2‐5‐4 げろまみれ
ジークマリア=ギナイツの朝は早い。
「起きろ」
「ぅ~ん何時?」
「三時半」
「ぇ、寝過ぎた?」
「午前三時半だ」
「じゃあまだ寝る」
「たわけ」
AM 03:30 起床、
ジークマリアが借りていた小屋にて。
床に寝転がっていた閉人を包む毛布が引っぺがされた。
「うえぁ、寒ッ!」
床に縮こまる閉人を見下ろし、ジークマリアは全身の関節をごきりと鳴らした。
「おはよう」
「お、おはようございますっ」
「さて、今日から貴様を鍛えることになったわけだが、今回は貴様の根本の根本、萎びた根性を叩き直してやろう」
そう言ってジークマリアは寝間着を放り、鎧を着る前の薄手のシャツ姿になる。
短パンTシャツのようなもので、その程度では驚かなくなった閉人はずけずけと問う。
「寒くねぇのかよ」
「なぁに、すぐに暖かくなる」
ジークマリアの口元が歪んだ。
その鋭い瞼から覗くのは天性的サディストの眼差しであった。
やってきたのは大森林のはずれ、住居も何もないただの深い森である。
「こんなとこで何すんだよ。つーか、これ何?」
閉人はガチャガチャとなる自分の身体を示した。
閉人の身体にはジークマリアの鎧、魔道具『聖鎧シャイニング』が着せられていた。
「着心地はどうだ?」
「いや、汗クッサいんですけど」
閉人の答えにジークマリアは眉をしかめつつ視線を逸らした。
「その臭いはギナイツ家代々の当主が染み込ませた血と汗の結晶であり、決して私由来ではない」
「はっ、本当かよ。スンスン」
「吸うなたわけが」
「ごめんなさい」
ジークマリアは一つ咳ばらいをした。
「で、こんな森しかないところまで来て、何すんだよ」
「走る」
「どこを走るんだ、道が無いぞ?」
「無い。道なき森を走るのだ。ウルティモア殿には昨日のうちに許可をもらって来た(ビエロッチをパシリにした)から心おきなく走れ」
「えぇ……鎧を着たまま?」
「当たり前だろう」
「うえぇ」
「ついて来い」
ジークマリアは森のより深い方へと歩き出した。
速くも遅くもないゆったりとした歩調だが、閉人は物凄く嫌な予感がしてその後に追いすがる。
「待てって! うわ、森のなか暗すぎ……って待てよォッ!」
閉人は慌ててジークマリアを追い、森の中に飛び込んで行った。
AM 04:10 森の中
「うっ……ぐっ……おえぇぇぇぇッ! おぇっ、うっ……」
閉人はゲロを吐き散らしながら這いずり、それでもジークマリアの後を追う。
昨日のピザのガーリック臭が辺りに立ち込めていた。
「ふん、もうバテたか。鎧を汚したら鎧磨き三千回だからな」
つかず離れずの距離で監督しているジークマリアは息を吐いた。
「鎧は重く道は凹凸、まあ辛いだろう。鎧を着ての行軍は騎士科を卒業した新米騎士たちでも音を上げる。私は余裕だがな」
ジークマリアは得意げにほくそ笑む。
「テメェ! そんなキツイ訓練を俺にさせてんのか!?」
「当たり前だろう、死ぬほど鍛えねば私には勝てん。それに、三十分で音を上げるのは流石に軟弱すぎるぞ。本来は野営道具に武器、食料も携帯して一日半かけてやるものだからな」
「お、おえぇッ!」
話の凄まじさに閉人はまた嘔吐した。
「これも姫様の旅のため。数回は死ぬ腹を決めろ!」
ジークマリアは戦闘の天才だったが、スパルタ教育の才能はない。
「何にせよ、嘔吐ぐらいで見逃してやると思うなよ。私を見失ったら朝飯抜きだからな」
「ぐえぇぇ」
ジークマリアは早歩きで去っていく。
「ち、畜生がぁっ!」
閉人は胃液を吐き散らしながら這い、立ち上がり、やがて走り出した。
AM 05:00 ゴール
「はぁ、はぁ、うぇ……着いた、着いたぞぉ」
閉人は鬱蒼とした密森から彷徨い出た。
既に遠くで陽が昇っており、暖かな日差しが閉人を祝っているようだった。
「ふむ、来たか」
