第53話 本当に助かりました side アルフォンス

「アルっ!」


 放課後、講義室を出て廊下を歩いていると、先ほどなぜか一目散に出て行ったジョセフが息急切いきせきって戻ってきた。


「頼む、助けがいる」

「嫌です」

「俺じゃなくて……ミリア嬢がだ」


 ジョセフは後半声を落とした。


 ローズとの茶会の話だとピンときた。


「とにかく来てくれ」


 ジョセフの焦った様子に注目が集まっている。場所を移した方がいいと、アルフォンスはジョセフに従った。


 ジョセフは空き室の一つに入って行った。扉を開ける前からわかったのは、王太子エドワードの側にいるものとして、アルフォンスもどの部屋が使われておらず、どのドアが施錠されていないのか把握しているからだ。


 誰もいない部屋は密談にはもってこいだ。おそらく他の生徒も、自分たちでこういう部屋を見つけてこっそり使っているだろう。


「ミリアが隣の部屋にいる」

「そうですか」


 ジョセフはアルフォンスの方に体を向けようとしないまま言った。


 アルフォンスは茶会の招待客リストを手に入れていた。心の底から嫌だったが、リリエントを頼ったのだ。


 これまでのリリエントの我がままに比べればごくごく小さな頼み事だというのに、リリエントはアルフォンスに大きな対価を求めた。今度買い物に同行しろ言われたのだ。


 リリエントが選んだドレスや宝飾品を買い与えるのは構わない。金ならある。


 ただ、その行為につき合わされるのがたまらなく嫌だった。普段は屋敷に商人を呼びつけており、自分から店に行くなんてという態度でいるくせに、ここぞとばかりに自分たちの仲の良さを見せつけようとべたべたべたべたしてくる。


 その状況で顔をしかめるわけにもいかず、無表情を貼りつけてひたすら時を過ぎるのを待つのは苦痛以外の何物でもなかった。


 が、全てはミリアのため、ひいてはスタイン商会のためである。大失敗をして貴族全体をいとわれては困るのだ。


 損な役回りだと思うが、学園でフォローできるのはアルフォンスしかいなかった。ローズの婚約者であるエドワードが動いてくれればいいのだが、エドワードを下手に刺激すると変な方向に走りかねない。


 苦労して――正確には今後苦労することになる――手に入れたそのリストをジョセフに渡せば活用してもらえるだろう。


「ちょっと待ってくれ、今落ち着くから」


 ジョセフは片手を顔に持っていき、背を向けたままもう片方の腕をアルフォンスへと伸ばし、アルフォンスを制するような仕草をした。


「今ミリアに顔を合わせられない」

「なぜです?」


 意味がわからない。


「さっき勢い余って抱きしめてキスしそうになった」

「は?」


 何を言っているのだこの男は。

 つい先日それで大事件を起こしたばかりではないか。誰も見ていないからいいという問題ではない。


「しそうになったということは……未遂ですね?」

「許可を求めたらミリア嬢に拒まれたから我慢した」

「……振られたばかりでよく聞けましたね」

「はっきり言うなよ」

「事実でしょう」

「だから余計にこたえるんだよ」


 アルフォンスが大きくため息をつくと、ジョセフがやっと体を向けた。


「仕方ないだろう!? 柔らかくていい匂いがして、顔を赤くしてあんな潤んだ目で見られたら、キスの一つや二つしたくなるだろうがっ!」

「知りませんよそんなこと……」


 アルフォンスも男であるからには、そういう欲求はある。だが、特定の女性に対して情欲を感じたことはなかった。ジョセフはなまじ経験があるだけに、先のことをリアルに想像してしまうのだろう。

 

 ここでアルフォンスはジョセフの言葉に矛盾があることに気がついた。


 柔らかかったというのはどういうことか。

 いい匂いがしたというのも。


 少なくともアルフォンスはミリアの香りを感じたことがない。香水をつけていないか、つけていてもほんの少しだろう。それでも匂いがしたということは、相当距離が近かったのではないか。


「……ミリア嬢に触れたのですか?」

「言っただろ。抱きしめたらキスをしたくなったって」


 何をしてくれているのか。


 アルフォンスはひたいに手をあてて下を向いた。


 抱きしめてキスをしそうになった、という言葉は、抱きしめそうになったし、キスをしそうになったという意味ではなかったのだ。キスは未遂でも、抱擁ほうようは違った。


 以前ミリアは嫌悪感はなかったと言っていたが、それにしたって婚約者でも恋人でもない男に無闇に触れられたら、嫌な気持ちは起こるだろう。衆人の前でなかったのはよくとも、二人きりの密室でされればそれはそれで嫌だと思われる。


