1-4-1 永遠の泥濘


「黒城閉人さん。あなたの履歴書には一年間の空白がありますが、何をなさっていたんですか?」


 長机を挟んで閉人の真向かいに座った、初老の男が訊ねる。

 彼は『社長』である。

 閉人は、頭の中に薄い雲がかかっているような気がしたが、『面接』の時はいつもそんなものだ。


 そう、『面接』。

 閉人は面接会場の見慣れぬ部屋で、相手に向き直っていた。


(そうだ。俺はこの一年で変わったんだ。あの旅のおかげで……)


 閉人は、胸に手を当て、今は過去の事となった旅を思い返す。


 フェザーンにてマグナ=グリモアの継承儀式が完成し、『守護者(ガーディアン)』としての役目を終えた閉人は、惜しまれつつも地球へと帰ってきた。


 かつては七度自殺を試みるまでに憎たらしかった世界だが、今では『あと数十年ぐらいなら居てやってもいいか』と思えるぐらいにはなっていた。


 全ては、あの旅のおかげだった。


 閉人は、自分が体験した不思議な旅の事を答えることにした。


「異世界……いや、海外に行っていました。いわゆるボランティアってやつですが、そんじょそこらの奉仕活動とはわけが違います」

「ほう? 詳しくお願いします」


 『社長』は興味を示した態で、閉人の話に耳を傾ける。


 閉人は、異世界や不死といった超常の出来事については伏せつつ、今は遥か遠くの異国の話を始める。


「その国にはお姫様が居て、国の宝である書物、『経典』みたいな物を代々受け継ぐんです。俺は、ちょっとした縁でその継承儀式の護衛に選ばれたんですよ」

「なるほど、まるで『西遊記』ですな」

「ええ、まったく」


 そこからは、面接向けに話を絞るのが難しかった。


 山でイノシシに襲われ、冒険者に助けられたこと。

 多種族が暮らす冒険者の街で兇漢や殺し屋に狙われたこと。

 港町で賊とやり合い、(ジークマリアのせいで)酷い目に遭ったこと。

 雲の上の寺院を目指して山を登ったが、山をナメてかかっていたこと。

 寺院で出会った人々、襲い掛かる恐ろしい賊たちのこと。

 そして、共に旅をした二人のこと。


「ふむ、実に興味深いお話ですな」


 『社長』は、実に愉快そうに手を打った。

 そんなに楽しい話をしたつもりではなかったが、閉人は、自分のかけがえのない体験の価値を認めてもらえたのだと、嬉しくなった。


(大丈夫だ。俺はこっちでもやっていける)


 閉人がそう思った矢先、耳の端に、何かの声が引っ掛かった。


「閉人、耳を貸すな!」


 老婆のしわがれた声が、閉人の意識を僅かに『現実』へと引き戻す。


「おやおや……どうしました、閉人くん?」

「!?」


『社長』の顔を見て、ゾクリと閉人の背が粟立った。

 目の前に座る初老の男はスーツではなく、ローランダルクの紳士服を着こなしている。


 イヴィルカイン=フォーグラー。


 『魔笛の空賊団』の参謀、イルーダンに次ぐ恐敵が面接官として目の前に座っていた。


(何で、コイツがここに!? いや、どうして『気付けなかった』!?)


 閉人は混乱したが、笛の音色が辺りを包み込むと不思議な自信と安心感がどこかからか湧いてきて、そんな些細な事はどうでもよくなってしまうのであった。



「楽しいお話をありがとう。君の冒険譚は実に面白かった」


 イヴィルカインは微笑んだ。

 閉人は、その微笑みを見て、それまでの面接態度に問題が無かったのだと安心してしまう。


 既に、閉人の目にはイヴィルカインが『社長』に見えていた。


 これは、そういう魔術なのだ。


「ランク8、禁断魔術『魔笛王之悪夢再演アマデウス・リサイタル』。死者に夢を見せてあやつる禁術。君の心は死者と同じぐらい脆いよ、閉人くん」


 現実感と思考が、麻痺毒を含む甘い液体に沈んでいくようだった。


「さあ、君の利用価値を示したまえ。最終面接は、まだ始まったばかりだ」


 イヴィルカインの嘲笑と共に笛の音が閉人を呑みこみ、幾重にも悪夢の空間に取り込むのだった。



 †×†×†×†×†×†×†



 時を同じくして、空賊団のアジト最上階、応接間にて。


「閉人! おい、閉人!」


 ボリ=ウムは突如棒立ちとなった閉人を怒鳴りつけるが、閉人は虚空を見つめたまま動かない。


「無駄ですよ、ボリ=ウム大僧正猊下。彼の全感覚は、このイヴィルカインの魔術が掌握しております」


 イヴィルカインは、料理の並んだ食卓の向こう側で微笑していた。


 その隣席にはエリリアが座らされていた。

 閉人とボリ=ウムを見つめているが、その表情からは感情が欠落している。

 金髪銀眼の美貌と相まって、貴金属で組み上げられた人形のようであった。

 

