2‐4‐3 アレクセイエフ

「ふぅ~、自由だ~!」


 エリリアたちに貸し出されたエルフの滞在小屋にて。

 釈放された閉人が軒先で叫んだ。


「おい、まだ朝早いぞ。慎め閉人」

「へーい」


 閉人は淡い緑の景色に一呼吸すると、小屋の中に戻った。

 ふとエリリアに目をやる。


「あれ? 姫さん、肩にカブトムシついてますよ」

「はい、マンモスちゃんです」

「ふしゅしゅ」

「???」


 閉人は隣のジークマリアに小声で訊ねた。


「どういうこと?」

「色々あってな、怪我をしたところを姫様が拾われたのだ。害はない……はずだ」

「お前は虫平気なのか?」

「へ、平気に決まっているだろうッ!」

「ふぅん、俺は小さい頃クワガタに噛まれてからちょっと苦手なんだよなぁ」

「そ、そうか。惰弱な奴め」

「けっ、俺が弱いことなんて最初から知ってるだろォ」


 閉人がちらと眼をやると、マンモスちゃんは角の下から伸びた象の鼻のような触角から謎のガスを吐きだしていた。


(コイツ、カブトムシの癖になんで鼻があるんだ? ってかデカくね?)


「どうですか、閉人さん。この子、可愛いでしょう?」

「えっと、ナウマンゾウちゃんでしたっけ、可愛いっすね~うん」

「マンモスちゃんです」

「そう、それ」


 閉人は適当な事を言いつつ、あははと心にも無く笑うのであった。


「ふしゅー」



 そんな会話を挟みつつ、一行は朝食を囲んで会議を始めた。


「ところで姫さん、ここでも『継承』ってのをやる訳でしょ。何か目星はつきました?」

「ええ。ウルティモア様に教えていただきました」

「『彷徨う鎧』の一件の後、さっさと済ませて出て行けとご丁寧に場所や手順まで教えてくれた」


 そう語るジークマリアの目は、


「ち、あのエルフめ。喋るならさっさと吐けと言うのだ」


 と、言わんばかりであった。

 どうにもウルティモアとはソリが合わないらしい。


(偉そうなヤツ同士じゃ気が合わねぇんだな、たぶん)


