第74話 知られていました

「アル……どうしよう、俺、ミリアに嫌われたかも……」


 晩餐ばんさん会では普通の態度だったジョセフが、終わった途端、気弱な声を上げてアルフォンスを呼び止めた。


 片手がアルフォンスの上着のすそをつかんでいる。女性がやれば可愛らしいが、男にやられても気持ち悪いだけだ。


 アルフォンスはその手をぺしっと叩き払った。


 だが、発言は聞き捨てならなかったので、いつもの部屋に引っ張り込む。もはやその部屋は二人の密談の恒例の場と化していた。


「今度は何をしたんですか」


 ソファに座ったアルフォンスは、ため息混じりに言った。


「ミリアに、しばらく会いたくない、と言われた」

「だから、何をしたのかと聞いているんです」


 ジョセフは両手で顔を覆った。


「キスをしようとした」

「許可は?」

「駄目だと言われた」

「それでもしようとしたんですか」

「ああ」

「逃がさないよう、また拘束こうそくしたんですか」

「拘束って……人聞きの悪い……」


 ジョセフが言いにくそうに言葉を濁す。上目遣いにアルフォンスを見ても無駄だ。言っても言わなくても事実は変わらない。


「壁に押しつけて、せまった」

「馬鹿ですか」


 こめかみに指を当てる。それを拘束というのだ。二度としないと言っていなかったか。頭が痛い。


「それで?」

「口にしようとしたら駄目だと言われたから、首にした」

「それで?」

「ミリィ、と呼んだ」


 アルフォンスは、鼻にしわを寄せた。何度聞いても嫌な響きだ。


「それで?」

「太股を触った」

「馬鹿ですか」


 アルフォンスが同じ言葉を繰り返した。


「それで?」

「それだけだ」

「……だけ、と言える範囲ではありませんよね」


 ジョセフはうなだれた。


「ミリア嬢は拒否したんですよね? どうして事に及ぼうとしたんですか」

「キスをしなければいいと思って……」

「馬鹿ですか」


 何度言っても言い足りない。


「ミリア嬢は受け入れる態度を取っていたんですよね? それならば多少責任を感じて許してくれると思いますよ」

「いや……全然、そんな態度は見せなかった」


 ならばなせ続けたのだ。


 ……以前、許されたという実績があるからか。ミリアも結局拒むなら、一度も許さなければいいものを。


 少しジョセフをあわれに思った。生殺しなのだろう。


皇子おうじの話になって、ミリアが大切な人だと言うから、それで……」


 ジョセフの気弱な態度はともかく、ミリアの言葉はアルフォンスも気になった。


「好きだと言っていたんですか?」

「いや、弟と同じようなものだと言っていた」


 一緒に暮らしていた幼なじみならば、家族のように思っていてもおかしくない。皇子もそういう様子だった。


「……なのに嫉妬したんですか」


 ジョセフはうつむいた。


「他にミリアはなんと?」

「帝国に行くのは観光だと。皇子と結婚するつもりはなくて、皇子の方もミリアと結婚する気はないはずだと言っていた」


 朗報だった。

 観光ならば、すぐに戻ってくるつもりなのだ。


「でも、二人だけの秘密があるみたいだし、悔しくて……」


 秘密というのは、皇子がミリアの口を閉じさせたあれのことか。


 今の話を聞く限り、実は婚約者だった、などというどんでん返しではなさそうだ。おおかた、皇子には他に婚約者がいる、なんて話だろう。


「ジェフ、あなたは、皇子に嫉妬しても、それをミリア嬢にぶつける権利はないんですよ」

「わかってる。わかってるんだ……」


 泣きそうな声だった。


「やってしまった事は仕方がありません。挽回ばんかいすることを考えましょう。――同じ事を以前にも言ったような気がしますが」

「助けてくれるのか!?」

「助けてもらいたくて話したんでしょう」

「そうだけど……」


 はぁ、とジョセフはため息をついた。


「ミリア嬢に嫌いだと言われましたか?」

「言われたら死ぬ」


 頼むから王太子の近衛がそんなことで死なないでくれ。


「ならまだ何とかなるかもしれませんね。しばらく、と言われたんでしょう? 時間がたてばまた会ってくれると思いますよ」

「そうだろうか……?」

「たぶん」

「たぶん……」


 ギルバートは、大嫌い、と言われたと言っていた。その後ミリアから連絡がきたとは聞いていない。その言葉が決定的なものだと言うのなら、まだ言われていないジョセフには希望があるかもしれない。


