第38話 利用されました

 起きたら夕方だった。とっくに講義が終わっている時間だ。丸一日休んだのは初めてだった。


 のそりと起き上がり、サイドテーブルにある水差しからコップに水を注いだ。手に力が入らなくてコップを取り落としそうになる。のどが痛くて飲み込むのがつらかったが、体が水分を欲していた。


「マーサ……」


 マーサを呼んだが、かすれた声しか出なかった。水差しの横に呼び鈴が置いてあったので、仕方なくちりんと振った。飲食店でもないのに人をベルで呼びつけるのは何となく嫌だ。


「起きましたか? 具合はどうです?」

「少しよくなった」

「それは良かったです」


 寝汗をかいているからと、マーサが寝間着パジャマを替えるのを手伝ってくれた。いつから寝間着を着ていたのだろう。そういえば朝にはもう寝間着だったような気がする。


「またお薬を飲んで下さい。スープを持ってきますね」


 マーサが部屋を出ていくとき、扉の向こうのリビングに花がたくさん飾られているのが見えた。エドワードが毎日くれる花にしては多すぎる。


「マーサ、リビングの花は何?」


 スープを飲みながらマーサに聞いた。


「お友達からのお見舞いですよ。みなさん優しいですね」

「お友達……」


 ミリアが、今日から友達だよ、と言い合ったのはジョセフだけである。ミリアの片思いかもしれない友達は、ギルバート、エドワード、アルフォンスの三人だ。花は四人分でさえなかったように見えた。エドワードがどっさり贈ってきたのでなければ。


「誰がくれたのかわかる?」

「カードとお手紙を持ってきますね」


 戻ってきたマーサの手には、一束ひとたばのカードがあった。明らかにからだけのものではない。カードの他に四通の手紙がミリアに手渡された。


 カードの差出人は、学園内の生徒がずらり。令嬢は先日挨拶された人ばかりだが、令息は名前しか知らない人ばかりだった。ローズとリリエントのカードもあった。マリアンヌのはない。


「マーサ、これリスト作っておいて。あとお礼のカードもお願い」

「わかりました」


 手紙は、ミリアが友達だと思っている四人からだった。


 エドワード王太子殿下からは、多大なるご心配と、侍医がただの風邪だと言っていたから大丈夫、との得意げなお言葉を頂いた。とてもありがたいのだが……勘弁してほしい。


 ジョセフからは、心配の言葉と、エドまで医者をやったと言うから自分が手配するのはやめた、とあった。ありがたい。この気遣いは本当にありがたい。


 ギルバートからは、いたわりの言葉と、心労が溜まっているせいもあるだろうからしっかり休むように、とあった。図書室に来ていなかったから心配していた、とも。ミリアのことを気にしてくれていたのが嬉しかった。


 アルフォンスからは、お大事に、の一言だけだった。どれだけミリアが失礼なことをしようとも、自分は貴族としてやるべきことをやる、と言わんばかりだ。早くお礼の手紙を書かなくてはならない。


「マーサ、レターセットを用意してくれない? 手紙の返事を書きたいの」

「いけません。早くお薬を飲んで休んで下さい。みなさんもお嬢様が無理するのを望んでいません」

「アルフォンス様にお礼だけでも」

「お気遣いなく、と伝言がありました」

「社交辞令を真に受けてないで、お願い」

「いけません」


 マーサはかたくなだった。


「マーサ……」

「旦那様がいいようにやって下さいますから。任せると言ったのはお嬢様でしょう? 早く治して直接言いに行けばいいでしょう」

「……そうね。わかった。」


 マーサを説得しているうちに具合が悪くなってきて、仕方なくミリアは諦めた。苦い薬を飲んで横になると、またすぐに眠ってしまった。




 結局二日休んで、体調が戻ったのは倒れてから三日後の朝、ローズとのお茶会の当日だった。


 わざわざ講義が始まる前の朝早くに医者が来てくれて、もう大丈夫と太鼓判たいこばんをもらった。ちなみにスタイン家が手配した医者である。


 医者が治ったと言うのなら講義に出席しなくてはならない。どうせなら今日いっぱい休んでいたかった。そうすればお茶会も欠席できたのに、と丈夫な自分を恨めしく思った。


 朝の支度をマーサに手伝ってもらい、ミリアは部屋を出た。マーサは王都の屋敷に戻ると言うので、お礼を言った。あとでお菓子を届けさせよう。心配させたみんなの分も。


「ミリア嬢!」


 寮を出れば、どこから情報を得たのか、エドワードが待っていた。


「おはようございます、エドワード様。お見舞いのお花とお手紙ありがとうございました。ちゃんとお返事ができなくてごめんなさい」

「そんなことはいい。体はもう大丈夫なのか?」

「はい。おかげさまで」

「よかった」


 エドワードがほっと息を吐いてから、行こう、とミリアをうながした。


 歩き始めれば、エドワードを囲んでいた令嬢たちが、口々に心配していたと声をかけた。ミリアは一人一人に丁寧に礼を述べながら、記憶した花の贈り主リストと照らし合わせていった。


