第63話 マウント返しですか

 ミリアがギルバートと喧嘩けんかして大泣きした翌朝。エドワードの執務室にて。


「ミリア嬢がっ!」


 執務室のドアを蹴破けやぶる勢いで入って来たエドワードは、先に来ていたアルフォンスとジョセフに青ざめた顔を見せた。


「理由がわかったのか!?」


 ジョセフがソファから飛び上がった。


「昨日、学園で、涙を流して――理由……?」


 勢いよく言い始めたエドワードは、途中でジョセフの言葉を理解して、尻すぼみになった。


「理由は聞いていない」

「なんだ……」


 ジョセフは力を抜いてすとんとソファに座り直した。使えねぇな、という呟きはエドワードには届かない。


「お前、知っていたのか!?」

「ああ、昨日からな」

「どうしてわたしに言わない!」


 エドワードが、だんだんっ、と地団駄を踏んだ。


「もう知ってるかと思って」


 泣いていたミリアを慰めたことは言わない。


 言えばエドワードはさらに悔しがり、一歩リードしていることを見せつけることはできるだろうが、ミリアと二人だけの秘密にしたい。言うのはもったいない。


「それについて今話していたところです。昨夜から調べさせていますが、理由は不明です」

「アルも昨日から知っているのか!? なぜ言わない!」

「もう知っているかと思いまして」


 エドワードが再び地団駄を踏む。


 実際会った自分はともかく、アルフォンスよりも情報を把握するのが遅いというのは、王太子としてどうなのだろう。


 側近ふたりもエドワードの情報源であるべきなので、ジョセフたちが言わなかったのも悪いのだが。


「理由がわからないとはどういうことだ! 誰かに何かをされたのだろう!?」

「泣きながら廊下に現れたというところまでしかわかりませんでした」

「同じく」


 ミリア本人も教えてくれなかった。


 実はアルフォンスはギルバートの関与を疑っていた。


 だが、エドワードにもジョセフにも黙っている。疑惑の段階であり、ギルバートがミリアを泣かせる状況を想像できないからだ。何より、二人に言うと絶対に面倒くさいことになる。


「ミリア嬢に直接聞く!」

「そんな時間はありません」

「顔を合わせる時間くらいどうにかなるだろう!?」

「殿下にはありません」


 アルフォンスは容赦がなかった。殿下と言い、自分にはその余裕があることを示唆しさしてしまったが、エドワードは気に止めなかったようである。それも王太子としてどうなのか。


「ぐぬぬ……では手紙で聞く」

「それがいいですね」


 返事が来るとは限らないが、とアルフォンスとジョセフは思っていた。


 が、その翌朝、ミリアからの返事は来た。


 ――足の小指をぶつけて痛かったから。


 そんなわけあるか! とやはり二人は思ったのだが、エドワードは納得して安心していた。


 帝国の皇子おうじと相対しているときは王太子然としているのに、ミリアの事となると、エドワードはとことんポンコツである。




 ミリアの返信がエドワードの元に届いたその日の放課後、ミリアはハロルド邸でのお茶会にのぞんでいた。


 今回のドレスはオレンジがかったレモン色だ。相変わらずシンプルの一言に尽きる。


 ローズは赤系、リリエントはきっとまた婚約者アルフォンスからのネックレスをつけてくるだろうと踏んで色を決めた。アクセサリーを使い回すのを好まないリリエントだが、ミリアがいれば再びローズを落とすことができる。ならばつけて来ない訳はない。


 そしてミリアの読み通り、リリエントはネックレスをつけてきたし、若草色のドレスを着ていた。


 誤算だったのはマリアンヌが参加していたことだ。彼女のドレスはクリーム色だった。


 事前に招待客の情報を入手できなかったのと、マリアンヌの出席を知っていてもドレスの色までは推測できないので仕方がないのだが、やや気まずい。幸いなのは、色味の似ているドレスの令嬢が他にもいたことだ。


 悪役令嬢ローズは今度こそ仕掛けて来るだろう、とミリアは身構えていた。このところの嫌がらせはここまでの伏線だろう。先日ミリアに優しくしたのも、持ち上げて落とす作戦かと思われた。


 リリエントとマリアンヌがローズを挟んで座っている。ミリアはローズの正面の席だ。この距離では、お茶をかけられることはあっても、平手打ちビンタはなさそうだ。


 ローズが招待客を順に紹介してくれたので、初めましての令嬢の家や領地についての情報を頭から引っ張り出す。二度目のお茶会だ。噂話や最新の話題にはついていけないかもしれないが、会話は何とかしのげるだろう。


