは裏腹に、ミリアは何も動じていなかった。村人と遊んでいたのだという。その場の雰囲気からはとてもそうは思えなかったが、何もなかったのならそれでいい。


 一刻も早く連れて帰らなければ、と思い、アルフォンスはミリアを馬車に乗せた。


 馬車の中で、ミリアは腹を立てているようには見えなかった。アルフォンスはほっと息をつきながらも、不安が膨れ上がっていくのを感じていた。


 そして、アルフォンスにさらなる追い打ちがかかる。




 二人が屋敷に戻ると、両親が帰ってきていると告げられた。そんな予定は聞いていない。自分たちが王都を出発してすぐに出て来たことになる。


 アルフォンスの両親を前にして、ミリアは居心地が悪そうだった。


 平民出身のミリアは貴族にあまりいい思いをいだいていないのだ。伯爵である父親とは、少しずつ付き合いを深めていってくれればと思っていた。こんな不意打ちではなくて。


 しかも、これからパーティをすると聞かされた。


 デビュタントですらやっとの思いで承諾してもらったのに、先にここでお披露目をするというのだ。


 当然ミリアは嫌がった。


 だが、母親が強引に準備に連れて行ってしまった。


 着飾ったミリアの姿は、アルフォンスの不安や心配を全て吹き飛ばしてしまった。


 ミリアはとても可憐かれんだった。可愛いと一言告げるのが精一杯だった。それ以上言うと、それしか言葉が出てこなくなりそうだったからだ。


 会場に入るとき、ミリアはとても憂鬱ゆううつそうだったのだが、アルフォンス自身はあまりの喜びに叫び出しそうになっていた。


 ミリアが自分の手を取っている。アルフォンスはミリアの婚約者としてその隣に立っているのだ。


 母親にダンスを勧められたとき、アルフォンスはすぐさま賛同した。ミリアとダンスができるなんて夢のようである。


 ミリアが腕の中にいて、アルフォンスだけを見つめていて、アルフォンスのリードに合わせようとしてくれているだけで幸せだった。


 多少足を踏まれるくらいどうということはない。ミリアが踊りにくそうにしているのを見て、リードしきれない自分の未熟さが恥ずかしかった。


 アルフォンスは、自分の幸せに浸りきっていて、完全に油断していた。


 何よりもミリアを最優先にしなければいけなかったのに、ミリアのことを考え切れていなかった。


 ミリアがドレスを汚してしまい、退出することになったとき、残念に思った。後でもう一度ダンスを申し込もうと思っていたのだ。


 それもアルフォンスのエゴでしかなかった。


 廊下を歩いている時、アルフォンスはようやくミリアの気持ちに思い至った。


 パーティの間中、ミリアは笑顔を見せなかった。一度だけ、ダンスの後の挨拶の時に作り笑顔を向けてきただけだ。


 ずっと嫌で嫌で仕方がなかったのだろう。ワインでドレスを汚したのも、退出の口実にしたかったのかもしれない。


 本来なら、アルフォンスがミリアを気遣って先に切り上げるべきだったのに。


 部屋に着いた時、アルフォンスは謝罪を口にした。

 

「本当に何から何まで申し訳ありません」


 領に戻ってきて、何度この言葉を口にしただろう。謝る以外のことをしていない。先ほどもミリアに指摘されたばかりだ。


 それでも、ミリアは許してくれるだろう、と心の中で思っていた。いつもアルフォンスのわがままを許してくれるように。


 だが、返ってきた言葉が、アルフォンスを地の底に突き落とす。


「私の方こそ、こんな娘が婚約者でごめんなさい」


 ミリアが謝ることなど何もない。


 だからこれは、暗に婚約解消を匂わせているのだ。続く言葉があるとすれば「だから婚約を解消しましょう」しかない。


 頭が真っ白になって、アルフォンスは何も言えなかった。




 次の日、王都に戻る馬車の中で、ミリアは物思いにふけっていて、あまり言葉を発しなかった。


 ミリアはどう婚約解消を告げようか考えているのかもしれない。


 アルフォンスも、胸が苦しすぎて、ほとんど話しかけることができなかった。

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