第108話【番外編】互いの呼び名 2/3 side アルフォンス

 婚約者であるミリアが、部下のルーズベルト・フラインのことを愛称で呼んでいるのを知ったのは、全くの偶然だった。


 廊下でルーズベルトが他の文官と話しているところに出くわしたのである。


「お前、あの地味女にベルンって呼ばれてるんだって?」

「ああ、ミリア様? そうだけど?」

「お前大丈夫か? あの女、手当たり次第に男を食ってるって噂じゃないか。そのうち食われるぞ。まさか……もう食われたとか?」

「おいおい、あの噂本気で信じてるのか? ミリア様はそういう人じゃない」

「エドワード殿下たち四人をたらし込んでコネで入ったお飾りの女なんだろ?」

「はぁ? あの人ああ見えて、滅茶苦茶デキる人なんだぞ? そろそろお前の所にも監査入るから覚悟しとけよ。マジ容赦ないから。やましいことあったら今のうちに謝っておいた方がいいぞ。最近の人事異動、全部あの人のせいだからな」

「なに言ってんだ。あーあ。お前も食われたかぁ」

「……知らないって幸せだな」


 話が終わったところで、アルフォンスは二人の前に姿を現した。


「興味深い話をしていますね」

「か、カリアード様!?」

「監査長っ!」


 二人の顔は真っ青になった。


「私の婚約者が何ですか? 地味女? 手当たり次第に男を食っている? あと何でしたっけ? ああ、私たち四人をたらしこんでコネで入ったお飾りの女、ですか?」

「い、いえっ!」

「誤解です、カリアード監査長っ!」

「ルーズベルト・フラインは戻っていいですよ。息抜きもいいですが、あまり休憩しすぎて私の婚約者に迷惑をかけないで下さいね」

「はいっ!」


 ルーズベルトは悪口を言っていなかったので解放する。彼にはまだまだ働いてもらわなくてはならない。


 目の前の文官が涙目でルーズベルトを見ていたが、ルーズベルトは切り捨てて去っていった。いい判断だ。子爵家の次期当主なら領民の生活も守らなければならない。


「さて――」


 アルフォンスの口が弧を描く。


「あなたは、私の婚約者に対して少々誤解があるようですね。それはご両親の男爵と男爵夫人も同様なのでしょうか?」


 家ごと潰すか。勘当させるか。態度を改めるのであれば、恩を売るくらいにしておいてやってもいいだろうか。


 アルフォンスが口角をつり上げると、ひっ、と悲鳴が上がった。





 午後のお茶の時間、アルフォンスはいつもの通りに監査室に寄った。


 アルフォンスは監査長を兼任しているが、実質取り仕切っているのはミリアで、アルフォンスはこうして一日に一度報告を聞きに来るくらいだった。普段は王太子エドワードのところにいる。


 ほぼ何の仕事もしていないのに、ミリアの手柄だけかすめ取るようで申し訳なかったが、責任だけ取ってくれればいい、うるさく言わない上司なんて最高、と言われた。実際ミリアはのびのびとやっているようだ。


 しばらく談笑をした後、アルフォンスはミリアに切り出した。


「ルーズベルト・フラインのことをベルンと呼んでいると聞きました」

「はい」


 ミリアはこともなげに言った。


「なぜですか」

「長くて呼ぶのが面倒だったので」


 理由があんまりだった。


「外では言わないようにしています」

「当たり前です」


 言わないようにしている、という言葉からもわかるように、うっかり呼んでしまうこともあるのだろう。でなければさっきの令息が知るようなことにはならない。


「仲が良さそうですね」

「そうですね。良好だと思います。仕事がしやすくて助かります」


 その一言がアルフォンスの嫉妬をあおることをミリアは理解していない。いつもアルフォンス以外の男との仲を見せつけてくる。


 ミリアがケーキを一口食べて、美味しそうにほほを緩ませた。ああ可愛い。


 太るからもう持ってこないでくれ、と言われた時は困った。与えた甘味を幸せそうに食べる様子を眺めるのは至福の時だ。サイズを小さくして甘さを控えめにすることで妥協した。


「ミリア嬢は私の婚約者で、私はミリア嬢の婚約者です」

「そうですね」


 ミリアはうなずいたが、アルフォンスは、ミリアが時々そのことを忘れているのではないか、と思う。


「そろそろ互いの呼び方を改めませんか?」

「呼び方?」

「ミリア嬢はジェフの事をジェフと呼んでいますね」

「そうですね」

「ギルバート殿下のことも愛称で呼んでいますね」

「そうですね」


 ミリアはアルフォンスと婚約した後も、ジョセフとギルバートとの交流を続けていた。


「私のことも愛称で呼んでもらえませんか?」

「嫌です」


 ずっと言えなかった願いを、意を決して口にしたのに、きっぱりと断られてしまった。


 いつもそうだ。他の男には許すことを、アルフォンスには許さない。


 なぜかと聞かれ、婚約者だからだと答えると、ミリアは元婚約者のことを口にした。あの女のことはどうでもいい。ミリアと比較することが間違っている。


「長いのは面倒だったのではないのですか」

「ベルンとは違ってそんなに呼ぶ機会ありませんから」


 その言葉がずしっとアルフォンスにのしかかった。互いに多忙で、報告と休憩を兼ねたこのお茶の時間と、王宮ここの行き帰りしか会えない。ミリアの部下のルーズベルトと比べたら、一緒にいる時間はずっと短かった。


