第110話【番外編】アルフォンスの災難

 ※ミリアとアルフォンスの結婚後の話

 ※二人のその後や想いが通じている話が読みたいとのリクエストを頂きました





「疲れてるね」


 ミリアは夕食を食べながらだるそうにしているアルフォンスに言った。


「ええ、まあ」

「また王宮に戻るんでしょ? わざわざ帰って来なくてもいいのに」


 ミリアがそういうと、アルフォンスが眉をひそめた。


 今、王宮には小国の姫が来ている。ルーリッヒ帝国の第一皇子クリスから話を聞いて興味を持ったそうだ。


 その姫がアルフォンスのことを大層気に入ったらしい。アルフォンスが既婚だということなどお構いなしに、何かにつけて指名されていた。


 帝国とえんがあるということで、王太子エドワードもアルフォンスも無碍むげには扱えず、ほぼ言いなりだった。


 どうしてこう、皇子やら姫やらは他人ひとの仕事を邪魔するのだろうか。アルフォンスが疲れているのは姫に振り回されていて自分の仕事が進まないからだ。気の毒に、とミリアは思っていた。


「姫サマのお気に入りは大変だねえ。私にできることがあったら手伝うよ?」

「……嫉妬して下さらないんですか?」

「しません」


 アルフォンスの眉間のしわがさらに深くなった。





 次の日、ミリアは上司アルフォンスに用があって、アルフォンスの執務室に来ていた。


 ノックをすると、アルフォンスの部下が顔を出した。アルフォンスの右腕のセト・ケルンという男だ。


「アルはいますか?」

「カリアード様は来客中です」

「中で待っていてもいいでしょうか?」


 ミリアはいつものようにアルフォンスを待ちたいと言った。アルフォンスはよく不在にしているので、暇つぶし用の仕事も持ってきている。


「ええ……、そうですね……」


 セトが目をさまよわせたのを見て、ミリアは肩をすくめた。


「……姫サマですね。いいですよ。気にしていませんから」


 セトは迷いながらも扉を大きく開けた。ミリアの言葉はアルフォンスよりも優先されると叩き込まれている。


 ミリアは慣れた様子であいている席――実はミリアのためにあけてある――に着き、応接室へと続く扉をちらりと見てから持参した仕事を始めた。




「そろそろ戻りたいんですけど」


 ミリアが顔を上げて誰に向かってというわけでもなく言った。


「長いですね」


 向かいの席に座っていたセトが眉をひそめて言った。


「声をかけてもいいでしょうか?」

「……ミリア様ならいいと思います」


 他の誰かが割り込もうなら叱責必至だ。しかしアルフォンスがミリアに腹を立てる所がセトには想像できない。


 ミリアも邪魔はしたくなかったが、時間がたつにつれて急ぎの用事が緊急の用事へと変わろうとしていた。そろそろ会えないと今後の仕事に差しつかえる。


 裁可がもらいたいだけで、立ち話で終わる程度の簡単な話だ。さっと聞いてさっと退散しよう。


 そう決めて、ミリアは遠慮がちにノックをした。


 返事がない。


 もう一度ノックする。


 返事がない。


「姫サマと密室で二人きり……」

「カリアード様に限ってそれはあり得ません」


 ぼそっとミリアが口にしたよろしくない想像を、セトがばっさりと否定した。


 そうだよな、とミリアも思った。アルフォンスがそんな暴挙に出るとは思えない。


 もう一度ノックする。


 返事はない。

 

 よし、とミリアは意を決して、扉を開けた。


 だが瞬時に閉めた。


「見ました?」


 ミリアがセトに聞くと、真っ青な顔で、こくこくとうなずき返された。見間違いではないらしい。


「私が入って行ったら邪魔だと思います?」


 ぶんぶんと顔を横に振るセト。


「ですよね」


 これはミリアの正当な権利だ。


 ミリアは思い切って応接室に踏み込んだ。セトも一緒に引っ張り込む。


 そこにいたのはアルフォンスと姫の二人。二人ともソファの上だ。


 ちょっと普通じゃないな、と思えるのは、シャツをはだけて寝そべっているアルフォンスに下着姿の姫が馬乗りになっているところだ。


 ミリアはさっとアルフォンスの下半身に目を走らせ、ひとまず安堵する。一線は越えていなかった。


 アルフォンスは真っ青な顔をミリアに向けていた。一方の姫は悠然と笑っている。


「アルフォンス様、何をなさっているのかしら」


 ミリアは無表情で言った。


 アルフォンスは何も言わない。


「あら、どなたかしら。空気を読んで頂きたいわ」


 真っ赤な波打つ髪の姫は、赤く塗られた爪をあごに当てて、首を傾げた。


 姫の体は出るところはしっかりと出ていて何とも悩ましかった。下着の面積はビキニよりもよっぽど広いのだが、慎ましい服装に慣れてしまったミリアの目には露出過多に見えた。


