第65話 Mかもしれませんね

 ミリアがマーサと馬車に乗り、二度目のハロルド邸のお茶会へと向かっている頃、アルフォンスは王宮のギルバートの部屋に来ていた。


 ギルバートは執務席にはおらず、侍従によって隣の寝室に通された。


 天蓋てんがいから下りる寝台を覆うレース、その枕元の部分が開かれ、その前では侍従の一人がひざまずいていた。


 彼はアルフォンスの入室を知ると寝台にいるあるじへ一礼し、寝台の側に椅子を一脚置いて退出していった。案内した侍従も去り、部屋にはアルフォンスとギルバートの二人が残される。


「多忙の所、呼び立てて悪いね」


 椅子に座るよううながしたギルバートは、寝台の上で上半身を起こし、弱々しい声を出した。着ているのは寝間着で、よほど調子が悪いのだと察せられた。


 なのに、布団の上には書類が散らばっている。先ほどの侍従にも仕事の指示を出していたのだろう。


「お体がすぐれないのですか」

「無理をしすぎた」

皇子おうじ殿下、ですか」

「それもある。……全く、あの人の目的は何なんだろうね。父上も親書の内容を明かして下さらない。こちらは備えを万全にするために骨を折っているというのに、何も動きがない。ここまでくると、僕たち四人と遊びに来ただけなんじゃないかと思えてくるよ」


 アルフォンスが苦笑を返すと、冗談抜きでだよ、とギルバートが茶化ちゃかして言った。


「それもある、というのは?」


 ギルバートが愚痴を言うためだけにアルフォンスを呼びつける訳がない。


 ギルバートは手元の書類に目を落とし、そしてアルフォンスを見た。


「頼みがある」


 頼み、というのは第一王子ギルバートから発せられるにしては奇妙な言葉だ。ただ命じればいいのだから。


 それをあえて口に出すのは、アルフォンスがエドワードの配下であることもあるし、個人的な側面があるからでもあるのだろう。


「なんなりと」


 アルフォンスには、ミリアのことであると確信があった。


「まずはこれを読んでくれ」


 ギルバートが気が進まない、といった様子で書類のたばを差し出した。


 読み始めてすぐにアルフォンスの顔がしかめられ、めくっていくたびに眉間のしわが深くなっていく。


「何ですかこれは」


 アルフォンスは書類をばさりと自分のひざに叩きつけた。


「ミリアへの嫌がらせの報告だ」

「読めばわかります。誰がこんなことを? なぜ首謀者の名前がないのです」

「判明していないからだよ」


 第一王子ギルバートが調べさせてわからないなんてことがあるわけがない。相手は学園の生徒なのである。若造と小娘の集まりだ。どこかでボロが出るだろう。


 そこまで考えて、アルフォンスは視線を落とした。


 アルフォンスは嫌がらせの事実さえつかんでいなかった。使用人を置き、カリアード伯爵家に従う子爵家や男爵家の子女に目を配らせるなど、それなりの情報網を築いていた。だというのに、何もつかめていない。使用人はともかく、子女たちには、カリアード家よりも優先すべき家からの圧力がかかっているのが明白だった。


 そしてそれはジョセフも同様で、王太子エドワードの耳にすら入ってきていない。


「これは行き過ぎです。部屋に進入しドレスを損壊するなど立派な犯罪です。寮長や学園長の責任も問うべきです。問題にして大々的に調査をすればいいのではありませんか」

「ミリアが許すとでも?」

「それは……」


 ミリアへの攻撃はすなわちスタイン家への攻撃だ。家が絡んでいるとなれば、生徒間のちょっとしたいざこざとして収めるのか難しくなってくる。


 寮長は再三のミリアの訴えをもみ消した。よくミリアが我慢しているものだ。


 商会会長ちちおやに訴えれば簡単に仕返しができる。相手の領地への流通を止めればいい。アルフォンスはミリアの悪企わるだくみと同じことを思いついていた。


 あそこの領は、夏に向けて野菜の収穫が始まる。生育に必要な肥料が他領から入らず、収穫した野菜が出荷できなくなればどうなるか。流通を止めるのがスタイン商会のみとはいえ、物の動きが長く停滞すれば影響は出る。


