第52話 やる気がなかっただけです side アルフォンス

 ジョセフがミリアに謝罪した翌日には、ジョセフとマリアンヌの婚約解消のニュースが公知の事実となっていた。


 表向きの理由は、ジョセフの女遊びに耐えかねたマリアンヌの意を汲んだ、ということになっている。だが誰も信じていなかった。

 

 その証拠に、ミリアがジョセフの婚約者になるのではないかという憶測が飛び交い、ミリアと交流を持っておいた方がいいのではないかという動きが出てきた。


 ジョセフと婚姻を結べばミリアはユーフェン伯爵夫人となる。その身分だけでなく、王太子エドワードの最も近い位置にいるジョセフの妻ともなれば、貴族社会での影響力は大きい。

 

 逆に、ジョセフにはふさわしくないと見る者や、自分こそが婚約者になるのだと意気込んでいる者、エドワードと親しいことを以前から苦々しく思っている者もいて、ミリアを中心とした派閥ができあがりつつあった。


 これまたミリアの負担になるだろうと思われたが、ミリアの態度に変化はなかった。ただただ周囲の視線と休み時間の度に構いに行くエドワードを鬱陶うっとうしがっていた。恐らくまだ周囲の動きに気づいていないのだ。


 アルフォンスは、ミリアがジョセフと婚姻を結ぶのは案外いいのではないかと思い始めた。


 伯爵夫人は王妃と比べれば断然楽だ。茶会やパーティの主催ができるのか等、社交界に関することに不安はあるものの、優秀な執事がいれば何とかなるだろう。


 ジョセフが騎士の仕事にかかりきりになるため、領地の経営には夫人の力が不可欠なのだが、商会の仕事に慣れているミリアなら、その辺の令嬢――例えばマリアンヌ――よりもよっぽど上手くやりそうに思った。もしできなくともこれも優秀な補佐がいればいいだけのことだ。


 アルフォンスから見ても、ジョセフが本気でミリアのことが好きなのだとわかった。今までの女遊びとは明らかに違っている。


 茶会の招待をアルフォンスに託したのも根拠の一つだった。直接断られるのを恐れたのだ。これまでであれば、当たって砕けたとしても構わなかっただろう。


 ジョセフは女性の扱いにけていて、ミリアとの相性も悪くない。


 何よりミリアは愛されているのだ。幸せになれるに違いない。婚約解消までしたのだから、ジョセフが本気であることはミリアにも伝わっているはずだ。

 

 そう考えると、ジョセフの求婚を断る理由はないように思える。ユーフェン家なら一代男爵家の娘でも受け入れるだろう。さすがにジョセフも勝手に告白はしないだろうから、すでに伯爵の了承も得ているはずだ。


 正式な申し込みはスタイン男爵にうかがいを立てなければならないが、すでにこれだけ親しいのだから、先にミリアの意思を確認するのは間違いではない。


 絶対に本人には言わないが、ジョセフはいい男だ。結婚するのに何の問題があるだろうか。


 それに、ミリアがユーフェン伯爵夫人となれば、スタイン商会を王国に留めておけるのではないかと考えた。

 

 なぜミリアは断ったのか。

 その理由が知りたかった。




 放課後、アルフォンスはさっそくミリアのいる図書館に向かった。


 以前から何度か見かけていたが、図書館でミリアと会話をするのはこれで二回目だ。


 前回は読書をしているミリアを目の前の席で観察することになってしまった。まさか気がついていないとは思わなかったのだ。本人の知らない間に、くるくる変わる表情を面白がって堪能たんのうしてしまった。紳士らしからぬ行為だったと反省している。


 今日もミリアは読書に没頭していて、アルフォンスが正面の席に座ったことに気づいている様子はなかった。邪魔をするほどの用事でもないため、そのまま待つことにした。残りのページはだいぶあるが、ミリアは読むのが速い。すぐに終わるだろう。


 観察するつもりはなかったので、適当に本を選んで読んでいた。離着席を繰り返しても全く気づかれなかった。


 進み具合を見てそろそろかと本を片づけて正面に座れば、ミリアが涙を流し始めた。極力顔を見ないようにしていたのだが、ぐずぐずと嗚咽おえつを漏らされるとどうしても気になってしまう。

 

 演劇を見て泣くのと同じで、どこかが痛いわけでも何かがつらいわけでもないとわかっていても、目の前で令嬢が泣いていると心穏やかではいられない。


 席を移ろうかとも考えたが、物語は佳境だろう。万々が一集中を途切れさせてしまうと申し訳ないと思い、結局最後までその席にいた。


 読み終わり、ぱたりと本を閉じて満足そうな顔をしたミリアは、握りしめていたハンカチで目元をぬぐうと、ふと目を上げてアルフォンスを見、小さな悲鳴を上げた。


 嫌な顔をされたので、きっとまた観察していたと思われていると思った。早く退散した方がいいと判断し、さっさと用件をすませることにした。


「ジェフの交際の申し込みを断ったと聞きました」

「そうですが、何か?」

「なぜですか」

「ジョセフ様のことが好きではないからです。私が断ってはいけませんか」

「いや、そういう訳では……」


 想定外の言葉だった。ギルバートのときも同じ答えを返してきたのだから予測してしかるべきだったのに、家同士の利益を第一に考えてしまうアルフォンスは想定できていなかった。


 好きではないというのが理由ならば、ミリアがジョセフに恋愛感情をいだけばいいのではないか。


 アルフォンスは、ジョセフの長所と結婚した場合の利点を述べた。ミリアも知っていることばかりだったが、改めて聞けば気持ちが変わるかもしれない。


 口に出してみれば――これまた本人には絶対に言わないが――やはりジョセフは条件のいい男だった。求婚されて断る意味がわからない。

 

