3‐2‐3 死神の巡遊

 夜も更けた丑三つ時のこと。


「私……恐ろしいの」


 エリリアは寝そべったままジークマリアのお腹に抱き着くように顔を埋めていた。

 そうしていると落ち着くらしい。


「恐ろしい……ですか」


 ジークマリアはそっと主の頭に手を置いた。


「申し訳ありません、姫様。貴女をお守りする私と閉人が情けないからです」

「ううん、違うの」


 エリリアはもぞもぞ首を横に振った。


「私が怖いのは、私自身。私の中で誰かがとても怒っているの」

「姫様の中に、他の誰かがいると?」


 ジークマリアの問いに、エリリアは小さく頷いた。


「その人、とても怒ってる。無関係の人たちを巻き込んで襲ってくる相手にも、巻き込んでしまっている元凶である私にも、そして、たぶん……マリィと閉人さんにも」


 エリリアの身体がキュッと強張った。


「私、そんな事考えてない……! でも、その人の考えが、得体の知れない感情が、まるで私の物のように湧いて出てくるの……」

「姫様」


 ジークマリアはエリリアの頭に手をまわして抱きしめた。


「誰しもそんな事はあります。私も、本当は抱いてはいけない感情を抱き、悩んだことがありました」

「ほんと……?」

「ええ。私も護衛の任に就いたばかりの頃、余りにも張り合いが無かったために姫様をお恨みしたことがあります」

「え? そうなの?」

「お恥ずかしながら……」

「全然気が付かなかったわ」

「そうなのですか? てっきりお気づきでいらっしゃるかと……」


 ジークマリアはエリリアを見下ろし、エリリアはジークマリアを見上げた。


「ふふっ」

「くく、くくくくく」


 二人は眼を見合わせると、耐え切れなったかのように笑い始めた。

 しばらく笑うと、エリリアは笑いすぎて出た涙を拭った。


「そうだったのねマリィ。私ったら全然気が付かなくて」

「いえ。今思えば恥ずかしいことです」


 エリリアは少し安心したように息を吐いた。


「分からないものね、人の心って」

「全くです。姫様と私ですらこうなのですから、もしかたら人は自分自身の心すらも分からぬように出来ているのかもしれません」

「……そうね、きっとそうだわ」


 エリリアの目が細まる。

 心の中の緊張が解けて疲労が押し寄せたのだ。


「もうお休みになられますか」

「うん。ねぇマリィ、こんなこと今お願いするのは恥かしいけれど、私が学院の低学年だった頃みたいに……」


 その先を言いかねるエリリアに、ジークマリアは微笑みかける。


「分かりました。お休みなさい、姫様」

「おやすみ、マリィ……」


 ジークマリアがそっとエリリアの身体を布団に横たえさせる。

 自分もその横に寝そべると、ゆっくりと目を閉じた。


 そして、


「ゆーらーり、ゆーらーり

 よい子は寝んねよ寝る子が良い子♪

 雪の音しゃんしゃりこんこりしゃん

 踏んでしゃんしゃりこんこりしゃん……♪」


 ジークマリアが歌うのは北方、『冬の地平』と呼ばれる地に伝わる子守唄であった。


「スヤァ……」


 エリリアはそれを聞くや否や、スヤスヤと寝息を立て始めた。

 この世に怖い物など無いかのような、安心しきった寝顔であった。


「姫様……」


 その寝顔を真横から眺め、ジークマリアは口元を緩める。


「姫様は、この唄がお好きですね」


 その呟きには嬉しいような悲しいような、何かを懐かしむような、そんな一言では言い表せぬ響きが籠っていた。


(子守唄を歌う度に思い出す。もしあの子が生きていたなら、今頃は姫様と同じ……)


