0‐3‐5 旅立ち

 『旅立ち荘』の夜が更ける中、共用の居間で二人の男女が向かい合っていた。

 黒城閉人と、女騎士ジークマリア=ギナイツであった。


「……俺はさぁ、こう見えてお前さんの事を尊敬してんだぜ。変態野郎を倒したところなんて、そりゃあ恰好良かったさ。それなのに、いいのかねぇ? こんな無様な姿を曝しちまってよぉ? 姫さんが見たらなんて思うだろうなぁ?」


 閉人の言葉にジークマリアはキッと眼光を光らせるが、その表情は何処か脆い。


「い、言うな……おのれ、虫けら(のフン)の分際で……」


 ジークマリアの抵抗に、閉人はますます嗜虐心をくすぐられる。


「その虫けらにこんなにされてる自分ってのを考えたことはあるかよ? ほら、起き抜けに悪いけど、見てくれよジュゲムさん。こいつのここ、こんなになっちまってるぜ」

「む、確かにこれはひどい……」


 ジュゲム=ファランが覗きこむと、ジークマリアは羞恥に震えた。


「くっ……殺せ! 辱めるぐらいなら、一思いに殺せ!」

「もちろん、楽しませてもらった後に殺すさ。ほれ」


 コトン。

 閉人の右手が盤上の『将軍』コマを動かした。


「や、やめろ、そこだけは……ッ!」

「やだね」

「ぬぅぅぅぅぅぅぅ!」


 ジークマリアは鬼の形相で、駒の並んだ盤を睨み付けた。

 だが、閉人の打った手は覆しようのない大打撃をジークマリアの陣営に与えている。


 ジークマリアは少し考えた後、


「私の……負けだ……!」

 と言って、がっくりと肩を落とした。


 『騎士将棋』という遊戯がある。

 ローランダルクに古くからある伝統遊戯で、文字通り騎士を始めとした戦士たちに好まれた。

 どうやら、騎士たちの思考力育成に一役を買っているらしい。

 強ければ騎士たちの尊敬を集めることができ、これの為の家庭教師が存在するほどであるという。


 ジークマリアは騎士なので、その例に漏れず『騎士将棋』の愛好家であった。

 閉人がゲームを趣味にしていると聞いて一つ揉んでやろうと思ったのか、閉人にルールを教え込んで挑むが……


「もう一局だ、閉人! 今のはキサマの妄言によって打ち筋が狂ったせいだ!」


 弱い。凄く弱かった。


 そして、ジークマリアはその事を認めようとしないのである。



「ふわぁ、俺ぁもう眠いよ。つーかさ……」


 閉人は盤上の一点を指差した。


「どうしていつも『将軍』を突っ込ませてくるんだよ。毎回良い所までは打ててるのに」

「……だって、最強の駒だぞ」

「だからって無暗に突っ込んだらここら辺の『槍兵』だの『歩兵』だのに討ち取られちまうだろ」

「優れた武人は死中に活を見出して勝つものだ。敵に囲まれてこそ真価を発揮する」

「んなの無理だろ」

「私はできるぞ」

「……テメーだけだよ。『将軍』さんには、無理」


 閉人は呆れかえっていた。

 ドワーフの同居人グレン=バッカスから生還祝いにもらった火酒をちびちびやりながら話を聞いてみると、ジークマリアの弱さの秘密が徐々に分かってくる。


 つまるところ、ジークマリア本人が強すぎるのだ。故に、『コマが弱い』という概念を理解できないのである。

 最弱の『歩兵』や『槍兵』に『将軍』が討ち取られる、というような現象が体感的に全く理解できないらしい。


 加えて、


「ぬぅぅ、何故だ。魔騎士科に『無敵のジークマリア』とまで謳われたこの私が……」


 唸るジークマリアを見て、閉人は何となく察する。

 普段なら気を使って口に出さないところだが、


「そりゃ、手を抜いてくれてたんだろ」


 と、酔っていたので言ってしまった。

 ジークマリアは閉人を睨み付け、


「そんな訳はない。魔騎士科の学生たちは品行方正にして謹厳実直! 騎士道に反する真似などするはずがない!」


 と、反駁するが、


「カワイイ女子が喜ぶ姿を見られんなら、騎士道だって曲がらぁよ。全く、性質が悪い」


 と、少し逆ギレ気味に閉人は答えた。いつの間にか酔いが回っていたので、かなり適当な物言いである。

 ただ、


(つーか、負けたら暴れかねねぇんだよテメェは。学院とやらの連中も、実のところはカワイさ二割、怖さ八割って所だろ。かーっ、おっかねぇ)