 セトは横で顔を赤くし、姫を見ないように目を逸らしている。


「お初にお目にかかります。ミリア・カリアードと申します。その男の妻です」


 ミリアは顎でアルフォンスを指し示した。


「へぇ、あなたが……」


 姫はミリアを値踏みするように見た。


「どういう状況かわかるでしょう? 出て行って下さらない?」


 姫が手をアルフォンスの素肌の胸にはわせた。アルフォンスがわずかに顔をしかめる。だが何も言わない。


 アルフォンスの両手は万歳をするように頭の方にあった。姫のなすがままというわけだ。


 ミリアはテーブルの上のティーセットをちらりと見た。


「合意ですか?」

「もちろん」


 姫は上半身を倒してアルフォンスの上半身と重ねた。


 はぁ、とミリアはため息をついた。


「セト、姫サマを引き離してくれないでしょうか?」

「わたくしたちは合意だって言ってるでしょう?」

「私はその男の妻です。このまま見過ごせとでも?」

「あなたはこの方に相応ふさわしくないわ」

「相応しいか相応しくないかの問題ではございません。その男と結婚しているのはわたくしです。――セト、早く引き離して下さい」

「で、ですが……」


 セトは動かない。


「できないでしょう? わたくしは他国の姫ですもの。我が国は小さくとも帝国と深い仲ですわ。伯爵夫人ごときが逆らえる立場じゃなくってよ」


 それを聞いてミリアは薄く笑った。立場を持ち出すならミリアにだって手はある。


「姫サマ、申し上げたいことが二つございます。これだけ聞いて頂けたのなら、わたくしは大人しく退散いたします」


 ミリアは指を二本立てた。


「何かしら?」


 姫は体を起こし、勝ち誇ったように言った。


「一つ目」


 ミリアが指を一本に減らした。


「さっき帝国と深い仲と言ってましたけど、要は属国ですよね」

「な……! 無礼者!」


 急に口調が変わり、敬意のかけらもない物言いをしたことに、姫が気色けしきばんだ。


 だがミリアはひるまない。


「私とクリス皇子は個人的な手紙を送る仲です。このことをクリスに伝えたらどうなるでしょうか?」


 隣のセトがぎょっとしてミリアの事を見たのがわかった。


 帝国の皇子をクリスと呼び捨てるのも、手紙をやりとりをしているのもアルフォンスから聞いていなかったのだろう。無理もない。あえて吹聴することではないのだから。


「もう少しましな嘘をついたらいかがかしら」


 姫はミリアの言葉を信じなかった。まあ、そうだろう。まさかあの帝国の第一皇子と、こんな片田舎の国の伯爵夫人が繋がっていようとは誰も思わない。


「――さあ、もう一つは何? 早く出て行って欲しいのだけど。わたくしとこの方はこれから忙しいの」

「その前に、これを見て下さい」


 ミリアはスカートのポケットから懐中時計を取り出した。令嬢が持ち歩くものではないが、仕事上、持っていないと不便なのだ。


 表面には帝国の紋章と、いくつかの宝石がついていた。


 姫の目が見開かれる。


 宝石の組み合わせは帝国におけるある身分を示していた。見せれば皇帝に謁見できるくらいの。


 一国の姫ほどの権力はない。だが、伯爵夫人ごときが持っているには分不相応な代物しろものだ。


 ミリアは懐中時計をくるりと裏返し、姫に見せた。


 姫はそこに帝国語で書かれていた文言を見て、絶句する。


『結婚おめでとう

  ――愛するミリィへ クリスより』


「わかって頂けたでしょうか? この結婚がこんなことで壊れてしまったら、クリス皇子は大層おなげきになるでしょうね」


 姫は真っ青な顔をして、そっとアルフォンスの上からどいた。


「わたくし、急用を思い出しましたわっ」


 焦った声で言いながら、手早く服を身につけていく。


 一枚の布を体に巻き付け、おびで縛る服だ。本来なら、布を複雑に織り込んでひだを作ったりするのだが、姫は最低限整えると部屋を飛び出して行った。


「セト、水を持ってきて下さい」


 呆然と立ち尽くしていたセトに、ミリアが言った。自分は腕を組み、寝そべったままのアルフォンスを見ている。


 まさかアルフォンスにかける気では、と思いながらも、セトは急いで水差しとコップを持ってきた。


「持ってきました」

「アルフォンス様に飲ませて差し上げて。全部」


 セトはちらりとティーセットを見た。アルフォンスが一向に体を動かさないことから、全てを察した。


 セトはアルフォンスの体を起こし、銀のカップからアルフォンスに水を飲ませた。水差しの中身を全部。


