1‐4‐9 ひとつめ

 ふと気が付くと、俺は姫さんとジークマリアに手を振っていた。

 二人は俺とは少し離れた場所に立っている。

 駆け寄れば数秒で埋まるその距離が、今は永遠の隔たりのようにも感じられた。


 二人は、悲しそうな顔をしている。


「ん?」


 俺が立っている場所はフェザーンじゃない。

 灰色の空の下、ほの暗い川の岸辺。

 俺は小舟に乗せられていて、二人はそれを見送りに来てくれている感じだった。


(これって『三途の川』だったり?)


 死者があの世に行く時に渡るとされる川。

 この世とあの世の境界線。


 地球に帰るのではなく、『そっち』の方のお別れだった。


(ってことは、ようやく死ねるのか……)


 もう、死にたがっていたことが大昔のように思える。

 だけど、いざ死ねるとなると、なぜか心がとても安らかな気持ちになった。

 俺、元々そういう奴だしなぁ。


(思ってたのとは違うけど、地球に戻って怠く過ごすよりはマシか)


 地球に戻ったところでクソジジイが見せた悪夢みたいにならないとも限らないし。

 それなら、死んで清々した方が幾らかは楽しいだろう。


 そんな事を考えていると、


「閉人さん……」


 今まさに川に向かって漕ぎ出そうとする船に、姫さんが駆け寄ってきた。


(悲しんでくれるのかい、姫さん。あー、俺もずっと一緒にいたいんだけどさ……)


 俺は本能的に手を伸ばそうとするが、ジークマリアが姫さんの後ろから睨みを利かせている。


「閉人、私とて貴様との別れは悲しい。だが、姫様を『そちら』に連れて行くのは駄目だ。貴様なら分かるだろう?」


 ジークマリアは断言しやがる。

 そんなのは、百も承知だ。


「けっ、お前はそういう奴だよな~。俺を爆弾ごと投げといてな~」


 だけど、不思議と怒る気は全くしなかった。

 それよりも、ジークマリアが無事でいてくれていたことへの安堵の方が強かった。


 つまり、だ。

 結局、俺はこの二人が好きになっていたという訳だ。

 二人が無事にこれからやっていけるなら、こういう別れも許せる。


(あ、でも最後に『ちゅー』ぐらいはしてもいいよな? 最期だし)


 そう思って、やっぱり手を伸ばして、姫さんを抱き寄せる。


「閉人さん……」


 姫さんは顔を赤らめてた。

 ちょっと予想外だったけど、抵抗する様子は無かった。


 いいってことだよな?


「姫さん……」


 いいよな? 最期だし。


「……」


 いいよな!? 最期だし!


「……」


 いいよな!!!??? 最期だし!!!!!!??????


 踏ん切りが付かなかった俺はヤケクソになり、姫さんの宝物のような唇に……



 †×†×†×†×†×†×†



「閉人殿、拙僧には妻も子もおりますゆえ……///」

「へ?」


 閉人が気付くと、そこは三途の川の岸辺ではないし、目の前にあるのはエリリアの唇でもなかった。


 ぶっちゅう~


 閉人が唇を押し付けていたのは、僧兵長クシテツの嘴である。


「っ!?」


 閉人は辺りを見回す。

 そこは、フェザーンの中心『翼の寺院』であった。

 閉人はその一室で布団に寝かされていたらしく、近くにはエリリアとジークマリア、そしてクシテツが居た。


「閉人さん、もしかしてクシテツさんがお好きだったのですか……?」


 エリリアが、目を丸くして閉人の痴態を見つめている。


「いや、その、姫さん! これは違くて……」

「くくくく、貴様……そうなのか、くくくくくく……」


 愉快気に笑いをこらえているのはジークマリアだった。


「だぁっ! 違う! 寝ぼけてただけ!」


 閉人はクシテツから逃れるように立ち上がった。

 血が足りないらしく立ちくらみがしたが、それをエリリアとジークマリアが支える。


「慌てるな、閉人。ようやく五体がくっ付いたばかりだぞ」

「無理はなさらずに」


 閉人は、その時になってようやく実感がわいてきた。


(そうだ、俺は(何故か)ジークマリアに投げられて爆弾に……)


 あれからこうしているという事は……


「じゃあ、俺たち勝ったのか?」

「はい。閉人さん(の自爆)のおかげです」

「貴様はあれから(木端微塵になって)一週間も眠っていたのだ」

「……そっか」


 閉人は大きく安堵のため息を吐いた。


「よかった、二人共無事で」


 閉人は、支えてくれた二人の肩を抱いた。


「そう言えば姫さん、『継承』は? ほらあれ、魔導書の……何だっけ?」

「マグナ=グリモアのことですか?」

「そう、それ。受け継ぐの、どうなったのさ?」


 エリリアの代わりに、ジークマリアが答えた。


「『継承』は成功した。というか、離れろ。いつまで姫様の厚意に甘えているつもりだ」

「へーい」


(もうちょっと姫さんに甘えたかった……ッ!)


