第8話 本に囲まれているのが好きです

 怒りに任せて呆気あっけに取られている生徒達を突破し、ミリアは図書室へと向かった。建物の外には大きな図書館もあるが、本を探すのが目的ではない。


 ずんずんといさましく廊下を進み、階段を上がって行く。


 校舎の隅にある目的地に着いたときには息を切らしていた。


 乱暴に扉を開くと、古い本独特の匂いがして、少し気持ちが落ち着く。


 本を日光から守るためにカーテンが閉め切られており、室内は薄暗い。明るい廊下にいたミリアには暗すぎたが、奥から漏れるランプの光を目指し、並んだ本棚の間を進んだ。


 一番奥のテーブルでランプに照らされていたのは、金の髪をぱつんと肩口でそろえた少年。


 その姿を見て、ミリアは体の力を抜いた。


「ギぃルぅぅ」

「久しぶりだね、ミリア。どうしたの? 戻ってくるの大変だった?」


 少年が頭を傾けると、さらりと髪が揺れた。


「昨日の移動も大変だったけど、さっきひどい目にあって」

「ひどい目? 大丈夫? 怪我したの?」

「殿下が……」

「エドが?」


 心配して立ち上がろうとする少年を手で制し、向かいの席に座って、カフェテリアでの出来事を話した。


「……ごめんね。代わりに謝るよ」

「ギルが謝ることじゃない」


 エドワード王太子を愛称で呼ぶこの少年は、ローレンツ王国の第一王子、ギルバート・ローレンツである。つまりエドワードの兄で、本来なら王太子となっているはずの人だ。


 少し痩せていて、肌は透けるようなほど白い。その目はエドワードと同じ緑色だった。


 病弱で王としての政務にはとても耐えられないため、正室の子で第一王子なのにも関わらず、王太子の座をエドワードに明け渡していた。


 学園には在籍しているが、あまり講義には出てこない。王宮で休んでいるか、学園のベッドにいるか、この図書室にいることが多い。


 その第一王子に対してミリアが気安く接しているのは、しばらくその正体を知らなかったからである。


 本好きなミリアが昼休みに図書室に通うようになったのがきっかけで、何度か顔を合わせるうちに話をするようになった。


 身なりから高貴な人物であることは察していたが、やたら気安く接してきてミリアにもそれを求めたため、入学したてで貴族とのつきあいに辟易へきえきしていたのもあって、その言葉に甘えた。


 愛称しか聞かされていなかったミリアは後に本名を知って驚愕きょうがくし、事実を突き合わせれば気づいてしかるべきだった、と自分の迂闊うかつさにあきれた。

 二人の他に利用者がいないのも、ギルバートに遠慮していたからだった。


 とはいえ、そこから突然他人行儀にするのも不自然で、ギルバートの強い希望もあり、今にいたる。


 エドワードの身内であることは気になるが、ミリアにとって、学園内でで接することのできる唯一の人物だった。とても手放すことはできない。


「ごめん、ギル、そろそろ……」

「うん。昼休みが終わる前に起こすよ」

 

 ひとしきり愚痴ぐちを聞いてもらって気の済んだミリアは、テーブルの上に行儀悪く突っ伏した。


 お腹が満たされた育ち盛りの十六歳である。眠くなるのは当然だ。せっかく昼休みが長いのだから、寝るしかないだろう。

 他の生徒が午後の講義を平然と受けていることの方がおかしいのである。貴族としての矜持きょうじがなせる技なのか。


 暗く静かな図書室は、昼寝をするに最適だった。


 人目のあるところではとてもできない行為だが、ギルバートがとがめることはない。時間を気にしながら静かにミリアを見守ってくれる。


 いびきをかかなければいいんだけど、と思いながら、ミリアは眠りに落ちた。




「ミリア、起きて。時間だよ」

「ん」


 ギルバートに優しく揺すられたミリアは、ゆっくりと体を起こした。


 肩にギルバートの上着が掛かっていた。エドワードよりも飾りが少ないが、一目で高級品だとわかる。普段着でこれだ。さすが王族。


 この国は常春とこはるで、冬でもほとんど気温は下がらない。さすがに夜は冷えるが、今は昼間だ。締め切られている図書室はひんやりしていていても、寒さを感じるほどではなかった。


 しかし、人肌に温められた上着は気持ちがよかった。それになんだか落ち着く匂いがする。


「上着、ありがとう」

「どういたしまして」

「でもギルの方が暖かくしてないと。体が弱いんだから」

「今日は調子がいいんだ」

 

 それならいいんだけど、とミリアが上着を広げると、ギルバートはスムーズにそでを通した。世話をされることに慣れているのだ。ミリアだとどうしてもぎこちなくなる。


「それじゃ、行くね」

「うん、また」

「またね」


 ギルバートに手を振り、ミリアは名残惜しく図書室を後にした。


 廊下を急ぎながら、自分からギルバートの上着の匂いがするような気がして、ふっと顔がゆるむ。


 午後は気持ちを落ち着けて過ごせそうだ。

 今度何の香水を使っているのか聞いてみよう。




 学園の放課後は、遅めのティータイムくらいにやってくる。


 午後の講義を終えたミリアは、誰にもつかまる前に講義室を飛び出した。


 途中で挟んだ休み時間、聞こえよがしに話されていたのはカフェテリアでのこと。あれだけ目撃者がいたのだ。とっくに学園中に広まっている。


 婚約者のいるエドワードにつきまとい横から奪おうとしている不届き者、くらいなら可愛いもので、中には弱みを握っているだとか、体でせまったなどという話も出ていた。


 今までも、エドワード達三人に馴れ馴れしすぎるだのつきまとっているだのと言われてきたが、ここまで悪し様に言われることはなかった。


 エドワードはミリアへの好意をああもはっきりと態度で示してはいなかったからだ。ふとした拍子に熱い視線を向けられたり、二人きりのときに優しく触れられたりはしたが、ここまで露骨ろこつではなかった。