「エリリア! アンタもまやかしに引っかかっちまったのかい!?」


 ボリ=ウムの呼びかけに、エリリアは答えない。

 代わりに、イヴィルカインが首を横に振った。


「姫巫女殿の心はそれほど弱くありません。むしろ、彼女が一番厄介な存在でしてね。恥ずかしながら、一服の薬を差し上げた次第です」


 イヴィルカインは口角を釣り上げた。


「もっとも、不死者のくせに心を死に魅入られた、彼の方が異常なのですがね」


 イヴィルカインが目くばせをすると、閉人は突如ボリ=ウムに掴みかかった。

 操られている。

 ぎこちない動きからして明らかだった。


「ふ、そうはいかないよ!」


 風に乗って枯葉のように舞えば、閉人の拙い動きに捕まるはずもない。

 ボリ=ウムはそう考えていた。

 しかし、


「甘い」


 閉人の背後に回ったボリ=ウムの翼を、閉人の手が掴んだ。

 だが、掴んだ手は右手でも左手でもない。

 背中、肩甲骨の中間から衣服を突き破って伸びあがった第三の手であった。


「!?」


 その掌では、出所不明の目玉がギョロギョロと蠢きながらボリ=ウムを捉えていた。


「な、何だいこりゃぁ!」


 流石のボリ=ウムも、これには驚きの声をあげた。


「これが不死者本来の戦い方ですよ」


 第三の手によって捕えられたボリ=ウムの身体をさらに閉人の右手と左手が掴み、乱暴に取り押さえた。


「グぅッ!」


 ボリ=ウムは、齢百をゆうに超える老婆である。

 こと『風』を用いた戦闘において生半可な戦士の及ぶところではないが、一度捕まってしまえば、筋力に任せて逃れることは不可能であった。


「ふふ、これであらかた片付きましたか」


 イヴィルカインはナプキンで口元を拭うと席を立ち、杖と魔導書を取り出した。

 取り押さえられているボリ=ウムを見下ろし、微笑を浮かべた。


「しかし、まさか大僧正猊下にまでおいでいただけるとは光栄至極の限り。遅ればせながら、アラザールをけしかけた者として、ご挨拶に代えさせていただきましょう」


 イヴィルカインはボリ=ウムの翼を革靴で踏みつけにした。

 ボリ=ウムは反抗の眼差しでイヴィルカインの顔を睨み付ける。


「それだけの力を持っていながら、なぜ……平和に暮らしているだけの里を……何が目的だ……?」


 ボリ=ウムの問に、イヴィルカインはほくそ笑む。


「異世界には『燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや』という言葉があります。貴女方のような小物の知ったところではない、という意味ですよ」


 イヴィルカインの目くばせに応じ、閉人の掴む力が増大した。


「折らせていただきましょう。その翼、種族の誇りを」


 閉人の心無き手がボリ=ウムを締め上げ、その翼を折ろうとしたその時、


「む?」


 エリリアの傍らから、何かが立ち上がった。

 『影』だ。


 ジークマリアのランク4『闇部侍臣シェイドマン』。

 寺院襲撃の際にジークマリアが密かにエリリアの影に潜ませていた『切り札』。


「おやおや、何やら魔術の匂いがすると思えば、影の中にいましたか」


 他人事のように分析するイヴィルカインに、闇部侍臣シェイドマンは一っ跳びに迫った。



 だが、本物ですら成功しなかった奇襲を、影が為し得るはずもない。


「ランク7、魔術『天候王之気象鎚エレファント・ストンピィ』」


 イヴィルカインの魔術、気圧の大鎚が闇部侍臣の動きを押しとどめ、地面に縫い付けた。

 その様に、イヴィルカインはほくそ笑む。


「影は大人しく踏みつぶされていればよろしい」


 イヴィルカインの言葉と共に、巨大な圧力が侍臣に圧し掛かる。

 ジークマリアの形をしていたそれはひしゃげ、人の形を喪い、崩れ去る。


「クソ、嬢ちゃんの切り札もここまでか……」


 ボリ=ウムは死を覚悟した。



 だがその時、イヴィルカインは最大の誤算をしていたのである。


 何が誤算か?