 もはや自領だけでやりくりできる時代ではないのだ。反乱を防ぐための長きにわたる王家の政策によるもので、皮肉にもスタイン商会の流通改善によってそれは急速に進んだ。


 他の商会が抜けた穴を埋め、スタイン商会の利益を奪うだろうが、だからといって傾く商会ではない。その他の領との取引を増やして平準化させる。他の領地が追随し商会との取引を禁止しようとも、それらが受ける損害の方が大きいだろう。


 愛娘まなむすめが泣いて訴えれば、スタイン男爵が動く公算が大きい。これを機に商会への警戒は高まるだろうが、同時に商会に手出しをすると痛い目にあうと知らしめる事ができる。


 物流の停滞が領主家の行いのせいだとなれば、生活が脅かされた領民の不満もたまる。


 貴族が貴族でいられるのは領民がいるからで、領地を良く治めるのは貴族の義務だ。領民の生活を守らなければ地位を失うことになりかねない。貴族世界での蹴落とし合いに終始し、私腹をやし、威張いばり散らすことにかまけてそれを忘れる貴族が多すぎる。


「ギルバート殿下は私に何を求めているのですか?」

「ミリアのフォローと、可能な限りの秘密裏の調査。前者が最優先だ」

「ならばギルバート殿下が適任でしょう」


 入学してからミリアと最も親しく、最も近く接してきたのがギルバートだ。


「僕はできない」

「時間がとれないからですか? ならば私が時間を――」

「違う。ミリアに何もするなと言われた。泣かせたんだ」


 ギルバートが吐き捨てた。自身に対していきどおっているようだった。


 やはりミリアの涙の原因はギルバートだったのだ。


「何があったのですか」


 アルフォンスの声にはわずかに怒気と非難が含まれていた。令嬢を泣かせるとは紳士としてあるまじき行為だ。相手が第一王子ギルバートであっても、アルフォンスの矜持きょうじが許さない。


「相談がなかったことを責めるような言葉をぶつけてしまった。そうしたら言われたよ、僕が図書室にいなければ相談のしようがないと」

「そんなことは……」


 アルフォンスに手紙を託してくれればギルバートにつなぐことはできる。アルフォンスが二人の交流を把握していることはミリアも知っている。ジョセフだって不思議には思いながらも繋ぐだろう。


「ミリアからの信頼におごっていたんだ。何かあれば助けを求めてくるだろうと。だがミリアは僕が忙しそうだったからと言っていた。そこで頼られるまでの関係は築けていなかったということだ。ミリアの優しさをあなどっていたとも言える」


 アルフォンスの胸に痛みが走った。


 アルフォンスにはミリアから頼られた経験が一度もない。


 初めてのハロルド邸でのお茶会のとき、ミリアが頼ったのはジョセフだった。図書館での事故のときは、ミリアはアルフォンスに迷惑をかけたとずっと気にしていた。


 かつてミリアが瀕死の子猫を拾ったときは、エドワードを頼ったと聞いている。……そのときアルフォンスはその場にいなかったのだが。


 その猫が死んだときには、ジョセフに庭園に埋めるつき合いを求めたそうだ。


 講義内容の質問があれば答えるのはエドワード。ダンスの練習相手になるのはジョセフ。


 むしろ頼ったのはアルフォンスの方だった。書類仕事の手伝いをしてもらい、人材派遣を求めた。今だって、ミリアの並々ならぬ忍耐力に助けられている状態だ。


 何の関係も築けていない。


「感情に任せてミリアの気持ちも考えずになじるとは、王族として情けない限りだよ」

「しかし、ミリア嬢はそこまで長く怒りを継続させるたちではないと思いますが」


 甘味かんみの一つでも贈ればたちどころに機嫌を直しそうだ。いきなり贈りつければ火に油を注ぎかねないため、一度謝罪を受け入れてもらう必要はあるが。


「謝罪の手紙の返事が来ない」


 ギルバートはひたいに手をあて、弱り切った声で言った。


「返信用の封筒は――」

「もちろん入れたよ。いつでも連絡してくれ、と何枚も。ミリアから直接手紙を出せないというのも相談がなかった原因の一つだから。個人からの手紙を許すのは僕の立場的によくないと考えた結果だが、なりふり構っていられない」


