第57話 承認欲求は厄介です

 読み終えた本を本棚に戻して両手でぺちぺちと顔を叩き、何とか心を落ち着かせてテーブルに戻った。


 書類を整理しているアルフォンスの正面の席に、何食わぬ顔で座る。スカートをさばき、ふぅ、と小さく息を吐いて顔を上げた。


「……っ」


 ミリアはすばやく顔を伏せた。膝の上の手でぎゅっとスカートを握りしめる。


 だめだ。


 顔を見るとさっきの愉悦ゆえつの笑みがちらつく。


 ぎゅっと目をつぶってそれを追い出し、あれはまぼろし、あれは幻、と自分に言い聞かせる。


 そっと顔を上げた。


 よしよし、大丈夫。平気平気大丈夫。


「どうかしましたか?」

「なっ! ……んでもありません」


 アルフォンスが顔を上げ、目が合った瞬間、カッと顔が赤くなるのがわかった。再び顔を伏せて両手で頬を包む。とても熱い。


 さっき寝ぼけていた時の顔はミリアに向けられたものではない。婚約者リリエントに向けられたものだ。 


 何を他人が勝手にもだえているのか。


 あれは幻想あれは幻想あれは幻想幻想ったら幻想!


 ミリアは念仏のようにとなえ、いぶかしげに片眉を上げているアルフォンスに顔を向けた。どうしても口元が緩んでしまうので、逆にへらりと笑って見せた。


 顔は見ない。視線は首元へ。


 新人時代に教わった緊張したときのコツを思い出し、何度もお世話になってます、と先輩に感謝した。


 アルフォンスは何かを言おうとして口を開いたが、ミリアの様子には触れずに書類の束を差し出した。


「こちらをお願いします」

「はい」


 書類に取りかかれば集中できる。


 ――と思ったのだが、全然できなかった。


 気を抜くとすぐに視線が前方に向いてしまう。


 書類をり、ペンを握るアルフォンスの指は細くて長い。爪の形がきれいに整えられている。だが、剣を握ることもあり、男らしくごつごつしているのを、何度かエスコートしてもらったミリアは知っていた。


 この手で婚約者リリエントにどんな風に触るのだろうか。


 手を取り、そっと甲に口づける。背中に腕を回し、しっかりと抱きしめる。顔に手を当てて上を向かせ、優しく親指で頬をなでる。


 腰に回る腕。頬に沿わされた手。唇をなぞる指。


 ――嬉しそうに細められた目。


「ちょっと失礼しますっ!」


 ぼぉっとアルフォンスの手を見ていたミリアは、自分の妄想に悶絶もんぜつしそうになった。自爆だ。さっき顔に触られたのもあって、やたらリアルだった。


 明らかに様子のおかしいミリアに、アルフォンスは何も聞かなかった。トイレを我慢できなくなったとでも思っているのだろう。違うと言いたいが、今は何も言えない。


 ミリアは人気ひとけのない所に向かった。すぅはぁすぅはぁと深呼吸をして、心を落ち着かせようと努める。


 が、ちっとも収まらない。


 アルフォンスほんものを見たときには落ち着けたのに、妄想の方が影響力が大きいのはどうなのか。


 ドラマを観てきゃーきゃー言っていた同僚の気持ちがようやくわかった。それが誰に向いているかは関係ないのだ。確かに二次元においても、漫画や小説の中でイケメンは読者じぶんではない誰かに愛をささやいている。


