1‐4‐4 悪夢王



「閉人くん……閉人くん。大丈夫かね?」

「へ?」


 朦朧としている意識に何かが呼びかけてきた。


「まさか、『面接』中に異世界の夢を見ていたのですか?」

「げっ!」


 俺は『我に返り』、自分が置かれている状況を把握した。


 そうだ、何をやってんだ俺は。

 俺はローランダルクでの冒険を終えて日本に帰って来たんじゃないか。


 ここは東京都内、俺が目指す『会社』の会議室。

 見慣れない部屋に大きな机。

 部屋の隅には『会社』の業績を誇るように製品や賞状、トロフィーが飾られている。



 そう、今の俺は就活生。

 だから、俺はここで自分の価値を証明しなければならない。


 姫さんに仕え、ジークマリアにドつきまわされながら巡った旅を経て、俺は帰ってきた。

 そう、俺はもう一度日本で生きていくんだ。



 ……と、大層な決意をしたものの、


「し、失礼しましたッ!」


 俺は平謝りに謝った。


「ははは、よほど彼の地が恋しいと見えます」


 面接してくれている『社長』、イヴィルカイン=フォーグラーの爺さんは鷹揚に笑った。

 どうやら、気にしていないらしい。


(よかった……)


 面接中に居眠りなんて、普通は有り得ねぇ。

 だけど、この人は笑って許してくれている。


 俺は、救われたような気持になった。


 『面接』は、『黒城閉人』という存在の価値を証明する場だ。

 失敗は絶対に許されない。

 もしここでしくじれば、自殺を繰り返していた頃と同じだ。


 あの旅には何の意味も無かったという事になる。


 それだけは嫌だ。



(大丈夫だ……俺は、変わったんだ。自信を持て。俺は……)



 俺は自分を鼓舞し、『社長』に取り入ろうと向き直る。


(よし、いける!)


 どうにか不安や緊張を忘れることができた。

 全部、頭の中に響き続けている笛の音のおかげだった。



 †×†×†×†×†×†×†



 屋敷の最上階、応接間にて。


 『魔笛の空賊団』参謀、イヴィルカイン=フォーグラーが立ちはだかる中、正常な意識を保っているのはボリ=ウムだけだった。

 しかも、ボリ=ウムは操られた閉人に取り押さえられている。


 イヴィルカインに対するは、謎の魔術により意識を失ったままのエリリアのみ。

 状況は絶望的に見えて、しかし、思わぬ方向へと転んでいた。


 ……エリリアが、あまりにも強かったのだ。



「ぐふっ……少々、議会を見くびっていたようですね」


 イヴィルカインは、口の端から血を流して片膝を付いていた。

 無数の切り傷が老体に刻まれ、紳士服はもはや見る影もない。


「……」


 全て、エリリアが手に持った食事用ナイフでやった事である。

 ふらふらと夢遊病患者のように歩きながら、卓越したナイフ捌きでイヴィルカインに歩み寄ってくる姿は、幽鬼のようである。



「ち、ランク2、魔術『魔弾カスパール』……ッ!」


 満身創痍のイヴィルカインの両手から、音に迫る速度で魔力塊が無数に放たれた。


「……」


 だが、エリリアがしたことと言えば、手に持ったナイフを振るうだけだった。

 それだけで、エリリアの眼前に迫っていた魔力塊たちがバチバチと電撃質の音を立てながら霧散する。


 『魔弾』を切り分けて分解したのである。


「おのれ、傀儡の分際で!」


 イヴィルカインはバードマン達がするように魔力で起こした風に飛び乗ると、強引に後退した。


「……」


 エリリアは食卓に用意してあったフォークを手に取ると、イヴィルカインに投げつけた。


「ぐぅッ!?」


 フォークはイヴィルカインの首筋に突き刺さった。

 イヴィルカインは咳込みながら転倒し、血反吐を吐いた。



 魔による筋力の補強。

 反射神経の加速。

 ナイフやフォークに魔を纏わせることによる強化。


 これらは魔に溢れたローランダルク大陸に暮らす生物ならば、感覚的に行える技能であった。

 いうなれば、ランク1魔術『魔』。


 バードマン達が自分たちで風を起こして空を舞うランク1『風』と同様の、ほぼ生得的な技術。

 エリリアは、いや、エリリアを動かしている何者かは、それを究めていたと言っていい。


「く、流石に『この身体』では手に余りますね……」


 イヴィルカインはフォークを首から引き抜きながら、苦しげに呻いた。


 だが、その顔には不敵な笑みが張り付いたままである。

 自らの勝利を些かも疑っていない。


 イヴィルカインが再生した右手をかざすと、彼の魔笛杖が魔力に導かれてその手に戻る。

 どす黒い魔力が杖からあふれ出し、大気を侵す。


「ここは若い者に働いてもらうとしましょう」


 その目が、閉人に向いていた。



 †×†×†×†×†×†×†



 俺は、どこで何を間違えたんだろう?

