第50話 だから好き(略)です side アルフォンス

 ギルバートに言われたように、ミリアの感情にも目を向け、たくらみなどないという意識で見てみれば、全く違う世界がそこにあった。目をらす必要などない。ミリアの顔に全て書いてあった。

 

 彼女は何も考えていなかった。


 エドワードの誘いを断るのは単に気が乗らないだけだし、素っ気ない態度をとるのは応対が面倒で、目立ちたくもないからだ。まれに招待に応じるのはケーキ目当てだということもわかった。


 礼儀を払わないのも、他の生徒と交流しないのも、その必要性を感じていないからだ。ミリアは自身を貴族だと思っていない。自覚がないのではなく、今の状態は一時的な仮のものだと認識している。貴族になどなりたくなかったとさえ思っていた。


 特権階級でいることよりも、しがらみやルールに縛られない自由を求めている。


 王族との婚姻を望むわけはなく、策をろうしてエドワードをたぶらかすような面倒なこともやりそうにない。


 あのミリアが、と笑っていたギルバートの気持ちがわかった。ミリアはただただマイペースに過ごしていて、邪推したアルフォンスが一人迷走していただけなのだ。


 スタイン商会によってもたらされている恩恵、というものを調べてみれば、これまたギルバートの言うとおりだった。アルフォンスの感覚でも少なくないと思っていたが、数値で出してみれば明確だった。


 スタイン商会は王国屈指とはいえ、規模や売り上げで及ばない商会は複数ある。しかし、成長率は圧倒的であり、事業による経済効果はトップの商会と遜色そんしょくがなかった。


 他国への進出も進んでいた。現地では別の商会として扱われている場合もあり、アルフォンスに全てを把握することはできなかったが、それでも、準備期間があれば他国へ出るのを非現実的と一蹴できないことは明らかだった。


 商会を排する動きとミリアの怒りを買う事態は潰す、というギルバートのげんから、ミリアに懐柔されているのではという疑惑がぬぐえなかったアルフォンスだが、スタイン商会を失えば国力を損なうのは事実であり、ギルバートの意見に賛同することとなった。


 そしてミリアの価値だが、これは微妙な所だった。


 ミリアの話題の大半は食べ物のこと、特に甘味かんみだ。


 それもほぼ王都で流行っている物か、季節物についてなのだが、それだけで流さずに突っ込んだことを問えば、流行になった要因の分析や、農作物の出来と出荷時期の予測など、商売人ならではの知見が出てくる。そしてそれはよく当たっていた。


 食べ物以外のことも聞けば出てくる。どう情報を得ているのか、国内各地の最近の経済の動向も把握しているようだった。

 

 試験の点数を出すという意味の学力だけでなく、情報を元に推測や考察をする知力もあることがわかった。


 根拠となる知識の蓄積も大したものだ。貴族が礼儀や教養を身につけることに費やしている時間と労力を、商売関連一点にそそぎ込めば、これだけの知見を身につけることができるのだろう、と思うだけの物はあった。


 だが、側近にしたい、と第一王子ギルバートに言わせる程とまでは思えなかった。

 

 そしてギルバートが最後に言った、女性としての魅力であるが……こればかりはどうしても理解できなかった。

 

 

 冬の休暇に入る前に、アルフォンスはミリアと二人で話す機会を得た。エドワードの茶会の際に、エドワードがジョセフと共に使用人に呼ばれて席を立ったのだ。


 アルフォンスは今思いついた、という振りをして、ギルバートとのことをミリアに聞いてみた。


「ギルバート殿下と交流があるそうですね」

 

 ミリアはあからさまにぎくりと肩を震わせた。


「……はい。たまに話します」


 ミリアは、アルフォンスにマナーを指摘された時と同じような、気まずい顔をしていた。

 

「ギルバート殿下のことをどう思いますか?」

「ギルのことですか?」

 

