第13話 好きで着たんじゃないんですってば side エドワード

 ミリアへの本当の気持ちを自覚したのは、冬の休暇の間だった。


 各地の視察の合間に行事への参加や使節団の接待があり、書類仕事も尽きることがない。


 目が回るような忙しさの中、父親である宰相補佐の書類を持ってきたアルフォンスをしに休憩を取った。


 ティーカップに口をつけるなり、珍しくアルフォンスから口を開いた。


「休暇の二日目、ミリエンから王都に戻る途中でのことなのですが」

「ミリエン? ああ、リリエント嬢を領地まで送ったのだったか」


 ミリエンはミール侯爵邸のある街だ。


 アルフォンスは我儘わがまま傲慢ごうまんなリリエントのことを嫌っている。婚約者として最低限の義務はたしているが、わざわざ送ってやるような優しさは持っていない。


 一方、リリエントはアルフォンスのことを大層気に入っている。見目みめのいいアルフォンスをそばに置き、自分の物だと誇示するのが大好きだった。


 今回も、婚約者アルフォンスに送らせた、という事実が欲しかったのだろう。


 リリエントの父親、ミール侯爵は宰相。

 アルフォンスの父親、カリアード伯爵は宰相補佐。


 侯爵と伯爵。上司と部下。


 かわいい娘の頼み事に、侯爵が圧力をかけたのだ。


「二、三日滞在してくればよかっただろう」

「父上も一緒だったので」


 貴族の領地の屋敷に行くのであれば、よっぽど近くでなければ宿泊するのが普通だ。ましてや婚約者の屋敷、休暇であれば何日いてもおかしくない。


 王都からミリエンまで馬車で数刻。

 往復できない距離ではないが、宿泊しない方が不自然だった。


 そこをアルフォンスは日帰りしてくるのだから、どれだけリリエントを嫌っているのかよくわかるというものだ。


 宰相はその日も王宮にいた。恐らくカリアード伯爵の方は招待されなかったのだろう。リリエントがアルフォンスの父親を呼び出すとは思えない。


 大方おおかた自分でついて行ったのだ。多忙な父親を言い訳に息子アルフォンスがとんぼ返りできるように。


「引き留められなかったのか?」


 エドワードが笑みを含んだ声で言うと、わかっているでしょう、とアルフォンスがにらみ、話を続ける。


「その時に、スタイン男爵家の馬車と行き会いました」


 ミリアの家名にぴくりと反応するが、エドワードはそのまま黙っていた。


「男爵本人が乗っていると知った父上が、男爵と話がしたいと言って、馬車を停めさせました」

「商談か?」

「聞いていません」


 街道で馬車を停めてまでする話とはなんだろうか。

 直接話したいにしろ、宰相補佐であれば商会の会長くらい王都へ呼びつければいいのだ。


 何か急ぎの用だったのか。


「二人で話したいからと追い出されたので、男爵の馬車に乗せてもらったのですが……」


 そこでアルフォンスが言いよどんだ。


「まさか」

「……ミリア嬢が乗っていました」

「二日目だろう? ミリアは初日に帰ったのではなかったか?」


 初日に行って、最終日に戻って来ると言っていた。


「帰った翌日に男爵と出掛けていたようです。おそらく……ヨートルでしょう」


 ミリエンから王都まで戻る途中、フォーレンとヨートル、そして王都まで続く街道にぶつかる。アルフォンスはその街道を王都方面のヨートルへ、ミリアはヨートルからフォーレンへと向かっていた。


「いたのはミリアだけか?」


 狭い馬車に二人きりだったというのか。


 不機嫌な声を出すと、目をそらしたアルフォンスが、いえ、と否定した。

 

「ただ……」

「なんだ」

「ミリア嬢は、学園にいるときよりもよそおいが派手で……別人のようでした」 


 派手?

 ミリアが、派手?


