1‐4‐2 風の行方

 それは、『魔笛の空賊団』アジトに向けて発つ直前のこと。

 暮れかけの夕日に赤く染め上げられたフェザーンの里は、風に包まれて尚静かであった。


 嵐の前の静けさ。

 ローランダルクにそれに近い言葉があったかどうかは分からないが、その意味合いに似た予感を誰しもが抱いていただろう。


 そんな中、瞑想の間にて。


「クシテツ、これから里はアンタが仕切りな」


 まるで晩御飯の献立を決めたかのような気軽さで、ボリ=ウムは言ってのけた。


「は?」


 クシテツの間抜けた声が瞑想の間に響く。


「何を言ってんですか婆ちゃん! ……じゃなくて、猊下! 生涯現役と常日頃おっしゃる貴方でしょうに!」


 クシテツの反応に、ウンザリとした様子でボリ=ウムは続けた。


「長老どもも似たような反応をしとったが、そんなに驚く事かねぇ」


 ボリ=ウムは好物の煎餅を食むと、つまらなそうに茶を啜った。


「言っただろう、アタシぁちょっとだけ未来を知っとるんだ。今回の事がどう片付こうとも、しばらく大陸はごたつくよ。それに備えるには、荒事に向いたアンタが適任さね」

「だったら尚更、グリモア議会にも顔が広い猊下の方が……」


 クシテツの言葉に、ボリ=ウムは呆れたように息を吐いた。


「はぁ、分かっとらんねぇ。アタシぁ死ぬんだよ」

「……!」


 クシテツは神妙な顔で曾祖母の顔を見つめた。


「死……?」

「ああそうさ。この一件でコロっとね。それははっきりと『見た』」


 ボリ=ウムは、あっけらかんと予言した。

 クシテツは、大きく息を呑んだ。


「変えられないのですか、その未来とやらは……?」

「そういう『流れ』だからねぇ。まぁ、やればできないことも無いんだろうけど、それよりもアタシぁ……」


 ボリ=ウムは何かを言いかけたが、気が変わったのか、出かかった言葉を飲みこんだ。


「まあいい。それよりも、今夜の奇襲にはアタシも参加するからね」

「は?」

「いいだろ。アタシぁもう大僧正やめるんだから」

「ああもう、勝手ばかり言わんでくださいよ。そんなに年甲斐も無くはしゃぐから、死ぬような目に遭うんじゃないですか?」


 クシテツは呆れ顔だった。

 だが、一度言い出したら聞かないのがボリ=ウムであると、彼が一番よく分かっているのであった。


「すまんね、クシテツ。これが、アタシの命の最後の使い方だ。分かっておくれ」


「……分かりました。猊下の……いや、婆ちゃんの好きになさればよい。兵たちには伝えておきますから……」

「ああ、ありがとうよ」


 ボリ=ウムは瞑想の間にかかった掛け軸を外した。

 裏に掛けられていたのは二枚の薄刃。

 その内の一枚を、ボリ=ウムは風に乗せてクシテツに投げ渡した。


「これは……?」

「アンタにやるよ。お守り代わりに持っときな」


 ボリ=ウムは気軽く言うと、戦支度をしに自室へと引っ込んでいった。


「……」

「……」


 師弟であり、上司と部下であり、家族でもある。

 年離れた二人のバードマンの間で交わされた最後の会話は、このようなものであった。



 †×†×†×†×†×†×†



「ククク、中々良いザマになって来たじゃないかぁ、えぇ、おい?」


 屋敷上空で繰り広げられていた空中戦は大詰めを迎えていた。


 イルーダンとその愛竜に加えてと配下が二騎、合計三騎がクシテツを取り囲む。

 クシテツ以外の僧兵たちは翼を断たれ、空に残っている者は一人としていなかった。


 加えて……


「思ったより『左手』も悪くない。良い『的』だったぜ、トリ公」


 クシテツの体表、左肩を中心に紅い花が咲き乱れていた。


「流石の俺も、左手を斬り落とした時はヤキが回ったと思ったが、案外『手』は残されてるもんだぜ」