 アルフォンスに怒られるわけではないとわかって油断したのか、ミリアはギルバートの愛称を口にした。アルフォンスの眉間に深い谷が刻まれる。

 

「ぎ、ギルバート殿下は、頭が良くて、優しくて、素敵な王子様だと思います」

「……そういうことではなく。ミリア嬢がギルバート殿下に対して抱いている感情です」

「だから、素敵な人だと思ってますけど」

「好意を持っているのですか?」

「好きかってことですか? そうですね。好きです」


 何の構えもなく言ったミリアの言葉に、アルフォンスは眉をひそめたまま、話が違う、と思った。


 ギルバートはミリアが望んでいないと言っていた。アルフォンスも面倒事を避けようとするミリアの性質からそう予測していた。


 だが、ギルバートに好意を持っており、王族の妻という立場に付随する労力を上回るのであれば別だ。ミリアが望むならスタイン男爵も動くだろうし、ギルバート自身が妃として迎えると言っていた。


「ギルバート殿下と婚姻を結ぶ気があるのですか?」

「結婚ですか!? 私と? ギルが? それはないです。ありません。絶対ないです。ギルは王子様ですよ? 何で私がギルと?」

 

 動揺しすぎてギルバートの愛称を連発しているが、そのことは問わないことにした。ギルバートが許しているのだろうから、余所よそで言わないのであれば、と目をつぶる。


「ギルバート殿下が求婚してもですか?」

「ギルが私に結婚を求めることがまずあり得ないですよね」


 ミリアはギルバートがミリアを高く買っていることを知らないらしい。


「仮定の話です」

「…………それ仮定する意味あります?」


 アルフォンスが黙っていると、ミリアは、うーん、と悩み始めた。


万々々々まんまんまんまんいち、ギルにプロポーズされたとしたら――」

 

 ミリアはその光景を想像しようとしたのだろう、目線を上に持って行き、そして顔をしかめた。うまくイメージできなかったらしい。


「当然断りますよ」


 仮定の話とは言え、第一王子ギルバートからの求婚をここまであっさりと断ると言ってのけられたなら、少し前のアルフォンスは驚きに息を飲んでいただろうが、今はミリアならあり得るとわかっている。


「なぜですか」

「好きじゃないからです」

「好意を持っているのでは?」

「恋愛という意味での好きではありません」

「では、ミリア嬢にとってのギルバート殿下とは?」

「ギルは――大切な友達です」

 

 ミリアはにこりと笑った。


「これも仮の話ですが……もし殿下の妃にと言われたらどうします?」

「殿下って、エドワード様ですか? ローズ様がいるじゃないですか」

「ええ。なので側妃です」

「浮気する人は嫌です」


 側室を浮気とだんじられた。


「浮気、ですか」

「浮気じゃないですか。公認の。お世継ぎの為なのは理解できますが、私は嫌です」


 正妃にしろと言っているようにも聞こえるが、ミリアに限ってそれはないということをアルフォンスは学んだ。


「では正妃なら?」

「もっと嫌です」


 アルフォンスの予想通り、ミリアは顔をしかめた。正妃になどなりたくないという気持ちが前面に出ていて、エドワードをどう思っているかを聞くまでもなかった。


 これで、アルフォンスが抱き続けていたミリアへの疑念は晴れた。

 

 

 

 それから数日で冬の休暇に入った。


 入って早々、具体的には休暇二日目に、アルフォンスは婚約者のリリエント・ミールとミール侯爵家の馬車に乗っていた。


 向かいには父親のカリアード伯爵も座っていたのだが、リリエントは構わずに、アルフォンスの腕に手をかけて、アルフォンス様、アルフォンス様、とひっきりなしに話しかけてくる。


 ちらちらと父親を見ながら、まだ日取りも決まっていない婚礼の話をしようとしていた。アルフォンスはたかが儀式に興味はなかった。どうせ侯爵家が整えるのだから好きにすればいい。招待客リストだけ確認すればいいと考えていた。


