第59話 ツケにしておいてあげましょう

 放課後、ミリアは寮の責任者ちょびひげを部屋に呼びつけた。


 マーサを横に一通り説明し、どういうことか、と詰め寄った。


「そう言われましても、我々はやるべきことをやっていますから」


 ちょびひげがじろっとマーサを見た。


「その侍女は信用できるのですかな?」

「当たり前です!」


 マーサを疑うなんてどうかしている。


「ですが、鍵を持っていたのはその侍女とのこと。ならば真っ先に疑うべきでは?」

「私の侍女がどうしてこんなことをするんですか!」

「私にはわかりかねますな」

「前にも鍵をかけた部屋に入られてるんです! 他に犯人がいるに決まっています!」

「昼間の短い時間では外部の者が行うのは無理でしょう」

「だから内部にいるんじゃないかって言ってるんです!」

「私の部下が犯人だと?」


 ちょび髭はギロッとミリアをにらんだ。


「いくら寮生とはいえども、その言葉は聞き捨てなりませんな。部下を疑うということは、この私を疑うも同然。これはスタイン男爵家から我が伯爵家への正式な抗議だととらえてもよろしいですか?」


 身分差を言われてミリアは言葉に詰まった。


「……そういうわけではありません」

「ではこれ以上話すことはありませんな。我々はやるべきことをやっていますので。――そうそう、汚れたソファは弁償を」


 ちょび髭は最初と同じ言葉を繰り返し、でっぷりとした腹を揺らして出て行った。


「あんのクソおやじぃぃっ!」


 ミリアは頭をぐしゃぐしゃにかきむしった。


「お嬢様!」


 マーサに腕をつかまれて怒りの行き場を失い、代わりに片足でダンダンと床を踏みならした。


「何なのあれ!? 先にマーサを疑ったのはあっちじゃない! なんでそこで家が出てくるの!? 手前ぇの仕事だろうがっ!」


 ムカつくムカつくムカつく!


 正式な抗議だって? いいだろう、今度こそしてやろうじゃないか。向こうがガチで家格を出して来たんだから、こっちだって本気で第一王子ギルバート王太子エドワードを出してやる。男爵家ごときの抗議だからともみ消せると思うなよ。


 だいたい、事が大きくなれば困るのはそっちだろ!? 管理責任が問われるのは必至だ。家の名前を出したとなれば、とがは伯爵家にだって及ぶ。首を切られて、家ごと王子たちにうとまれて、それから後悔したって遅いんだからな!


 あああムカつくっ!


 ギルバートに泣きついて、エドワードに泣きついて、ジョセフに泣きついて、アルフォンス……はちょっと今は気まずい。


 いいや、ギルバートたちを頼らなくたって、父さんに泣きついて、商会のみんなにも手伝ってもらって、領地の流通を止めてやればいいんだ。スタイン商会をめるなよ。


 あそこは夏に向けて野菜の収穫が始まる。その前に必要な肥料が領地に入らなくなって、収穫した野菜が出なくなったら。食料も衣類も医薬品も建材も入れないし出さない。


 最大手じゃなくても、関連するものを全部止めれば大打撃だ。その領地の物は扱わないと宣言すれば、他の商会だって何か問題があるのかと手を引くかもしれない。


「ふふふふふ……」


 ミリアが黒い笑みを浮かべているのを、腕を放したマーサが困った顔で見ていた。


  


「はぁ」

「落ち着きましたか?」

「うん」


 ひとしきり策謀を巡らせて満足したミリアは、マーサが入れてくれた紅茶を飲んでいた。


「旦那様に連絡して抗議を入れてもらったらどうですか」

「ううん、父さんには言わない」


 ミリアは冷静さを取り戻し、ちょび髭への仕返しは後回しにすることにした。元々当てにはできないと思っていたのだ。ここで今までの我慢を無駄にはできない。全てが終わってからツケを払わせる。