 絶対に殴られるので口には出さなかったが、閉人は一人ごちた。


「で、どこで何をやるんだっけ?」

「はい、エルフの祖先を祭る霊廟で先代の方にお会いするんです」

「先代って? 先代のエルフ族長?」

「いいえ。私の先代……第十二代マグナ=グリモアの姫巫女様です」

「へぇー。何か楽そうじゃん」

「そうもいかない。『試練』があると言っていただろう」

「ああ、そう言えばそんな事も……って、ん?」


 閉人は頭を抱えた。

「どうしたんですか?」

「何か大事なことを忘れてる気がする」

「大事なこと? 姫さまの旅以上に大事なことがある訳ないだろう」

「いや、それはそうなんだけど。うーん……」


 閉人は唸った。


「その、『試練』があるとかそういう話、誰から聞いたんだっけ……?」

「? そう言えばそうだな、誰の話だったか」

「うーん、ウルティモア様だったかしら?」

「いえ、違う気がします。あのアルハザドとかいうイルーダンの色違いでは?」

「いやいや、あの時は話せる状況じゃなかったじゃん」

「じゃあ誰だ?」

「どうだったかなぁ……ん?」


 閉人はちらと窓の方を見た。

 窓際の風当たりの良い所に布切れが干してある。

 洗って干してある閉人の下着である。


「感謝しろ。捕まっている間、貴様の分も洗っておいた。臭うんでな」

「……ッ!」


 閉人は慌ててパンツを取り込んだ。

 十分に乾いていた。


「かっ、勝手に触るなよなぁッ! お前は俺の母親か! いや待て、そうじゃなくて……」


 閉人は自分のパンツをまじまじと見つめた。


「下着……服? いや違う。肌……? 裸……全裸……あッ!」


 閉人は叫んだ。


「そうだ、ビエロッチの姐さんだ! あの人まだ捕まったままじゃん!」

「むっ! 忘れていた」

「忘れていました……」


 三人は顔を見合わせた。

 ビエロッチは『森への反逆者』として閉人と一緒に捕まっていたわけだが、何故だか三人が三人とも彼女の事をスポッと忘れていた。


「どうして忘れてたんだ? あの人うっかり忘れる様な薄いキャラしてないよなぁ」

「確かに。先に忘れるとしたら閉人の方だったろうに」

「おい」

「不思議……よね?」

「ですね」


 一同は頭を捻ったが、分からない。

 十数秒後、三人ほぼ同時に息をついた。

「分からないけどこの先の事を考えよう」の合図であった。


「で、どうする? 姐さんのことは姫さんのお姫様パワーとかで何とかできないかな?」

「いや待て閉人。私はそもそも継承が完了するまでは放ってくべきだと思う」

「え? マリィどうして?」


 戸惑うエリリアだったが、ジークマリアの言葉は揺らがない。


「先日の様子から察するに、閉人とは違いビエロッチは恐らく冤罪ではありません。エルフの法を何らかの形で決定的に犯しているのです。だから森の中で強襲され、族長自ら捕えるよう命じたのです」

「で、でも……」

「継承を前にしてエルフと事を構えるのはよろしくありません。今は継承が第一、あ奴は帰りにでも拾っていきましょう」

「閉人さんはどう思いますか?」

「え、俺? 俺は……」


 閉人は普通にビエロッチ無視論が答えようとしたが、エリリアと目が合ってしまう。

 閉人に同意を促す目である、


(うっ、やっぱり気になるんだろうなぁ。姫さんお人好しだから……でもなぁ……)


 閉人は数秒悩んだ後、人差し指を一本立てた。


「……一回、一回だけ面会しに行って大丈夫そうだったら放置、駄目だったら救出……とかでどうすか?」


 閉人はジークマリアの方をチラチラ見た。

「こっちを見るな、分かっている。いつまた忘れるとも限らんからな」

「うん、そうしましょう!」


 エリリアが納得いったように頷くと、二人を引っ張るように歩き出した。


「行きますよ!」

「はーい(しっかし、何で姐さんのこと忘れてたんだろうなぁ)」

「はい、姫様(ビエロッチめ、悪運の強い奴だ)」


 それぞれ別方向の事を考えながら、ジークマリアと閉人は主に続いた。


 その時であった。

 

「ランク七、魔術『知恵者猫大跳躍フライング・プッシーフット』」


 どこかで囁く声がした……ような気がした。


「あれ、姫さん今何か言いました?」

「いいえ」

「何か聞こえたのか?」

「いや、知っている声が聞こえたような……」

「知っている、だと? ここで知っている奴なんて、イルーダンの兄弟、ウルティモアやアルハザドぐらいなものだろうが」

「そうだよなぁ。何かピンと来ないなぁ」

「それは追い追い考えましょう、閉人さん。とりあえず行きましょう?」

「はーい……って、どこに行くんでしたっけ?」

「どこって、それはもちろん……あれ? マリィ、私たちは何処に行くのだったかしら」

「エルフの霊廟でしょう。そこが我々の目的地なのですから」

「それにしては、私たちの格好ヘンじゃない?」

「確かに……」


 閉人は魔銃カンダタを持っていないし、ジークマリアも鎧ははいていない。

 こんな格好で試練に行くのか?

