第130話 急に言われましても

 屋敷に戻った二人をしれっと玄関で迎えたのはキースだった。


「お帰りなさいませ、アルフォンス様」


 キースはミリアの名前を呼ばなかったし、視線すら寄越さなかった。


「キース、後で――」

旦那だんな様と奥様が居間にてお待ちです。戻り次第来るようにと」

「え!?」


 アルフォンスの怒りの声を遮って発せられたのは驚きの言葉だった。


 キースが旦那様と奥様と言うのなら、それはつまりアルフォンスの両親であるカリアード伯爵と夫人である。


 なんで領地ここに?


 しかもまだ日も落ちていない時間だ。昨日出発して、途中で一泊しないとこの時間には着かない。自分たちとほぼ時を同じくして王都を出たことになる。


「父上と母上が?」


 アルフォンスがいぶかしげに言った。


「アルフォンス様と入れ違いにお帰りになりました。お二人ともお待ちです」


 キースは二人が待っていることを強調した。


「アルフォンス様、私は部屋にいますね」

「ミリア様もご一緒にとのことです」

「え?」


 ミリアは驚いたが、自分も行くべきだと思い直した。屋敷の主人がいるのだから、泊めてもらうミリアは挨拶あいさつをしないわけにはいかない。


「着替えてきてもいいですか?」

「お二人がお待ちです」


 ミリアはアルフォンスに聞いたのだが、答えたのはキースだった。


「でも、私こんな格好で」


 服装自体は伯爵夫妻に会っても失礼ではない格好なのだが、べったりと泥が付着している。乾いてはいるが、こんなに泥がついた服で伯爵様に会うことなどできない。


「戻り次第来るようにとのおおせです」

「ミリア嬢、行きましょう」

「え、そんなわけには」

「問題ありません。父上と母上はお気になさらないでしょう」


 いやいや。気にするに決まってるでしょ。伯爵様とその夫人なんだよ?


 だが、服を着替えるのと急ぐのとどちらを優先すべきなのか、ミリアには判断できなかった。ならば、二人をよく知るアルフォンスの言う通りにするのが正しい。


 ミリアはアルフォンスにつれられて居間へと向かった。


 そういえば、ミリアはまだ玄関と部屋と食堂にしか行っていない。


 出かける前に邸内を案内してもらえばよかったな、と思った。キースがまともに案内してはくれたかどうかは定かではないが。


「失礼します」

「失礼、します」


 おっかなびっくり礼をして、アルフォンスの後ろから居間に足を踏み入れる。


 伯爵と夫人は、横に並ぶ一人掛けのソファに座っていた。


 どう挨拶あいさつするべきかと、ミリアは迷った。二人には婚約するときに会ったので、「はじめまして」ではない。「ごきげんよう」も何か違う気がする。


 困ったミリアは、無難に「こんにちは」と言った。「こんばんは」にはまだ少し早い。


 二人から返事はなく、汚れたミリアの服を見て夫人が顔をしかめた。


 ああ、やっぱり、着替えてから来るんだった……。


 だがもう遅い。後悔しても時は戻らないのだ。


 アルフォンスが二人の前のソファに座ったので、ミリアもその隣に腰を下ろした。


 ソファが汚れてしまわないか心配になったが、かといってハンカチを敷くような失礼はできないので、使用人たちの汚れ落としの腕に期待するしかない。


 ミリアは正面に座るカリアード夫人を見た。


 少しだけふっくらとしているその女性は、それでもびっくりするほど美人だ。さすがはアルフォンスの母親である。ブロンドの髪を頭の後ろでまとめている。深緑色の目の上の眉はきりりと吊り上がっていて、アルフォンスにそっくりだった。


 その隣のカリアード伯爵もまたアルフォンスに似ていた。アルフォンスが歳を取ればこうなるのだろうな、という顔をしているが、アルフォンスよりも年上の娘がいるとは思えない若々しさだ。髪はアルフォンスと同じ銀色で、瞳の色は青色だった。