 ジークマリアはエリリアの身体を浅く抱いて、その日は深く眠った。

 事実、体力的に温泉休憩が最も必要だったのはジークマリアだったのだ。



 また、その直下の部屋では。


「姐さん、アンタの布団はあっちでしょ! こんなんされたら眠れ……な……」


 ビエロッチの細い腕が閉人の首に強く巻きついている。


「まーまー、ちょっと抱き枕になって欲しいだけッスから」

「はぁっ?」

「ジブン、抱き枕が無いと眠れないんっスよぉ」


 閉人はビエロッチから離れた場所に布団を敷いたはずであった。

 だが、気が付いたら背後からビエロッチに強襲され、身体に絡みつかれていた。

 乱暴するわけにもいかない閉人は、青い顔で布団にのびている。


「ムニャムニャ、スゥゥゥ……」


 ビエロッチは登り棒につかまる子供のように閉人にしがみつき、寝息を立て始めた。


「スヤスヤスヤ……」

「え、本当に眠っちゃったの? 姐さん!?」

「むにゃむにゃ、もう食べられないッスよ……」


 ビエロッチはそう呟いて閉人の肩に齧りつく。


「ギャッ! もう勘弁してくださいってばぁッ!」


 閉人はマジの叫びをあげたが、ビエロッチはビクともしない。


「エルフ怖い。アレクセイエフ姉弟怖い……」


 イルーダンのこともついでに思い出しながら、閉人はふるふる震えて眠るのであった。


 上は天国、下は地獄。

 ある意味温泉のような部屋割りであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 一方、その頃。


「ははは。まさか、この僕が殴られるとはねぇ」


 口からドバドバと血を吐きだしながら、半分砕けた顎で死神は言った。

 仰向けに倒された彼の上に馬乗りになって『撲殺』がオーウェルを殴りつける。


 ゴスッ。

 重い打撃がオーウェルの側頭に撃ち込まれた。


「ッ! 痛いじゃないか……」


 死神の顔は血塗れであった。

 左頬から左下顎にかけて骨が粉砕され、言葉が上手く紡げていない。

 その後も何回も顔を殴られ、両目瞼は腫れあがっている。


「好き勝手やってくれるなぁ、もう」


 オーウェルは反撃のために体内の魔力エーテルを練り上げるが、


「無駄です。私の前では魔力エーテルを操る事はできません」


 『撲殺』は仮面の下から静かに告げた。


「……ッ? おやおや」


 全くその通りであった。

 オーウェルが魔道具を使おうとしても、根源の魔力がまるで機能していないのである。

 まるで、車に入れたはずのガソリンが真水に代わってしまったかのように。


「そうか、君は裏世界に名高い『魔術師殺し』という訳か……」

「これから死に逝く貴男には関係のない事です」

「ははは」


 オーウェルの傍らに、『必殺』が立った。


「よくやった、『撲殺』。だがまだ殺すな、こやつには訊くことがある」

「はい、『必殺』」


 仰向けで倒れる死神を見下ろし、『必殺』は細い目を少し見開いた。

 蛇のような目がオーウェルを捉える。


「私は『必殺』のゲモン=アゾニクス。死を販ぐ者共の神よ、初にお目にかかる」

「ははは、どうも」


 オーウェルはその蛇の目を見返し、笑みを崩した。


「君がギルシアン殿下暗殺の主犯という訳かい?」

「カッカッカ、今更言質を取るつもりか? 質問するのはこちらの方だ」


 ゲモンはオーウェルの脇腹に蹴りを入れた。

 目に見えない速度の衝撃がオーウェルの肋骨をへし折り、内臓を圧迫する。


「ギルシアン派の『ボス』、お前たちを操る者の名を言え」

「はは、この僕がそれを吐くと思うかい?」

「吐かぬなら吐かせるまでよ」


 ゲモンが腕を振るうと、一陣の風が巻き起こってオーウェルの身体に無数の傷を刻んだ。


「ランク六、魔術『斬殺業邪妖精かるまいたち』」


 かつてフィロ=スパーダがジークマリアを苦戦させた時の魔術である。


「痛っ!」

「さあ、答えろ。次は腕を切断してくれるぞ」

「はは……いやいや答えないから。首の方をスパッと殺っちゃいなよ」

「私がそれをできないとでも思っているのか?」


 ゲモンの腕が真空の刃を纏う。


「貴様を消せるだけでも儲けものだ。言い残すことは?」

「ないね」

「そうか」


 ヒュッと風が鳴り、次の瞬間にはオーウェルの首がゴロリと地面に転がっていた。

 あまりに鋭い一撃だったためか、切断面から血が一滴も流れ出なかった。


「カッカッカッカッカッ、『死神』と言えど所詮は魔術に頼った若造よ。『撲殺』の前には為す術もない」

「引き上げますか?」

「そう急くな。魔道具は頂いていく。こやつが使う事はもうないのだからな」


 ゲモンはそう言ってオーウェルの首なし死体へと手を伸ばした。


 だが、


「……ん?」


 その腕を、オーウェルの手が掴んでいた。


「死体漁りとは、感心しないなぁ」

「何ッ!?」


 ゲモンと『撲殺』は大きく飛び退いた。

 その間にオーウェルの首なし死体が立ち上がり、自らの首を拾い上げていた。


「僕にはねぇ、誰かに言い残すことなんて無いんだ。後で自分が言えばいいんだから」


 頭を切断面の上に据えると黒い煙が噴きだし、頸が再びつながった。

