1‐EX‐1 ドット=ラース

 その男の原動力は、じりじりと身を焦がすような『苛立ち』であった。


 じっとしているとムカつくから動く。

 ムカつく奴がいるからぶちのめす。

 見下されるのはムカつくから、引きずり落とすか駆け上がる。


 『冒険者』ドット=ラース。

 『迷宮都市グログロア』にて姫巫女エリリア=エンシェンハイム一行を襲撃し、迷宮の深層に続く『人喰いの滝』に落下した、ゴロツキ冒険者三人組の一人。


 彼は、生きていた。

 滝つぼから地下水脈へと吸い込まれ、どことも知れぬ迷宮の深層にまで押し流されて。



 それは、姫巫女一行がグログロアを発つよりも少し前の事であった。


「……」


 仮死状態で、どれだけの時間を水の中で過ごしていたのだろう。

 冷え切った身体は鉛のように重く、脈動は無いに等しい。


 素人目に見れば、それはただの水死体としか見えないだろう。

 ドット本人も、消失しかけた意識の中で死を思った。


(ムカつく。それに、クソだりぃ……)


 だが、死が近づいてくるにつれて、それら悪感情が収束していくのを感じる。


(死ねるなら、まあいいか。ムカつくのも今日かぎりってこった)


 ドットは、死を受け入れていた。

 また、受け入れなかったところでどうなるという訳でもない。


(ろくでもない人生だったぜ、クソが……)


 徐々に、徐々に、彼の意識は無の暗闇へと吸い込まれつつあった。


 しかし、その安息は『何者か』によって遮られる。


「あら、めっけもん。損傷は……無いわね。まだ動くかしら?」


 耳障りな女の声。

 しかも、幼い。


(何だ……?)


 ドットがその声に対して苛立ちを抱いて僅かに目を開こうとすると、女はその唇をドットの首筋に押し当てた。


 口づけ……かと思った矢先、


「あーん」


 がぶり。


 鋭い犬歯がドットの首筋に突き立った。


「ッ!」


 びくん。

 ドットの身体が反射で跳ねる。


(ヴァンパイヤか、この女……ッ)


 このままでは血を吸われる。

 今まさに死のうとしている時にそんな事を気にしても仕方がない気もするが、ドットはそう考えない。


(人が気持ちよく死のうとしてる時に、水を差すんじゃねぇ!)


 止まりかけの心臓が、突如強烈な信号を受け取って再稼働を始める。


「テメェ、何してやがる!」


 突如、死人のようだったドットの手が女の頸を掴む。


「キャッ!?」

「グガァッ!」


 どういう訳か、ドットの身体が燃えるように熱くなっていた。

 全身に血が巡り、生気が取り戻されていく。


 と同時に、ドットの脳髄をある感情が満たす。


 凝集した『苛立ち』。

 またの名を『殺意』。


「殺す。あの野郎、絶対に殺す……ッ!」


 ドットの目は、高ぶるあまりに現実が見えていない。

 死にかけていた彼の精神は『殺意』によって自身の蘇生を図り、そして……


「や、やめ……」


 ゴキンッ!


