1‐2‐1 ハイランダー山脈

 マギアス魔法王国に伝わる偉大なる魔導書、マグナ=グリモア。

 この大魔導書を継承するために旅をする姫巫女一行はリリーバラを発ち、北に向けて進路を取っていた。


 目指すは大陸北東の地、バードマンの里があるハイランダー山脈。

 塩を含んだ風に別れを告げ、少しずつ険しい山岳地帯へと足を踏み入れる。


「昨日は曇ってて全然見えなかったけど、あれを、登るんだよな……?」


 野宿から起き出した閉人は山の頂を見上げようとしたが、ほぼ煙突状に伸びあがった岩壁は渦巻く雲の中に飲まれており、そのてっぺんを見ることはできなかった。


 それでも、その巨大な質量を窺い知ることはできた。

 ジークマリアは鎧を纏いつつ頷いた。


「ふむ。翼を持たない我々がバードマンの里『フェザーン』にたどり着くためには登山道を上っていく必要がある。かつて多くの外敵を退けた天然の要塞だ」

「げぇ、骨が折れそうだな……」


 閉人が息を呑むと、ジークマリアは僅かに口の端を釣り上げた。


「というのは、今は昔の話だ。現在では山の内部を安全に上る事の出来る『ゴンドラ』が動いているはずだ」

「それを先に言えっての」

「貴様は登山道を登ればいいと思ってな。良い修行になるぞ」


 ジークマリアは実にいい顔で言ってのけた。


(こいつ……)


 閉人は知っている。ジークマリアは割と本気で閉人を登山道に放り込み得る。

 ジークマリアは七歳で飛竜を血祭りにあげ、それを見て喜んだ父親に更なる厳しい修行を要求した生粋の戦闘マシーンである。

『リリーバラ何でもお願い事件』で閉人が知ったのは、ジークマリアがそうした怪物的世界観に閉人を引き摺りこもうとしている節があるという事だった。


(下手なことを言ったら本当に登らされかねないぞ……)


 閉人が戦慄する横で、ジークマリアは楽しそうに語る。


「崖のぼりは良いぞ。全身運動だからな。私も座学で身体が鈍った時はよく学院の敷地内にある崖を飛び降りたものだ」


 と、子供相手に腕まくりしてみせるパパのような事を言い出す。


「『飛び降りた』? 『登った』んじゃなくて?」

「何を言っている。まず飛び降りなければ、崖は登れないだろう?」

「あ、そっすね」


 やはりヤバい。

 閉人はジークマリアの怪物性を再確認したのであった。


 二人がそんなやり取りをしていると、エリリアが起き出してきた。


「おはようございます姫様」

「おはよう、姫さん」

「おはようございます、マリィ、閉人さん」


 エリリアは二人に微笑みかけると、雲間にハイランダー山を見上げて息を呑んだ。


「間違いありません。私が夢で見たのはこの山です。私たちはこの山を見下ろしながら竜と……」

「戦うんでしたね?」

「ええ。何もかもが夢の通りになるとも思えないけれど」


 エリリア自身、夢のお告げがどこまで実現するかは分かっていないらしい。


「そうか、もうすぐ『ばびゅーん、どかん!』か……」


 閉人は小さく呟いた。エリリアの夢の中で閉人は『ばびゅーん、どかん!』らしい。

 全くその正体は分からないが、一応覚悟はしている。


「何にせよ、ここからが本番という事です。気を引き締めて参りましょう」


 ジークマリアの言葉にエリリアは小さく頷いた。


「二人共、どうかよろしくお願いします」


 エリリアはペコリと頭を下げた。

 その愛らしい姿に、閉人とジークマリアは同時に手を差し出した。


「ささ、姫さん。お手を」

「姫様、エスコート仕ります」


 二人はきょとんと見つめ合った後、びしりと互いに敵意を向け合った。


「おい、手を引け閉人。姫様のエスコートは騎士たる私の仕事だ」

「いやいや、俺は姫様の『守護者』だから。御学友の方はお先にその辺を歩いてて、どうぞ」

「弁えろよ貴様、弟子の分際で」

「テメェが握ったら姫様のお手手が潰れちゃうでしょうが」

「何だと!」


 ジークマリアの手が閉人の首元に伸びそうになったが、エリリアが二人の手を一緒に握りしめて困ったように笑った。


「もう、二人共。行きますよ?」


 上目づかいに見つめられ、二人は硬直した。


「……へーい」

「し、失礼しました姫様」


 二人は矛先を収め、エリリアに傅いた。

 エリリアは、そんな二人とそれぞれ手を繋ぎながら、


(マリィと閉人さん、いつの間にこんなに仲良くなっちゃって……)