 自殺を繰り返していた頃、俺は自分の過去を振り返ってはそんな事ばかりを考えていた。


 今も、そうだ。


「そんなに異世界が恋しいのならば、何故帰ってきたのです?」


 『社長』の声色が変わった。

 詰るように、追い詰めるように、さっきから質問が鋭く俺の心を抉ってくる。

 俺は、何かを間違えてしまったんだろうか。


「俺……いや、私は『守護者ガーディアン』の役目を終えたんです。帰ってくるのは当たり前でしょう」


 俺は、自分で何度も納得したはずのことを述べた。

 だけど、そんな精一杯の答えも、目の前の社長にとっては言い訳に過ぎなかった。


「用済み、と。で、のこのこと元の世界に放り出されたという訳ですか?」

「それは……」


 全身が強張る。

 喉元に刃物を突き付けられたかのような圧迫感。


 挫折、屈辱、絶望。

 俺が、死のうとするまでに何度も何度も何度も何度も味わった苦い感情が込み上げてくる。


 納得して帰ってきたはずだ。

 納得して別れたはずだ。

 納得して就活してるはずだ。


 なのに、何故?


(ああ、またなのか……)


「違うんです! 俺は……!」


 俺は反駁しようとして、『社長』の顔を見た。

 だが、その顔はそれまでの好々爺ぶった紳士のそれじゃない。


「ヒッ……」


 俺が止めを刺した魔物、三つの目が潰れたグレイトタスクの顔がそこにあった。

 グロテスクな死体の首を被り、社長は俺を詰り続ける。


「君は異世界で貴重な経験をしたと言う。だが、結局は『不死者』という特典に振り回されていただけではないかな? 君という人間の『内面』は『成長』してもいないし、『何か』を持ち帰ったという訳でもない」


 『社長』の言葉に、俺は青ざめる。

 どうして、そんな事を言うんだ。

 俺を、あの旅を否定しないでくれ……


『社長』の顔がグログロアのゴロツキ冒険者ドットの、滝つぼに落ちていったときの顔になる。


「君には何も無い。『異世界に行った』? 夢を見ていたのと同じだろう。今の君には、何も、無い」


 『社長』の顔はその後、あの恐ろしいフィロ=スパーダの顔やイルーダンの顔を経て、再びイヴィルカイン=フォーグラー本人のそれに戻った。


 その頃にはもう散々に打ちのめされて、俺はろくに口を利く事も出来なくなっていた。


 吐き気がした。

 まるで悪夢だ。

 俺の人生は、終わらない悪夢……


「俺は……ッ!」


 それでも何とか言い返そうとしたけど、俺は分からなくなった。


「俺には、何も、無い……?」


 俺は、自分の価値を求めて、じっと手を見た。

 当たり前だが、何もない。


 魔銃カンダタや鉈を握って戦った手に、今は何もない。

 自殺しようとした時に自分で付けた切り傷が、左手首に残っているだけだった。


「そう、今の君には何の価値も残されていない。君は、帰って来るべきではなかった」


 ……そうだ。

 『社長』の言っている通りだ。


 何で帰って来たんだ、俺は。

 俺はあの旅でまだ何も変われていない。

 何も手に入れていない。


 無価値だ。


 俺は……


 あの時と、何度も死のうとして失敗した時と同じだ。

 死にぞこない。

 死んでいないだけの『不死者』。


 死なない?

 それがどうした。

 生きていても仕方がない俺が、死ねずに苦しみ続ける地獄だ。


 死にたい。

 死にたい。

 死にたい。

 死にたい。

 死にたい。

 死にたい。

 死にたい……


 何度も俺を苦しめてきた虚無感が、じんわりと俺の心に染みだしてきた。



 一度こうなると、俺は駄目になる。


 何もできない。

 眠る事も出来ない。

 何度も起きたり、ゲロを吐いたり、薬を飲んだりした。


 ぼろ屑みたいになって、全部が狂っていく。


 どうして、こんな目に遭ってまで俺は生きなきゃいけないんだ?

