第64話 馬鹿、ですよね……

「先ほど、アルフォンス様からお仕事の依頼を受けたとおっしゃっていましたけれど――」


 ローズはミリアに笑顔を向けた。


「――それにしても、を置かずに三日間というのは、多すぎるのではないかしら」


 リリエントがミリアをにらんだ。どういうことか、と目が言っていた。


「書類仕事のためにスタイン商会の従業員を派遣して欲しいと言われたので、条件を詰めていました」

「アルフォンス様のお屋敷に? 従業員というのは、ミリア様のことかしら?」

「まさか。私じゃありません」


 ぶんぶん、とミリアは大げさなほどに首を振った。ここは思いっきり否定しておかなければならないところだ。ミリアがカリアード邸に行くとなれば、大変な誤解を招いてしまう。


 なんだか雲行きが怪しい。では誰を、と聞かれたら困る。子供たちのことは話したくない。話せば全員の頭に奴隷売買の噂が浮かぶだろう。


 それともまさか、ローズはアルフォンスの性癖を知っていて、ミリアが子供のことを話した所で暴露しようとしている……なんてことはない、よね?


 リリエントを落とすなら格好のネタだ。婚約者が小児愛者ペドフィリア。……うん、超級のダメージだ。


 これでリリエントがロリロリしていればまだ救いはあるが、立派に育ってしまっている。ベッドで愛してもらえるのか本当に心配になってきた。


 いくら何でも流石さすがにカリアード伯爵家の嫡男の名誉をおとしめるようなことはしない……と思いたい。


「邪推が過ぎましたわね」


 ふふっ、とまたローズが笑った。


 考え過ぎだったか、とミリアはほっと胸をなで下ろした。が、ローズの目を見て、まだ終わっていない、と確信した。


「アルフォンス様と手を取り合って見つめ合っていたとお聞きしましたの。わたくし、お二人はそういう仲なのかと思い違いをしていましたわ」


 ばんっ、とテーブルに両手を突き、リリエントが椅子を蹴倒して立ち上がった。


「ミリア様っ! どういうことですの!?」


 リリエントの手が当たったのか、がしゃんと音がしてソーサーが跳ね、紅茶のカップが倒れた。令嬢たちから、きゃっ、と小さな悲鳴が上がった。

 

 間違いなくアルフォンスが寝ぼけたときのことだろう。ミリアは頭を抱えたくなった。あれは違う。事実だが違う。


 目を細め、口角を上げていたアルフォンスが脳裏によみがえる。


 違う。あれは婚約者に向けられたものだ。そう、目の前でにらんでくるリリエントに向けたもの。手を握ったのも、顔に触れたのも、ミリアをリリエントと勘違いしたからだ。


 浮かんだアルフォンスの顔を消し去って、ミリアは首を傾けた。


「……なんのことでしょうか?」


 あの現場を目撃されていたとは思えない。衝立ついたてで隠されていたし、利用者も少ないのだ。確率的にあり得ない。……見張られてでもいなければ。


「恥ずかしがらなくてもよろしくてよ。愛とは尊いものですもの。誰も真実の愛を邪魔することはできませんわ。マリアンヌ様もそう思いますでしょう?」


 おいおいおいおい。

 ここでマリアンヌを引き合いに出すか!?


 その場にいる全員がどん引きしている中、マリアンヌは笑顔でうなずいた。


「ああ、みなさまご存じなかったのかしら。マリアンヌ様はご婚約されたのですわ。改めて、おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 突然のローズの言葉に、みんなの頭の上にはてなが浮かんだ。ぽかんと口を開けたのはミリアだけだ。さすが貴族令嬢たちである。


 令嬢の一人が、おずおずと口を開いた。


「マリアンヌ様がご婚約なさったとおっしゃいました?」

「ええ。つい先日」


 マリアンヌが恥ずかしそうに相手の名前を告げた。


 年上だが、おじさんという程ではない。家もまずまずだ。嫡男ではなく、マリアンヌは一人娘だから、コナー家に婿入むこいりするのだろう。マリアンヌがジョセフと結婚すれば養子を取らねばならなかったコナー家としてもいい話だ。