 がんとして父親フィンへの報告を断るミリアに、マーサは、仕方ないな、と息を吐いた。


「なら、これ洗ってきますね。綺麗に落ちるかわかりませんけど」


 マーサが畳んでテーブルの上に置いてあったドレスを手に取った。


「気持ち悪いから捨てちゃって。もったいないけど」

「それもそうですね」

「あ、待って。やっぱりそのまま取っておこう。下手に捨てて利用されたら困る」

「燃やしましょうか?」

「ううん、何かの証拠になるかもしれない」


 持っていることが逆に不利になるかもしれないけれど。


「わかりました。どこにしまっておきましょうか……」


 それはミリアも困った。ビニール袋に入れて密封しておきたいが、それは不可能だ。


油紙あぶらがみに包んで引き出しにしまうしかないね」

「では取り寄せます。気持ち悪いので他の物とは分けておきましょう」

「うん。ハンカチと切られたドレスを一緒にしておいて」

「わかりました」


 マーサは嫌そうにしつつも、ミリアの指示に従った。ドレスをテーブルの上に置き直すと、油紙を調達しに部屋を出ていった。


 ミリアはソファにぎしりと体を預けた。向かいの席の背もたれにはべったりと血がついていた。染み抜きができるというレベルではない。交換しないといけない。


 ちょび髭クソおやじにも弁償しろと言われた。部屋備え付けの調度品なのだから仕方ない。


 地味に高級品なのが腹が立つ。どうせ寮生たちは好きな調度品に換えて使うのだから、こんなに高級でなくてもいいはずなのだ。そのまま使っているミリアが言うことではないが。犯人が見つかったら絶対請求してやると心に決めた。


 あと、学園長にもまた文句を言いに行かなくては。ちょび髭同様、もはや期待はしていないが、クレームをつけたのに対応してくれなかった、という事実は後々効いてくる。


 ああ、そういえば図書館に行けなかった。


 アルフォンスには不要だと言われたのだから、まあいいか。




*****


「あー、今日もつっかれたー」

「わたしももう限界だ……」


 ジョセフがソファに倒れ込むと、執務席にぐたりと背を預けたエドワードがうめいた。


 先日議論が白熱したのが楽しかったのか、今日も皇子おうじに議論をふっかけられた。応対している王太子エドワードが疲れるのはもちろんのこと、話についていくのに必死だったジョセフも疲労困憊ひろうこんぱいしていた。