 アルフォンスの顔立ちは二人から、髪の色は父親、目の色は母親譲りなのだ。


 どちらも何も言わずにミリアをじっと見ている。ミリアは小さくなるしかなかった。


「父上と母上が帰られるとは聞いていませんでしたが」


 最初に口を開いたのはアルフォンスだった。それに伯爵が答える。


「お前たちを驚かせようと思ってね」


 これが茶目ったっぷりに言われたのならよかったのだが、厳格さのあふれる伯爵が言うと、抜き打ち監査に来たようにしか思えなかった。


 事実そうなのだろう。ミリアがカリアード家に相応の振る舞いをしているのか、確認しに来たに違いない。


 農村で農民と歌いながら踊っていたなんて知ろうものなら、夫人は卒倒してしまうかもしれない。使用人であったならしっかりと報告されてしまっただろうから、迎えに来てくれたのがアルフォンスでよかった、と思った。


「もう一つ驚かせるニュースがある」

「何でしょう」


 アルフォンスは少し不機嫌だった。目論見通り驚かせられたのがしゃくなのだろう。


「今夜、パーティを開く。お前の婚約者のお披露目だ」


 ……は?


 今夜って言った? 今夜って、この後ってこと?


「何、内輪うちわのささやかなものだ。近隣の貴族と領内の有力者しか来ない」


 待って。何言ってるの?


「ミリア嬢との婚約の正式な発表は、王宮の夜会で行われるはずですが?」

「だから内輪だと言っているだろう。非公式な会だ」


 いや、公式とか非公式とかの問題じゃなくて。


「そんなこと急におっしゃられても、ミリア嬢の準備が」


 ミリアに目を向けるアルフォンスの言葉に、ぶんぶんと頭を縦に振った。


 が、夫人からの厳しい視線を感じてすぐさま止める。


「準備なら、今から間に合わせます。――ですわね?」

「はい」


 氷のように冷たい視線を向けられ、有無を言わさぬ口調で夫人に言われたミリアは、思わず返事をしてしまっていた。とういうか、それ以外の選択肢はない。


「母上」

「ぐずぐずしているとお客様がいらしてしまいます。行きますわよ」


 夫人がバシッと扇子せんすを閉じた。その鋭い音に、ミリアは飛び上がる。


 ソファから離れる時、ミリアはアルフォンスの方をちらりと見た。アルフォンスは厳しい顔をしていたが、ミリアを助けることはできないようだった。


 売られて行く羊の気分で居間を出た。




 ドレスの用意もしていないのに、と思っていたミリアだったが、夫人の一言で、どこからともなく大量のドレスが出て来た。


 椅子に座った夫人は、使用人たちが代わる代わるドレスをミリアの体に当てていくのを、顔をしかめたまま見ていた。


 やっと何枚か選び出し、ミリアが順に試着していったが、どんどん眉間のしわが深くなっていくばかり。


 どれを着ても、ミリアはカリアード家に相応ふさわしいと言える容姿にならないのだろう。


 前婚約者であるリリエント・ミールの華やかな容姿を思い浮かべて、ミリアは遠い目をした。あれを求められたらどうしようもない。


 やがて夫人は渋々といったようにミリアのドレスを決めた。


 ありがたいことにドレスはミリアの体形でも入るサイズで、直しは最小限で済んだ。胸周りがガバガバ……なんて悲劇も起こらなかった。


 だいぶ時間がかかってしまったが、夫人の準備は大丈夫なのだろうか、とミリアは心配になった。貴族の女性は一日がかりで準備するのが普通なのだ。


 だがそれは杞憂きゆうに過ぎなかった。


 ミリアのドレスが決まった後、席を外した夫人は、ミリアのヘアメイクがまだ終わる前にドレスを着て戻って来た。


 その装いは完璧で、カリアード伯爵夫人の肩書に相応しい気品あふれる容貌ようぼうだった。美人は準備に時間をかけなくても美人なのだ。


 夫人の厳しい監視下の元、昨夜と今朝の放置はなんだったのだろうというように、使用人たちはせっせとミリアを着飾っていった。


 いつもよりもはるかに顔面偏差値の上がった自分を鏡越しに見て、さすがカリアード家の使用人だと感心した。


 だが、土台が土台だ。カリアード家の使用人がどんなに優秀でも、限度はある。天然美人であるローズやリリエントの域からは程遠い。


 完成したミリアを見て、夫人はため息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る