「まあ。おめでとうございます」


 口々にお祝いの言葉を述べる令嬢たち。

 立ったままだったリリエントは気が抜けたようにすとんと椅子に座り、お祝いを口にした。リリエントも知らなかったらしい。


「……それで、ミリア様、アルフォンス様とは真実の愛をはぐくんでらっしゃるということで、よろしいのかしら?」


 一段落したところで、ローズが唐突に話題を引き戻した。


 ローズとエドワードとの仲は良好だ。マリアンヌも別の幸せをつかんだ。でもリリエントは……。と、言いたいのだろう。


 そうはいくものか。


「……いいえ。アルフォンス様とはそのような関係ではありません」

「先ほども申しましたが、真実の愛を隠すことなどありませんのよ。ねえ、リリエント様?」


 急展開について行けていなかったリリエントが、やっと話の流れを把握したように、再びキッとローズをにらむ。


「ミリア様は否定なさっているではありませんの。決めつけるようなことはなさらない方がよろしいのではありませんか」

「わたくしは決めつけてなどいませんわ。ミリア様は逢瀬は事実だとおっしゃったではありませんか。手を取り合っていたのも事実ですわ。公共の場でお熱いこと」


 ローズはミリアの目を見ずに言い、紅茶を一口飲んだ。


 その仕草を見て、ミリアはピンときた。これはカマをかけているだけだ。商人の勘がそう言っている。


「逢瀬だなんて……。さっきも言ったように、お仕事の話をしていただけです。手を取り合ったこともありません」

「先日が初めてではないでしょう?」


 ローズはミリアの発言を無視した。どうあってもミリアとアルフォンスの仲を認めさせたいようだ。


「ですから、今まで一度も――」


 しらを切り通すことを決めたミリアだったが、そのとき、アルフォンスに触れられたのが、あのときが初めてではないことに気がついた。


 いいや、今はそんなことを考えている場合ではない。初めてではないからと言ってなんだというのだ。アルフォンスと何もない事には変わりない。


「――ありません」


 ミリアは言い切った。


「そうですの」


 ローズはつまらなさそうに言って、それ以上は突っ込んでこなかった。カマかけだったというミリアの予想は当たったのだ。


 その後は世間話に終始し、リリエントがミリアをにらみつけていたこと以外、穏やかに時間は過ぎた。






 ローズとリリエントの戦いに巻き込まれ、精神をごっそり削られたミリアは、自室に戻るとベッドに倒れ込んだ。商談をしている方がずっと楽だ。


 天井を見上げていると、さっき無理矢理振り払った思考が戻ってきた。


 ――アルフォンスに触れられたのは、先日が初めてではない。


 図書館で踏み台から落ち、本棚が倒れて来たとき。


 助けてくれたアルフォンスは、ミリアの名を呼び、頬に触れなかったか。動転していたミリアは何も答えなかったが、怪我を心配し、顔をのぞき込んでいた。


 その直前の出来事もミリアの脳裏によみがえる。


 お腹にアルフォンスの腕が回っていて。自分は床に座ったアルフォンスの膝の間に収まっていて。背中はアルフォンスに密着していた。


 まるで、後ろから抱きしめられているかのように。


 間一髪で間に合ったことに安堵して吐き出された長い息。耳の近くで呼ばれた名。しっかりと腕に込められた力。優しく頬に触れる手。気遣う深い緑の瞳。


 ミリアの顔に熱が集まっていくのが自分でもわかった。


 非常事態だった。アルフォンスに他意はなかったことはわかっている。あれは不可抗力だ。


 だけど。


 だけど――。


 動揺と逃げた罪悪感で塗りつぶされていた記憶。


 ミリアを助けてくれたアルフォンス。

 寝ぼけていつもと違う顔を見せたアルフォンス。


 どちらも図書館での出来事で、二つの記憶が交錯していく。


 そしてどちらも、ミリア個人に向けられたものではない。


 一度目は自分が助けた人物へ向けたもの。

 二度目は婚約者リリエントに向けたもの。


 なのに。どうしてこんなに胸が苦しいのか。



 ――違う。


 、胸が苦しいのだ。


 初めてローズのお茶会に招待されたとき、招待客のリストを手に入れてくれて、作法を叩き込んでくれて、ドレスの色のアドバイスをしてくれた。


 本棚に潰されそうになったとき、助けてくれて、ミリアの名前を出さずに収めてくれて、ずぶ濡れになったミリアを気遣って使用人を寄越してくれた。


 ミリアのことを頼ってくれた。降って湧いた男爵令嬢という身分ではなく、商会の娘として生きてきたミリアを認めてくれた。


 そしてまた、男爵令嬢としてのミリアがふさわしい美しい所作を身につけてきたのは、アルフォンスが見限ることなく、しつこく指摘し続けてくれた結果でもあった。



 馬鹿じゃないの。



 ミリアは腕で目を覆った。


 あり得ない程の美人で。頭が良くて。婚約者がいて。小児愛者ペドフィリアで。伯爵家嫡男で。王太子の側近で。



 ――馬鹿じゃないの。



 どうしてよりによってアルフォンスなのか。


 エドワードでも、ジョセフでもなく。どうして。



 だけど――。



 自覚してしまったら、もう止められない。

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