 アルフォンスはジョセフをにらみつけた。


「待て待て、抱きしめることは合意の上だ。……たぶん」


 たぶん、というのはなんだ。


「嫌がってなかったら大丈夫だ。怒ってはいなかったと思う。むしろ受け入れてくれていた」

「妄想ですね」


 アルフォンスが言い切ると、ジョセフは、がーんとショックを受けていた。


「妄想……妄想だったのか? いや違う……はずだ。でも妄想……」


 ジョセフは口に手を当てて何やらぼそぼそと言っている。


 アルフォンスは再び大きなため息をついた。


「やってしまったことは仕方がありません。これから挽回ばんかいするんですね。――それで、用件は何ですか」


 茶会のことだとはわかっていたが、念のため聞いてみる。


「ミリア嬢がハロルド邸での茶会に招待されたらしい。どうしたらいいかわからないと言われた」


 アルフォンスの予想通りだった。


「それで?」

「これから茶会を開くから同席してくれ」


 なぜアルフォンスを同席させるのだ。絶好のチャンスではないか。せっかく頼られたのだから活用しない手はない。


「二人ですればいいでしょう」

「ミリア嬢が嫌がると思って」


 一度応じたのだから拒否するとは思えないが、噂が立つのを嫌がる可能性はある。


「殿下は呼ばないんですか」

恋敵こいがたきをわざわざ呼ぶわけないだろ」


 あとで知ったら大騒ぎをするだろう、と思った。なだめるのが面倒だ。かといって、この場にエドワードを呼ぶのはアルフォンスももったいないと思った。

 

「同席するのは構いませんが、二人きりでしたいとミリア嬢に言ってみたらどうですか」

「断られるのが怖い」

 

 抱きしめる許可は取れても、二人での茶会に誘うことはできないのか。キスの許可を求める方がよっぽどハードルが高いと思うのだが。


 恋する男の論理は理解できない。それともジョセフだけの思考パターンなのか。


「わかりました。では三人でやりましょう。準備はできているんですか?」

「もちろん。指示は出した。ケーキも手配している」


 ケーキが美味うまければ、たとえジョセフの行動でミリアの機嫌が悪くなっていても、少しは落ち着くだろう。


 幸いなことに、アルフォンスが隣室のミリアと会ってみれば、ミリアはいつも通りで機嫌が悪そうではなかった。


 これならば、二人でしたいと言っても応じるのではないか、と思われた。しかもジョセフはミリアを呼び捨てにする権利まで勝ち取っていた。ジェフと呼ばせてもいるらしい。


 ここまで親しくしておいて誘えないとは。ヘタレめ。


 ジョセフがアルフォンスのことも愛称で呼べばいいと馬鹿なことを言うと、ミリアはそれはそれは嫌そうな顔をした。アルフォンスも許す気はなかったが、そこまで嫌そうにしなくてもいいだろう、と思った。




 サロンの花の間に着くと、ジョセフがミリアを椅子に座らせた。そのときにジョセフがミリアの耳元で何かを言うと、ミリアは一瞬で顔を赤くした。


 そういう態度を取るからジョセフが調子に乗るのだ。好きになってくれるならばいい。だがその気がないならジョセフをあおるのはやめて欲しい。


 まずミリアにケーキを堪能してもらい、その後、服装や宝飾品のアドバイスをしたり、出席者の情報を伝えたりした。


 思った通りミリアは基本からしてわかっておらず、手土産は必要なのかだの、侍女を連れずに行くつもりだっただの、非常識な言葉を連発していた。


 助言の機会があってよかった。ハロルド邸に到着した瞬間から大きく減点されるところだった。


 アルフォンスが同席したのもよかった。


 ジョセフの助言はざっくりしすぎていたのだ。ミリアにいつも通りの話をすればいいなどと言っていた。ケーキの話ばかりしてどうする。


 宝飾品へのこだわりもやり過ぎだと言われた。


 二人の助言によって大きな失敗は避けられても、小さなミスを数多く重ねるに決まっている。少しでも加点要素がなければ印象はどん底ではないか。ローズやリリエントはともかく、すでに学園を卒業した初対面の令嬢たちには好印象を与えておきたい。


 出席者の装いを褒めるように、と言い、目利めききはできるかと聞くと、ミリアはアルフォンスとジョセフの身につけているものについて言及した。


 正直舌を巻いた。宝石の産出地だけでなく加工地まで言い当てるとは思わなかったのだ。持ち主ジョセフが把握しておらず確かめようがなかったが、言い切ったところを見ると、恐らく正しいのだろう。