「ではせめて、私はミリア嬢の事を愛称で呼んでもいいでしょうか」

「えぇー……」


 ミリアがひどく嫌そうな顔をした。


「そんなに嫌ですか」

「呼び捨てならいいですけど……愛称で呼ぶ人って家族くらいしかいないので」


 婚約しているのだからいずれは家族になるのだ。もう家族のようなものではないか。


 アルフォンスは正面からミリアの隣へと腰を移した。そしてミリアの両手をとる。


「ミリア嬢、私たちは婚約しています」

「はい」


 ミリアがこくりとうなずいた。


「婚約者は普通愛称で呼び合うものです」

「アルフォンス様とリリエント様は呼んでませんでしたよね」

「だからあの女の話はやめてください」

「さっきから何なんですか。いいじゃないですか今のままで。アルフォンス様が面倒なら呼び捨てでいいですって。元々短いので愛称と大して変わりませんよ」


 ミリアがイライラし始めた。


 違う。面倒だからではない。


 アルフォンスにも特別な呼び方を許して欲しいだけなのだ。どうしてわかってくれないのか。


「二人の時だけでも駄目でしょうか?」

「駄目です」


 とりつく島もない。


「大丈夫ですよ。私たちの仲は良好だと思われています。アルフォンス様が心配する必要はありません」

「……何を言っているんですか?」

「婚約者との仲が悪く見えると体面が悪いからそんなことを言っているんですよね? 大丈夫ですって」


 アルフォンスは目を覆った。そういうことじゃない。


 なぜ他人の目を気にしなければならないのか。そりゃあミリアとの仲を見せつけて、羽虫がミリアに寄ってくるのを防ぎたいとは思うが。


 アルフォンスは、はぁ、とため息をついた。


「わかりました。今日のところは諦めます」


 アルフォンスは懐中時計を取り出した。


「そろそろ戻らなければなりません」

「あ、そうですね。ベルンも戻ってくる頃です」


 またそうやって他の男の名を呼ぶ。それも愛称を。


 だが、これ以上うるさく言うとミリアは嫌がるだろう。アルフォンスは首を振って立ち上がり、腕を広げた。


 これだけはアルフォンスに許してくれている、唯一婚約者らしいと言える行動だった。ギルバートとの友情の抱擁ももうしていないと言っていた。許されているのはアルフォンスだけだ。


 ミリアがアルフォンスの背中に手を回す感触を確かめてから、アルフォンスもミリアの背中に腕を回す。緩やかに力を込めると、ミリアも返してくれた。


 ミリアがアルフォンスに身を預ける。アルフォンスにとって、最も幸せだと思える瞬間の一つだった。離したくない。このままずっとミリアが腕の中にいてくれたらいいのに。


 口づけがしたい。ミリアが欲しい。


 だが、ミリアに嫌われるかもしれないと思うと、行動に移すことはできなかった。ほほを叩かれたときの記憶がよみがえる。嫌われた、と言ったギルバートの顔も、嫌われたかも、と言ったジョセフの様子も。


 婚約をしてミリアを縛り付けたが、ミリアが本気でアルフォンスのことが嫌になったら、容易たやすく腕の中からいなくなってしまうだろう。ミリアを失うことは考えられなかった。


 アルフォンスの腕に力がこもった。


「ミリア」


 愛しているという感情を込めて、ミリアの名前をささやいた。たった今かろうじて許された呼び方だ。


 次の瞬間、どんっ、と胸に衝撃を受け、アルフォンスの腕が解けた。ミリアが離れていく。


 ――突き飛ばされた。


「やっぱり呼び捨て禁止です」


 ミリアはアルフォンスの顔も見たくない、というように、下を向いていた。


 ミリアが呼び捨てを嫌に思ったのは明白だった。だが許されたはずだ。何が悪かったのか。


「……なぜです?」


 声が震えた。嫌われたかもしれないと思うと胸が苦しくなる。


「呼ばれたくないからですっ!」


 吐き捨てるように叫んで、ミリアは執務室の方へと出て行った。


 ――また拒絶された。

 

 アルフォンスはミリアを抱いていた両手を眺めた。愛していると思ってしまったのがまずかったのだろうか。


 ミリアはアルフォンスの想いを鬱陶うっとうしがっているところがある。アルフォンスが手を伸ばすとすぐ逃げてしまうのだ。


 騙し討ちのように婚約を結んでしまったのだから当然なのかもしれない。


 ああでもしなければミリアはエドワードの物になっていた。アルフォンスにはそうするしかなかった。だがミリアからしてみれば、王太子命令だと言って結婚を迫るのと大して違わなかっただろう。


 あのときのアルフォンスの言葉は詭弁きべんだった。手を取ったというだけで婚約が成立するわけがない。一言否定すればいいだけだ。その後カリアード伯爵とスタイン男爵の間で合意しやっと正式に婚約となったのだ。


 ミリアはそれに気がついている。


 その上でアルフォンスを拒絶している。


 アルフォンスは片手で顔を覆ってうめいた。

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