第131話 相応しくないですよね

「大丈夫ですか?」

「全然大丈夫じゃありません」


 びしっと決めたアルフォンスを見てときめいていたミリアだったが、ダンスホールの扉の横に並んで立った時には、そんなどきどきは吹っ飛んでいた。


 今は緊張でガチガチである。


 これからミリアは、アルフォンスの婚約者として正式に紹介されるのだ。


 といっても、ここに来ている貴族たちはその事実を知っているし、領内の有力者たちも当然知っているだろう。


 なら、わざわざお披露目なんてしなくてもいいじゃない……。


 アルフォンスはミリアを見て可愛いと褒めてくれたが、それが婚約者としての義務から出た言葉なのはわかっている。しかも口にしたアルフォンスの方が次元が違うレベルで美人なのだから、もはや嫌味だった。


 このアルフォンスと比較されるのか、と思うと、思わずため息が出る。


「申し訳ありません。このような事になるはずではなかったのですが」

「アルフォンス様は昨日から謝ってばかりですね」


 ミリアは苦笑した。反対にアルフォンスは眉をしかめる。


「謝罪しなければならない事ばかり起こしているので。本当に申し訳ありません」

「私の方こそ――」


 ミリアの言葉は、ホールの内側から扉が開いたことで途中で切れた。


 ホールにいる全員の顔がミリアとアルフォンスの方を向いていた。


 歓談をしたり、ダンスを踊ったりしているはずの場面だが、誰一人として微動だにしない。音楽だけが鳴り続けていた。


 アルフォンスが一歩踏み出した。つられてミリアも、高いヒールを履いた足を前へ進める。


 一度止まってお辞儀をしたあと、アルフォンスは歩き始めた。


 その途端、学園にいた時以上の疎外感を感じた。ここはお前のいるべき場所じゃない、と四方八方から向けられる視線が言っていた。


 アルフォンスのよどみのない足取りは、緊張の欠片も感じさせなかった。


 実際緊張など欠片もしていないのだろう。アルフォンスにとってはここは自分の家で、参加者も見知った人たちで、そして何よりこういう場には慣れている。


 異分子なのは、ミリアだけだ。


 ――逃げ出したい。ここから。今すぐに。


 だが、ミリアの手はアルフォンスにしっかりと握られている。それを振りほどくことはできなかった。


 アルフォンスの手だけが、ミリアをこの場に繋ぎ止めていた。


 誰もダンスをしていないのをいいことに、アルフォンスはホールの中央を横切り、一番奥にいた伯爵夫妻の前までミリアを連れて行った。


 ただ歩いていくだけだったが、ミリアには気の遠くなるような長い時間に感じた。


 伯爵が二人をうながして、ミリアとアルフォンスは振り返った。


「お集りの皆さんにご紹介します。このたび、息子のアルフォンスが婚約を結びました、ミリア・スタイン嬢です」


 ミリアはアルフォンスから手を離して一人で立ち、カーテシーをした。足が震えてぎくしゃくとした不格好なカーテシーになってしまった。


 参加者からの反応はない。相変わらず音楽だけが聞こえていている。


 ミリアは一度上げた顔をわずかに伏せた。重苦しい雰囲気に、息がしづらくなる。


「アルフォンス、ミリア嬢と一曲踊ってはどうかな」

「そうね、踊っていらっしゃい」


 えっ。


 驚いてミリアが顔を上げる。


「ミリア嬢、一曲お相手をお願いできますか?」

「私、ダンスは――」


 できない、という言葉をミリアは辛うじて飲み込んだ。この場でできないとは言えない。それも婚約者の誘いを断るなんてこと、許されるはずがない。


 だが、踊れないのは事実だった。


 ジョセフと練習したことはあるが、あれは身体能力にけたジョセフだったから何とかなったのであって、他の人では無理だ。


 アルフォンスもそれを知っているはずなのに。


 どうしようどうしよう、と思いながら、ミリアはホールの中央まで出てしまった。


 アルフォンスがミリアをしっかりとホールドした。通常よりも体が密着しているのは、踊れないミリアをフォローするためだろう。


「私、踊れません」

「何とかします。私に身を任せて下さい。足を踏んでも構いませんから、気にしないで楽しんで下さい」


 小声で話しかけたミリアに、アルフォンスは優しく笑いかけた。ミリアを気遣ってくれてのことだとわかって、余計に情けなくなってくる。


 曲に合わせて、アルフォンスはダンスを始めた。


 だが、しばらく踊っていなかったミリアは、一歩目からリズムを踏み外してしまう。アルフォンスはそれをたくみにフォローした。


 アルフォンスは上手かった。


 しかし、ミリアの下手さはその上をいった。


 数えきれないほどリズムを外し、何度もアルフォンスの足を踏んだ。なのにアルフォンスは顔色を変えることなく、ミリアに微笑み続けていた。


 やっと一曲踊り終えた時には、ミリアはへとへとだった。慣れないヒールの高さに靴ずれを起している。ドレスで隠れているのが幸いだった。


 足を踏んだのも見えていませんように、と願ったが、あれだけリズムを外していたのだから、この場にいる人間にはお見通しだろう。足元が見えていなくても同じだった。


「ミリア嬢、とても楽しいダンスをありがとうございました」


 酷いダンスだったのに、アルフォンスは型通りにそう言うと、ミリアの手を取って甲に口づけた。この程度で婚約者への気持ちは揺るがないというパフォーマンスで、ミリアの尻拭しりぬぐいに他ならなかった。


