第60話 心にも無い事を言ってしまいました

 ※動物の死体の描写があります



 夜、マーサと交代するために、アニーが部屋に来た。手紙をたずさえて。


「エルリックから?」


 このところの色々がバレたのでは、と緊張する。


 マーサに下がっていいと伝えてから、震える手で封を開けてみれば、内容はアルフォンスの依頼についてだった。


「もう面接までしたの!?」


 たまたまエルリックが王都に来る予定があったので、ついでに子供を五人連れて来て、今日カリアード邸で面接し、三人決まったそうだ。リストを送ってやりとりするより早いだろう、ということで。


 さっそく明日から仕事開始で、エルリックが二日監督をし、問題なさそうであれば三日後にフォーレンに帰るらしい。


 ミリアにも三人を紹介しておきたいので、エルリックの時間のある明後日別邸で一緒に夕食をとりたい、とあった。


 それはミリアも助かる。どんな子たちなのか把握しておきたい。万一のことがあれば、小児愛者アルフォンスから守らなくてはならない。何かあったら、口止めされても必ず報告するように、と言い含めておかなければ。





「うーわ」


 次の日の昼休み、お弁当を持って庭園に行くと、いつものテーブルの上に犬の死体が置いてあった。ここまでするとは正直どん引きである。


 首をばっさりと切られている。血は流れていないので、どこからか運んできたのだろう。ドレスの血はこの犬の物だと思われた。

 

 なんとむごいことだ。家畜の解体場面を何度も見たことのあるミリアは、死体を見てもどうということはないが、自分に嫌がらせをするためだけに殺されてしまったことを思うと心が痛んだ。