「もう逃がさねぇぞっ!」
閉人はジークマリアに追いついてブーツに飛び着いて腕でホールドした。
もう動かれてたまるかという意思表示であった。
「ゲロが付くから触るな。だが、よくやった」
ジークマリアは腰に提げていた水筒を閉人に手渡した。
「飲んでいいのか」
「何のために持ってきたと思っている?」
「……ひゃっはぁ水だァッ!」
閉人は水筒を逆さにして浴びるように飲んだ。
まるで初めて水を飲んだミイラのような喜び振りであった。
それを眺めるジークマリアもついつい笑顔になってしまう。
何故ならば。
「飲んだな? じゃあ、スタート地点まで往復する」
「……へ?」
「片道で終わりな訳無いだろう。自分の限界を越えられることを喜べ」
言うな否や、ジークマリアは森の中に戻って行った。
「この鬼! 人でなし! サディストがァッ!」
返事は無い。
「畜生ッッ!」
閉人は水を飲んでがぶがぶになった腹を抱えて再び地獄に飛び込むのだった。
AM 06:30 真ゴール
再び小屋に戻ってくる頃には、閉人はゲロと汗と涙に濡れたボロ雑巾になっていた。
「ジークマリア、コロす……」
ばたりと倒れ、ごぼごぼと胃液を吐いた。
「その意気だ。鎧はよく絞った布巾で丁寧に磨いておけ」
「はひぃ……」
閉人の精神は完全にジークマリアに屈服していた。
マギアス魔法王国の大地に経った瞬間から閉人はジークマリアに負け続けている(騎士将棋以外は)。
(アイツ、あれだけ動いて息一つ乱れないのかよ)
「あ、『
閉人は思う通りに動かない手足をどうにか魔術で変形させながら脱いでいく。
「ちくしょー、流石に俺のゲロだし鎧だけは洗って、やる、か……」
もつれる舌を回しながら閉人は立ち上がろうとしたが、
「ありゃ?」
変形したままの足がもつれ、閉人の視界が回転した。
「あらららら?」
地面にぶつかったと思ったら、そのまま意識が薄れていく。
(そうだよ俺、昨日四時間しか寝てないじゃん。もぅマヂ無理、寝ょ……)
閉人は心地よくないゲロ塗れの疲労に誘われ、眠りへと落ちていった。
†×†×†×†×†×†×†
前にもこんな事になった気がする。
ぼやけた思考で閉人は思い出す。
(ああ、あの時だ。『カンダタ』に呼ばれて……)
「おい君」
「はいっ!?」
知らない声に呼ばれ、閉人はビクリと起き上がった。
「急ごう、君の眠りは浅い。私の可愛い後継が起こしに来るかもしれないしな」
「……?」
目を擦って辺りを見回すと、閉人は見覚えのない屋外にいた。
一言で言い表すなら『焼け野原』。
草木が焼けただだっ広い平野に閉人はぽつんと立っていた。
「ほら、こっちだよ、こっち」
振り返ると、そこには真っ白いテーブルとイスがある。
テーブルの上に並んだティーセットには熱々の紅茶が注がれている。
「不死者くん、君と会っておきたかったのだ」
イスには初老の紳士が腰掛けていた。
イルーダンの副官イヴィルカインを思い出す年恰好だが、あの男と比べると物腰柔らかで親しみやすい雰囲気を纏っている。
ただ、片眼鏡を眼窩にはめ込んた目はまるでジークマリアのように涼しく鋭い光を放っていた。
「えっと、アンタは?」
「私はだな、君がゲロまみれにした『聖鎧シャイニング』の精霊だ」
「げ」
まただ、と閉人は思った。
温泉街ナザーンで女湯に入ろうと身体を弄って転んだ時(アホ)と同じだ。
あの時は閉人の愛銃『カンダタ』の小汚いオッサンの精霊だったが、今度はジークマリアの鎧だと言う。
魔道具には人格が芽生える事があると言うが、
「その、すんませんでした」
「わっはっはっは、戦場に出れば相手の臓物やそこからはみ出た糞をかぶることもあるからな。別に気にしとらんよ。ささ、掛けたまえ」
「はぁ……」
閉人は促されて卓についた。
ウンコかぶったことあるオッサンとティータイムはちょっと嫌だが、それを言えば閉人もゲロ塗れなので、人の事は言えない。