 ミリアは学園では簡素なドレスを着ている。

 王都では町娘のような姿だった。


 そのミリアが派手なよそおいで会いに行く相手とは誰だ。


「それで?」


 先ほどよりもずっと不機嫌な声が出た。


 相手の名前を聞き出すつもりだったのに、アルフォンスは、それだけです、と言って執務室を出て行ってしまった。


 その日、エドワードはずっとイライラしていた。


 商会関連の用事だったのかもしれない。

 服装に深い意味はなかったのかもしれない。


 だとしても、エドワードの知らない姿のミリアが、エドワードの知らないうちに、エドワードの知らない所で、エドワードの知らない誰かと会っていることに、どうしようもなく焦燥しょうそうを感じた。


 アルフォンスにさえ苛立いらだちを覚えた。


 自分にだけ懐いていると思っていた野良猫が、他の人間にすり寄っていたのを見た気分、なんて軽いものではなかった。



 休暇中のミリアに会うことはできない。

 エドワードは多忙だ。とてもフォーレンに行く余裕はない。会いに来て欲しいと言ったところで来てはくれないだろう。


 ミリアは卒業したらフォーレンに帰ると言っていた。


 馬車で数刻の距離。馬を駆ればもっと速い。

 王国の大きさからすれば近いといえるが、気軽に行ける距離ではない。


 あと半年でミリアに会えなくなる。

 毎日見ていた笑顔が見られなくなる。


 想像するだけで胸が苦しくなった。


 それに……卒業後に成人を迎えれば、婚姻が結べる。婚約者がいるとは聞いていないが、いつかはミリアも誰かの元へととつぐだろう。


 相手を決めるのは男爵だろうか。

 貴族か。平民か。商会関係者か。


 婚約者は本当にいないのか。

 求婚の申し出はまだ来ていないか。


 ミリアに……想い人はいるのだろうか。


 そう考えるだけで頭がおかしくなりそうだった。


 ミリアを女性として好きなのだ、と自覚した。


 会いたい。

 今すぐミリアに会いに行きたい。

 

