第12話 正直どっちでもいいです side エドワード
夏の休暇を終え最終学年になってからすぐ、
話を聞いていたミリアが、突然、しっ、と口の前に人差し指を立てた。
口をつぐみ、何事かと思っていると、耳を澄ませたミリアが後ろを振り返る。
「鳴き声がします。見てきますね」
「ミリア嬢!」
言うなりミリアは立ち上がると、すぐそこですから、と木の間を駆けていった。
「行ってくる」
その後を追ったのはジョセフ。学園の敷地内に危険はないが、念のためだ。
すぐにジョセフと連れ立って戻ってきたミリアは、ドレスの上半身を泥で汚していた。
「何があった!?」
「この子が……」
驚いて走り寄ると、ミリアが腕に抱いていた毛玉を見せた。小さな子猫のようだ。親に捨てられたかして倒れているところを、鳥に襲われていたらしい。
「誰か呼んでくる」
「わたしが」
ジョセフが人を呼びに行こうとすると、アルフォンスがその役を引き受けた。アルフォンスは動物が苦手なのだ。
「怪我はないか?」
「たぶん。汚れてはいますけど、血は出ていないようなので」
ミリアは子猫の体を
「猫ではなく、ミリア嬢なのだが……」
「私ですか? 平気です。ジョセフ様が守ってくれました」
「鳥を蹴ろうとしたんだ。びっくりだよ」
そう言うジョセフの腕にも、鳥を追い払ったのか、泥が少し付着していた。
「泥だらけではないか」
「服なんか洗えばいいんですよ」
ミリアが猫をなでながら言った。
「ミリア嬢は優しいな」
「そうですか? 鳥のご飯取っちゃいましたけど」
「そういう見方もできるが……」
ミリアが鳥の食事を見なくてすんでよかった、とエドワードは思った。
「エドワード様、この子、保護してもいいでしょうか?」
「なぜ私に聞く?」
「寮って、ペット飼っても大丈夫ですか?」
「
ペットを飼っていいかどうかは知らなかった。
「エドワード様」
ミリアがエドワードの顔をじっと見上げてきた。
「あの、この子、すごく小さいし、弱っていて、保護しても、ちゃんと生きられるかわからないんですけど……」
ミリアは言いづらそうに視線を
エドワードに助けを求めているのだ。
貴重なミリアの頼みごとだ。
断るわけがない。
「手配しよう」
「本当ですか! ありがとうございます!」
ミリアがふわっと笑った。
自分から何かをしてやるのもよかったが、頼られるのも悪くないものだ、と思った。
お礼に何かしたいと言われ、エドワードが提案したのは二人きりでの茶会だった。
そんなことでいいんですか、とミリアは不思議そうにしていたが、こんなことでもなければ絶対に受けてくれないだろう。
初めは子猫の様子を話していたミリアだったが、小さい頃に弟が猫を拾ってきた、という話をきっかけに、話題は兄弟のことに移った。
「エドワード様は、ギル……ギルバート様との仲はいいんですか?」
「兄上と? どうだろうな。悪くないと思うが、ミリア嬢の基準からすればいいとは言えないな。普段お会いすることがない」
「会いもしないんですか? 学園にいるのに?」
ミリアが目を丸くした。
学園にいる、というミリアの言葉に、エドワードも少し驚く。
ギルバートは生徒の前にほとんど姿を現さない。最終学年に在籍しており、ほぼ毎日来ているのは周知の事実なのだが、それを意識している生徒がどれほどいるだろうか。
「講義に来られなければお会いすることはないな」
「王宮でも?」
「部屋から出て来られないから。公務でお会いすることはあるが」
信じられない、とミリアは言うが、エドワードはそういうものだと思っている。母親が違うし、離れて育った。遊んでもらった記憶はほとんどない。乳母兄弟のジョセフの方がよっぽど兄弟らしかった。
「ギルバート様のこと、あまり好きじゃないんですか?」
「好きか嫌いかと言われれば……好き、だな」
好き嫌いで考えたことはなかったが、嫌う理由はなかった。ギルバートに嫌な思いをさせられたことはない。
「ギルバート様のこと、どう思っているんですか?」