 俺に、価値なんてないのに……



 笛の音がした。

 俺の心の隙間を風が抜けるように音が通っていき、浸透していく。


 すると、俺は何も感じなくなる。

 不安も、絶望も、屈辱も、全部忘れられるような気がした。



「そう、落ち込むことはありません。君のような男にも、利用価値はある」


 朦朧とした意識の中で、『社長』の声がする。

 俺を道具扱いするような見下した言葉に、俺は何故か安堵した。


(何でもいい。俺に少しでも価値を見出してくれるのなら……)


 俺が顔を上げると、そこには最初と同じ、朗らかな『社長』の顔があった。


「旅を終わらせなければ良いのですよ、閉人くん。翼の大僧正や女騎士を八つ裂きにし、姫巫女殿を捕えればいいのです。そうすれば君の旅は終わらない」


(……何言ってんだ、コイツ?)


 俺はそう思ったはずだ。


 だけど、何かがおかしいと気付いているはずなのに、俺の心は『社長』の提案に揺さぶられ、いつの間にかそれを受け入れていた。



「旅が終わらなければ故郷に、君の価値を認めようとしない世界に帰らなくてもいいのです。『不死者』の肉体という価値も失われない」


 『社長』の声と共に、笛の音が強くなる。


 もう、何も分からない。


 死ぬことができないのなら、せめてもう何も考えたくなかった。

 そう、何も……


 俺は……



 †×†×†×†×†×†×†



「閉人くん、君に初めての仕事をあげましょう」


 イヴィルカインの言葉に、現実世界の閉人はビクリと身体を震わせた。

 顔に生気が戻るが、その代りに目が現実を見ていない。


「ち、さっきの騎士共と同じかい……ッ!」


 ボリ=ウムは眉をしかめる。


 閉人は右手で鉈を引き抜くと、ボリ=ウムを押さえつけている第三の手を自ら切り落とした。


「何を……ッ!?」


 閉人の自傷には、不死者だからこその意味が有った。

 切断面から滴る血がたちまち不死者の復元力を得て粘質化し、ボリウムの翼を床に縫い付けた。

 まるで、不死者の肉体の使い方を思い出したかのように、ためらいなく閉人は自らの血に塗れる。


「俺は……」


 ブツブツと呟きながら右手に鉈を、左手に魔銃カンダタを構える。

 そのままボリ=ウムには目もくれず、閉人はゆっくりとエリリアに向き直った。


 助けに来たはずの主。

 守るべき姫君。


 であるのに、閉人は虚ろな目でエリリアを見据え、カンダタを向ける。


 対してエリリアもまた機械的にナイフを構えた。



 イヴィルカインは哄笑した。


「はっはっはっ、何と美しい情景でしょう。主従が正気を失って互いに武器を向け合う。良い、実に良い……」


 イヴィルカインが杖を振るうと、魔笛の音が応接間を包み込む。


 死者に夢を見せるランク8、魔術『魔笛王之悪夢再演アマデウス・リサイタル』がイヴィルカインの膨大な魔力を受けてますます支配力を強め、生者にまで干渉を始めた。


「ぐっ、頭が割れちまいそうだ……ッ」


 ボリ=ウムは閉人の血に絡め取られながら呻いた。


「せめて片翼だけでも使えれば……」


 できることがある。

 ボリ=ウムには切り札があった。

 無理を押してここまでついてくるに足る、秘密兵器が。


 だが、このままでは……



「さあ閉人くん、君の利用価値を示しなさい」


 イヴィルカインは、魔笛を通じて膨大な魔力を閉人に注ぎ込む。

 二度と現実に戻って来れないよう、心を押し潰すほどの魔力を。



「ウ ア ア ア ア ア ア ア !」


 閉人は断末魔のように叫び、エリリアに挑みかかった。




『断章のグリモア』


 その29:『三大禁忌』について


 魔術師たちの世界には『三大禁忌』と呼ばれるタブーが存在する。

 『人心操作』。

『死者蘇生』。

『時空間操作』。

 これらは魔術理論的に可能でありながらも人の道を著しく外れるとされ、あらゆる魔術法において禁止されている。

 だが、閉人を操っている『魔笛王之悪夢再演アマデウス・リサイタル』やボリ=ウムの『竜星時空門螺旋御霊会タキオン・スパイラル・アソシエーション』、あるいはエリリアを操る謎の魔術など、実際にはそれを破るような禁術が幾つも存在し、運用されている。

 タブーが浸透した世界において最も得をするのは、タブーを破る事を苦にもしない者、あるいはタブーを制定した当人のどちらかである。

 それは、どんな世界であっても変わらない真実の一側面であるといっていいだろう。

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