 彼の目の前にいた少女の頸椎を握り折った。


「ハァ……ハァ……」


 ドットは、動かなくなったヴァンパイヤ少女を見下ろし、我に返る。


「クソ、ガキを殺っちまった」


 ボロ布を纏ったヴァンパイヤの少女は、首を変な方向に折り曲げて倒れていた。

 ドットには先程までそれが閉人に、あるいはジークマリアに、あるいはその他ムカつく存在の集合体に見えていた。


 とにかく、ムカついたのだ。

 抑えがたい衝動が、彼を突き動かしていた。


 しかし、罪悪感が彼を苛むよりも先に、


「イッタイわねぇ。アンタ、まともじゃないわよ」


 ぐるん。


 少女の頸が回って元の向きに戻ると、ドットが折ってしまったはずの頸椎がメキメキと音を立てて再生する。

 見覚えのある現象、『不死』の再生現象だった。


「テメェ……一体……?」


 目を丸くするドットを、少女は呆れた様子で睨み付ける。


「せっかく人が助けてあげたってのに、その態度はなによぉ」

「助けた、だぁ?」


 言われてみれば、死にかけていたはずの身体が妙に熱い。

 手を握りしめても、思い通りに動く。


 ムカついたから、ではとても説明が付かない。


 少女は、歯を剥いて犬歯を示す。


「旧いヴァンパイヤはね、血を使って命をやり取りできるのよ。だから、少しばかし血と一緒に命を分けてあげたって訳。どう、ありがたさが身に染みた?」

「……」


 ドットは、妙な気分であった。

 目の前の少女は少女の姿をしている。

 だが、ここは迷宮の深層。

 お花畑でも街の子供広場でもない。


「何者だ、テメェ。人の姿した魔物ってか?」


 ドットが訊ねると、少女はクスクスと笑う。


「あら、あたしが怖いの? ふふ、か~わい~」


 からかうようなしぐさにドットがカチンときた、その時だった。


「ゲ ア ア ア ア ア ア !」


 洞穴内を揺らす轟音と共に、魔力光に照らされた大蛇が這い現れた。

 もしも地球人がそれを見たならば『電車』を想起しただろう。

 蛇を何十倍にもしたような巨体に、ドットは恐れ戦く。


「ち、深層の魔物か!」


 腰に残っていた短剣を引き抜き、構える。

 だが、傍らの少女は動じず、進み出た。


 そして、

 

「おひさ♪」


 彼女の前で停止した巨大な頭部を撫でると、


「ゲ ア ア ♪」


 大蛇が巨大な口から人の腕程の太さの舌を出して、チロチロと少女の頬を舐めた。

 少し触れあって満足すると、大蛇はまた轟音と共に去っていく。


「今の子、友達なの。深層の魔物は頭がいいのよ」

「……本当、何なんだテメェは?」


 ドットの問いに、少女は妖艶な笑みを以て答える。


「あたしはこの迷宮の最下層を目指す『深層探究者』キャロリーヌ=ファラン。『不死者』とヴァンパイヤのハーフ、世にも珍しい『半不死ハーフ・アンデッド』よん♪ キャロって呼んでね♡」

「……」


 ドットは、唖然とした。


 『深層探究者』。

 彼らはグログロアのギルドから独立して迷宮の『最下層』に挑む冒険者の『頂点』。

 ローランダルク大陸で最も生存に長けた強者たち。


 グログロアでも有数の発言力を持つベルモート=フラウですら、深層を逃れてきた敗走者とされている。


 冒険者たちの憧れにして伝説。

 それが、『深層探究者』たちなのである。


 だが、目の前の少女がそれだと言われてみると、どうにも実感が湧かない。


「……」


 深層を照らす魔石の青い魔力光にドットの目が慣れてくる。


 キャロの見た目は十歳そこいらの小娘であった。

 灰色がかった肌に、黒髪。

 赤黒い瞳。

 ボロ布しか纏っていない肢体は特に鍛えられているという風にも見えず、その辺の小娘と変わりない。


(こんな奴が、本当に探究者なのか?)


 ドットは、キャロを全く量りかねていた。


「あ~、今カラダ見てたでしょ? やらし~」


 ドットの視線に身をくねらせるキャロは、本気で物を言っていない。

 直情的なドットをからかって遊んでいるようだった。

 その辺りの余裕は、流石『深層探究者』というところか。


「ちっ」


 外套を脱いでキャロに向けて放ると、ドットは大蛇が現れた方に足を向けた。


「俺は地上に戻る。あばよクソガキ」

「あら、そんな装備で大丈夫かしら?」


 今のドットに、ろくな装備は無い。

 腰に提げた短剣以外は地下水脈を流されている時に流されたか、駄目になったかのどちらかである。


「知るか」

「じゃあ、お家までついて行ってあげるわよ」


 ドットは舌打ちをする。


(『深層探究者』だろうが、お茶らけた小娘の手を借りるだと!? 冗談じゃねぇ!)