 三人は訝しんだ。


「?」

「?」

「?」


 三人は、ほんの数十秒前まで考えていた事を忘れ、忘れたことも忘れてしまった。

 ただ事の奇妙さに首をかしげるのみであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 もちろん、姫巫女一行が突然集団健忘症を発症したのではない。

 また、その現象が起きているのは姫巫女一行だけではなかった。


「あれ? 俺は誰を見張ってるんだっけ?」


 とか、


「ん? おいリィリィ、この歯ブラシは誰が使ってたっけか?」

「知らないヨ。古くなってんなら捨てちゃえバ?」

「勝手に捨てたら怒られる気がする」

「誰に?」

「誰だったか……待て、喉元まで出かかっている。分かっている、ええと……」


 だとか、


「おや『死神』、君と誰かを組ませて任務に当たらせていたはずだったが、もう一人の名前をド忘れしてしまったよ。誰だったか憶えているかい?」

「ああ、そんな人もいたような気がしますね。名前は失念しましたが」

「おやおや、君らしくもないな。いや、私も舌の根辺りまでは出かかっているよ? 分かっている、分かってはいるんだが……誰だったかな?」


 などなど。

 その『忘却』は実のところ里全体、いや大陸全体に作用していた。


 如何に魔術の国と言えど大陸規模の効果を持つ術は少ない。

 だが、それはほんのささやかな目的のために使われたのだ。



 戻って、エルフの里にて。

 ある『胞獄樹』を見張っていた二人のエルフの内、一人が頭を掻いた。


「あれ? 俺らはどうしてこんなところにいるんだっけ?」

「あーん? そりゃあ見張りの仕事だろ」

「だから、何の見張りだよ?」

「もちろん、それは……」


 二人は結界で閉じられた樹の虚を見たが、


「空っぽじゃないか。なのにどうして結界なんて……」

「森の魔力の無駄遣いだな」


 二人は鍵となる呪文を唱え、結界を解いてしまった。


「そーそー、それでいいんッスよ。それで」


 それこそが彼女の狙いだった。


「はい脱出~」


 樹の虚から立ち上がり、ビエロッチは悠々と去っていく。

 見張りの目には、『忘れ去った人間』の姿など映ってはいないようだ。

 彼女の全裸姿は何ゆえか透けて見え、煙のように揺らめいていた。


「ぷふぇー、昔イタズラとかやらかした時にしょっちゅう閉じ込められたっスけど、もう怖くないっスねェ」


 ビエロッチはまるで透明人間であるかのように全裸のまま里を闊歩する。


 ビエロッチの魔術『知恵者猫大跳躍』は『認識』と『実存』を操作する魔術である。

 彼女が得意とする『瞬間移動』もその応用に過ぎない。

 ビエロッチは自分の存在に対する『認識』のオン・オフを自在に操る。

 例えば『今自分がここにいる認識』をオフにして『転移した先に自分がいる認識』をオンにすれば瞬く間に目的の場所で『実存』、瞬間移動の完成である。

 それと同様に、誰かの記憶の中に存在する自らの認識を限りなく小さくすれば、他者は彼女の記憶を認識できず、目の前にいる彼女を認識したことも認識できなくなる。


 それを可能にする魔術こそエルフの秘術であった。

 元々は自己を薄めて森と一体化するための儀式用魔術であったが、


「よくもこうも悪用できたものだ」

「!」


 ビエロッチが振り返ると、そこにはウルティモアがいた。


「何でジブンを認識できてるッスか? お兄」

「妹を認識できない兄がいるか?」

「そういうタイプじゃないでしょ、お兄は」

「ふん。族長の権限には秘術に対する耐性も含まれている。どんな応用をしようと、私には通じないぞ」

「そっか」


 ビエロッチは素っ裸のまま森に寝っころがった。

 普通の変態行為だが、認識を弄っているためウルティモア以外には認識できていない


 ウルティモアは今更気にもしなかった。


「里を捨てた貴様がなぜ今頃里に戻った。わざと捕まってまで里に入り込んだ理由は何だ?」

「故郷の空気を吸いたかったんスよ。『あの人』にも会いたかったし」