「ミリア嬢の気持ちを探ってみます。わかるまでは、絶対に大人しくしていてくださいね」

「謝罪の手紙、送っちまった……」

「それは当然です」


 馬鹿かこいつは。当たり前だろう。送っていなかったら見限って他の令息の候補を考えるところだ。


「ミリアの気持ちを探るって、どうやるんだよ?」

「それとなく聞いてみます」

「どうやって」

「どうやって? 直接聞きますが?」


 何を言っているのか。


「直接……って、おまっ、まさか、ミリアと会ってるのか!?」


 ジョセフが立ち上がった。


「顔を合わせてはいますね」

「おぉぉぉいっ!! まさかまた図書館で!? どのくらい!?」

「ジェフの茶会がないときに」

「ちょ、それって、三日に二日は会ってるってことじゃねぇか!」

「……そうです、ね?」


 アルフォンスは首を傾げた。


「待て待て! どうして俺より会ってるんだよ! おかしいだろう!? アルは俺の味方なんだよな!?」

「おかしい……でしょうか? 仕事をしているだけですよ」

「前は手伝いって言ってなかったか!?」

「今は商会を通した正式な依頼で補助をしてもらっています」

「お前が最近余裕そうなのはそれかっ!」

「そうです。ミリア嬢のお陰です」

「ずりぃだろっ!」


 ずるくはない。人を使うのは当たり前だ。一人でできることには限りがある。


 しかもそのお陰でジョセフの茶会の時間を捻出ねんしゅつする工作をする余裕ができているのだ。感謝こそされても文句を言われる筋合いはない。


「鍛練は俺が自分でやるしかねぇんだよっ!」


 アルフォンスの思考を読んだのか、ジョセフが抗議した。


 ふむ……確かに。誰かに肩代わりしてもらうわけにはいかない。


「俺ももっとミリアと会いたい! つれて行け!」


 ジョセフはアルフォンスの胸ぐらをつかもうと伸ばした手を払われた。


「会いたくないと言われたんですよね?」


 アルフォンスが首を傾げた。

 

「言うなよぉぉぉぉ……」


 ジョセフは両手で顔を覆ってソファにすとんと落ちた。





 翌日、アルフォンスはいつものように図書館に向かった。


 ミリアもいつも通りに閲覧スペースで本を読んでいた。


 最近、ようやくミリアはアルフォンスの登場に慣れたようで、本を読み終えても驚かなくなった。それどころか、読みかけで顔を上げることもある。


 集中の邪魔をしてしまっているのなら申し訳ないが、そのことをアルフォンスが謝ると、ミリアは毎回否定するのだった。




「ミリア嬢、しばらく会わない、とジェフに言ったと聞いたのですが……」


 なんと切り出したらいいものか、と思っていたアルフォンスは、やっと発した自身の言葉に舌打ちをしたくなった。直球にもほどがある。せめて、喧嘩けんかをした、くらいにできなかったのか。


 案のじょう、ミリアは不機嫌そうにアルフォンスを見た。手が完全に止まっている。


「だから何です?」


 えとした声だった。目が半眼になっている。よほど腹にえかねているらしい。


「ジェフのやったことは許されることではないかもしれませんが、本人は反省していて――」


 アルフォンスは途中で言葉を切った。


 ミリアが眉をつり上げてアルフォンスをにらんでいたのだ。怒っている。かなり。


「ジェフはミリア嬢の事を想っています。これまでの軽い態度からは信じられないかもしれませんが、ミリア嬢に対しては本気なんです。今回のことは、私も、やりすぎだと思いますが、それもミリア嬢への気持ちが本物だからこそです」


 アルフォンスがジョセフへのフォローを口にすると、ミリアが無表情になった。


 怒気が少し収まった、と思った。


 ミリアはまだジョセフを信じ切れていないのだろう。遊びの延長だと思っている。違うのだ。ジョセフは本気でミリアを欲している。自制ができなくなるほどに。


「先日、ジェフはミリア嬢と仲を深められて嬉しかったと――」

「先日とはいつのことですか」


 抑揚よくようのない問いかけだった。


「茶会の初日の――」

「何のことでしょうか」

「ジェフがミリア嬢と、く――」


 ドンッ、とミリアが両手のこぶしでテーブルを叩いた。


 何事か、と図書館内の空気がざわめく。


 だが、アルフォンスは周りに目を向ける余裕がなかった。


 ミリアの顔が真っ赤だった。目が心持ち潤んでいた。口はきゅっと横に結ばれている。


「あ――」


 その表情を見て、アルフォンスは自分の口を片手で押さえた。


 ミリアは羞恥しゅうちで赤面していたのではなかった。つり上がった目がねめつけるようにアルフォンスを見ている。怒り狂っていたのだ。打ち付けた拳がぷるぷると震えるほどに。エドワードがやらかした時にも見たことのない顔だった。