 閉人は臍を噛みつつ、潮時と見て立ち上がった。


「三人でお散歩しながら話しませんか? せっかくの良いお天気ですし」


 エリリアの提案に、二人は頷いた。

 ちなみに、雲の上なので天気はいつも良い。


「よし……」


 主を挟むような形で並び立つと、三人はクシテツに挨拶して部屋を出ていった。


 だが、その挨拶はクシテツの耳には入っていない。


「閉人殿……拙僧には妻と子が……///」


 クシテツは呆然とし、うわごとを繰り返していた。



 †×†×†×†×†×†×†



 アラザールを撃破した後、何が起こったか。


「姫様!」


 天空から降り注いだ一筋の光に胸を貫かれたエリリアは、飛竜ワイバーンが驚いて逃げ出してしまったにもかかわらず、空中に漂い続けていた。


「これが『継承』か……!」


 クシテツの起こした風に乗り、ジークマリアの帆凧が上昇する。


 エリリアに意識はあるらしい。

 だが、その振る舞いは何処か超然としており、ジークマリアの知る『姫様』ではなかった。


 ジークマリアの呼びかけに答えず、エリリアはぼんやりと手を胸にかざす。

 すると、エリリアの胸の内から光が溢れ、鈍く輝く金属製の魔導書グリモアが現れる。


「あれが、マグナ=グリモア……?」


 偉大なる魔導書グリモア

 大陸最強の魔術を秘めた秘宝。

 グリモア議会の切り札。

 七大種族における均衡の象徴。

 マギアス魔法王国の権力構造を支える三柱の一つ。

 エリリアが受け継がなければならない、旅の目的。


 それらしき物体が、既にエリリアの手にあった。


「……来て」


 エリリアは呟くと、マグナ=グリモアを光の差す方へと掲げる。

 すると、天空の彼方から無数の光が飛来し、エリリアを取り囲むように球状に展開、緩やかに回転を始めた。


「本の『ページ』、か?」


 それは数十枚にも及ぶ、長方形の光の集合体であった。


 エリリアがマグナ=グリモアをかざすと、光で出来た頁が次々と魔導書に吸い込まれていく。


 ジークマリアは推測する。


「『継承』とは、秘匿された頁を回収する事なのか……?」


 ジークマリアは、エリリアの『継承』を守護する騎士である。

 その為に儀式の手順、すなわち『何をするか』を知らされ、それを完遂するために『何をするべきか』を常に考え続けてきた。


 だが、ジークマリアはその背後で『何が起きているか』、あるいは『何が起こるか』を知らなかった。


 もとより議会の最高機密。

『継承』の仕組みそのものを一介の騎士が知ってよい道理はない。


(私はただの騎士。だが、だからこそ。私はもっと知り、もっともっと強くならければならない……)



 やがて全ての頁がエリリアの魔導書に収められ、天からの光が徐々に弱まっていく。


「姫様!」


 『継承』が終わると、エリリアの身体が燐光を帯びたままゆっくりと降下を始めた。

 ジークマリアがエリリアの身体に触れると、彼女の体までもが重力を忘れたかのように軽くなる。


「マリィ……」


 エリリアは、まるで居眠りをしていたかのように、眠たげにジークマリアを見つめる。


「姫様、おめでとうございます」

「……うん。ありがとうね、マリィ」


 ジークマリアがエリリアを抱きかかえるような形で、二人はフェザーンに降り立つ。

 二人の背には、燐光が翼となって煌めいていた。



 †×†×†×†×†×†×†



「ということがあったのだ」

「あったんです♪」


 ジークマリアの言葉にエリリアが嬉しげに頷く。


「翼?」

「そうです。私が新しく授かった魔術の効果みたいなんですけど、まだ自分でも実感が無くて」

「そっか。翼かぁ」


(翼が生えたら姫さん、天使みたいだろうなぁ)


 閉人はそんな事を思った。


(まあ、元から天使みたいなお人だけどさ)


 ちなみに、ジークマリアに翼が生えたらデビルマンみたいだろうと何となく思った。



 翼の寺院の境内を歩き回っていると、すぐ近くをバードマンの子供たちが追いかけっこしながら通り過ぎていく。


(ってか、バードマン自体が結構『天使』だよな。翼生えてて、高いとこ住んでて。良い人たちばっかで)