「りあ……」


 アルフォンスがかすれた声を出した。


「セト、ティーセットを片づけて下さい」

「カリアード様に危険は」

「ありません。毒に心当たりがあります。でも一応調べて下さいね」

「わかりました」


 セトが出て行ったのを見て、ミリアはアルフォンスの前に仁王立ちになった。


「身動きができなくなる毒を飲んだ上で事に及ぶなんて……アルフォンス様にそんな趣味があるとは存じ上げませんでした」


 ミリアが冷たく言うと、アルフォンスの瞳が揺れ、わずかに首を振った。顔は青いままだ。


「姫サマのことをお好きになったの? もしかして今までもこういうことをなさっていらっしゃった? アルフォンス様はわたくしとの離婚をお望みなのかしら?」

「りあ……」


 アルフォンスの顔が青を通り越して白くなった。瞳が絶望の色に塗りつぶされていく。


 ミリアは、ふぅ、と息を吐いた。


「なわけないよね」


 ミリアがアルフォンスの横に座る。


 毒の効果が弱まってきたのか、アルフォンスがミリアの頬に手を添えた。ミリアはその手に自分の手を重ね……ぺいっと引きはがした。


「私は怒ってるんだからね! もっと強力な毒だったらどうするの!? これだって飲みすぎたら死んじゃうんだから!」

「すみません……」

「謝ってすむ事じゃない!」

「すみません……」

「このことはクリスに報告するからね!」


 ミリアが言い放つと、アルフォンスがうめいた。クリスが攻めて来ることはないだろうが、外交的な圧力はかかるだろう。対応に四苦八苦すればいい、とミリアは意地悪く思った。


 事実だけを報告すれば姫の国は帝国の一部となって消滅するかもしれない。それではあまりにも国民が気の毒なので、温情を求める言葉も書くことにした。


「何もなくてよかったよ……。毒のことも、姫サマとのことも」


 ミリアは心からそう言った。


「さっき言いたかったことの二つ目」


 ミリアは指を二本立てる。


「姫サマは合意と言ってたけど、それはあり得ない」

「はい」

「アルフォンス・カリアードが夫人以外を視界に入れるわけがない。アルフォンス・カリアードは夫人を溺愛している。夫人が呆れかえるほどに」


 それを聞いて、アルフォンスは嬉しそうに笑った。


「そのとおりです」


 アルフォンスがソファにもたれていた体をよろよろと起こし、もう一度手をミリアの顔にそえた。


「リア、あいしています」


 アルフォンスの顔がミリアに近づいてくる。


 ミリアは無表情でその顔をべしっと手で防いだ。


「他のひとの口紅がついた口でキスするのはちょっと」


 アルフォンスが手の甲で口をぬぐうと、赤い口紅がべったりとついていた。


 顔をしかめたアルフォンスがハンカチで口を拭いている間に、ミリアは席を立った。


「今日から別の部屋で寝ます」


 笑顔で言って部屋を出る。


 後ろでアルフォンスの言い訳と制止の声がしたが無視した。


 姫に襲われかけたことだって怒っているのだ。無防備にもほどがある。


 たぶん、ここまで危ないことにはならなくとも、今までにも何度もこういうことはあったのだろう。アルフォンスはモテる。男女問わず。


 それほど慌てることもなく口をぬぐっていたアルフォンスを思い出し、嫌な気分になった。


 ……ミリアも身に覚えがなくはないが、婚約前のことだ。


「セト、アルフォンス様が出てきたら、これ見てもらって下さい。大至急です」


 ここに来た用件を走り書きし、セトに渡す。


「あと、わかっていると思いますが、先ほどのことは他言無用です。漏らしたらアルフォンス様が激怒すると思います。他の方々も詮索しないのが賢明ですよ」


 セトと他の部下たちがこくこくと首を縦に振った。


 ミリアが部屋を出た後、セトはミリアに渡された紙を見た。その様子を、他の部下が固唾かたずを飲んで見守っていた。


 応接室から出てきたミリアはアルフォンスを愛称で呼んでいなかった。何となく事情を察していた彼らは、最悪の最悪まで考えていた。そんなことになったら……想像するだに恐ろしい。


「最悪の事態はまぬがれた……と思う」


 ぽつり、とセトのつぶやきが漏れる。


 走り書きの最後の行に、ミリア・カリアード、と書かれていたのだ。これを見れば恐慌状態におちいっているだろうアルフォンスも、少しは落ち着くだろう。


 家名まで書いてくれたことに、セトは心底感謝した。

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