 イルーダンが右手を『左手』にそえると、次の瞬間にはクシテツの身体を何かが貫いている。


 『左手』に銃口は無い。

 加えて、飛んでくるのは小さな粒上の何かなので紙一重に避けるようなこともできない。

 銃弾を見切るクシテツへの有効打となっていたが、イルーダンが編み出した『左手』は、そもそも『不死者』に対するための秘密兵器だった。


 圧倒的優位の高みから、イルーダンはクシテツを見下ろしている。


「お前たちもよぉ、いっそのことスパァっと切り捨てちまったらいいんじゃねぇの?」

「……?」


 クシテツが訝しむような顔をすると、イルーダンは嘲笑した。


「里だよ里。俺たちに逆らって死ぬぐらいなら、里の一つや二つ、差し出して逃げちまえば良かったってハナシ。案外、良い引っ越し先が見つかるかもしれねぇぜ?」


 それは悪人の思考と言うよりは、ダークエルフのそれである。

 森を追われて地下に潜り、酸いも甘いも噛み分けて来た人生。

 イルーダンは自身の哲学を身勝手にぶつける。


「貴様……」


 その勝手きわまる口振りに、クシテツは激怒しそうになったが、


「ほうら、そうやってすぐ頭に血が上る。アンタの悪い癖だよ」


 ふと、耳元でボリ=ウムの小言が聞こえたような気がした。

 すると、クシテツの全身に満ちていた闘気がふと止み、それに伴いトラキラの成長が止まった。


「……それが、賊という生き物の、種族、故郷を捨てた者の考え方か」


 クシテツは、静かに呟いた。


「あ?」


 イルーダンの耳に僅かに痛む言い回しであった。

 睨み付けるイルーダンをよそ目に、クシテツは続ける。


「確かに、大地とは広大だ。貴様たちから逃れた我々を迎え入れてくれる土地もあるかもしれない。だが、それでは守れぬものもある」

「何だよ?」

「『誇り』だ。天空に最も近い場所に暮らす者の目、誰よりも空を知る者としての矜持を、拙僧は守る」

「ハッ、それが『翼の教え』だってか!?」

「いや、違うな。大僧正……婆ちゃん譲りの、『意地』だ」

「笑わせるッ!」


 イルーダンはスペアの小銃を引き抜いてクシテツに向けた。


「鳥風情が粋がってんじゃねぇ!」


 イルーダンの銃撃が空中を薙ぎ払う。

 空中に無数の点線を引き、その軌跡がクシテツを追う。


 状況はイルーダンが優勢であった。


 アイリーンの『銃殺獄庫(パウダー・ジェイル)』により、弾薬は無制限。

 加えて、『左手』によって傷を負ったクシテツの体力は刻一刻と奪われ続けている。

 このまま銃弾の脅威を与え続けて距離を取っていれば、勝つのは間違いなくイルーダンの陣営であった。



 異変が起きたのは、そんな一方的な状況の最中である。


「ランク1■、秘匿■■■術『天■■承■■■魔……器……」


 遥か眼下、屋敷の最上階から爆発的な魔力が噴き出した。


「何だ!?」


 イルーダンの魔眼は魔をも可視化する。

 故に、いち早く眼下の屋敷で起きた異常事態に気が付いた。


「イヴィルカインの野郎が本気で戦っているのか? いや、それだけじゃない。同等の『何か』が暴れてやがる……ッ」


 その事実は、想像以上にイルーダンに衝撃を与えていた。


 空賊団はイヴィルカイン=フォーグラー無しには成り立たない集団である。


 そもそも、無軌道な殺戮者であったイルーダンに『国盗り』という方向性を与えたのがイヴィルカインだ。

 何か得体の知れない狙いがあると知りつつ、イルーダンはその話に乗っている。


 そのイヴィルカインが、押されている。


「イヴィルカインの化けの皮を剥がすとは、誰だ……?」


 その正体が、エリリアだなどとは、思考の端にすら浮かんでいない。

 イルーダンは『見えすぎる』故に、異変に気を取られ過ぎた。



(今だ!)