 エドワードとジョセフのことを聞かれた時の想定問答も考えたが、友人のジョセフはともかく、エドワードは難しかった。これは当事者であるミリアに任せるしかない。


 何とかなりそうだ、というところまで話をして、後半は作法の指導に入った。首をかしげる角度まで徹底的に叩き込んだが、当日になればほぼ忘れているだろう。わずかでも残ればそれでいい。



 翌日、朝からミリアがうっかりジョセフの愛称を口走ってしまって周囲がざわつき、エドワードがへそを曲げるという事件が起こった。


 ミリアが自分で招いたことでアルフォンスにはどうしようもないが、ストレスにはなるのだろうと思うと、胃が痛くなりそうだった。


 昼食時に派閥の話になると、やはりミリアは気づいていなかったようで、うんざりとしていた。周囲の動きをそこまで敏感に感じとることはできないのだろう。ただでさえ貴族自分たちは持って回った言い方をする。


 最後はジョセフが得た特権をうらやんだエドワードが一人無様ぶざま空回からまわっていたが、それがミリアの気を緩ませたようなのはよかった。


 エドワードの気持ちはだだ漏れで、ミリアはかたくなに拒んでいた。砕けてもなお当たりにいくエドワードの根性には感心する。

 

 だがアルフォンスはジョセフ推しだ。エドワードになびかれては困る。エドワードが不憫ふびんではあるが、ミリアにはこのまま拒絶し続けてもらいたい。


 個室を出た後、アルフォンスは図書室に向かうのであろうミリアを呼び止め、ドレスは空色がいいと助言した。持っていなければせめて赤系と緑系を避けるように、とも。


 ミリアの相談に乗った時は、ジョセフがドレスの色は明るければいい、としか言っていなかった。だが、ミリアはローズが茶会で赤系のドレスを着るのを常としているのは知らないだろうし、リリエントと色が似るのもよくないと思ったのだ。


 リリエントのドレスの色を聞き出すのは困難と思われたので、非常にしゃくだったが、アルフォンスは茶会の前日にエメラルドのネックレスを贈ることにした。


 自己顕示欲の高いリリエントのことだ、アルフォンスの瞳の色と同じ宝飾品を贈れば、絶対に茶会につけて行くだろう。であれば、ドレスは緑系を選ぶはずだ。




 その日の放課後、またも大事件が起こった。ミリアが踏み台から落ち、その上に本棚が倒れ込んできたのだ。


 たまたまミリアに歩み寄っていたアルフォンスが間一髪で助けたものの、自分がいなければ、そして少しでもタイミングがずれていたら、大怪我どころで済まなかったかもしれない。


 それもミリアの不注意ではなく、図書館側の責任で、だ。


 このことをスタイン男爵が知ったらどうなるか。考えるだけでも恐ろしい。


 かといって、男爵に黙っているという選択肢もなかった。隠したことが露呈すれば何もかもが終わりだ。

 

 ならば、正直に伝えるしかない。


 騒ぎになればミリアの負担が増すため、ミリアの関わりはなかったものと処理するのが最善だ。


 その上で図書館側に責任を取らせる。運良く先日ミリアの指摘で不正が発覚した。それも使って厳しい処罰を与え、それをもって男爵に納得してもらうのだ。


 これは伯爵令息アルフォンスだけの力だけではできない。かといって、王太子エドワードに報告すれば怒り狂って何を言い出すかわからない。


 だからアルフォンスは第一王子ギルバートに相談することにした。


 ギルバートは体調不良が続いているようだったが、よく自分に報告してくれた、と言った。アルフォンスの考えにも、ミリアのためだから、と賛同した。


 驚いたミリアが雨の中図書館から走り去ってしまっていたので、ミリアが風邪を引かないように世話をすることと、今日は部屋から出さないようにすることを使用人に厳命した。


 これはミリアの勘気に触れるだろうが、猶予が必要だった。この一晩でミリアがここにいた事実を完全に消し去り、一通りのことを片づけなくてはならない。時間との勝負だった。

 

 

 アルフォンスはその勝負に勝ち、男爵をなだめることには成功したのだが、ミリアが風邪を引いて寝込んでしまった。


 エドワードが王族専属の侍医を派遣するというとんでもないことをやらかした件は、ギルバートが収めてくれた。


 心配なのはわかる。しかしアルフォンスだって優秀な医者を手配したのだ。侍医が看たと聞けばミリアは頭を抱えるだろう。


 どいつもこいつもミリアに負担をかけやがって、と怒りが湧いてくる。


 なんとかミリアが快適に過ごせるようにとアルフォンスが気を使っているというのに、それ以上の事件を起こされてはどうしようもないではないか。


 卒業まであとわずかなのだから、そのくらい大人しくしていて欲しい。

 

 だが、そう思っていたアルフォンス自身の行動が、さらなる事件を引き起こす。

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