「マリィ……嫌……」


 ジークマリアの形が崩れていくのを、エリリアが目の当たりにしていたこと。

 薬物によってエリリアの意識が混濁していたこと。

 そして、エリリアが背負っている業の深さを見誤ったこと。


 鈴を鳴らすような声にイヴィルカインが振り返ると、席に就いていたはずのエリリアが立ち上がっていた。


「おや? お目覚めですか、姫巫女殿」


 だが、その様子がおかしい。


「よくも、私の騎士を……よくも……」


 鈴のような声に、不吉な音色が混ざる。

 エリリアの瞳にいつものような優しい光は無く、薄暗い影を帯び、じっとりと暗い炎を灯していた。


「私の大好きな人たち、みんな、みんな、いなくなる……」

「……?」


 イヴィルカインは、おやおやとほくそ笑む。


「姫君には薬が強すぎたかもしれませんね。たかが『影』を本人と見紛うとは」


 あるいは、影に込められたジークマリアの魔を読み取っていたのかもしれない。

 取り押さえようと杖を構えた。


 はずだった。


「おや?」


 イヴィルカインは、杖を握る感触が無いことに気が付き、ふと右手を見た。


 右手が無い。肘の先辺りから服の袖ごと消失していた。


「……」


 イヴィルカインは足元を見回すが、切断されてその辺に転がっているという訳でもないらしい。


「猊下、私の手をご存知ですかな?」


 ボリ=ウムは閉人に取り押さえられた状態のまま、唖然としてエリリアを見つめている。


「エリリア、アンタどうしちまったんだい……?」


 エリリアの手には食事用のナイフと、それによって切り取られたイヴィルカインの右手が携えられている。


「ランク1■、秘匿■■■術『天■■承■■■魔……器……」


 判別不明の言語を交えながら、エリリアはその術の名を告げた。

 その意味を、イヴィルカインだけが理解した。


「なるほど、姫巫女殿に付けられた『首輪』が作動しましたか」


 イヴィルカインが右腕をかざす。

 すると、切断面から肉が不自然な速度で盛り上がり、元のような右手を復元した。


 閉人のそれとはまた異なる、異常な再生力である。


「許さない……絶対に……」


 エリリアはイヴィルカインの右手を放り捨てると、ナイフを構えた。

 でたらめな、それでいて殺気に満ちた構えである。


「ふ、お行儀の悪い事です。姫君とは言え折檻が必要なようだ」


 イヴィルカインの周囲、大気が歪む。


 刹那、魔力の嵐がエリリアを襲い、エリリアはそれに応じてイヴィルカインに迫った。

 幻影と静寂に包まれていた応接間は、たちまち魔の奔流が行き交う凄惨な戦いの場と化した。



「とんでもないことになっちまった。アタシの視ていない部分で、未来はこんなことになってたのかい……」


 ボリ=ウムは目の前で繰り広げられる戦闘に息を巻きつつ、イヴィルカインの指示を待って停止している閉人を睨み付けた。


「……おい、閉人。アンタぁ、こんなことしていていいのかい?」


 ボリ=ウムの言葉は届いたかどうか。

 閉人の目は、相も変わらず虚空を見つめていた。



 『断章のグリモア』

 その26:秘匿術について


 魔術の規模や性質は、ランクの大きさや分類、魔術名によって大まかに判別することができるとされる。

 しかし、一部の魔術師はそれを隠すことに努め、そのための技術を編み出していた。

 『秘匿術シークレット』と呼ばれるその技術は、魔文字を用いた暗号で式を記述することによって成立している。

 秘匿された術は特殊な言語によってのみ発現し、その名やランク、あるいは魔導書式から全容を読み取ることが困難になる。

 ただし、暗号化に際して要する記述量は秘匿前に比べて格段に増大する為、主に低ランクの封印術や交信術に用いられることが多い。

 ランク9以降、いわゆる『大魔術』に秘匿術が用いられるのは、きわめて珍しいケースである。

 そうまでして隠さなければならない国家級機密を秘めてでもいない限り、その膨大なコストに見合わないためである。

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