 リリエントは宰相ミール侯爵の長女だ。爵位は兄が継ぐため、アルフォンスと婚姻を結べばカリアード伯爵夫人となる。

 

 侯爵令嬢らしく、ミリアと比較するのも馬鹿らしい程の淑女で、王妃教育こそ受けていないが、礼儀作法、教養、社交界での振る舞いなどをしっかりと身につけている。きつい顔立ちだが、間違いなく美人の部類に入る。

 

 カリアード伯爵家にはまたとない良縁であり、ミール侯爵家にとっても、家格が劣るとは言え、次期国王の側近になるアルフォンスに娘を嫁がせるのは益となる。

 

 例え、リリエントが傲慢ごうまんで自尊心の高い人物であっても、アルフォンスが個人的にリリエントをひどく嫌っていても、家のために婚姻を結ぶことに異議はなかった。貴族とはそういうものだからだ。

 

 アルフォンスは婚約者の義務として、リリエントと茶会や食事を共にし、花や宝飾品を贈ってきた。贈り物は全て侍従に任せているが、贈ったという事実があればよかった。

 

 ときおり言われる我が儘――買い物や遠出――にも極力つきあった。

 

 だが、今回は度が過ぎていた。

 

 学園での最後の長期休暇だ。あと半年もすれば卒業で、その後は十七の成人を前に父親の部下として文官になる。その準備も兼ねて政務の手伝いをすることになっていた。

 

 要するに予定がみっちりと詰まっていたのである。

 

 にも関わらず、リリエントは領地に帰るのを見送れと迫り、アルフォンスが多忙を理由に断ると、ミール侯爵を通して圧力をかけてきた。

 

 そこまでされればアルフォンスは断ることができない。結果、落としどころとして、領までは送るが日帰りする、ということになった。

 

 見るに見かねた父親が同行してくれることになったのは本当に助かった。


 リリエントは毎度、侍女もつけずにアルフォンスと二人きりで馬車に乗る。そして、向かい合って座ればいいものを隣に座り、必要以上に体を密着させてくる。


 体を押しつけられるのも、強すぎる香水の匂いも、甘ったるい声も、アルフォンスの神経を逆なでするのだ。ミリエンまでの長時間その状態なのはアルフォンスにもこたえただろう。


 父親がいれば少なくとも密着はされず、頻繁に休憩を取って無理に日帰りを阻止することもないだろう。


 リリエントは婚約者アルフォンスを自身のステータスの一つと見ていた。無茶を言うのは婚約者の優しさと仲の良さを誇示したいがためだし、何かとアルフォンスを誘惑するのは婚約者を夢中にさせる自分を作り上げたいからだ。


 前者はともかく後者は無駄な努力だ。


 リリエントは魅力的な容姿をしているが、感情が先に立って全くその気が起こらない。さすがに子作りはできるだろうが、それ以外で自分から触れることはないだろうと思った。


 ミール家本邸で茶会をし、帰りの馬車に乗り込んだ時には王都に着くのは日をまたぐ頃だろうと思われる時間になっていた。


「疲れているな」

「ええ。父上がいてくれて助かりました」


 何度も何度も何度もしつこく引き止められた。婚約者が滞在したという実績が欲しいのだろう。アルフォンスは一刻でも早く出ていきたかったくらいで、たとえ多忙でなかったとしても残るはずはなかった。


 個室に引っ張り込まれ、リリエントが抱きついてきたことには辟易へきえきした。色仕掛けが効くわけもないというのに。


「政務を休ませてしまい申し訳ありません」

明日あすからこき使うからな」

「わかっています」


 体の力を抜いて座席の背にもたれた。どこぞの男爵令嬢とは違い、礼儀に反しない範囲でだ。幼い頃から言葉通り体に叩き込まれている。


 手袋をはずし、明日からのことを思った。馬車の中は沈黙に支配されているが、父子共に口数の多い方ではない。


 行程の半ば、フォーレンと王都を結ぶ街道に出てしばらく進んだ頃、馬車の前方にいた護衛が、スタイン男爵家の馬車が向かってきていると告げた。あちらの護衛に聞いたところ、男爵本人が乗っているらしい。