 と、一番言ってはいけない部分は心の中だけで我慢した。

 そのおかげか、ジークマリアは真っ赤になって閉人を睨み付けるだけで、物的被害は無かった。


(にしても、コイツにもこんな弱点があったとはな。事ある毎にいびってやるぜ、けけけけ……)


 と、閉人は心の中で日頃のうっぷんを晴らすのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 フィロ=スパーダとの死闘から一週間が経っていた。


 あの迷宮での一戦から、大事件と呼べるような事件は無かったが、あの件に端を発する様々な出来事のおおよそは決着に向かっていた。



 まず、フィロに付き従ったカラクサ、ドット、ペイズリーの事である。


「カラクサさん。どこか痛むところはありませんか」


 魔導書グリモアと杖を手に、エリリアはカラクサに訊ねる。


「ああ、生身の時よりも具合が良いぐらいだ。ありがとう、本当に」

「いえ、あのフィロ=スパーダがこの街に現れた事は、私に責任がありますから……」


 エリリアは、声を落とした。


 あの一件の直後、エリリアは白魔術でカラクサの治療に当たった。

 傷を負ったのはジークマリアも同様だったが、


「騎士は人に道を譲るものだ。それに、私の傷は勝手に治る」


 と、ジークマリアが豪語したために、カラクサが優先となった。

 なお、ジークマリアの傷は本当に勝手に治ってしまったため、


「化け物かよ」


 と閉人に驚かれた。



「ごめんなさい。私のせいで……」


 頭を下げるエリリアに、義足を履いたカラクサは恐縮した。


「とんでもねぇよ。顔をあげてください『エリザベス』さん。フィロやドットとつるんでアンタみたいなイイ人を攫おうとした罰が当たったんだ。こうしてアンタに面倒を見てもらえて、俺は……俺は……」


 カラクサは感極まったようで、押し黙った。

 その目からは欲深な光が消え失せている。

 エリリアの熱心な看病に心を打たれたのだという。


「それに、ドットの奴の事も気にしないでくれ。今はペイズリーが熟練冒険者たちに付き添ってもらって深層で奴を探してるし、俺も足が治ったら潜るつもりだ。それに、ドットはああ見えてしぶてぇんだ」

「ああ、知ってるよ」


 付き添いで来ていた閉人の言葉に、カラクサは笑みを浮かべた。


「不死者よぉ、あいつは本当にお前を殺しに帰ってくるかもしれないぜ」


 カラクサは、エリリアに浄化された心に残った、ほんの絞りかすのような悪意を閉人に向けた。


「ま、そん時はそん時だな。その頃には俺も『ばびゅーん、どかん!』だからな」


 閉人は言った後に、ハッとした。

 死のうとしていた自分が、いつの間にかこんなに前向きな言葉を言えるようになっていたのだ。

 自分もエリリア(とジークマリア?)には随分と救われたものだと、閉人は一人おかしくなるのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



