第33話 たかがキスです

 次の日、令嬢たちを引き連れてエドワードと校舎へ向かっていると、昨日悪態をついた令嬢がにこやかに挨拶あいさつしてきた。


「おはようございます、スタイン様。ローラ・セントと申します。気軽にローラと呼んで下さいませ」

「……おはようございます、ローラ様。どうそミリアとお呼び下さい」


 急に何事かと困惑したが、決まり文句を返した。


 するとそれを皮切りに、周りの令嬢たちが口々に自己紹介を始めた。生徒の顔と名前は頭に入っているので自己紹介の必要はないのだが、初めて話すのだから名を名乗るのは当然だ。ミリアは一人一人に返答するのが面倒になって、最後にまとめて返答した。


「おはようございます、みなさま。私のことはどうぞミリアと呼んで下さい」


 そこから世間話が始まった。天気の話と同じくらい無難な話題だった。いつの間にかエドワードと離され、集団は二つに分かれた。


 校舎が近づくにつれてミリアを囲む人数は増えて行った。なんなのこれ、と視線でエドワードに助けを求めるが、エドワードはエドワードで令嬢と話をしていてミリアを見ない。


 講義室につけば下級生はいなくなったが、代わりに同学年の令嬢に囲まれ、また自己紹介が始まった。転入生のような扱いだ。令息たちも話しかけてこそこないが、集団の外側に加わっていた。


 エドワードたち三人はミリアに近づくことができず、他の令嬢や令息たちと話をしていた。それを見て、これは妨害工作なのだと気がついた。三人とミリアを引き離す作戦だ。


 ミリアに良くない視線を向けてくるだけの生徒もいるので、全員で結託しているようではないらしい。ローズと親しい令嬢が多かったので、悪役令嬢ローズの指示なのかもしれない。


 エドワード達と接触がなくなるのはミリアとしても嬉しい。だが代償に他の生徒に囲まれるとなると話は別だ。ひっきりなしに次々と質問が浴びせられ、何かしら答えねばならなかった。どれもミリア個人に対する質問で、エドワード達との関係については何も聞かれない。


 昼休みは八人の令嬢につかまった。お弁当を用意してもらっているからと言うと、庭園についてきて、使用人に個室のメニューを運ばせていた。やりたい放題である。


 当然図書室になど行けず、昼休みが終わるまで庭園でつき合わされた。一睡もしていないので午後の講義中は眠くて仕方がなかった。


 エドワードとは朝の移動中に少し会話しただけ、ジョセフとは一言もしゃべらずに放課後を迎えた。エドワード手に口づけ事件直後の、ミリアが逃げまくっていた時期と同じ位だ。いや、急いでいますので、すら言っていないので、関わりはそれ以下だと言える。


 令嬢たちに放課後のお茶会にも誘われたが、全力で断った。しかし放課後も囲まれる恐れがあったので、講義終了と同時に脱兎だっとのごとく逃げ出した。エドワードはともかく令嬢たちには追いつかれまい。


 そう思って半分小走りで廊下を移動していたら、突然横からにゅっと出てきた手に腕をつかまれた。


「わっ」


 力任せに部屋の中へとひっぱり込まれる。怖くなってミリアは暴れた。


「いやっ!」

「ミリア、何もしないから落ち着いて」


 手を振り払おうとすると、降参するように両手を挙げたジョセフがそこにいて、一歩二歩とミリアから距離を置いていった。


「ジョセフ様……びっくりしました」

「ごめん。この部屋を抜ければ誰にも見つからずに外に出られるから。ほら、行って」

「あ、ありがとうございます!」


 そこは講義室の一つで、二つの廊下に挟まれた位置にあり、反対側の扉を抜ければもう一方の廊下に出られるのだった。そちらは裁縫さいほう室など、あまり使われない部屋が並んでいるので、滅多に人が通らない。