 そういえば、愛妻家はモテると聞いたことがある。女は奥さんを大事にする男を見て、自分もそんな風に扱ってもらえるのだと無意識に思うらしい。


 ミリアもその気持ちはわかる。恋人を雑に扱っている男を見ればこういう奴は嫌だと思うし、優しくしているのを見れば、自分にもこんな彼氏がいればいいのにと思うものだ。


 とはいえ。


 他人ひとの婚約者で妄想してもだえるのはいかがなものか。人として終わっている。


 しかし、妄想は止まらない。

 エドワードの顔が浮かんだ。


 エドワードはイケメンである。しかも正真正銘の王子様である。体つきもしっかりしていて、当然身のこなしもスマートだ。


 キラキラと輝く金色の髪が映えるような赤いマントでも羽織り、きりっと真面目な顔を作れば、それはそれはかっこいいだろう。ミリアですら見とれるかもしれない。


 だがしかしエドワードなのである。中身がアレだ。毛並みのいいゴールデンレトリバーだと思っていたら、元気でちょっとおバカなポメラニアンだった、みたいな。


 上を向かされる所までは大人しくしていられても、近づいてきたら真顔で顔面を手で押しやってしまいそうだ。婚約者ローズには大変申し訳ないが……全く萌えない。


 どきどきしていた気持ちが一気に収まった。


 次に浮かぶのはジョセフだ。


 そっと顔に触れる少し硬い手。とろりと下がった目尻。赤く染まる目元。ぐっと腰を引き寄せる腕。ミリアの口に落とされた視線。


 ミリア、と耳元で甘くささやく声を想像して、背中がぞわぞわした。


 想像も何も、同じ状況を一度経験していたのだった。あのときのジョセフの体温や匂い、ては耳にかかった息の熱さまで思い出してしまい、せっかく冷めた熱がぶり返してくる。


 両手で顔を覆ってぐぅぅともだえた。


「ミリア嬢?」

「ひゃいっ!」


 突然後ろから声をかけられ、ミリアは体を震わせた。


 振り向いて顔を見るまでもない。アルフォンスだ。


「どうしました?」

「ど、どうもしません、よ?」


 驚いて再びどきどきは吹っ飛んだが、アルフォンスの顔を直視することはできず、目がさまよった。


「アルフォンス様、こそ、どうしたん、ですか?」

「私は本を取りに」


 アルフォンスの視線を追えば、旅行記が並んでいた。皇子おうじサマ案内用の情報収集だろうか。


「各地の地理、歴史、名産品までまとまっていて、書類の精査に便利なんです」


 なるほど。確かに。さすが目の付け所が違う。


 すると、アルフォンスが手を伸ばしながら一歩近づいてきた。ミリアはびくりとつい一歩下がってしまう。


「ミリア嬢、先ほど――」

「あああアルフォンス様、早く戻りましょう。ほらほら続きしないとっ」

「……いえ、私は本を」

「そ、そうでした。じゃ、私先に戻ってますねっ」


 さっき寝ぼけたアルフォンスにされたことは、もう思い出したくないし触れても欲しくなかった。



 結局、その日ミリアはアルフォンスの顔を見ることができず、書類の説明もしどろもどろだった。


 そして、昨日よりもさらに早く切り上げたアルフォンスは、最後に言った。


「明日は手伝ってもらわなくて結構です」





 あー……。


 ミリアは自室のソファにぐったりと座り込み、自己嫌悪におちいっていた。


 絶対変に思われた。アルフォンスのことを意識していると悟られたかもしれない。自分には婚約者がいるというのに何だこの女は、と思うだろう。しかも寝ぼけた行動で、である。


 調子に乗って変な妄想をしたことにも罪悪感を感じていた。他人ひとの婚約者で自分は何をやっているのか。ローズとリリエントには本当に申し訳ない。


 彼女ナシフリーのジョセフだけは、誰にも文句を言われることはないし、むしろ本人は喜ぶだろう。いつでもおいで、とばかりに両腕を広げそうですらある。


「はぁ……」

「どうしたんですか、お嬢様。ため息なんて珍しいですね」


 ため息が珍しいわけじゃない。いつもはこっそりいているだけだ。


 マーサがお茶を用意してくれた。たっぷりミルクを入れたミルクティーだ。ミリアの様子を気遣ったのか、いつもは夜は出してくれないクッキーも添えてくれた。


「ちょっとねー……」


 こくりとまろやかなミルクティーを飲み、再びため息をついた。


 ミリアが一番落ち込んでいるのは、今日の自分がてんで使い物にならなかったことだった。


 集中力は皆無で、概算するだけでも何度も計算し直し、項目を眺めても何ら頭に入ってこない。昨日の半分しか片づけられなかった。


 アルフォンスへの説明も回りくどく、簡潔に伝えることができなかった。だから聞き返されることが増えて、さらにまどろっこしい説明を重ねるはめになる。


 顔を見ずにアルフォンスが理解しているのかわからないまま話しているのも良くなかった。表情はとぼしくとも、うなずきや眉を寄せるようなちょっとした仕草で反応はうかがえていたのだ。


