第118話【番外編】平民の幼なじみ

 ※卒業後です



 ある日のお茶の時間、いつものようにアルフォンスとミリアは仕事の報告を兼ねた休憩をとっていた。


 今日の甘味かんみはミルフィーユだ。


 学園での王太子エドワードの茶会で初めてこれが出てきたときは、ミリアの食べ方のあまりの汚さにドン引きしてしまったアルフォンスであったが、懇切丁寧に――とアルフォンスは思っている――教えた結果、今では綺麗に食べられるようになった。


 それこそ王太子エドワードの茶会に出ても問題ないほどに。


 正面に座るミリアは一口食べるごとに、おほをほころばせては身悶みもだえしている。


 これも以前であれば見苦しいと一蹴――言い方がきつすぎたと反省している――したものだが、形式ばった場所ではしないのがわかっているので、今は何も言わない。アルフォンスの前でだけなら何も問題はない。むしろ可愛いからどんどんやって欲しい。


 ああ、幸せだ。


 こんな風に毎日ミリアの喜ぶ顔が見ていられるなんて。卒業の直前に気持ちを自覚して、超特急で色々と整えた甲斐かいがあった。


 ミリアに多くは望まない。アルフォンスが横に、ミリアの一番近い位置にいることを許してくれるのであれば、それで十分だ。


 この笑顔を独り占めできるなら、それで十分満たされる。


 と、ミルフィーユを食べ終えたミリアが、カップを手に持ちながら、ちらちらとアルフォンスに視線を向けて来た。


「お口に合いませんでしたか?」


 ミリアの好きな店から取り寄せたものだ。味が落ちたのだろうか。美味しそうに食べているように見えたのだが。


「いいえ。美味しかったです。ごちそうさまでした。あの、アルフォンス様に、ちょっと相談というか、お願いというか……」


 困ったように眉を下げるミリア。可愛い。


「何でしょうか? ミリア嬢の頼みとあれば、できる限りのことはしますよ」

「ええと……」


 ミリアはおもむろに立ち上がると、アルフォンスの隣に来てすとんと座った。膝が触れるほど近い。


 しかも、アルフォンスの膝の上にあった手を取り、その上下を両手で挟んだ。柔らかな小さな手で挟まれて、鼓動が跳ね上がる。


「どうしたんですか?」


 平静を装うために、努めて淡々とした声を出した。冷たく聞こえてしまったかもしれない。


 上目遣いのミリアはぐっとくるものがある。眉が少し寄って下がっていて、ピンク色の目がぱちぱちとまばたきをしている。


 何かを言いたそうに、口がわずかに開いたり閉じたりしていて、ちらりと見えた舌に目が吸い寄せられた。


 キスがしたい。頬に優しく手を添えて。でも本当は、抱き締めて、頭の後ろに手を回してしっかりと口を合わせたい。絶対に逃がさないように、深く深く。


 このあと、休憩の終わりに抱擁ほうようをしたときに我慢ができるだろうか。毎回欲しいという気持ちを抑えて軽く抱き寄せるに留めている。いつまでこの苦行は続くのだろう。いいや、一生続いてもいい。ミリアが許してくれる限り。


「……のですけど、いいでしょうか?」

「ええ、もちろん」


 余計なことを考えていて何も聞いていなかったアルフォンスだったが、反射的に答えていた。ミリアの望みならどのみち何であろうと叶えるのだから問題ないだろう。


「ありがとうございます! アルフォンス様っ!」


 ミリアはぱっと顔を明るくすると、アルフォンスの首に腕を回し、抱きついてきた。


 鼓動が跳ね上がった。ミリアから体を寄せてくれるなんて。これは夢かもしれない。


 そう思って反応の遅れたアルフォンスがこたえようとしたときには、ミリアは体を離してしまっていて、回した腕はすかっと空振りした。


「じゃあ、さっそく連絡してきますねっ!」


 しかもミリアはさっさと応接室から出て行ってしまった。


 いつもの抱擁は? え、これだけ?