「兄上のことは……尊敬している。聡明で、思慮深く、どの分野においても専門家に比類する見識をお持ちだ。常に冷静で言葉を荒げたことがない。王都からほとんど出られたことはないが、視察に行ったことのある私よりもずっと各地のことに詳しい。父上は――」
しゃべりすぎか、と思ったが、ミリアはエドワードを見つめたまま、静かに聞いていた。
「――父上は私を王太子に指名したが、私は、兄上を差し置いて自分が王太子であることが、正しいことと思えない」
弱音だった。
王族が、それも臣下である貴族の娘にこぼしていいものではない。
「ギルバート様は体が弱いんだから、エドワード様がなるしかないじゃないですか。王様には王宮の外でやる仕事もありますよね」
「政務なら、他の者に任せればいいではないか……」
体が弱いからと言って王になれないわけではない。自分で動かなくても、代わりに誰かが動けばいいのだ。
「私は第二王子で、側室の子だ。生まれも素質も、兄上の方がよっぽど
そんなことはない、と言って欲しかった。
健康なエドワードの方がいいに決まっている、と。
だが、ミリアはその言葉をくれなかった。
「正直、私はどっちでもいいです」
肩をすくめたミリアに、エドワードは言葉を失った。
七年以上、独り悩み続けていたのだ。
自分よりも何もかもが優れている兄。
年齢は同じなのに、どれ一つとして
ギルバートが王太子になるのだと、王位を継ぐのだと、幼いころからずっと思ってきた。自分はその横に立ち、ギルバートを支えていくのだと。
なのに九歳でギルバートが体調を崩して
政務も、期待も、尊敬も、
わけがわからなかった。
今までエドワードを
部屋と護衛が入れ替わった。
王に指名され正式に王太子となってからも、常に比較され、陰でギルバートに劣ると言われてきた。
それでも、王太子に
それを、どちらでもいいなどと――。
絶句したエドワードに、貴族の人たちのことは知りませんが、とミリアは続けた。
「平民は、誰が王太子様で、誰が王様になろうがどうでもいいんですよ。大事なのは、それがどんな王で、何をしてくれる人かってことです」
「だからそれが――」
ギルバートの方がいいのではないか、と。
「別にいいんじゃないですか、エドワード様でも。そうやって悩んでる分、ちゃんと努力してるじゃないですか」
エドワードは息をのんだ。
「エドワード様は剣術も得意ですし、会議に出たり、視察に行ったり、ギルバート様がやれない仕事をやってますよね。それでもギルバート様が理想の王太子様だと思うなら、今まで通り、近づけるように頑張ってればいいんですよ」
今まで通り、頑張れば。
「だ、だが、努力するだけじゃ――」
「それをしない人がどれだけいると思ってるんですか? 世襲制って最悪ですよね。できなくてもなれちゃうんですから」
ミリアは顔を一度しかめた。
「大丈夫ですよ、エドワード様にはジョセフ様もアルフォンス様も、ギルバート様もいるんですから」
「兄上、も?」
「そうです。ギル……ギルバート様だって、エドワード様の補佐ができるように頑張ってるんです。外に出られない分、中でできることを増やそうとしてます。優秀なお兄さんがいてラッキーじゃないですか」
「……そう、なのだろうか」
「はい!」
ギルバートがエドワードのために努力しているだなんて、考えたこともなかった。
かつてのエドワードがそうであったように、ギルバートも自分を支えようと思ってくれているのだろうか。
ミリアが自信満々に断言したので、エドワードはそれが本当のことのように思えてきた。
「それに、エドワード様は王様になりたいんですよね? ギルバート様が要らないって言ったんだから、もらっておけばいいんですよ」
「王位を物のように言うな」
くすくすとミリアが笑ったので、エドワードもつられて笑った。
ミリアは自分の努力を認めてくれた。
王太子がエドワードでもいいと言ってくれた。
ギルバートより
「エドワード様ならいい王様になれると思います」
最後にそう言われ、泣きそうになった。
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