「……死ぬ予定でもあるのか?」

「さあね?」


 ビエロッチはゴロリと草寝に転がった。


「そのうち、戦になるッス。今や王家の主流に成りつつある『第一王子ブラドール派』と『王太子ギルシアン派』&議会勢力がぶつかり合う大戦になるかもッス」


 ビエロッチの言葉に、ウルティモアは眉をしかめた。


「私は、森のエルフはどちらにもつかぬ。王家の横暴には腹も立つが、マグナ=グリモアなどというふざけた物に頼り切っている議会も生ぬるい」

「手厳しいっスね」

「王家も議会も、所詮は平地人共の都合で作られたお粗末な機構だ。我々には関係がない」

「そうッスね。森には『中立』でいてもらいたいので、それでお願いするッス」

「ち、平地人かぶれが」

「お兄も相変わらず『森の人』ッスね」


 ウルティモアは息を吐くと、踵を返した。


「オルガマリアよ、特例措置として一時だけ貴様の滞在を許す。服を着て歩くならな」

「はいッス」


 ビエロッチは笑って頷いたが、去っていく兄の背中にふと訊ねた。


「お兄、『あの人』のこと、やっぱり見えないんスか」

「当たり前だろう。『あの人』は死んだ。マグナ=グリモアの人柱になって死んだエルフラウ姉さんは森にも還れず、もういない」

「……お兄っ」


 ビエロッチは声を掛けようとしたが、既にウルティモアの姿は見えなくなっていた。


「それでもあの子たちならきっと、『継承』を完成できる……」


 ビエロッチは小さく呟いた。


 アルハザド、イルーダン、オルガマリア、ウルティモア。

 彼らアレクセイエフ家の兄弟には一人の姉がいた。


 エルフラウ=アレクセイエフ。

 第十二代マグナ=グリモアの姫巫女。


 つまり、エリリアの『先代』であった。




 『断章のグリモア』

 その53:アレクセイエフの五兄弟について



「うぇーん、うぇーん。うぇぇえぇぇぇぇぇぇん!」

「あらあらどうしたの、アル。そんなに泣き腫らして」

「イルが僕の弓を取ったんだよエル姉さん! 自分の壊しちゃったくせに、イルが!」

「あらあらそうなの、困ったわねぇ。ウル、練習用の弓はまだあったかしら?」

「知らない。本を読んでるんだから静かにしてろよアル」

「ひぐっ、ひぐっ、うぇぇぇぇぇん」

「ちっ」

「もうウルったら。じゃあアル、特別に私の弓を貸してあげるね」

「え、本当?」

「もちろん。大事に使える?」

「うん! ありがとうエル姉さん」


「姉貴! なんでアルなんかに弓貸したんだよォ!」

「あら、イル。だって、弓が無いとアルが困るでしょう?」

「ズルいズルい! だったら俺に貸してよ!」

「だーめ。イルは壊した自分の弓を直すまでおあずけ」

「……姉貴のバカ、クソババア!」

「あらあら、行っちゃった」


「びぇぇぇぇぇぇぇぇえええっぇぇぇん、エル姉ぇぇえぇぇぇぇ!」

「あら、オル。ぎゃん泣きしてどうしたの?」

「はす向かいの家のファロに告ったけどフラれたぁ!」

「あらそうなの。流石に二百歳差の恋は実らなかったのね」

「もう生きていても仕方ないわ。私は恋に殉ずるわぁ!」

「難しい言葉を知ってるのね、オル。狩りにでも行って気晴らししてくるといいわね」

「ひぐっ、ひぐっ……うん、分かった! 行ってきまーす!」

「気を付けてね」


「……ったくアイツら、うるさいったらありゃしないよ」

「ウル」

「何だよ。いきなり頭なんか撫でてきて」

「私がオルとイルとアルに構ってばっかりだったから、ウルは寂しいのかなって」

「そ、そんな訳ないだろ! もう僕だって三十歳過ぎてるんだよ? そんな子供っぽいことなんて考えたりしないさ」

「そう。偉いわねウル」

「だから、そんなどうでもいいことで頭なんか撫でるなよ!」

「うふふふふ」



 それは、ほんの数百年前の出来事。

 まだ兄弟たちが世界の残酷さを知らない頃の、何ら特別でもない日常の一幕であった。

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