 身の程知らずにも王太子妃の座をねらっているのだと言われ、ミリアは否定したい気持ちでいっぱいだった。王太子妃になりたいだなんて思っていない。その席にはこのままローズに収まってもらいたいのだ。


 だが、エドワードをたぶらかしたのだと言われると、否定できない自分がいる。好感度が上がる行動をとり続けていたのは事実だ。自覚はなかったが、攻略情報を知っていたからこそできた芸当で、まさにチートである。これを籠絡ろうらくしたと言わず何と言うのか。


 その中にあって、婚約者のローズは涼しい顔をしていた。


 平民上がりの男爵令嬢風情ふぜいが多少かき回したところで、王太子の婚約者としての地位は揺らがないと思っているのか。


 それともまさか、すでに婚約破棄後の対策をしていて、逆に思惑おもわく通りなんてことは……。


 ローズも転生者である可能性は考えていなかった。


 もしそうならミリアの状況は悪化する。


 悪役令嬢に転生したとして、婚約破棄を回避して王太子妃になりたいだなんて思うだろうか。できるだけ穏便おんびんに済ませ、その後の人生を楽しもうと思うに違いない。


 転生者であってもなくても、エドワードのことが好きで、婚約者であり続けたいと思ってくれているのであれば協力はしまない。ミリアがちょっと手伝えば、ローズなら絶対落とせる。


 なるべく早く確かめよう、とミリアは思った。エドワードが今後もこのような行動を取るとしたら、悠長ゆうちょうなことは言っていられない。引き返せないところまで行く前に手を打たなければ。


 できることなら明日にでも確認したいところだった。




 放課後、生徒達は思い思いに過ごす。


 部活動とまではいかないが、趣味にきょうじるグループがあって、刺繍ししゅうをしたり、定期的にお茶会を開いたり、ダンスの練習に剣術を初めとした武術の鍛錬たんれん、果ては馬術をする者までいる。自分の馬を持ち込んでいるのである。


 ミリアも一応馬には乗れるが、急ターンをしたり柵を飛び越えたりまではできない。荷馬車なら大人顔負けにあやつれるのだが。


 学園の外に出る者も多い。


 学園に在籍する間は基本的に寮生活だ。しかし、王都に別邸を構えている生徒はよくそこへ帰っている。学園は貴族街と距離があり、移動に時間はかかるものの、家の方が何かと居心地がいいのだろう。


 ミリアにも、一応は帰れる場所がある。


 が、帰ったところで仕事をさせられるのは目に見えている。家族が来たときならともかく、それ以外の時は学園に引きこもっていた。


 そんなミリアの放課後の過ごし方は、もっぱら図書館での読書だった。借りて部屋で読むより集中できる。単純に本に囲まれているのも好きだった。


 本当は図書室にいたいところだが、放課後は閉まってしまうので少し歩いて図書館に行く。


 国内屈指くっしの蔵書数を誇るその建物は、モダンな雰囲気に建て替えられた校舎とは違い、石造りでどっしりとしたおもむきだ。


 本棚に並べられている分だけでなく、書庫にはもっとたくさんの本が眠っているという。


 そんな施設が学園の生徒のためだけにあるわけはなく、問い合わせをして申請すれば、生徒でなくても本を借り出すことができる。貴族と少数の身分のしっかりした者に限るが。


 試験前には自習をする生徒で賑わうが、平時はミリアのような変わり者しかいない。

 たまに、学園外から蔵書を求めてやってくる研究者のような人も見かけた。面倒な手続きを踏めばここまで入って来られるらしい。


 ミリアが目指すのは、そういった高尚こうしょうな書物ではなく、娯楽小説が並ぶ書架だった。


 図書室と同様に薄暗く、ぽつりぽつりと壁にあるランプの光が頼りだが、迷いなくそこへとたどり着く。


 本は手書き故に高価で希少だ。

 フィンにねだって何冊か買ってもらっても、シリーズものをそろえるのは無理だった。


 それがここには全巻ある。新刊も入れてくれる。

 恋愛ものから冒険ものまでり取り見取りだ。


 この場所を見つけたときには、この学園に入学できたことを心の底から感謝した。貴族になんてなりたくはなかったが、これだけは良かったと言える。


 休暇をはさんで続きが気になっていたミリアは、お目当ての一冊を本棚から抜き出すと、足取り軽く閲覧スペースに向かった。


 本棚の間にも閲覧テーブルがあるが、光源はランプだけだ。時おり揺れる光の下で読むと目が疲れる。


 しかし、図書館の一辺にある閲覧スペースにはカーテンがなく、ガラス越しの日光の中で本を読むことができるのだ。テーブルの間には座れば視界が遮られるくらいの高さの衝立ついたてがあって、他の利用者の目が気にならない。


 試験前には真っ先に埋まる場所なのだが、今はぽつりぽつりと利用者がいるだけだった。


 ミリアはさっそくいているテーブルに着き、わくわくしながら本を開いた。

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