「クソッタレが。『不死者』ってのはどうしてこうムカつく奴ばかりなんだ、くたばれ」


 それは、些細な捨て台詞のつもりだった。

 ムカつく奴に投げつける罵詈雑言。


 そこに含まれた一単語が、彼の運命を変えた。


「待ちなさい。今、何て言ったの?」


 何かが琴線に触れたのか、やや低い声でキャロが訊ねる。


「ムカつく、つったんだよ、クソが」


 言葉を吐き捨てて立ち去ろうとするドットだったが、


「『待ちなさい』」


 キャロが命じた瞬間、その全身が硬直した。

 まるで、全身の血管を掌握されたかのような拘束力。


「ぐ、テメェ……何をしたッ!?」

「言ったでしょ、あたしの血を入れたのよ。だから、あんたの身体はあたしの支配下にある。いわゆる『眷属』ってやつ」


 遊びの無い口調で、キャロは述べる。


「そんな事より、ねぇ。他の『不死者』に会ったの? 誰よ? 『教えて』」


 身体を縛る強制力と同様の力が働き、ドットは思い出したくもない不死野郎の事を吐き出した。


「『ヘイト』とかいう、いけすかねぇ奴だッ! グログロアで喧嘩したっ!」

「ふぅん。どんな『使命』があるとか言ってた?」

「知るか!」

「ま、そうよね」


 ドットの身体の拘束が解かれる。


「クソが……!」


 息巻くドットを、キャロはまたからかうような目つきで眺めた。

 分析するような、品定めをするような、そんな目。


「うーん、これ以上こっちにいても意味ない気がするしなぁ……」


 そして、キャロは何かを決めた様子で手を打った。


「気が変わったわん♪ 地上までご一緒しましょ」

「何で俺がテメェなんかと……」

「なんでって……道案内? ボウヤの知る『不死者』の所まで案内して欲しいの。その代りに地上まではあたしが案内してあげる」

「断る」

「『断っちゃダーメ』♪」

「ぐっ……」


 キャロは裸足でペタペタと歩み出した。


「あ、良い事思いついた。こうしましょ。オマケに地上に着くまであんたを鍛えてあげる」

「余計なお世話だ! 必要ねぇ!」

「あらそう? 深層の連中ばっかり見てたせいかな。アンタ、ザコ冒険者の匂いがプンプンしてるわよ」

「ッ!」


 ドットは、自分がある意味で一番気にしていることを言われて、憤る。


「ブチ■すぞガキィッ!」


 だが、もはやキャロは涼しげに、


「ほらぁ、そういうとこザコっぽ~い」


 と受け流すのであった。


 キャロは、ドットが放った外套をボロ布代わりに身に纏い、行く先を指差した。


「行きましょ。折角だし『名前教えて』」

「……ドット。ドット=ラース」

「そ。じゃあ行きましょうか『ドッちゃん』。まずはちょっと登って『深層探究者』のキャンプを探しましょ」

「ドッ……ちゃん……ッ!?」


 ドットは、その呼び方に毒気を抜かれかけた。

 だが、彼も並みのチンピラではない。

 その心の中では、


(ムカつくぜ、こんなにムカついたのは初めてだ……ッ! )


 絶対に見返してやる。

 身を焦がすような苛立ちを胸に滾らせていた。


「さ、行きましょー」



 ローランダルク大陸の地底に広がる『地下迷宮』。

 それは、閉人たち姫巫女一行の『継承』とは軸の異なる冒険の舞台。


 だが、それらは無関係ではいられない。


 キャロは、遥かなる地上を仰いで呟いた。

 嫌々その後に続くドットにも聞こえない、小さな声で。


「勝手に動いたらイヴィルカイン、怒るかしら……?」


 ま、いっか♪


 キャロは嘯き、死の匂いで満ちた迷宮深層をぺたぺた進む。



 ……そう、全ては無関係ではいられないのである。

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