 そして最後には、明日は来なくていい宣言である。役立たずと判断されてしまった。声と同じで、物凄ものすごく冷たい目をしていたに違いない。


 ミリアは善意で手伝っていただけなのだから、効率が悪かろうが責任を感じる必要はないのだが、そんな風には思えなかった。手伝うと言った以上はちゃんとやりたかった。報酬ケーキの約束だってしたのだ。


 何より、アルフォンスの評価がショックだった。


 アルフォンスはミリアのことを認めてくれていたのだ。あきないはいやしいとされる貴族の世界で、それも貴族派のアルフォンスが、商人の娘ミリアの知識を必要としてくれた。


 学園では今まで誰も認めてくれなかった。以前ギルバートが、すごいね、と一言褒めてくれたことがあるが、ミリアの話を聞いてはくれても、何かをたずねてきたことはない。


 フォーレンに帰れば、知識や能力はあって当たり前のこととされる。そりゃそうだ。会長の娘であり、何年も側できたえられたのだから。元から持っている物もあった。


 褒められたい、認められたい、なんて思ったことはなかった。ミリアが家業を手伝うのは当たり前のことで、それこそ掃除や洗濯といった家事をするのと同じ感覚だ。得た利益は商会のもので、その一部が家計に入る。それに何の疑問も不満も感じなかった。


 だが、一度認められてしまえば、会社員時代のことを思い出してしまう。


 提案を通し、チームを率いてプロジェクトを進めていくやりがい。後輩を育て、彼らが名指しで別のチームへと巣立っていくときの誇り。


 淡々と生きて、生活費のためにと働いていたけれど、周りはミリアの動きを認めてくれていた。働けば給料は上がったし、任される仕事は大きくなり、経験を積めば昇進の声もかかった。評価はお金や信頼という形で表れていた。


 一方、今のミリアはどうだろうか。


 エドワードとジョセフは自分を望んでくれている。女として。


 エドワードは攻略情報を活用してとことん攻めたのだから当然だ。ミリアの魅力の有無は関係ない。個人としてのミリアである必要はなかった。元平民のヒロインでさえなくてもよかったのかもしれない。


 正しい選択肢を選び続けていれば、誰でも今のポジションに立てただろう。


 ジョセフの攻略情報は持っていないから、きっと彼はミリア自身に魅力を感じてくれている。


 だが、ミリアには自分のどこがいいのかわからない。顔は平凡、ボンキュッボンなわけでなく、おしゃれもしていない。女性らしい言動をしている自覚ももちろんない。


 元婚約者マリアンヌを含めた今までの女性とは毛色が違うからこそ、夢中になっているのではないか。


 誰かが言っていた悪口と同じだ。美食続きだとたまには粗食が食べたくなる。


 だからミリアはジョセフを受け入れることができない。長い時間を過ごして珍しさがなくなれば、ミリアに大した魅力がないことに気がつくだろう。そうすれば心はすぐに離れていくに違いない。そして新しい魅力的な女性に愛をささやき始めるのだ。


 だが、アルフォンスは、女としてのミリアではなく、ミリアが持っている物を認めてくれていた。誰にもない。ミリアが積み重ねてきた、ミリアだけの物だ。


 情報は金になる、とわかっていたのに、ミリア自身に価値があるとは考えていなかった。環境から自然に身につけてきたものであり、苦しく思ったことはなかったが、努力をしてきたことは確かだ。


 アルフォンスの信頼を取り戻したい。

 次はちゃんとできることを証明したい。




 なのに、それからまたミリアはアルフォンスにしばらく会えなくなる。

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