 こうしている間に婚約の話が進んでいたら。

 今この瞬間にミリアが誰かと恋に落ちたら。


 悪い方へ悪い方へと思考が加速し、あせりは増すばかりだった。


 しかし、政務を放り出すことはできなかった。

 王太子らしくあろうとするエドワードを認めてくれたのが、他ならぬミリアだったからだ。




 待ちに待った休暇明け。


 エドワードは、講義室で独り教本に向かうミリアを見て、ようやく会えたという嬉しさとともに安堵あんどした。いつも通りのミリアだ。


 久しぶりに顔を会わせる生徒達が口々に休暇中の様子を話しており、エドワードに挨拶あいさつにくる生徒も多い。


 それらが落ち着く午後にでも声をかけようと思っていると、突然ローズがミリアに話しかけた。


 何を言うのかと耳をそばだてた。


 ミリアを取り巻く噂が悪くなってきているのは知っていた。エドワードが近づきすぎているのだ。ローズも何度かミリアに注意していたと聞いている。


 作り笑顔で立ち上がったミリアは、フォーレンでの様子を話し始めた。単に休暇中のことを聞かれただけのようだ。


 途中、ローズがまゆひそめたが、大方おおかたミリアが店番をしたとでも言ったのだろう。ローズの内心を想像し、くくっと笑いが漏れた。


「殿下?」


 エドワードを取り巻く令息達が怪訝けげんな顔をした。


「少し考え事をしていた」


 続けろ、と話をうながす。


 父親の有能さを訴える子爵令息の話を半分聞き流していると、ミリアの口からヨートルの名が出た。


 アルフォンスと遭遇した時だ。


 ぱっと横を見るが、アルフォンスはローズ達の会話を聞いていなかった。


 ミリアがアルフォンスとのことをどう話すのかが気になる。エドワードの意識が全て持っていかれた。


 しかし、アルフォンス様が、とその名を出したのはリリエント。当のミリアは口を開くこともなかった。


 みなの関心がリリエントに移ったとみるや、ミリアはすっと笑みを消し椅子に向き直った。


 アルフォンスとの遭遇などミリアにとっては些事さじなのだろう。


 エドワードも視線を目の前の子爵令息に戻した。


 が、直後にミリアが悲鳴のような声を上げる。


「ジョセフ様!?」


 ばっと視線を向けると、すぐそばにいたはずのジョセフが、なぜかミリアの肩に腕を回していた。


「いきなり何するんですか」


 ミリアはジョセフの行動に驚き、離れようと抵抗している。


「何をしているのだ」


 エドワードが声を上げても、気安い笑みを浮かべるジョセフは、平民流の挨拶だと言ってミリアから離れようとしない。


 ミリアは抵抗してはいるが、迷惑そうなだけで本気で嫌がってはいなかった。体に腕を回され、素肌の首に触れられているというのにだ。ジョセフにはそれを許すのか。


「エドもしたらいい」

「い、いいのか?」

「だめです」


 自分にも許してくれるのだろうか、と考えたエドワードは思わず提案に乗りそうになり、即座にミリアに拒否された。


「じゃあ、ハグ?」

「えっ?」


 ジョセフがミリアをくるりと自分の方へ向けさせ、両手をその背中に回そうとしたとき、拒否されたショックで固まっていたエドワードは咄嗟とっさに動けなかった。


 止めたのはアルフォンスだ。


「いい加減にしてください。ミリア嬢が困っているでしょう」

「え、そうなの? ごめん、ミリア嬢」


 飛び退いたジョセフをミリアがにらみつける。


「もうしないでください」

「えー」


 えー、ではない! 二度とするな!


 ミリアがひとにらみで済ませたことに、エドワードがイライラしていると、ローズが前へと一歩進み出て、ミリアを責め始めた。


 悪いのはジョセフだ。なのにミリアを責めるのは、ジョセフが伯爵令息でミリアが男爵令嬢だから……ではない。侯爵令嬢であるローズなら、ジョセフをたしなめることができる。


 ひとえにこれまでのミリアの行動によるものなのだろう。それですらエドワードが一方的に構っているのであって、ミリアに非はないのだが。


 自分のせいだと胸が痛む。


 加害者のジョセフの方は悪びれた様子もなく、エドワードの肩に腕を回してきた。


 この男はこういう奴だ。女性への態度も軽い。

 その延長で少し悪ふざけをしたのだろう。

 

 だが、物事には限度がある。


 ミリアに触れたことは許せなかった。


 殴りそうになるのを、ぎりっと奥歯をみしめ、何でもない振りをよそおう。


 ここでエドワードが行動を起こしたら、ミリアの立場がより悪くなるだろう。


 こぶしを握りしめて怒りを抑えていると、教師が入ってきて騒動は終わった。


 ミリアだって元平民だ。このようなことには慣れているに違いない。だから平然としている。ジョセフが相手だからではなく、誰に対してでも同じ反応をするのだろう。


 それがエドワードだったとしても。


 無理矢理自分を納得させ、自分の定位置の席へと足を向ける直前――


 ジョセフがミリアに何かを言い、ミリアの顔が真っ赤になったのを見た。


 かっと頭に血がのぼった。


 何を言われたのか、講義が始まってからもしばらく、ミリアは耳を押さえたまま顔を赤くしてうつむいていた。


 ジョセフにその気がないのはわかっている。

 ミリアの方もジョセフに好意を寄せていることはないだろう。


 だが、それが今後も続く保証はないのだ。他の令息も例外ではない。


 ミリアが欲しい。


 王太子としての立場と婚約者の存在はそれを許さない。


 しかし、卒業するまでの間だけなら、ミリアと想いを通じ合わせることが許されるのではないだろうか。


 エドワードはその浅はかな考えに飛びついた。

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