第106話【番外編】ミリアのスパルタ教育

 ※卒業後の話です



 王宮の監査室にて、ミリア・スタインはせっせと職務にいそしんでいた。


「ベルン、書類が足りてない! ちゃんと私が指示した書類をもらってきて!」

「後で出すって言われました!」


 ベルンことルーズベルト・フラインは、ミリアの叱咤しったに反論した。


「後じゃ駄目。直されちゃう。監査なんだから今の書類を見ないと意味ないでしょ。ほら、もう一回行く! あとこれ、見逃しあるからやり直し!」


 ミリアに突き返された書類の束――というか山を見て、ルーズベルトは顔をひきつらせた。





 今年から設立された監査室。監査長はあのアルフォンス・カリアードだ。


 宰相補佐のカリアード伯爵の息子にして次期伯爵。学園を主席で卒業した秀才で、王太子の側近でもある。


 そして、今、書類に向かって手を動かしながらルーズベルトを叱りつけたミリア・スタインは、その婚約者だ。


 監査長補佐を務めるこの令嬢は、ピンクブロンドの癖毛とピンクの瞳が特徴的だった。


 数年前に一代男爵の爵位を得た、あのスタイン商会会長の娘で、学園の卒業パーティで王太子エドワード第一王子ギルバート伯爵令息ジョセフの愛の告白と共に求婚を受け、結局アルフォンスの手を取った。


 王太子の側妃や第一王子の妃を蹴ってアルフォンスを選んだのは、その神がかった美貌びぼうに魅せられたのだとルーズベルトは思っている。


 これだけ聞けばミリアはさぞかし美人なのかと思いきや、平凡な顔立ちなのである。スタイル抜群というわけでもない。今も本当に貴族令嬢なのかと疑いたくなるほど地味なドレスを着ている。


 一体どうやって四人もの男のハートを射止めたのか。これは王国の七不思議の一つで、様々な憶測が飛び交っていた。さぞかし具合がいのだろうという下品な話もあったが、このミリアにそれは無理だとルーズベルトは思っていた。


 一年先に卒業したルーズベルトはこの一年の彼女らのごたごたは伝え聞いた限りでしか知らない。ルーズベルトが在籍していた頃のミリアは、王太子が特別目をかけているというだけの、目立たない生徒だった。


 入学して最初の試験であのアルフォンスを下して学園一位の成績を取った時は驚いたものだが、以降は一桁代をうろうろしていた。


 文官になって一年、アルフォンスが責任者となる新設の監査室に異動が決まったとき、ルーズベルトは舞い上がった。栄転だ。しかもアルフォンスの指名だという。出世街道に乗ったと思った。


 しかし詳しく話を聞いてみれば、ルーズベルトの直属の上司は監査長補佐のミリアだという。一気にやる気がしぼんだ。この地味で男をたらしこむしか能のない令嬢では、何の役にも立たない。


 そう、思っていた。初日を迎えるまでは。


 名前だけの自己紹介をしたミリアにうながされ、ルーズベルトが名前を告げると、ミリアは、南のフラインね、とひとこと言った後、さっそくルーズベルトに指示を出した。


「先日の大規模演習の収支報告書と決裁文書と注文書と領収書と参加者リストをもらってきて」


 ルーズベルトはぱちくりと目をまたたかせた。


「絶対間違ってるから、それを見つけだして報告して。あとあれ、精査お願いね。今日中に」


 ミリアが机の上に載っていた書類の山に視線を向ける。


「えと、あの……」

「何?」

「決裁文書と参加者リストはどこの誰にもらいにいけばいいんでしょう?」

「知らない。軍部じゃない?」


 知らない……。なんだそりゃ。丸投げにもほどがある。


「そんな、困ります」


 ルーズベルトが非難の声を上げると、ミリアはため息をついた。


「あなた、一年も王宮ここで財務やってたんでしょう? むしろ何で知らないの? そんなんでどうやって仕事してたの? 知らないなら調べるなり誰かに聞くなりすればいいでしょ」


 この一年間、ルーズベルトは先輩に言われた通りに書類を作成したり、手続きをしていただけだった。


「書類をもらいにいくなんて、やったことがありません」

「いいから行ってきて。文句を言われたらアルフォンス様の名前を出していいから。……私の名前を出した方が早いのかな? とにかくもらってきて。今すぐに」


 あんまりな言い方だった。


 スタイン家ほど裕福ではないが、それでもフライン家は子爵だ。一代男爵でしかないスタイン家の娘にこんな雑に扱われるとは。学園を卒業したばかりの、それも女性に使われるのも納得できなかった。


「何。不満なの? 家格と性別は仕事と関係ないでしょ? 私は上司、あなたは部下。不満があろうとも指示には従う。ほら、早く行かないと仕事が終わらないよ」


 思っていたことをずばり言い当てられた上に、正論だった。


 ルーズベルトは釈然としないまま、執務室を出た。


 すると、後ろからミリアが追いかけてきて、メモとペンを差し出した。


「メモの習慣をつけること。紙なら腐るほど要求したから気にせずバンバン使っていい。さっきの指示、今は覚えてるかもしれないけど、すぐ忘れるからちゃんと書いて」

「……わかりました」


 ミリアはルーズベルトにすべてを押しつけるつもりなのだ。異動初日からこんな目に遭うなんて。やってられない。




「遅い」


 懇願し、アルフォンスの名前を使って脅し、やっとの思いで書類をそろえたルーズベルトは、へとへとになって監査室に戻ってきた。昼をまたいで午後になってしまった。


 その途端のこの一言である。


「全部集まった?」

「集まりました」


 憮然ぶぜんとしてルーズベルトが小脇に抱えていた書類の束を差し出すと、ミリアはそれをぺらぺらとめくっていく。


「へぇ、初めてなのにやるね。ちゃんとできるじゃない。さすがアルフォンス様が引き抜いただけはあるね。お疲れさま」


 ミリアは驚きの表情のあと、にこりと笑った。


 褒められた。ねぎらいの言葉までもらった。


 前の職場では言われた事がなかった。指示を淡々とこなし、できて当たり前だと思われていた。


「次はこれの確認。一つ一つ整合性がとれているか確かめて。絶対間違ってるから」


 ミリアが書類を返す。


「あの、スタイン監査長補佐――」

「ミリアでいいよ」


 え、いいの? 上司なのに?