「アルフォンス様、素敵なダンスをありがとうございました」


 ミリアは笑顔を作って型通りに返すしかなかった。


 伯爵夫妻の元へと戻ったミリアは、夫人に腕をつかまれた。


「みなさまへご挨拶を致しましょう」


 他の参加者への紹介のため、夫人によって連れ回されることになる。


 だが、先ほどのダンスで打ちのめされていたミリアの頭には、話が全然入ってこない。聞き返すたびに夫人の厳しい視線を感じて、ますます委縮してしまう。


 まともに受け答えできたのは商売に関連することだけで、それが余計に周りのミリアへの心証を悪くしていた。


 スタイン家同様に商売を生業なりわいにしている有力者たちですらさげすんだ目をしていて、ミリア・スタインはカリアード家に相応しくない、という思いを余計に強くしたのが伝わってきた。


 一通り挨拶が終わって夫人から解放されたとき、一人になったミリアは、若い女性たちに囲まれた。


「あなたのような娘がアルフォンス様の新しい婚約者だなんて信じられませんわ」

卑怯ひきょうな手を使ってリリエント様を追い落としたんですってね」

「利用されているとも知らないで」

「そのうち捨てられるのが目に見えていますわ」


 嘲笑ちょうしょうするような物言いに、ミリアは少し落ち着いた。この程度なら慣れている。


 ていうか、なんでここまで言われなきゃいけないの?


 打算しかないとはいえ、ミリアは一応アルフォンスにわれて婚約を結んだのである。ミリアから婚約して下さいと言ったわけではない。


 ここは期待にこたえて、負け犬の遠吠えですわね、とでも言った方がいいのだろうか。


 へとへとのミリアが投げやりな気分になっていると、どんっと背中に何かが当たった。


「おっと」


 聞こえてきた声と共に、背中がじんわりと濡れていくのがわかった。


 振り返ると、赤のワイングラスを持っている男性が、ニタニタと嫌な笑いを浮かべていた。


「ああ、すまない。ドレスに染みをつけてしまった」


 胡乱うろんな目の男は、悪びれもなくそう言った。


「まぁ! 大変ですわ」


 ミリアを囲んでいた女性がわざと上げられた大声に、注目が集まる。


「何の騒ぎですか」


 夫人がミリアに近づいて来た。


「ミリア嬢!」


 アルフォンスも駆け寄ってくる。


「わたしがちょっとぶつかってしまって」


 酔っぱらっているらしき男は、へらへらと弁解した。


「ミリア様がよそ見をなさっていたからですわ」

「ええ、ミリア様からぶつかっていったのです」


 女性たちは口々に言った。ミリアの自業自得にさせようというのだ。


「ミリア嬢?」

「……私がぶつかってしまいました」


 本当か、というアルフォンスの視線に、ミリアは仕方なく嘘をついた。真実を告げて大騒ぎするのもよくないと思ったのだ。


 ここで男のせいだとなれば、主催者であるカリアード家の顔に泥を塗ったということになってしまう。


 カリアード家に相応しくないと思われている自分が被害者となり、カリアード家の怒りの矛先ほこさきが男に向けば、ますますミリアへの印象が悪くなってしまう。


 それに、ワインで酔っぱらった上での失敗だ。まさか故意ではないだろうから、とミリアは自分が泥を被ることにした。


「これ以上ここにはいられませんね。アル、ミリアさんを部屋まで案内してあげて」


 眉を寄せた夫人がため息をついた。


「一人で戻れます。騒ぎを起こして申し訳ありません」

「送ります。さあ、行きましょう」


 頭を下げるミリアの体に、アルフォンスが優しく腕を回した。これも婚約者を気遣うポーズなのだ。


 つくづく自分が情けない。


 アルフォンスに連れられて、ミリアはあてがわれた部屋へと向かう。


 その間二人はずっと無言だったが、部屋に着いたとき、アルフォンスが口を開いた。


「本当に何から何まで申し訳ありません」

「私の方こそ、こんな娘が婚約者でごめんなさい」


 ミリアはアルフォンスの答えを待たず、部屋に入って扉を閉めた。




 たぶんアルフォンスは使用人を寄越してくれようとしたのだろうが、誰も来なかった。


 ミリアはわざわざベルで呼ぶこともせず、自分で服を着替えた。慣れないコルセットを緩めるのには苦労したが、それだけだ。別に不自由でも何でもない。


 パーティ用に派手にわれた髪を解き、簡単にまとめる。化粧も自分でやり直した。


 参加者が全員帰ったのを見計らって、ミリアは部屋を出た。騒ぎを起こしたことと、パーティを先に退出してしまったことを伯爵夫妻にびるためだ。


 途中ですれ違った使用人に、どこにいるのかを聞いた所、そっけなく居間にいると教えてくれた。


 案内してもらえるはずもなく、ミリアは記憶を頼りに一人で向かう。


 居間の扉はかすかに開いていた。隙間から、伯爵とアルフォンスがソファに座って真剣な顔をしているのが見えた。


 ミリアがノックをしようとした時、二人の話し声が聞こえてきた。


「ミリア嬢がカリアード家を任せるに相応ふさわしくないときは――」

「わかっています」


 上げた手が力を失ってぱたりと落ちる。


 ミリアはそのまま部屋に戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る