「――少し、休憩してきます」


 たっぷりと間をあけてから、ミリアは顔を伏せて低い平坦な声で告げ、アルフォンスを見もせずに席を立った。


 失敗した、と両手で目を覆った。


 ミリアは、アルフォンスにジョセフとの口づけの件を知られたくなかったのだ。


 それはそうだろう。秘め事を第三者に知られるなんて、令嬢からしたらはずかしめもいいところだ。それを本人の前で口にしようとするとは、我ながらジョセフと同レベルの頭の悪さである。


 アルフォンスを敬遠したい気持ちは当然のこととして、一番の問題は、口外したジョセフに対する怒りが爆発しているだろうということだった。


 男の間ではよくあることだ。アルフォンスはあまり好きではないが、男だけで集まれば露骨な話になることもある。それは女性の中でも同様で、既婚者ばかりの集まりになると話に出ることもあるという。


 だがそれは陰で本人が言っているから許されるのであって、聞いたという事を匂わせてはいけない。


 自分は何でもそこそこ上手くやれるはずなのに。


 ミリアの前では失態続きだ。





*****


 何で! 何で! 何で!!


 絶対、アルフォンスはジョセフとのキスのことを言おうとした。言葉は言わせずに遮ったが、絶対そうだ。


 何でアルフォンスがそのことを知っているのか!


 ――ジョセフが話したから。


 当たり前だ。他に誰がいる。


 アルフォンスも、ジョセフから聞いたという口ぶりだった。


 どうして! どうして! どうして!


 ――親友だから。


 そう。自然なことだ。


 ミリアだって、女友達がいれば、キャッキャ、キャッキャ、と話していただろう。チョコレートでもつまみながら。皇子クリスがもっと近くにいれば、こっそりと話したかもしれないくらいだ。


 だけど。


 どうしてアルフォンスなのか!


 ――相談相手だから。


 わかっている。


 アルフォンスは前からジョセフを推してきていた。ミリアに本気だからと。つらつらと家族のことを教えられたこともある。


 ジョセフに協力しているのなら、ジョセフが相談するのも当然なのだ。


 だからってね!?


 よりによってアルフォンスに言わなくたって!


 ……いや、わかっている。エドワードに言う訳にはいかないのだ。アルフォンスしかいない。口も堅いし。ミリアの気持ちだって知らないわけだし。


 今の自分は混乱しているだけだ。パニックになっているだけだ。頭が上手く回っていないだけだ。想定していなかったわけじゃない。


 本棚の間を無作為に夢中で歩き回り、ミリアの気持ちは少しずつ落ち着いてきた。


 ジョセフが悪いわけじゃない。


 悪いのは、思わせぶりな態度をとり、口づけを許したミリアだ。アルフォンスに知られたからといって、自業自得だった。


 ……どこまで話したのかにはよるが。事細かに話されるのは誰に話したとしても嫌だ。


 アルフォンスはきっとミリアを軽蔑している。結婚前の、しかも婚約者かれしでもない相手にキスを許すなんて。軽い女だと思われただろう。ただでさえ、エドワードとジョセフをたぶらかして、と他から言われているのに。


 平民なら、ここでつき合っておけば許される範疇はんちゅうだ。多少の前後は構いやしない。ちょっとした間違いだったとすることもできる。お互い恋人なしフリーなわけだし。


 ただ、貴族としては……駄目だろう。令息ジョセフはあっちこっちに手を出しているのに、令嬢ミリアだけ非難されるのはおかしな話だが、そういう社会なのだ。駄目な物は駄目である。


 そしてジョセフとは違い、アルフォンスは絶対にそういうところは固いのだ。童貞だと断言できる。きっとキスも……いや、それくらいは婚約者リリエントとしているのか?


 童貞といえば、当然エドワードは童貞だしギルバートも童貞である。王族のタネをその辺にバラ撒くわけにはいかない。ピルなんて便利な避妊薬はないのだ。


 今はまだ十六だからいいが、結婚しなかったらそのまま魔法使いか、とちょっと可哀想に思った事があるのは秘密だ。


 ジョセフは……なんか上手くやってるんじゃないだろうか。失敗したら責任はとる人だと思う。家の力でもみ消していたら……よし、蹴り上げた後に踏み潰してしまおう。


 思考がどうでもいい方へ向かっていき、馬鹿なことを考え始める。ミリアはパニックを脱していた。


 これならアルフォンスの所に戻っても大丈夫だろう。


 そう思ったが、席に戻って顔を合わせてみれば、言葉を交わすのはまだ難しかった。


 恥ずかしさで死ねる。


 書類仕事でよかったと思う。全部紙に書いてしまえばいいのだ。


 確認結果の報告書を作成してしまおう。


 過去、お客様や上司に向けて何ファイルも作ってきた。文章作成ワード表計算エクセルプレゼン作成パワポで身につけた表現力を余すことなく振るってやろう。……手書きだが。

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