 残った体力の全てを使い果たす覚悟でクシテツは風に飛び込んだ。



 クシテツは滑空し、それまでどうしても潜りこめなかったイルーダンの下方、飛竜ワイバーンの身体によって生じた死角へと滑り込む。


「ち、しゃらくせぇことしてんじゃねぇ!」


 イルーダン配下の二騎が滑空し、長槍を手にクシテツを刺しにかかる。

 その内の一槍がクシテツの翼を掠め、純白の翼を朱に染め上げた。


「ッ!」


 しかし、致命傷ではない。

 クシテツは槍の柄を掴むと、その持ち主が慌てて引き戻そうとする力を利用して加速。

 賊の槍使いを斬り裂き、その勢いのまま飛竜ワイバーンを落とした。


 真空を纏った刃は、竜の鱗をも断つ。


「ええい、よくも!」


 残った一騎が止めを刺そうと迫るが、接近したクシテツの敵ではない。

 長槍の突きを紙一重に躱すと、先程と同じ要領で攻め上がる。


「覚悟!」


 クシテツの刃が賊の喉元に迫る。


「ひっ……」


 賊の顔からサッと血の気が引き、恐怖にひきつった。

 だが、その目はクシテツとは別の場所を見ていた。


「クク、釣れたぜ」


 殺気がクシテツの頭上から突き刺さる。


 銃撃。


 クシテツが最悪の可能性に気付いて逃れようとする中を、銃弾の列が切り裂く。


「グェッ!」

「ギャッ!」


 残った一騎に乗り合わせていた賊たちの身体が掃射で弾け飛び、傷ついた飛竜(ワイバーン)と共に墜落していく。


「貴様、仲間ごと拙僧を……ッ」


 脇腹と翼からは、銃弾が骨を割る嫌な音と共に血が噴き出していた。

 目に見えて動きの衰えたクシテツを見下ろし、イルーダンはほくそ笑む。


「おらおらどうした。逃がさねぇぜ」


 銃口がクシテツの翼を追う。


「くっ……!」


 迫る銃口から逃れようと、クシテツは傷だらけの翼で風に乗るが、銃弾が描く点線は蛇が這い進むようにクシテツの退路を断ち、上へ、上へと追い詰めていく。


「はは、よろよろとみっともねぇ奴だ」


 クシテツはイルーダンの真上にまで上昇すると、苦しげに身を翻してその場にとどまった。

 月を背に、静かにイルーダンを見下ろす。


「月光の中に隠れたつもりか? それとも、観念したか?」


 イルーダンはためらいなく銃口を向ける。


 だが、その決定的にも思える一瞬にて、クシテツの目はイルーダンを見ていなかった。

 どこか別の場所、イルーダンの遥か後方。

 瞬間、無意識かつ僅かな視線の揺らぎがイルーダンに疑念を抱かせたが、修羅場ではそういった迷いが命取り。


 見えない場所のことなど構っている場合ではないと、イルーダンの直感が判断した。


「死ね!」


 イルーダンはクシテツに向いた小銃の引き金を引き、銃声と共にクシテツの身体がよろめいた。


(殺った……ッ!)


 確信した刹那、イルーダンの全身に奇妙な痺れが走った。


「あ?」


 続いて、それまで一心同体の如く駆っていた愛竜が飛ぶ力を落としていき、奇妙な浮遊感がイルーダンを包み始める。


 それが浮遊でなく落下であると気が付いたのは、その数秒後の事であった。


「『ディーゴ』……ッ!?」


 イルーダンは愛竜の名を呼ぶ。

 その時になって、痛みが遅れてイルーダンの全身を駆け巡った。


 槍だった。

 天を突かんばかりの勢いで投げ上げられた槍がイルーダンの飛竜ワイバーン『ディーゴ』の胴を突き破り、さらにイルーダンの肩を背中から貫いていた。


 飛竜の上からでも相手に届くように、長く改良された空賊の長槍である。

 その長い柄が、ディーゴとイルーダンの身体を串刺しにし、器用にも繋ぎ止めていた。


 槍があまりにも長く、そして深く突き刺さっているために、抜くことができない。


「一体どこから……ッ?」


 槍に貫かれたまま、イルーダンは眼下を見やる。


 視界の端、木々の合間から、僧兵たちの姿が見えた。

 そこからは、吹き荒れるような魔力の高まりが、残滓となって感じられた。

 奇しくも、屋敷から噴き出した魔力が、彼らの魔力を一時的に覆い隠していたのである。


「ランク2、風魔術『風槍ゲイル・スピア』。風で槍を撃ちだすだけの単純な術だが、束ねれば天駆ける竜をも射止める」


 告げたのは、クシテツだった。


「テメェ、何で……ッ」


 生きてやがる!?

 そう訊ねようとして、イルーダンはグラス一杯ほどの血を吐いた。


 墜落したバードマン達が画策していたのは、このたった一度の狙撃であった。

 普段のイルーダンならば魔眼の力でいかようにも躱せたはずだったが……


「最初から自分が囮になるつもりで……っ!」


 イルーダンが睨み付けると、クシテツは憐れむような目でイルーダンを見下ろした。


「部下を率いる者として、あるべき姿を見せたまでだ。戦士としては貴様の方が遥かに上を行っていただろうに……」

「この、糞鳥がぁ……ッ!」


 力を喪った愛竜ディーゴに槍で繋がれたまま、イルーダンは墜落していく。


 重くのしかかるような激突の衝撃、骨が砕ける音、そして肉の潰れる音が上空まで微かに響いた。


「……」


 クシテツは懐から刃を取り出した。

 ボリ=ウムから出発前に託されたその刃は、刀身で銃弾を受け止めてひしゃげている。

 それが無ければ、イルーダンの放った最後の一発がクシテツの心臓を貫いていただろう。


「婆ちゃん、未来は変えられないんじゃなかったのか……?」


 墜落したイルーダンを見下ろしつつ、クシテツは目を細めた。


「ならば、まだやれる。拙僧にはまだやれることが……ッ!」


 クシテツは血に塗れた翼を羽ばたかせ、魔力渦巻く屋敷へと舞い降りた。



『断章のグリモア』

 その27:時を越えた干渉について


 時の『流れ』は大河のようなものである。

 巨大な質量の奔流であり、流動的であるが故に人の手に収まる事がない。


 ボリ=ウムが身につけたランク10、魔術『竜星時空門螺旋御霊会タキオン・スパイラル・アソシエーション』は、いわば魚の身でありながら河の岸に上がり、大河の『流れ』を観測する魔術である。

 鳥のように河全体を見渡す視線を持つことができるならば、流れを捻じ曲げることはできなくとも外敵や障害物を避けて泳ぐことはできるだろう。

 だが、それだけでは河の『流れ』そのものを変えることは出来ようはずもない。


 生物の生き死に、歴史、運命、etc……


 そういった強い『流れ』を変えるためには、さらに何かが必要であった。


 そして、ボリ=ウムはその領域に踏み込むために数字を一つ、1大きくすることにしたのである。

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