 どうせ殺すなら害獣にすればいいのに、と思った。何も愛玩あいがん動物にしなくたって……。


 命じられた使用人も気の毒だ。どんな思いでこれをやったのか。


 とにかく、この子をどうにかしなくてはならない。いくら死体が平気だとしても、このままここで食事をする気にはさすがになれなかった。


 ミリアはバスケットを持ったまま、学園の使用人を探しに行った。女性よりも男性の方がいいだろうと気も使って。


 処分を託したあとはその足でカフェテリアに戻った。他の庭園に行って居場所を探す気力はなかった。


 あるテーブルの横を通ったとき、食事をしていた子爵令嬢に声をかけられた。


「ミリア様」


 いじめっ子の一人だと知っているミリアは、足を止めて顔を向けただけで、あいさつはしなかった。同じテーブルに着いている生徒たちがにやにやと嫌な笑いを浮かべている。


「ミリア様は、犬がお好きと聞きましたわ」


 犯人はお前か。


 ミリアがバスケットを持っていることで、死体を発見したことを察したのだろう。


 令嬢の目の前には食べかけのステーキがある。肉を食べながらよくそんな話題が出せるな、と思った。


「それが何か?」


 ミリアがにこりと笑って答えると、令嬢たちの笑みが固まった。


「猫の方がお好きなのかしら? 以前子猫をお助けになったことがありましたわね」


 あるにはあるが、令嬢が言っているのは図書館での事故の日にアルフォンスがでっちあげた方だろう。


「次は猫ですか。猫は害獣のネズミを食べるのでやめた方がいいですよ。ネズミにしてはいかがでしょう」


 嫌がらせといえばネズミが定番だ。あとはクモやムカデだろうか。でも毒虫は嫌だ。


「な、何をおっしゃっているのかしら!?」


 怖がるどころか逆に提案してきたミリアに、子爵令嬢は動揺した。


「いいえ、何でもありません。おなかがいているので失礼します。――ああ、それ、犬の肉ですよ」

「嘘っ!?」


 ミリアが皿の上のステーキを見ながら言うと、令嬢が口をぱっと押さえた。同じ物を食べていた生徒も青い顔をしている。


 ばーかばーか。

 嘘に決まってるだろ。牛ほほ肉のステーキってメニューに書いてあっただろうに。


 ミリアは通り過ぎ、ぺろりと舌を出すと、窓際のテーブル目指して歩いて行った。




 バスケットの中のサンドイッチを美味しく頂いて、ミリアは上機嫌……とは言えない気分で図書室に向かった。


 さっきの犬は埋めてもらえただろうか。焼却処分じゃかわいそうだ。二酸化炭素になるだけじゃないか。埋めてあげて欲しいと言えばよかった。


 図書室の扉を引いて開いたとき、ミリアの心は少し明るくなる。暗い部屋の奥でランプの明かりのが揺れていたのだ。


 たたっと走って明かりの中に飛び込めば、ギルバートがそこにいた。


「ギル!」

「ミリア……」


 やっと会えた喜びで満面の笑みを見せるミリアに、立ち上がったギルバートは、腰に手を当てて、怒った顔を向けた。


「僕に言うことがあるよね?」

「え、どうしたの?」

「どうして相談してくれなかったの?」

「な、ナンノコトカナ……」


 ミリアは目をさまよわせた。


 バレた。うん。これはバレた。

 やはり第一王子ギルバートに隠し通せるわけはなかったのだ。


「寝ている間に部屋に侵入されて? 刺繍ししゅうの課題のハンカチを破られて? ドレスを切り裂かれて? 昨日はドレスを血塗ちまみれにされて? あと足を引っかけられて転んだって? それ以外にも色々されてるよね。ドレスを引っ張られたり汚されたり教室変更を知らされなかったり蹴られたり椅子を汚されたり髪を切られたり」

「……」

「ついさっきも無惨な犬の姿を見せられたんだってね」

「……」


 何もかも全て把握されていた。耳も早い。


 ギルバートがミリアの両手を取った。


「どうして相談してくれなかったの?」

「ギルに心配かけたくなかったというか……」


 距離をめたギルバートが、こつんとひたいをミリアの額につけて目を閉じた。


「何も言ってくれない方がつらいんだ。報告を受けたときの僕の気持ちがわかる? ミリアがそんな目にあっているのに知らなかったなんて、ショックだったよ」

「忙しいって聞いてたし……」


 目を開けたギルバートがミリアのピンク色の目をのぞき込んでくる。エドワードと同じ緑色だ。


「僕がミリアのために時間を作らないわけないだろう?」

「それに、大事おおごとにはしたくなかったの」

「すでに大事ではないか!」


 ギルバートが怒鳴り、バンッと横のテーブルを叩いた。


 ミリアがびくっと体を固くした。大きな音は苦手だ。反射で、目がうるんだ。


「……ごめん」


 ギルバートが気まずそうに目を伏せて謝罪を口にした。


「でも、わかってほしい。もう僕に黙って我慢したりしないで」

「だって……」


 ミリアは繋いだままの片手を振り払った。


 涙腺るいせんが緩んだのがきっかけとなり、押し殺していた感情が涙と一緒にあふれてくる。


「ギルが……ギルが来てくれなかったんじゃない! 私に話す機会があった!? ギルが図書室ここに来ない。手紙だって届かない。私はどうすればよかったの!?」


 嫌がらせはいつか来ると覚悟していたことだ。これくらい耐えられる。ひどい暴力を振るわれたわけじゃない。平気だ。大丈夫。まだ大丈夫。


 そう自分に言い聞かせていたミリアだったが、本当は内心傷ついていたのだ。


「寝ている間に部屋に入られて、怖くないわけないじゃない! 責任者に言っても何もしてもらえない! 誰が犯人なのかもわからない! せっかく仲良くなれた人たちが離れていくのが寂しかった。あんな可愛い犬まで私のために殺されたんだよ。毎日毎日嫌がらせされて、嘲笑わらわれて、でも学園から逃げることは許されない。ギルに聞いてもらいたくても、助けを求めたくても、ギルがここに来てくれなかったら、私にはどうしようもないんだよ!」


 違う。やろうと思えば連絡をとることはできた。


 伯爵家なら――ジョセフやアルフォンスにならミリアでも手紙を送ることができる。二人に相談することも、ギルバートに連絡をとってもらうこともできた。


 シナリオを気にして、誰にも何も言わないと決めたのはミリアだ。


 ギルバートは悪くない。本当に忙しくて、ミリアより優先すべきことがあったのだ。こうして今ここに居ることでさえ、大変な調整が必要だったに違いない。


 ミリアを気にかけてくれて、ちゃんと情報を集めてくれていて、なぜ相談しなかったのかと、すれば助けてあげたのにと、叱ってくれた。


 わかっているのに、口は止まらなかった。


「元平民の商人の娘と第一王子とは、住む世界が違うんだよ! 貴族になんてなりたくなかった! 学園ここにも来たくなかった! もう私には構わないで! 何もしないで! ――ギルバートなんて大っ嫌い!」


 言うだけ言って、ミリアは図書室を飛び出した。


 一人残されたギルバートは、ミリアの背が本棚の陰に隠れるのを茫然ぼうぜんと見ていた。すぐに扉が開く音がして、暗い図書室の中に廊下の光が差し込み、そしてまた闇に閉ざされる。


 揺れるランプの光の中、ギルバートは片手で目を覆ってうなだれた。


「最悪だ……」

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