「なーんであんなことになってるのかなー?」


 近づいてきたジョセフはにやにやと笑っていた。面白がっているに違いなく、わざわざ言いに来なくてもいいのに、と思った。


 視線の先には背を向けたミリアがいて、その手は、あろうことかアルフォンス男の腕に置かれている。


 ミリアが着ているのは桃色がかったスミレ色のドレスだ。ふわりとしたシフォンはミリアの柔らかな髪を彷彿ほうふつとさせるが、今夜はきっちりと結っていてすっきりとした首元が甘めの形とバランスを取っている。


 イヤリングとネックレスはダイヤモンドの控えめなもので、アルフォンスが贈ったもの。ミリアが自分で購入したものだ。


 今夜のミリアはエメラルドを一切つけていない。婚約者アルフォンス、だ。


 しかも、右手のほっそりとした指には、アメジストの指輪がはまっている。これはミリア自身が買った物でも、アルフォンスが贈ったものでもない。の贈り物だそうだ。


 それが目の前の男からでないことだけは良かった。エルリックからもらったのだと言われれば、つけるなとも言えなかった。


 ミリアの隣にいる男はアルフォンス、紫紺の瞳を持つ栗色の髪の男だ。


 このパーティは、とある子爵が開いた内輪の小さなもので、貴族以外の平民も出席している。


 この男――トーマス・ラーフェンと言ったか――は、スタイン商会の従業員の一人で、ミリアの幼なじみだそうだ。今回商会が貴族向けの本格的な事業に乗り出すにあたり、若くして責任者となったらしい。


 貴族と繋がりを持つためにスタイン家の伝手つてを使ってパーティに出席することが叶ったというわけだ。


 あの日のミリアの「お願い」とは、トーマス・ラーフェンと一緒にパーティに出席したいという話だった。


 話を聞かずに即答した自分も迂闊うかつだったが、ミリアもミリアだ。婚約者アルフォンスがいながら、他の男にエスコートさせるなど。


 ……いや、以前のミリアなら断りも入れてくれなかった可能性もある。相談してくれただけ関係が進展したのだと言えるのかもしれない。


 本当はアルフォンスは招待されていなかったが、カリアード伯爵家の名前で強引にねじ込んだ。相手の子爵は、カジュアルな会ですので、と困惑していたが、知ったことか。


 何か間違いがあっては困るのだ。ミリアのドレス姿は非常に魅力的なのだから。


護衛しごとはいいんですか」

「今日は非番」

「……どうしてここにいるんですか」

「面白そうだったから」


 ジョセフはどこから情報を仕入れたのか。


 子爵家、男爵家、平民しかいないパーティに伯爵令息が二人。場違いにもほどがある。学園でのパーティや王宮でのパーティで取り巻いていた女性陣も、今回ばかりは遠巻きにするしかなかった。


「で、なんであんなことになってんの?」

「言いたくありません。どうせ知っているんでしょう?」


 ジョセフは肩をすくめた。


「あーあー、ミリア楽しそうだなー。アルといる時よりも笑ってるんじゃないか?」

「……やめて下さい」


 さっき――というか現在進行形でアルフォンスが痛感していることだった。ミリアはトーマスや他の出席者と話しながら、ころころと楽しそうに笑っていた。いるのが平民ばかりだからだと思いたい。


「俺も混ざってこようかな」

「意地が悪いですね」


 アルフォンスの出席を知った時のミリアの顔を思い出して落ち込んだ。嫌そうな顔をしただけでなく、むやみに近づいて来ないで下さいね、とまで言われたのだ。これでもアルフォンスはミリアの婚約者だというのに。


 周りが気後れしないように、という意味だったが、離れていろではなく来るなと言われたのはつらい。


 ジョセフがアルフォンスをちくりちくりと刺してくるのは、卒業パーティの日にアルフォンスがミリアをかっさらってしまったことを根に持っているからだ。味方だと思っていたのに裏切られた、と思っているのだろう。


 ジョセフは今でもミリアに、乗り換えないか、と度々たびたび言っている。ミリアは冗談だと思って軽くあしらっているが、アルフォンスはジョセフがまだ本気でミリアに想いを寄せているのを知っていた。