 その後には傷一つ残っていない。

 身体に刻まれていた幾重の傷も消えていた。


 ゲモンは眉をしかめた。


「貴様は『不死者』なのか?」

「いや、全然。ちゃんと殺せば死ぬよ」

「ならば何度でも殺してくれる。魔術は封じられた貴様に勝ち目はないぞ」

「本当にそうかな」


 オーウェルの身体から黒い靄のような何かが漏れ出し、彼の背に翼のように展開されていく。


「ここから先は手加減できないよ。この形態を見た者を生かしておく趣味は……無い」


 ゲモンは『斬殺業邪妖精』を展開したままオーウェルを観察したが、やがて算段が付いたように笑みを浮かべた。

 空笑いである。


「まあよい。ゼペットの始末さえできればこちらのものよ。どうやら貴様を殺すには準備が足りなかったようだしな。退くぞ、『撲殺』」

「はっ!」


 二人がオーウェルに背を向けて逃げ出した瞬間、すれ違うように複数の影が躍り出た。


「おや?」


 見知らぬ子供たちであった。その身体には今さっき死んだはずのゼペット=マペットの魔術『斑糸蜘蛛謀殺人形アラゴグノフォビア』の魔力糸が絡み付いている。


「死神を止めろ。貴様らの命を呈してな」


 彼らの頬には一つずつテディ=ドドンゴの『爆殺弾』による焼印が輝いていた。


(なるほど、『必殺』は『|七つの殺し方《クレイジーセブン》』全員の術を使えるようだ! 子供たちを手駒にするとはなかなかの外道)


 オーウェルは懐から二又に分かれたナイフを抜き放って子供たちに向けた。


「ランク4、魔術『黒芯封鎖ブラックペン・ブレークダウン』!」


 剣先から黒い液体が滲み出て、刀身を濡らした。


「チクッとするだけだからね、君たち。じっとしててくれよ」


 そうは言ったもの魔術で操られた子供たちはそれぞれ刃物を持って襲い掛かってくる。


「やれやれ」


 オーウェルは子供たちの合間を縫うように駆けると、一息を吐いた。

 子供たちの腕から少しだけ血が流れ出したかと思うと、血管を通じて黒い液体が身体を巡り、焼印の輝きを塗りつぶしていく。


「『黒芯封鎖ブラックペン・ブレークダウン』は魔術式をインクで汚し、詰まらせる魔術。君たちの体に侵入し、身体を蝕む魔術を封鎖しよう」


 子供たちはビクリと震えると、それぞれ膝を付いて意識を取り戻した。


「大丈夫? 皆生きてる?」


 オーウェルが訊ねると、


「うぇーん! 怖いよぉ」

「助けてママーッ!」


 みんな揃って泣き出してしまったので、流石のオーウェルも困り果てた。

 本来なら今すぐ『必殺』たちを追い掛けなければならないのだが。


「この子たちを放ってはいけないしなぁ」


 オーウェルはがっくり肩を落とし、これからやらなければならない仕事の数を数えた。

 そもそも、ゼペットが殺されたのがマズイ。


(ボスに絞られるな、これは。しんどいなぁ、子供たちを親元に送り届けたら温泉行こ……)


 そんな事を思いながら、オーウェルは子供たちを集める。


「はい坊やたち~、お家に連れてってあげるから集まれ~」


 しかし、


「やだ、オジサン怖い!」

「さっきのやつの仲間だろ!」

「死ねッ!」


 子供たちの辛辣な言葉に、


「……ははは、ははははは…………」


 オーウェルは笑うしかなかった。


 『死神』オーウェルの弱点一つ。

 彼は全く子供に好かれず、そしてまた彼も、子供があまり好きではなかったのである。



『断章のグリモア』

 その49:オーウェルの子供嫌いについて


 オプト=オーウェルは『死神』の一族オーウェル家の長男として生まれた。

 その生い立ちの必然として先代『死神』、実父であるブレストに厳しく教育されて地獄のような幼少期を送った。

 彼には才能があった。訓練を乗り越え十歳の時には『八神杖エイト・スタッフ』に成り得る逸材『神童』としてもてはやされた。この称号は後にジークマリアにも授けられることになるが、彼女の場合でさえ十五歳の時である。

 そんなオプトだったが、学生時代は彼にとって苦い思い出の連続であった。

 彼は子供に嫌われる体質であったが、自分が子供の時も他の子供たちに嫌われたのだ。

 彼は能力の高さと妙なマイペースさともったいぶったプライド、つまり典型的な天才の癖を披露してはばからなかった。そのせいで妬み嫉みを買いまくり、上履きに画鋲を入れられたり水着を隠されたり部屋を爆破されたりした。

 六年もそんな生活をして彼が歪まなかったのは、ひとえに妹セラムのおかげである。

 しっかり者の彼女が時に諌め支えてくれたおかげでオプトは折れず、いじめっ子たちに水面下で陰惨な仕返しをして憂さを晴らす事が出来たのである。

 そんなオプトも『死神』を襲名して以降は様々な分野の人物たちと出会い、少しずつ丸くなっていった。フェザーンの大僧正ボリ=ウムも彼に影響を与えた一人だが、そこにどんな関わりがあったかは謎である。

 ただ、大人になっても青年期の名残で子供嫌いだけは治らず、彼は二十九歳かつ名家の当主でありながら、まだ独身なのであった。

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