 と、内心喜ばしく思うのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 だが、三人でお手手を繋いで登れるほど、山は甘くない。

 岩肌に包まれた山道は徐々に狭まり、険しくなり始めた。


「姫様、お手を」

「ありがとう」


 ジークマリアが先導し、安全な道を踏み分けてエリリアに手を貸す。


(流石に山の事じゃ敵わんな。ストレス発散に崖登りする山猿なだけの事はある)


 閉人はその後に続きながら、その手並みに感嘆した。


「余所見をするな……って、おい閉人!」


 ジークマリアが叫んだ瞬間、閉人の踏みしめた岩が揺れた。


「う、うわぁ!?」


 不安定な岩に足をかけてしまったらしい。

 閉人は体勢を崩して山道の淵、遥かな奈落へと転げ落ちた。


「閉人さん!」


 エリリアが駆け寄ろうとするが、それをジークマリアが止める。

 次の瞬間、


「ランク4、魔術『瀉弾血銃ブラッド・ブリード』ッ!」


 閉人の消えた奈落から赤い縄が複数本伸びあがった。

 それらが断崖の淵にべちゃりと粘着すると、崖の下からズルズルと音がして、閉人の手が崖の淵を掴んだ。

 魔銃カンダタから撃ち出した血液を鞭状に伸ばし、転落を免れたのだった。


「閉人さん、大丈夫ですか!?」

「あ、ああ……心配かけてごめんよ、姫さん」


 よっこらせ。

 閉人はカンダタ片手に崖の淵から這い上がった。


「不注意だぞ閉人。また虫けら(のフン)からやり直すか?」

「す、すまん」


 閉人は素直に謝ると、カンダタを腰のホルスターに戻してどうにか立ち上がった。

 傷は全て軽傷。這い上がった時には全て完治していたが、


(し、死ぬかと思った……)


 遠目には緩やかに見えた山道でもこれである。

 高度を増すにつれてどんどん険しくなっていくであろうハイランダー山に、閉人は戦慄するのであった。


 それからはほぼ無言の登山が続いた。

 山の中腹にまで来る頃には陽が傾き始めており、空気も心なしか薄くなってきている。


「もうそろそろ例の『ゴンドラ』にたどり着くはずです。が、山で焦りは禁物。この辺りで今日は一泊するとしましょう」


 ジークマリアが宣言すると、閉人とエリリアは崩れ落ちた。


「俺、山をなめてたわ……」

「私もです……」


 ぐったりとする二人をよそ目に、ジークマリアは野宿の設営を始めた。


「地平から離れる程に空気は薄くなるものです。姫様、辛ければ仰ってください。少し降りて身体を慣らし、また登り直すという手もあります」


「大丈夫よ、マリィ」


 エリリアは胸を押さえて何度か呼吸してみせるが、どうやら本当に大丈夫らしい。

 その横で閉人はぶっ倒れつつ、


「俺の心配はぁ?」


 と喚くが、


「するわけないだろう。せいぜい蹴り落とされないように隅で縮こまっていろ」


 と、一蹴される。


「けっ。いいもんね。姫さんに泣きついてやる」


 腑抜けたことを言い出した、その時であった。


「ギ ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア !」


 山を揺るがすような咆哮が、落雷のごとき振動と共に辺りに轟いた。


「わ、わわ! 何だぁ!?」


 閉人は慌ててエリリアを庇い、ジークマリアは槍を構えて天を見上げた。

 茜色の空を大きな影が横切っていた。

 左右対称のフォルム、広がる翼、大蛇のような尾。リリーバラで見た飛竜とは比べ物にもならない、圧倒的な大きさを誇っている。


「何だあれ、飛竜ワイバーンの親玉か!?」


 閉人の無知な言葉に、ジークマリアは深刻な顔で首を横に振る。


「あれをドラゴンと呼ぶのだ。飛竜とは格が違う。本来ならば人前に姿を現すことなど滅多にないはずだが……」


 竜の巨大な影はハイランダー山を横切って上昇し、雲に隠れて見えなくなった。

 閉人は息を呑んだ。


「もしかして、あれとやり合うってのか?」

「恐らくな。通りすがりの無関係な竜であって欲しいところだが、そうもいかんだろう。竜、大陸の旧支配者。いかほどのものか」


 ジークマリアは震わせた。

 流石のジークマリアも、竜を相手にしたことは無いらしい。

 危険な戦いを予感せずにはいられなかった。



 †×†×†×†×†×†×†



 その晩は、閉人はどうにも寝つけなかった。

 明日フェザーンに辿りつけば、あの竜についてやフェザーンの現状が分かるだろう。

 閉人は、それらに関してあれこれと推測を巡らせては、


「……眠れねぇ」


 唸った。

 元々閉人は夜型、しかも睡眠障害持ちであった。

 夜は考え事をしてどうにも寝つけない性分である。


 閉人は他の二人を起こさないように気を付けながら寝床から這い出した。

 すると、焚き火のそばでもう一人、毛布にくるまって星を見上げている人物が居た。


 エリリアであった。

 その姿を見て、


(あ、綺麗だ……)