 リストに載っている令嬢もいない令嬢もいた。よくよく見れば、花をくれた令嬢はミリアに好意的な目をしている。つまり彼女らは、ミリア派かコウモリ派……とにかくミリアと仲良くすべきと判断したということだ。そうではない令嬢たちのうち、話しかけてくるのが中立派、何も言ってこないのがアンチミリア派か。


 こんなに簡単に見分けがついてもいいのだろうかと思ったが、逆に見分けがつくことが大事なのだろう、と思い直した。スパイをするわけではないのだ。明確に立ち位置を表明しなければ派閥に入る意味がない。


 花を誰が贈ったかなど他人にはわからないと思うのだが、ミリアに取り入るのならばミリアにだけわかればいいし、やろうと思えば調べることもできる。例えば寮の前を見張らせて、誰の使用人が花を持ってきたかを確認すればいい。


 ミリアのことでそこまでやるだろうか、と思わなくもないが、商人だってやるときはやる。渦中かちゅうにいながら、いまいち自分の重要性を計りかねているミリアにはどちらかわからなかった。


 休んで頭がすっきりしたからだろうか、ミリアは上手く受け答えができていた。令嬢たちの様子を観察する余裕もある。後期に入ってから色々なことが一度に起こり、考えることがたくさんあって頭も疲れていたのだろう。風邪はつらかったが、お茶会の前に休めたのはよかったのかもしれない。


 図書館から逃げた後のことは何も知らなかったため、アルフォンスに会う前に知っておきたかった。噂好きの令嬢たちは格好の情報源だ。ミリアが水を向けるまでもなく、勝手に話してくれた。所々に挟まれた質問には曖昧あいまいな返答をした。


 曰く、図書館で本棚が倒れる事故があり、アルフォンスがその下敷きになりそうになった。詳しいことはわからないが、設備が老朽化しており、図書館側の落ち度らしい。アルフォンスは猛抗議したが、図書館側が謝罪するとそれを受け入れ、自分にも騒ぎを起こした責任があるとして逆に本を寄贈した。


「素晴らしいお方ですわ」

「あの冷たい瞳に見つめられたら素敵でしょうね」

「危うく大怪我をなさる所だったのに、寛容さもお持ちなのだわ」

「アルスォンス様にののしられたい……」


 約一名倒錯している令嬢がいるが、令嬢たちはアルフォンスの行動に感銘をうけているようだった。


 ミリアのことは一切話されなかった。本棚を倒したことも、逃げ出したことも。図書館にいたという事実さえ一言も出てこなかった。


 アルフォンスがミリアの罪を被ったのではなく、図書館に責任を押しつけたどころか、寄贈により美談にすり替わっていた。ミリアのことはなかったことにされていた。


 何という手腕だろうか。弱みを見せないという貴族の生き方の見本のようだ。だが、人として正しいとは思えない。ミリアはきちんと謝罪し償うつもりだったのに、いいように使われた、と思った。


 下手をしたらミリアは死んでいた。命の恩人とも言える。さらにミリアが寝込んでいる間に諸々もろもろを丸くおさめてくれた。ミリアは感謝すべきであり、利用されたことにいきどおる権利はない。だとしても、気持ちの上でのもやもやは消せなかった。

 

 ミリアが雨の中を駆けていたとき、少なくはない人に会った。生徒、使用人、護衛。顔は見えなくとも、髪の色で誰なのかは簡単に見当がつく。そんな多くの目撃情報を握りつぶすなんてことができるのだろうか。カリアード伯爵家の権力をもってすれば可能なのか。それとも王太子エドワードが動いたのか。


 その疑問は、令嬢たちによってすぐに明らかになった。


「同じ日に、ミリア様が子猫を保護されたのよね」

「雨の中、衰弱した子猫を抱えて走ったのでしょう? それでお風邪を召されたとお聞きしました」

「わたくしその時ちょうどミリア様とすれ違いましたの。全身濡れていて何事かと思いましたが、緊急事態でしたのね」

「自身を省みずに小さな命を救うなんて、素晴らしい行いですわ」


 なるほど。そういうことになっているのか。たまたま同じ日に起こった出来事であり、それを関連づける人はいないようだった。一言の謝罪もなく逃げ出したミリアは、子猫を救った心優しい令嬢となって賞賛されていた。


 令嬢たちの眼差まなざしが心に突き刺さる。自分はそれに値する人間ではない。


 間違いを正したかったが、そうするとアルフォンスの虚言が明るみになってしまう。ミリアは黙って曖昧あいまいな微笑みを浮かべるしかなかった。



 ミリアの心情は何であれ、一刻も早くアルフォンスにお礼と謝罪をするのが筋だった。だが衆人の前で言うわけにもいかず、そもそも令嬢の鉄壁の囲いの中にいては、一日中、声をかけることすらできなかった。


 しかし、当のアルフォンスがミリアと目を合わせるのさえ避けている様子だったので、例え妨害がなくとも、ミリアの言葉を聞いてくれる可能性は低かったかもしれない。

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