 などと考えていると、


「おババ様、また来るよ!」


 子供たちの声がした。

 閉人たちを追いぬいて行った子供たちが、境内の隅に佇む小さな墓に花を添えて、また追いかけっこに興じ始める。


「もしかして、婆さんの……?」


 閉人の問に、二人が頷く。


「遺言を遺されていたそうだ。『墓は小さめで境内の隅、子供たちが遊ぶ邪魔にならないような場所に』と」

「はは、注文多っ。でも……婆さんらしいな」


 閉人は墓石の前に両膝をついた。


「ありがとうな婆さん。どうか、安らかに」


 閉人はしばし瞑目し、手を合わせた。

 この世界におけるお参りの、正しい作法などは知らない。

 だが、閉人の祈りは通じていただろう。


 風が優しく一同の頬を撫で、天空へと還っていった。



 †×†×†×†×†×†×†



 そして、風は誰にでも平等に吹くものである。



「あー、うるせぇなぁ。ビュービューよぉ……」


 ハイランダー山脈に刻まれた深い谷底で、青い息を吐きながら這いずる男がいた。


 男の全身には深い傷が刻まれており、所々が損傷していた。


「こちとらロクに耳も塞げねぇんだからよぉ」


 男には両手が無かった。

 左手は元から無かったが、右手は凍傷で壊死したので、切り捨てた。


 谷底から逃れる術も無いので、同じく底に落ちてきたドラゴンの死肉に齧りつきながら、男はほくそ笑む。


「ククク、ケケ、ケキャキャ。止んだと思ったら、まぁだピョロピョロと笛の音が聞こえてやがる。俺に何を期待してやがるんだ? なぁ、おい!?」


 男の苛立ち混じりの問いは虚しく谷間に木霊する。

 問いに答えが返ってこないことは百も承知だった。


「ケッ、ここは生臭ぇし暇だな。閉人でも落っこちて来れば、飽きずに遊べるんだが……」


 男が心底つまらなそうにしていると、その背後に黒い影が立った。


「あ? お前も『魔笛』に囚われたクチか?」


 イルーダンが訊ねると、影の主は気だるげに答えた。


「アンタみたいなロクでなしと一緒にしないで欲しいものね。ま、似たような状況ではあるんだけど」


 黒い影は片方だけ残った翼を広げ、その手に持った『杖』を示した。


「おいおい、『魔笛』かよ……」


 影は、ほくそ笑む。


「アンタとアラザールが暴れてる陰でくすねたのよ。フォーグラー卿が消えた後も、自動的に術を行使し続けている……」


 影は、ほくそ笑む。


「ねぇ、アタシと手を組まない? お互い、『死にぞこない』で終わるつもりはないでしょう?」

「……」


 男は立ち上がり、影に向けて無い右手を向けた。


「いいぜ、乗ってやる。新しい武器を寄越しな」



 誰にでも、平等に風は吹く。

 『生者』だろうが『死にぞこない』だろうが……



「なあギルデンスターン。フォーグラー卿の屋敷が焼き払われてしまったぞ」

「そうですなぁ、ローゼンクランツ。それよりも何か、大事な事を忘れとる気がしますが……」


 あるいは『死者』にも、風は明日に向かって吹き続けているのである。




『断章のグリモア』


 その34:『継承』について


 マグナ=グリモアは究極の魔導書である。

 と同時に、『マギアス魔法王国』の権力構造三頂点『マギアス王家』『杖の騎士団』『グリモア議会』の均衡を担う権力装置とされている。

 その『継承』においては三権力の調和が必要となり、儀式はそれを象徴したものとなる。


 『継承』を主導する『グリモア議会』は継承者たる『姫巫女』を養育、管理する。

 『マギアス王家』は継承を承認し、『姫巫女』に最初の『しるし』を与える。

 『杖の騎士団』は継承に臨む『姫巫女』を守護する。


 そのどれが欠けても継承は成立しえないことに、『継承』が持つ象徴性がある。


 ジークマリアがこの守護役に滑り込むためには多大な労力が必要だった。

 杖の騎士として武名高いギナイツ家の後ろ盾がなければ候補に挙がる事すらまず不可能であったし、輪を掛けてジークマリア自身の怪物的戦闘センスで並みいる候補者を打ちのめして慣例を捻じ曲げ、ようやく勝ち得たのである。


 だが、それ自体は……いや、『継承』そのものでさえも、ジークマリアにとっては過程に過ぎない。


 ジークマリアが守りたいのは『姫巫女』ではなく『エリリア』。

 その誓いだけが彼女を今も走らせている。

 ジークマリアのこのスタンスは、それまでの継承に比べてかなり例外的である。


 そして、もう一つ。

守護者ガーディアン』こと黒城閉人もまた、この継承の歯車から逸脱した存在である。


 今回の継承に二つのイレギュラーが生じていることに気付いている者はまだいない。

 少なくとも今のところは、の話ではあるが……

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