 そう言うギルバートは憔悴しょうすいしきっていた。体調不良は心労からきているのではないかと思えるほどだ。


 実はミリアはギルバートの手紙を引き出しに入れたまま、まだ封を切っていなかった。封筒が複数入っていることも知らずにいる。


「もう一度送ってはいかがです。私が直接渡しましょうか?」

「できない」


 ギルバートが首を振った。


「また返事が来なかったらと思うと胸が潰れそうなんだ。ミリアに大嫌いだと言われた」

「それは――」

「笑っていいよ。エドやユーフェンと一緒だ。ミリアが望めばきさきに迎えるだなんて、我ながらずいぶん上から目線な発言をしたものだ。どうか妃になってもらえないか、とひざまずいていたいくらいだよ。大嫌いだと言われてこうなるとはね。僕にはマゾヒズムのがあるのかな?」


 ギルバートはおどけるように言ったが、アルフォンスの心中は穏やかでなかった。


 ついに第一王子ギルバートまでが陥落かんらくした。


「安心して。僕は自分からミリアを望んだりしない」


 ギルバートは微笑んだ。


「愛をいたい気持ちはあっても、実行には移さないよ。情に流されて国益を損ねることもしない。僕は第一王子だからね。エドにも自覚して欲しいところだけど……言っても聞かなかったからな、あいつ」


 最後は不満げな声だった。


「だから、お前に頼みたい。もちろん調査は僕も続けるけど、近くにいた方がはかどるはずだ。最近ミリアに助けられて仕事に余裕があるんだろう? 会いに行く時間があるのは知っている」


 うらやましいことだ、とギルバートは冗談とも本音ともつかない様子で言った。


「私は適任ではありません。ミリア嬢との相性が悪いようなので。ジョセフの方がよっぽど適しています」

「ジョセフ・ユーフェンはだめだね。私情が入りすぎて判断に偏りバイアスがかかる。それに、あまり近づかせるとミリアに手を出しかねない。それは僕も許せないな。友人としても――ミリアを恋いしたう男としても」


 恋い慕う、とはっきりとした言葉を聞いて、ギルバートが本気であることがアルフォンスの中で現実を帯びた。


 恋をしている男の顔ではない。エドワードのように我を忘れるわけでも、ジョセフのように顔がだらしなく緩むわけでもない。だが、心の中ではミリアを想っているのだ。


「それと、ミリアと相性が悪いだって? そんな訳はない。ミリアはお前を好いているよ。口うるさいとは思っていてもね」


 くすくすとギルバートが笑った。


「好かれている……?」


 つい先日、人前で眠るという大失態を犯した上に、寝ぼけてミリアの手を取り、頬に触れてしまった。


 その後、ミリアは上の空で集中できない様子で、アルフォンスから逃げるような態度をとり続けた。倒れる本棚から助けたときといい、アルフォンスに触れられるのがよっぽど嫌なのだろう。再度の謝罪すら言わせてもらえなかった。


 これは近づかない方がよさそうだ、と早く切り上げ、ミリアに翌日の手伝いはいらないと告げた。それからアルフォンスは図書館に行っていない。


 なぜあのような事をしたかといえば、欲求不満だったのだろう。目覚めた時に顔が触れそうなほど近くに女性がいれば、多少の情動が起こっても致し方ない。ミリア個人に対してわき起こったものではない。


 リリエントに対してもそうなるのだろうかと思うと嫌な気持ちがした。男とはなんと馬鹿な生き物なのか。


 真っ赤になったミリアは……まあ、可愛いと思ったことは認める。顔の造作とは関係なく。慌てた様子は嗜虐しぎゃく心をそそった。理性を取り戻した後は全く感じなくなったが。


「ああ、もちろん友人として、だよ。勘違いしないように。いくらミリアが魅力的でも、お前まで好きになられると僕も困るんだ。手駒がいなくなる」


 ジョセフと同じ様な事を言われた。


「ありえません」


 アルフォンスは首を振った。女性としての魅力をミリアに感じたことはない。


 ――何より、アルフォンスには婚約者がいるのだ。何の情もないが、だからといって、他の女性ミリアうつつを抜かすようなことはできない。


「なら頼む。お前にとっても得だろう? ミリアを守っているつもりで仕事を助けてもらえばいい」

「できる限りのことは、してみます」


 アルフォンスは折れた。他に適任者がいないのならば仕方ない。

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