「ミリア様」


 試しに呼んでみたが、とがめられることはなかった。ルーズベルトの言葉を待っている。


「さっきもおっしゃっていましたが、絶対間違えている、というのはどういうことですか?」


 なぜ調べる前から断言できるのか。


「どう考えたっておかしい。その規模でその支出って。他国との合同演習ならともかく、そんなにかかるわけない。どこか間違ってる――か、誰かが着服してるんじゃない?」

「そういうものですか……」


 規模と支出額だけを見ても、ルーズベルトには妥当かどうか判断できなかった。ミリアは商人の娘だからわかるのだろうか。


「その感覚はやってくうちにわかってくるから。とにかく今は、絶対間違ってるっていう前提で疑って精査して」

「わかりました」


 ルーズベルトはミリアの机の隣に座り、書類仕事に取りかかろうとペンを握った。


「ちょっと待って」

「はい」

「あなた、お昼は食べた?」

「いえ」

「今から食べて来て」

「え、でも……」


 そんな時間はない。手元にある書類の他に、目の前には書類の山がある。


「休憩も大事。上司命令」

「……わかりました」

 


 

 遅い昼食を食べて、ルーズベルトは今度こそ書類仕事にとりかかった。


 無茶振りの丸投げで全てを押しつけるのではないかと疑っていたが、ミリアは隣の机で猛烈な勢いで書類を片づけていった。


 どうせ簡単な仕事なのだろうと思いきや、質問のついでにのぞいてみれば、そんなことはない――と思われた。やっていることがよくわからなかった。


 とにかく早いことは確かだった。書類の山がみるみる隣の山へと移されていく。



 午後のお茶の時間にアルフォンスが来た。ルーズベルトは緊張でかちんこちんになっていたが、ミリアはさすが婚約者というべきか、気安い態度である。


 ミリアとアルフォンスはお茶をすると言って奥の応接室に引っ込んだ。


 アルフォンスの使用人がルーズベルトにもお茶を用意してくれた。ケーキつきだった。疲れた頭に甘い物はありがたかった。



 終わらねぇ、と泣きそうになりながらも必死でやり、終わったのは夕方、勤務時間終了間際だった。


 ミリアの言うとおり、書類は間違っていた。というか、おそらく不正だ。使ってもいない物資を買ったことになっていた。


「できました」

「報告して」


 ルーズベルトが一通り説明すると、ミリアは大きくうなずいた。


「うん。よくできてる」


 また褒められた。じーん、と喜びが広がる。


「それで――」


 だがその感動はすぐにかき消された。


「――あっちの仕事は?」


 ミリアが指さしたのは、机にある書類の山。


「何もできていません……」


 取ってきた書類の精査だけで精一杯だった。


「私、今日中って言ったよね?」

「すみません……残業します」


 徹夜で終わるだろうか……。


「しなくていい」


 どきっとした。使えない奴、と判断されたと思った。


「できないならちゃんと言って。終わらないと思ったらすぐに相談すること。報告・連絡・相談は基本中の基本」

「すみません」


 その通りだった。今までは先輩が進捗をチェックしてくれていたから、自分で考える必要はなかった。


 昼食を抜けば少しは手をつけられたかもしれないが、相談しなかった言い訳にはならなかった。


 そのとき、ノックの音がした。ミリアが返事をすると、アルフォンスが入ってきた。


「終わりましたか?」

「はい。今終わりました」

「では家までお送りします」

「ありがとうございます」


 ミリアはルーズベルトを見た。


「続きは明日やればいいから。初日から大変だったでしょう。がんばったね。また明日もよろしく」


 ミリアがルーズベルトに手を差し出した。手のひらが下ではなく横を向いている。ルーズベルトはおずおずと手を伸ばし、ミリアと握手をした。令嬢と握手をするのは初めてだった。


 思ったよりも小さく柔らかな手で驚いた。あの無茶な指示を出し、怒濤どとうの勢いで書類を片づけていた令嬢の手とは思えない。


 ミリアは嬉しそうに笑ったが、アルフォンスが不機嫌な顔をしていて気まずかった。


「さ、出た出た。戸締まりしないといけないんだから」


 ルーズベルトは監査室を追い出され、上司が錠を念入りにかけるのを待っていたら、待ってなくていいから早く帰りな、と追い払われた。変な上司だ。


 先を歩いていると、後ろから二人の会話が聞こえてきた。


「彼はどうでした?」

「なかなか優秀ですね。根性もあります。伸びしろもありそうですよ。成長が楽しみです」

「そうですか」


 ルーズベルトは一人照れくさくなって笑った。


 むちゃくちゃだけど、いい上司なのかもしれない。





 と、思った時期がルーズベルトにもあった。一瞬だけ。


 今は逆だと思っている。


 ミリア・スタインはいい上司だけど、むちゃくちゃな人だ。

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