 アルフォンスたちとは逆の方向、つまりフォーレンに向かっているのだから、どこからかの帰りなのだろう。


 すると父親は、スタイン男爵と話がしたいと言い出した。商談なら男爵を王都に呼べばいいだけのことだ。街道で話すほど火急の用事があるとは思えなかったから、互いに多忙の身であるから、ここで話してしまおうということなのだろうか。

 

 男爵が馬車までやってくると、父親は二人で話したいからとアルフォンスを馬車から追い出した。男爵が待つ間自分の馬車に乗ればいいと言ってくれたので、甘えることにした。


 アルフォンスは男爵と顔を会わせるのは始めてだったのだが、その趣味の悪さに内心驚いていた。ジャケットには金色の刺繍がこれでもかと入っていて、指にはめた大きなルビーの指輪のデザインも最悪だ。全身が華美を通り越してうるさいだけだった。


 娘のミリアが簡素な服装をしているため、父親もそうだと勝手に想像していたのだが、目の肥えた人物とは思えない程にひどいセンスだった。絵に描いたような成金趣味だ。


 外見だけ見ればその功績やギルバートの話から受ける印象とは大きく異なっており、これは貴族に嫌われても仕方がないと思えた。自分たちの世界に迎えるには、少々奇抜すぎる。

 

「失礼します」

 

 男爵の見た目とは不釣り合いな、簡素ではあるが品のいい馬車の扉を開けてみれば、男爵と負けないほど趣味の悪い装いをした若い女性が目を丸くしていて、その隣には貧しい服装をした少年が座っていた。

 

 礼儀として声はかけたものの、同乗者がいると思っていなかったアルフォンスは驚いたのだが、その女性が口を開いたことにより、さらに驚かされることになる。

 

「アルフォンス、さま……?」


 ミリア・スタインの声だった。


 厚い化粧を落とし、大きな宝石がごてごてとついた宝飾品を外し、簡素なドレスに着替えたなら、アルフォンスの知っているミリア像になるな、と思った。


 髪と目の色で一目瞭然いちもくりょうぜんだというのに、二日前まで毎日顔を合わせていたアルフォンスでさえ見間違えてしまう程の変わりようだ。香水の香りがしないことだけが王都でのミリアと同じだった。

 

 ミリアの趣味とは思えない。だとすると男爵の趣味か。それともスタイン家の使用人の腕が悪すぎるのか。

 

 アルフォンスは不快感が顔に出るのを止めることができなかった。ポーカーフェイスには自信があるが、これは度が過ぎている。

 

 ミリアを見ていると不快感が増すため、アルフォンスは違うことを考えることにした。

 

 ミリアの隣に座っている少年は、身なりと状況からして孤児だと推察した。おそらくヨートルの孤児院から引き取られた所だ。

 

 不安そうな顔をしているのは、住み慣れた孤児院を出て新しい生活を迎えるからだろう、スタイン親子の外見にも原因があると思われた。これほどまでに趣味の悪い人物に引き取られるのはさぞかし不安だろう。


 思考がまたミリアの服装に戻って来て、アルフォンスは我慢ができずにたずねてしまった。

 

「ところで、ミリア嬢は外ではいつもそういう服装なのですか?」


 思ったよりも硬質な声が出た。


「い、いえ、いつもという訳ではありません。今日は、特別です」

「そうですか」

 

 ミリアの慌てた様子を見て、アルフォンスは少し安堵あんどした。やはりミリアの趣味ではなかったのだ。

 

 それから先は、ミリアを見ないようにして、居心地の悪い馬車で父親と男爵の話が終わるのをじっと耐えた。

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