 ジョセフは助けてくれたのだ。どうやって最速のはずのミリアの先回りをしたのかは謎だが、こういう抜け道が他にもあるのかもしれない。


「口調、戻ってる」

「あっ! ありがとう、ジェフ」


 扉を開けてくれたジョセフに口調を指摘され、改めて礼を言う。後悔はしたが約束は約束だ。次は間違えないようにしなければ。


 ドアを通ろうとしたところで、大事なことに気がついた。ミリアは開けたまま待っているジョセフを振り返った。


「ジェフ、今時間ある?」

「あるけど?」

「ハロルド侯爵家のお茶会に招待されたんだけど、どうしたらいいか全然わかんないの」


 ギルバートには二日連続で会えず、誰にも相談できていなかった。ドレスや手土産など、用意する物があったら間に合わなくなってしまう。参加の返事はしてしまったのだ。準備は急がなければ。


 ミリアの言葉を受けてジョセフは扉を閉めた。


「ここで二人でいるのはよくない。エドをつかまえてくるから、ミリアは待ってて」


 二人でいるのはよくない――確かにその通りだった。男女で密室にいるところを誰かに見られたら大変だ。ジョセフの気遣いが嬉しかった。エドワードだとこうはいかない。


「――あ、でもその前に。ミリア、少しいい?」

「うん。何?」


 ジョセフは部屋を横切って入ってきた方の扉に手をかけたが、くるりと振り返ってミリアの前に戻ってきた。そして、そのままミリアに抱きついた。


「ちょ、ちょっと!」

「いいって言ったよね?」 

 

 うん、とは言った。が、ハグだとは聞いていない。


 前回のように逃げ出せないほどではないものの、それなりの強さで抱き締められた。


「好きだよ、ミリア」


 上から甘い声が降ってきて、背中がぞわぞわした。ジョセフの声は苦手だ。ミリアの心をかき乱す。


「ずっとこうしたかった……」


 ジョセフはかすれた声で言うと、ミリアの頭にキスをした。唇が触れたところに向かって腰から甘いしびれが走った。


 ミリアの鼓動こどうがどんどん速まっていく。耳をつけたジョセフの胸からも同じくらい速い音が聞こえてくる。ぴったりと体が密着していて、ジョセフの匂いがした。


 無理! これ無理!

 抱きしめられて、好きだって言われて、そんなことまで言われたら……!


 抵抗しなければいけないのに、腕に力が入らない。


「ミリア、好きだ」

「ひゃぁっ」


 耳元でささやかれて、変な声が出た。ジョセフの腕に力がこもる。


「キスしたい……」

「だめ……っ」


 切なげに言われ、声を絞り出すのがやっとだった。


 ミリアにとってはファーストキスだ。だが経験がないわけではないので、初めてだからとか、つき合ってもいないのだから、という抵抗感はあまりなかった。たかがキスだ。ちょっと口を合わせるだけ。


 だが、流されるわけにもいかない。将来がかかっている。今キスをしてしまったら、ジョセフルートが加速してしまう。


 ふわふわした頭でどうにか意思を保っていると、ジョセフがミリアのほほに手をあて、上を向かせた。


 どくん、とミリアの心臓が大きく跳ねる。


 ジョセフの目元は赤く、ミリアを見つめる瞳には熱がこもっていた。ミリアが欲しい、と目が訴えてくる。薄くいた口に視線が吸い寄せられた。


「どうしても?」


 眉を寄せ、つらそうに言われて、ミリアの心が揺らいだ。駄目に決まっているのに、拒否できない。ジョセフにこたえて口がひらきそうになる。


 しかし、ミリアは口をぎゅっと引き結ぶと、首を小さく横に振った。


「そうかぁ」


 ジョセフは残念そうにミリアを抱きしめ直した。かと思うと、すぐにぱっと離れた。


「これ以上は我慢できなくなる」


 そして、待ってて、と言うと、部屋を出て行った。


 重たい音を立てて扉が閉まった途端、ミリアはその場にへなへなと座り込んだ。


 両手で顔を挟むととても熱かった。


 危なかった。

 なんとか拒否の意は示したが、あのままジョセフが顔を近づけてきたら受け入れてしまったかもしれない。あの声と顔はずるい。思い出すだけで熱がぶり返しそうだった。


 イケメンの破壊力はミリアの想定以上だった。



*****


 