 前回同様、前半はなんということもなく過ぎた。


 マリアンヌが一度もミリアの顔を見ないことは気になったが、婚約解消を言い出したのはジョセフだったのだから、婚約者を横からかっさらったミリアを嫌うのは当然だろう。ミリアもマリアンヌの目を見る勇気はなかった。


 そして話が一段落した頃、事は起こった。仕掛けてきたのは悪役令嬢ローズだ。


「ミリア様は近頃アルフォンス様と親しくされているようですわね」


 世間話のように言って、ローズは紅茶のカップを傾けた。隣同士で話していた令嬢たちも口をつぐみ、視線がミリアに集まった。


「どういうことなのかしら、ミリア様」


 リリエントが口だけに笑みを浮かべてミリアを見た。


「どういうことでしょうか、ローズ様」


 余計なことを言うわけにはいかないと、ミリアは言い出したローズにパスした。


「そのままの意味ですわ。ミリア様は連日アルフォンス様とお会いしていましたでしょう?」

「アルフォンス様はエドワード様と帝国の使者の方々の対応をなさっていますのよ。ミリア様にお会いする時間はございませんわ」


 リリエントがドヤ顔をした。使者の相手を任される婚約者アルフォンスが誇らしいというよりは、そんな婚約者のいる自分すごい、という態度だ。


「あら。いらしてましてよ? お二人は学園でお会いしていましたもの」


 リリエントの口元が、ひくりと引きつる。


 ミリアは内心焦っていた。図書館でのことを知られているのではないか。


「どういうことなのかしら?」

「……どういうことなのでしょう」


 リリエントに聞かれて、ミリアは曖昧あいまいにごして再びローズにパスを投げた。


「連日アルフォンス様と二人きりで逢瀬おうせを重ねていたと聞きましたわ――図書館で。お勉強されていたのかしら。手を動かす合間あいまにたくさんお話をされていたそうですわね。アルフォンス様も珍しく口数が多かったと」


 リリエントがキッとミリアをにらんだ。


 やはりローズは把握していた。生徒も利用しているのだから、いつまでもバレない方がおかしい。


 会話の内容まで聞かれていたのだとすると、あまりよろしくないのではないかと思ったが、あのアルフォンスがそれを想定していない訳はなかった。ならば大丈夫なのだろう。


 それにしても、逢瀬、とは嫌な言い方をする。書類仕事を手伝っていただけなのに。


 ミリアはにこりと笑った。言い逃れはできないのだから、事実を肯定するのが最良だ。


「はい。アルフォンス様に図書館でお会いしました。仕事の依頼を受けたんです」


 手伝いも依頼だし、子供を派遣するのも依頼だ。嘘はついていない。


 ほら見ろ、とリリエントが得意げな顔をローズに向ける。


「そうでしたの。リリエント様はアルフォンス様とお会いしていない様子でしたので、わたくしはてっきり……」


 ローズは頬に手を当てて首を傾げた。あごをわずかにあげ、見下ろすようにリリエントを見る。


 ああそうか、これはローズの仕返しなのだ。前回リリエントに婚約者アルフォンスとの仲を自慢されたから。


「アルフォンス様はお忙しいのです。お仕事のお邪魔をするわけにはいきませんわ」


 ふんっ、とリリエントが鼻を鳴らした。


「そうですわね。リリエント様にお会いできない程お忙しいのでしたら仕方ありませんわ。――わたくしは昨日もエドワード様とお茶をご一緒しましたけれど」


 ローズが口を押さえ、ふふっと嬉しそうに笑った。


 リリエントは言い返そうと口を開いたが、言葉が出てこない。


 そりゃそうだろう。王太子エドワードの方が絶対に忙しい。そのエドワードがローズとお茶を飲む時間を取っているのに、アルフォンスが取れないわけがない。取らないだけなのだ。


 よくやった、とミリアは心の中でエドワードを褒めた。ローズとの仲は良ければ良いほどいい。この調子で結婚まで行って欲しい。


「み、ミリア様も、エドワード様とお会いしておりますのよね?」


 リリエントが苦し紛れに言ってきた。ローズだけが特別なのではないと言いたいのだろう。


 残念。


「いいえ? エドワード様が学園に来なくなってから、一度も会っていません」


 ずいぶん長く会っていない。平和で何よりだ。


 ぐ、とリリエントが悔しそうに口をつぐんだ。その横でローズは愉悦ゆえつの笑みを浮かべていた。


 この勝負、ローズの勝ちだ。ミリアを含め、成り行きを見守っていた誰しもがそう思った。


 ミリア正妃説は王宮からの通達で否定され、ローズは王太子エドワードの婚約者としての立場を固めている。ここでリリエントを落とせば、二人の差は決定的なものになる。


 だが、ローズの攻撃はこれだけに留まらなかった。

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