「まずはギナイツ家の家宝として礼を言おう。君が来てくれたおかげで我が後継ジークマリアは壊れずに済んでいる」
シャイニングの精は深々と頭を下げた。
「へ? ジークマリアのことっすか? 壊れるって?」
「そうだ。あの娘はギナイツ家の歴史の中でも群を抜いて強いが、その分ちょっとな。幼い頃に歪んでしまった精神を『騎士道』や『学校』で矯正させ続けているが、それでどうにかなるようだったらギナイツ家も苦労していない」
「歪んだ? まあ確かにアイツちょっと歪んでますけど」
「はっはっは。ああ見えてあの子は君が来てだいぶ楽になったのだ。姫巫女殿は、そうなると分かっていて君を呼んだのかもしれないな」
「本当にぃ? アイツ、俺の事いじめてばっかですよ」
「でも、君も案外楽しんでるだろう?」
閉人はちらと目を逸らした。
だが、思うところもあったので、小さく頷く。
「まあ、別に、ああいうやり取りが死ぬほど嫌いって訳でも無いっすけど」
「わっはっは、それがあの子の心を楽にしているのだ。いやあ、ジークマリアは得難い友人を二人も得たものだ。これからもよろしく頼むよ」
シャイニングはわっはっはともうひと笑いした。
「で、本題……というか、老婆心ながらの忠告なんだがね。君じゃあどうやってもジークマリアには勝てないんじゃないかと思うのだよ」
「え? ワンチャン無いですか?」
「悪いが、あの子は私を纏う者の中でも特別だ。この旅でまだ一度も『本気を出していない』」
「は? でもアイツ何度も死にかけてましたよ? イヴィルカインのジジイに消されかけた時とか、ボリ=ウムの婆さんがいなかったら絶対死んでたわけで」
「すまない、言い方が悪かったな。あの子が手を抜いたわけではない。君の不死と同じように、あの子の全力には意志が関係ない。自動的なのだ」
「?」
「皮肉なことに君たち三人はそれぞれそういう部分を持っているようだが、その中でもジークマリアのそれは厄介だ。リィガルとバルトアリスが二人がかりで苦戦した相手なんかそうそういない」
「りがる? ばるとないん?」
「旅を続けられればそのうち出会うだろう。あとそれとは別に、君はどうやら重度のマゾヒストのようだからな。構造的にサディストのジークマリアには勝てない」
「マゾ……そう見えますか?」
「あの子とああいう付き合いが出来ているのがその証拠だ。君はジークマリアによって人生の苦痛を疑似体験することで心の底から安心しているのだ。丁度互いが互いのストレスを受け止められるように出来てる」
「?」
「君は自信の無さや過去の傷をジークマリアの暴力で埋めていると言ってもいい」
「そ、そう見えますか?」
「見えるなあ。だが、ウチの後継と鞭でシバキ合うような関係にはならないでほしいものだ。大事な跡取り娘だから」
「よく分からないんすけど」
「はっはっは、伝わらなかったか。ジョークだ、ジョーク」
シャイニングは閉人の肩を陽気にバシバシ叩いた。
すると、何処からか声が響いてくる。
「おい、いつまでノビているつもりだ。さっさと起きろ」
ゲシゲシと閉人の脇腹が蹴られる音がした。
呼応して、夢の中の閉人の脇腹にも鋭い痛みが走る。
「あだだ、ったくあんにゃろーめ」
「ほら、安心しないか? 世界の代わりにあの子が君を急かしてくれる。世界が君を置いていっても、あの子は君を置いては行かない。そんな安心を感じないかな?」
「……ちょっとだけは、確かに」
「だろう? ……おっと、時間か」
笑っているシャイニング爺さんの顔が近づいて遠くなり回転し始めた。
「ヒントは言った。あとは、そう……仲良くやりたまえよ。君たち三人はたった三人の仲間なのだ……か…………ら……」
言葉が途切れた。
夢の世界から現実へ。
AM 06:50 ???