「二人とも、だらしないですよ」

「無理。今は無理」

「アルはタフだな」


 途中途中で鋭い意見を発していたアルフォンスは、涼しい顔だ。


「少し仕事に余裕ができたので」

「ずりぃ」


 ジョセフが天井をあおいだ。


「あー、ミリア成分が足りない。ミリアに会いたい。抱きしめたい」

「わたしもミリアじょ……ミリアに会いたい……」

「何ですか、ミリア嬢の成分って。それと殿下、呼び捨てにするとミリア嬢に怒られますよ」


 アルフォンスがため息混じりに言った。


「いいだろう、今はミリア、っはいないんだから」

「くくっ、無理して呼び捨てにしなくても」

「うるさい! ならお前も呼び捨てするな!」

「えー、俺ミリアにいいって言われてるし」

「ぐぬぬ……」


 アルフォンスは、付き合ってられない、と首を振った。


「私は来客があるので一度屋敷に戻ります」

「俺も訓練場行くわ」

「さっさと行け」


 エドワードが、しっしっ、とジョセフを追いやる仕草をした。


 アルフォンスと共に執務室を出たジョセフは、廊下を歩きながら両手で顔を覆った。


「あー、マジでミリアに会いたい。こんなに会えないなんてつらすぎる。――アルもそう思うだろ?」

「思いません」


 アルフォンスは面倒くさそうな顔をした。酔ってもいないのに絡まないで欲しい。


「いやミリアにじゃなくて。ミリアだったら俺が困るわ。そうじゃなくて、こう、好きな子にさ、会いたいとか思うだろ?」

「そういう対象はいませんので」

「だよなー、アルだもんなー。あー、ミリアに会いたい。抱きしめてキスしていっぱい触って気持ちよくしてあげたい」

「下品ですよ」


 ジョセフは肩をすくめた。好きな子に触りたくなるのは当たり前ではないか。


 アルフォンスが言いたかったのは、思っても口には出すな、ということだったのだが。


「……そんなに会いたいなら会いに行けばいいじゃないですか」

「学園内を探し回るわけにいかないだろ。部屋に戻ってたら会えないし。時間が読めないから約束もできない」

「図書館にいます」

「え?」

「ミリア嬢は放課後はいつも図書館で読書をしていますよ」


 昨日アルフォンスは、手伝わなくていい、と言ったが、約束がなくとも読書をしに行っているだろう。


「なんで知ってるんだよ!?」


 以前、ジョセフにはミリアのことを調べさせたと言ったはずだ。放課後の日課だって知っているに決まっている。


 そう言えばよかったのに、アルフォンスは違うことを口にしていた。


「この三日、ミリア嬢に会っていましたから」

「はぁ!? どういうことだよ! お前仕事してたんじゃねぇのかよ!」


 ジョセフが大声を出してアルフォンスにつかみかかったので、廊下にいた面々が何事かと二人に注目した。


「少し手伝って頂いただけです」

「手伝いだぁ? お前、何一人で抜け駆けしてんだよ!」

「抜け駆けって……」


 ジョセフがアルフォンスから手を放し、頭を抱えた。


「ずりぃだろ。俺だって一緒に鍛錬たんれんしたい。ミリアはあまり護衛連れて歩かないから、護身術やっといた方がいいと思うんだよな」


 うんうん、と自分でうなずくジョセフ。


「ミリアが訓練するならさ、こう、手取り足取り……」

「顔が気持ち悪いですよ」

「この前からひどくないか!?」

「それに、ミリア嬢は護身術は一通りやっています」

「まじ?」


 アルフォンスの言葉に、ジョセフは足を止めたが、すぐにアルフォンスの後を追いかけ、横から言いつのった。


「って言うか、何でアルはそんなにミリアに詳しいんだよ! お前、まさか、ミリアのこと……!」

「そんな訳ないでしょう。何度言えばわかるんですか。あなたたち二人がおかしいんです」


 アルフォンスは首を振って強く否定したものの、ふとあごに手を当てて考える。


「まあ、彼女の価値は認めますが……」

「ちょ、待て、ダメだぞ。ダメだからな! ミリアは俺の物だから。手出すなよ!」

「ミリア嬢はいつからジェフの物になったんですか。先日も同じ事を言ってましたね」

「本当にやめてくれよ? アルが本気出したらギルバート殿下より勝てる気がしないわ」


 ジョセフは再び両手で顔を覆った。


 その横で今度はアルフォンスが足を止める。


「……どうしてですか?」

「お前ら狙ったら容赦ようしゃしないだろ。外堀埋めて、逃げ場なくして、追いつめて。カリアード家がいくつ家潰してきたと思ってんだよ」


 ジョセフが振り返った。真剣な顔をしている。


「ミリアの気持ちなんてお構いなしにやるだろ。頼むから絶対好きになるなよ? ミリアのためにもならないからな。どうせならその手腕を俺のために発揮してくれ」

「何を馬鹿な事を。私にそんな自由はありません」

婚約者リリエント嬢がいるもんな」


 リリエントの名前が出て、アルフォンスは顔をしかめた。どんなに嫌でも、これは決定事項だ。


 浮かんだ婚約者の顔を振り払うように頭を振って、アルフォンスは足を踏み出した。


「おしゃべりはここまでです。急ぐのでこれで」

「ああ。また明日な。俺は図書館でミリアの顔見てから訓練場行くわ」


 ジョセフは、早足になったアルフォンスの背中にひらひらと手を振った。




「……って、ミリアいないじゃん! 嘘つきやがったな、あいつ」


 ミリアに会えるのを楽しみに図書館に行ったジョセフは、一人で憤慨ふんがいしていた。


 この時ミリアは血塗ちまみれドレスの対応で、自室にいたのである。

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