 閉人はそんな事を思った。


 焚き火に火照るエリリアの姿は夕焼け空のようであり、はらはらと微風に舞う白金の髪は、一本一本が流星にも勝る神聖な光を纏っている。

 夜空を背負ってもなお輝く、女神のような姿。

 閉人は焚き火に近付こうとしたが、一流画家の描いた絵に自らのヘタクソな一筆を書き入れるかのような恐れを感じ、その場に立ち尽くした。


「どうしたんですか、閉人さん? こちらの方が暖かいですよ」


 だが、エリリア自身は自分がそんな一幅の絵画を構築していることなど、毛ほども気付いていないらしい。


「あ、ああ。失礼するよ、姫さん」


 おっかなびっくりエリリアの横に一人分を空けて腰掛けると、閉人はエリリアをなかなか直視できず、焚き火を見た。


「眠れないんすか?」


 閉人は、沈黙に耐えきれずに訊ねた。


「ええ。これまでの事を思いだしていたら、ちょっと」


 気になってチラと見てみれば、エリリアの銀の瞳に憂いの影が差していた。

 エリリアにも過去を思い返して沈むような時があるらしい。閉人には少し意外だった。


 エリリアは、大きく呼吸をした。


「長かったんです。ここまで、とても」

「そっか。俺が入るまでも結構な長旅でしたんだっけ」


 エリリアは頷いた。


「王都ハルヴァラの大祭殿を出発してグログロアに着くまでも長い旅でした。でも、もっとです。三歳の時に姫巫女に選ばれてからずっと、私の人生はこの継承の儀のために用意されたものだったんです」

「三歳……まじですか……」

「流石にその頃のことはもう覚えていないんですけどね」


 エリリアは儚く笑った。

 つまり、エリリアは物心ついてからはずっとマグナ=グリモア継承のために生きてきたという事になる。

 その壮絶さを計り知ることは閉人には出来なかった。


「この継承の儀で、私のこれまでに意味が有ったのかが決まる。そう思うと、たまに……本当にたまに、なんですけど。眠れなくなっちゃうんです」

「そっか……」



 閉人は、エリリアは神様か何かだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 そう振舞うように仕向けられた、一人の人間。

 それこそ、自分と同じような事で悩む、ちっぽけな。


『この人のために頑張ってみよう』。


 閉人は、そんな事を心に思った。


 閉人はまだ自分自身に生きる価値を見いだせていない。

 だが、少なくともエリリアの為ならば、どんな生き地獄でも生き抜いてやろう。

 そう思える貴さが彼女にはある。

 ジークマリアもきっと、そういう気持ちなのだろう。


 それに、閉人には予感めいたものが感じられて仕方がない。

 この旅が、自殺を繰り返した自分がまっとうに生きるための最後の希望なのではないかと、心のどこかで思っている。


 閉人は、笑った。


「まあ、あれだよ姫さん。途中からポっと出の俺だけど、姫さんのために頑張るよ」


 エリリアも笑った。


「よろしくお願いします、閉人さん」


 それからは他愛のない話をして、エリリアが寝入った後も少し考え事をして、閉人は眠りに就いた。

 風がビョォビョォと吹き荒れる岩壁の雑魚寝が、羽毛布団に包まれたような安らかさにも感じられた。


 だが、一点。

 ほんの小さな、黒い、針のように細く鋭利な不安が、閉人の心の片隅に居座っていた。


 どんな形であれこの旅を終えた時、役目を果たした自分はその先どうなってしまうのだろうか、と。



 『断章のグリモア』

 その18:ハイランダー山脈について


 ハイランダー山脈はマギアス魔法王国北東部に位置する大山脈である。更に北には凍土が続く『冬の地平』が広がり、南東にはリリーバラが面するメンシス湖がある。

 山道が険しく、そのうえ古くから飛竜や竜の住む天険の地として知られていた。鳥人種族バードマンはその立地条件に目を付けて里を設け、強固な地の利を活かして静かに暮らしている。

 元々分け入ろうとする人間は少なく、バードマンに用事がある者や山脈に群生する秘草仙草の類を欲する者もいるにはいるが、大抵は用事をグログロアの冒険者に任せてしまうケースが多い。

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