「……?」
目を開けた閉人だったが、ジークマリアの姿は無い。
「あんにゃろー、俺を蹴るだけ蹴ってどっか行きやがったな……」
寝て多少は楽になったか、閉人はよれよれと立ち上がって上を脱いだ。
小屋横の井戸から水を汲みあげ、一思いに自分へぶっかける。
「冷てぇぇっ……ふー、シャワーもボトルのシャンプーも無いんじゃ一苦労だぜ」
もう一度水を汲んで手拭いをひたす。
一々水をかけるのも勿体ないから、こちらに来てからは温泉にでも入らない限り濡れ手拭いで身体を拭うだけで済ませる。
水浴びにいく手もあったが、ゲロ塗れで泉に入るのも気が遅れる。
「はいはい。鎧さんも洗ってやるから」
自分の番が終わると、聖鎧シャイニングを磨く。
(こういうのも含めると、俺は都合何人の下っ端なんだ?)
あまり考えたくない事だった。
閉人はとぼとぼ鎧を磨く。
「ま、鎧爺さんの話聞いた後だと、こういう日々も悪くないなーなんて思っちまうけどな」
閉人は鼻歌混じりにそう思った。
「……」
そんな折、閉人の手元に影が差した。
太陽は閉人の背中側にあるから、誰かが後ろに立っているのだ。
「あれ、姫さん? それともジークマリア? 違うか。誰でもいいけど手元暗くなっちゃうから、どいたどいた」
数秒して影は横に退くと、訊ねた。
「何をちんたらやっているんだ?」
「いや、鎧磨いてるじゃん。ちょっと待ってろって」
「そうじゃない。いつまでこんな試練をやっているのか、という話だ」
「そうは言っても勝てないもんは勝てないんだから焦ってもしょうがないだろ。あと、人の脇腹あんま蹴るなよ、痛いから」
「……ち、不死者の風上にも置けん奴だ」
「ん?(あれ、脊髄反射で会話してたけどこの声、ジークマリアじゃなくね?)」
「何度か殺さないと分からないようだな」
「ッ!? 誰だ!」
閉人は『無限骨肉戦争』を発動、手首から先を骨刀に変えて臨戦態勢を取るが、
「ランク7、血闘魔術『
瞬く間に青白い肉の糸が閉人に無数に絡み付く。
「もう待てない。悪いが協定は破棄させてもらうぜ、先生」
振り返ると、糸は鉄仮面を被った男の身体から伸びているではないか。
「まさか、テメェ……」
「そのまさかだ。初見だな、最後の不死者さんよ」
肉糸が閉人の背筋に沈み込む。
「っ!」
閉人は首から下の感覚を失い、糸に力なく絡め取られた。
不死者『彷徨う鎧』の肉糸が脳に突き刺さり、閉人の意識が強制的に遮断された。
『断片のグリモア』
その58:行軍について
二時間弱、三十キログラムの甲冑を付けて走り続ける。
この内容の行軍で閉人はゲロ吐き散らしたが、現代地球ではどうなのかとテキトーに調べてみたらまあ凄い。
日本の自衛隊には『レンジャー』という資格があるが、それを得るための訓練では四十キロ越えの荷物を背負って丸一日以上移動し続けるという荒行を月に十回近くも繰り返し、しかもその度に携行できる食料が減っていくのだという。
そういった厳しい訓練を乗り越えた者が『レンジャー』を名乗れるらしいが、陸上自衛官約十四万人の八パーセントがその資格を持っているのだという。
単純計算で約一万人、人口を考えれば一万人に一人が持ちうる資格だ。これを大学受験に例えるなら、全受験生に対する東大理III合格者が一万人に一人の割合である。
ジークマリアはそういった戦闘のエリートでありながら、閉人もその領域に至れると無邪気に考えている。
「死なないならそれぐらい余裕だろう? 無駄口を叩いてないで走れ、馬鹿者が!」
恐ろしい話である。
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