 しかし再度聞いてみても、ミリアは好きではないからと言った。マリアンヌとの婚約解消のことを指摘しても同じだった。

 

 ジョセフと恋人になればエドワードが諦めると思っているのか、と言われ、そういう利点もあるのか、と思った。いいことづくめではないか。

 

 今はこれ以上言っても無駄だと思い、エドワードとの婚姻の可能性について聞いてみた。以前も聞いたが、この所のエドワードのアプローチによって気持ちが変わっているかもしれないからだ。


 答えは、断るとのことだった。断固たる意思を感じる声だった。アルフォンスの問いにかぶせてくるほどだ。今後もそれは変わらないとまで断言した。


 ジョセフとのことはわからないと言っていた。まだ余地はありそうだ。ジョセフに協力しようと思った。


 だが何をすればいいのだろう。

 

 ミリアに邪魔をしたことを詫びて、アルフォンスは考え込みながらその場を後にした。




 翌日、ローズが昼にミリアをハロルド邸の茶会に招待したことをリリエントを通して知った。これから侯爵家からの正式な招待状が届くという。


 タイミング、欠席を許さない正式な招待状、そしてリリエントが意地の悪い笑みを浮かべていたことからして、エドワードとジョセフのことでミリアをつるし上げるのが目的なのだろう。

 

 ローズが軽はずみなことをするとは思えないが、ミリア正妃説も出ており、ハロルド家としても黙ってはいられないという事情があるのかもしれない。立場の差をはっきりと周囲に知らしめなければならないのだろう。


 ジョセフが婚約を破棄したばかりというのもあるだろう。王家と伯爵家では婚約の重さが異なり、それこそくつがえることはないのだが、あり得ないことをもしかしたらと噂するのが楽しいのだ。


 アルフォンスは頭を抱えた。


 ミリアは一度も茶会に行ったことがないはずだ。というか、エドワードの学園での茶会以外経験がないのではないだろうか。


 ミリアは多少の暴言にはへこたれないだろうが、無知からとんでもない失敗をやらかす可能性がある。


 服装やマナーなど、周りに助言をしてくれる人物はいるのだろうか。ギルバートに相談するのならいいが、最近体調が思わしくないと聞いている。学園に来ていないかもしれない。


 助言を求められればすぐにこたえられるよう、アルフォンスは放課後に図書館に行くことにした。



 アルフォンスの方に用事があるわけではなく、ミリアが何も言ってこないのならばやることがない。


 なので、片づけるべき仕事を持っていくことにした。昨年の図書館の改修工事の費用計上額が想定より多く、調べてみろと父親に言われたのだ。


 費用報告書や収支計算書に不審な点がある場合、原因は数値誤りであることが多い。単に計算が誤っていることも、故意に誤った数値が書き込まれていることもある。


 受理する側がきちんと確かめなければならないのだが、人手が足りず、このように後々になってからさかのぼって調べることが往々にしてあった。

 

 書類を抱えて閲覧場所へ向かえば、ちょうどミリアが席に着いたところだった。

 

 正面の席に黙って座る。遠回しに別の席を薦められ、何も目の前でなくてもよかったかとアルフォンスも思ったが、移る気は起きなかった。どうしても嫌ならミリアが席を立つだろう。


 アルフォンスが書類を広げると、ミリアは諦めたように本を開いた。読み始めればすぐに本の世界に没頭し、アルフォンスのことを気にするそぶりは全く見せなかった。


 しばらくしてミリアは本を読み終えたが、アルフォンスは黙って仕事を続けていた。相談には乗るが、自分から言い出すつもりはない。


「アルフォンス様、これ、間違ってますよ」


 顔を上げれば、ミリアは書類の一枚を指差していた。


のぞき見ですか」

「すみません……」


 このように第三者に見られることを想定し、父親からは項目と数値だけ書き写させたものを渡されていて、図書館ここの改修工事についての書類だとはわからないようになっている。


 言われた書類を見れば、概算だけで誤りが判明した。


「確かに……誤っていますね。――こちらはどうですか?」


 本を持って立ち上がったミリアを引き止めるように、別の書類を手渡した。どう反応するのかを確かめたかった。


 ミリアの目が何度か書類を往復する。


「合ってそうですけど……ペンがないと正確な数が出せません」


 やはり早い。試験の成績がいいだけはある。商会の仕事で計算に慣れているのだ。


 何より初めから概算に絞ったのがいい。これも慣れなのだろう。数字を確かめろと言われると大抵は細かく計算したくなるものだ。


 全ての書類の数値を精算するのは現実的ではない。正しくなさそうだと思われる書類を弾けるかどうかが重要だった。


 これ以上見る気がないとばかりに書類を突き返されたので、黙って受け取った。アルフォンスもこれ以上やらせるつもりはなかった。

 

 ミリアは後ろを向き、二、三歩足を進めたところで、思い出したようにくるりと向き直った。


「相場よりだいぶ高い石を使っているようですね。スタイン商会うちならたぶんもっと安くできますよ」


 それだけ言うと、ミリアは去って行った。

 

 次の巻を持って戻ってくるのだろうが、アルフォンスはミリアの相談に乗るという当初の目的を忘れ、慌ただしくその場を後にした。

 

 計算ばかりに目を取られ、単価そのものには着目していなかった。


 ミリア・スタインが相場よりもかなり高額だと言うのならそれは事実なのだ。石材の価格が一年で大きく変動するとは思えない。


 ならばそこに何かがある。


 

 これをきっかけに、アルフォンスは図書館改修工事の横領をあばくことになる。

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