 ジョセフは、部屋を出てから、すぐにその場を離れた。ここにいるとミリアが見つかる可能性があるからだ。


「あ、ジョセフ様っ! ミリア様をお見かけしませんでしたか?」

「やあ、カナリア嬢に、レイナ嬢。ミリア嬢は見てないよ」

「そうでしたか。失礼します。」


 案の定、通りかかった伯爵令嬢と子爵令嬢はミリアを探していた。普段通りに笑顔で対応したつもりだが、伯爵令嬢は首をかしげていた。様子がおかしく見えたのだろう。それ以上突っ込んではこなかったが。


 ジョセフは他のき講義室に入った。一応王太子エドワードの護衛として、空き室や通り抜けできる場所は入学当初から押さえてあった。刺客が潜んでいて飛び出してくるかもしれないのと、襲撃者から逃亡するときに使えるからだ。エドワード本人とアルフォンスも知っている。


 入るやいなや、ジョセフは両手で顔を覆ってしゃがみこんだ。はぁぁぁ、と熱いため息が漏れる。


 危なかった。

 衝動で唇を奪ってしまうところだった。


 ガツガツいくと引かれそうで大人しくしていた所に、急に会話もままならなくなり、思いがけず二人きりになれた幸運に舞い上がってしまった。


 半分だますように許可を引き出してしまったことは卑怯ひきょうだったが、ミリアの体に触れられて幸せだった。もう同じ手を使えなくとも後悔はしていない。


 機会があればジョセフの気持ちを伝えようと決めていた。押しに弱いミリアは何度も繰り返していれば折れてくれるかもしれない。想いを寄せてくれる所までいかなくても、まずはミリアの恋人とくべつになって、側にいる権利と、他の男に嫉妬しっとできる権利が欲しかった。


 想いを伝えるだけのつもりだったのに、気がつけばミリアを抱き寄せていた。逃げ出そうと思えば逃げ出せたはずなのだが、ミリアは腕の中でじっとしていた。拒まれないことが嬉しくて、そしてつらかった。必死で理性をかき集めた。


 心臓がありえないほど高鳴っていた。ミリアにも聞こえているだろうか。それで少しでも気持ちが伝わればいいと思った。


 好きだと告げればミリアは明確に反応して、高く漏れた声がジョセフの情欲をかきたてた。

 

 ドレスの下のコルセットがうらめしい。ミリアの肩だけでなく、体の柔らかさを感じたかった。背中の手がさまよいそうになるのをぐっとこらえた。


 しかし、どうしても欲しくて我慢がかず、キスを強請ねだってしまった。ミリアは駄目だと言ったが、その声さえジョセフをあおった。ミリアのうなじや耳が真っ赤になっていて、ジョセフを意識してくれているのは明らかだった。


 ミリアの顔が見たくて、そっと上を向かせた。ジョセフを見上げる目は潤み、頬は上気していて、ほんのりあかを乗せたふっくらとした唇に目が釘付けになった。紅をなめとって唇の甘美な味を堪能たんのうし、口腔こうくう内を舌で蹂躙じゅうりんするところを想像した。


 ミリアが首を振ったことでなんとか思いとどまれたが、本当に危なかった。


 ミリアが嫌な素振りを見せたら即座に離れるつもりだったのに、ジョセフを押し返そうとも嫌だとも言わなかったのだ。そのまま受け入れてくれるのではないかと期待をしてしまった。


 ミリアは試しているのだ。今までのジョセフとは違うことを。これまでつき合ってきた女性のように安易に手を出したら、そこで何もかもが終わってしまうだろう。


 ミリアの信頼を裏切ることはできない。


 体の熱をやり過ごして、ジョセフはエドワードを探しに部屋を出た。

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