 だから多少の嫌がらせは受け入れると決めている。だが苦々しい顔をするくらいは許されるだろう。


「あいつ、ミリアの結婚相手候補だったらしいぞ」

「……知っています」


 これまた嫌なことを言ってくる。


 ミリアと婚約してから、アルフォンスはミリアの周辺の男たちを洗った。そこで浮上してきたのが、何人かの結婚相手候補だ。


 その中でもトーマスは有力視されていた。フォーレンに来る前からのミリアの幼馴染で気心が知れていて、商会の中でも優秀な部類に入る。新しい事業、それも貴族相手の事業を任されるほどなのだから、その敏腕ぶりはうかがえる。


 平民であることはミリアにとってはプラスにはなってもマイナスにはならない。


 従業員であるトーマスと結婚すれば、ミリアは商会で働き続けることができるだろう。もしエルリックがいなければ婿むことして入ってもおかしくない良物件だった。


 とはいえ、候補というのは周りがそう思っていただけで、ミリアがそう考えていたというわけではないが。


 ……ない、と思いたい。


 ミリアの屈託くったくのない笑顔を遠目に見て、アルフォンスは憂鬱な気分になった。


 ミリアの想い人――絶対に自分を選んでくれない、と言っていた男が、トーマスではない保証がどこにあるだろうか。


 今にも自分の手からミリアがすり抜けて行ってしまうような気がして、ひどく不安になった。どんなにアルフォンスが囲いを厚くしても、ミリアは言葉一つでそこから出て行ってしまえるのだ。


「あー、アル、最初のダンスまで許したのか?」


 ジョセフの声にはっと気が付けば、トーマスがミリアに腰を折って手を差し出していた所だった。そこにミリアの手がそっと乗せられる。


 卒業パーティでの場面がフラッシュバックした。


 アルフォンスの目の前で、エドワードの手を取ろうとしていたミリア――。


 ああ、ダメだ。それだけはやめてくれ。アルフォンスよりも前に他の男の手を取るなんて。ここに自分がいるのに。ミリアの婚約者は自分なのだ。その権利はアルフォンスにある。


 アルフォンスはたまらず二人の方へと足を向けた。ほとんど走るような足取りで。


「失礼」


 二人の間に割って入るようにして、ミリアに手を差し出す。


「ミリア嬢、最初のダンスは私と」

「あ。そうですね。ごめんなさい」


 ミリアはトーマスからアルフォンスへと手を移した。


「ああ、申し訳ない。無作法でした」


 悪気はなかった、という顔でトーマスが言った。


 しかし目が笑っていなかった。値踏みするような嫌な視線だ。そういう目で見られることには慣れているが、ミリアの婚約者として品定めされているのがわかった。


 それがミリアを想ってのことなのかはわからない。単に幼馴染として心配しているだけなのかもしれない。


 だがアルフォンスにはどちらでもよかった。ミリアは確かに今アルフォンスを選んだのだから。例えそれが婚約者としての形を守るためだったとしても。


「トム、ごめんね」

「ミリア、楽しんできて」


 愛称で呼ばれることを誇るように、呼び捨てできることを見せつけるように、トーマスはゆっくりとミリアの名を呼んだ。


 こいつは敵だ、と直感が告げた。


「全く……あなたという人は……」


 アルフォンスはミリアをホールの中央へと導きながら呟いた。


「すみません」


 ダンスはまず配偶者や婚約者とする、というしきたりを守らなかったことに対しての言葉ではなかったが、アルフォンスは否定しなかった。また同じことをされてしまったら、アルフォンスの精神がもたない。


「ミリア嬢、あなたは私の婚約者です」


 言い聞かせるように、ゆっくりはっきりとミリアに告げる。


「わかっていますよ?」


 ミリアは不思議そうに答えた。


 わかっていないから言っているのだ、とため息をつきそうになるのをぐっとこらえる。せっかくのダンスだ。ミリアと踊れる機会などそうそうない。楽しまなければもったいない。


 アルフォンスはミリアを逃がさないように、ぐっと強く腰を引き寄せた。

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