「なるほど。業界最高峰と名高い『|七つの殺し方《クレイジーセブン》』の一角を……」


 『曇天の狩猟団』事務所にて、ベルモォト=フラウは息を吐いた。


 迷宮はギルドの管理下にある(建前)。

 『殺人』と『迷宮への無認可立ち入り』。今回の一件でギルドの法を二つ破った事になる閉人たちであったが、そこで有力冒険者と名高いベルモォトが弁護の席に立った。


「ギルドも元冒険者フィロ=スパーダの悪行を放任していた負い目がある。彼らもメンツの問題はあっただろうが、そんな物は犬に食わせてしまえばいい」

「その件は本当に助かりました。それに、その……飲み会の件もすっぽかしてすいませんでした」


 謝る閉人に、ベルモォトは苦笑した。


「ハハハ、気にするのはそこかね? むしろ、私はあの事件の時、閉人くんの力になれなかったことを少々残念に思っている」

「とんでもない! ベルモォトさんにいただいた『カンダタ』のおかげで窮地を切り抜けられたんです。感謝してもしきれないですよ」


 閉人は、そう言って腰のカンダタを示した。

 この一週間で特注のホルスターを作り、ベルトに提げるようにしたのである。

 ベルモォトはそれを見ると頷いた。


「……なら、元の持ち主も本望と言ったところだろう」


 ベルモォトはしばらく物思いに耽るように遠い目をしたが、思い出したように、


「そう言えば、迷宮に入ったんだったな? 閉人殿は何か感じたかね? 特に、『泣き声』の件とか」


 と訊ねた。

 だが、


「いや全然、全く、1デジベルも聞こえませんでしたね」

「……そうかね」


 閉人が断言すると、ベルモォトはちょっとがっかりしたのであった。


(でも、迷宮か。何か不思議な感じがするところだったな。いつかはベルモォトさんたちとも迷宮を冒険してみたいもんだけど……)


 閉人は色々な物に心惹かれる自分が、少し意外であった。

 いつの間にか、閉人はこの世界が少し好きになったようである。


 ともあれ、『曇天の狩猟団』との飲み会すっぽかしの件も丸く収まったのであった。



 †×†×†×†×†×†×†



 グログロアにも慣れてきた今日この頃であったが、ふと、ジークマリアが言った。


「明日、街を発ちましょう。ハイランダー山脈への旅は王都からここまでの旅よりも長く険しいものとなるかと思われます。『|七つの殺し方《クレイジーセブン》』のさらなる追っ手も現れる事でしょう。姫様……お覚悟はよろしいですか?」

「覚悟なら、最初からできているわ、マリィ」


『旅立ち荘』共用の居間にて三人で話し込む中、エリリアは頷いた。


(覚悟、ねぇ。やっぱり姫さんはしっかりしてるな)


 心の中で感心する閉人だったが、ふと、エリリアが不安そうな目でこちらを見ていることに気が付いた。


(どうしたんだよ、姫さん?)


 エリリアが悲しそうだと自分も辛くなる閉人である。


「どうしたんだ、姫さん? 何か、心配事?」


 閉人が訊ねると、エリリアは不安気に訊ね返した。

 

「……閉人さん。閉人さんは、私の旅について来てくださいますか?」

「そりゃあもちろん……」


 「当たり前じゃないですか」、閉人はすぐに応えようとした。

 だが、エリリアがあまりに不安そうな目をしていたので、面食らってしまう。


 エリリアは、閉人を召喚したことにまだ罪悪感を抱いているのだ。

 もちろん、それは召喚したばかりの閉人が後ろ向きで死にたがりで文句ばかり垂れていたせいもあるのだが、それはおく。


 思うに、エリリアの目にはグログロアでの閉人が楽しそうに見えたらしい。


 実際閉人はグログロアに来てからは前向きになった。

 だが、エリリアは彼を真に救ったのが自分やジークマリアなのだ。


(優しいんだな……)


 そんな事を思う閉人の目に、ふと、エリリアの右手首が映る。

 右手首に走る深い傷は、ジークマリアを救うために我が身を裂いたエリリアの優しさの証であると共に、殺し屋たちに付き纏われる過酷な運命の証でもある。


 閉人は、エリリアの手を取り、強く握りしめた。


「当たり前じゃないですか。俺は姫さんの、不死身の『守護者ガーディアン』ですよ」


 閉人は、そう言って笑った。

 閉人はこの時に名実ともに『守護者ガーディアン』となったのである。



「ふふん」


 その横で、ジークマリアが冷笑した。


「さては貴様、姫様に惚れたな?」


 ぽ。エリリアの頬が桜色に染まった。


「マリィ、そういう事を言って人をからかうのは良くないと思うわ」


 と、あわあわしながら諌める。

 閉人はそんなエリリアを可愛い主だと思うのであった。


 加えて、エリリアのちょっと予想外の反応に、


(へへ、姫さんが照れてるぜ。ほらほら、お前の大事な姫さんが俺に脈ありかもしれないぜ)


 と、ジークマリアに勝ち誇ったりもするのであった。

 前向きも、ここまで来ると少しやり過ぎかもしれない。



 その日は『旅立ち荘』で一行の送別会が行われた。


「旅の目的を果たしたら、またグログロアに戻って来るんじゃろう? 元気で帰って来るんじゃぞ」

 グレン=バッカスは相変わらず酒に酔いつつ一行を激励した。


「『旅は人を強くする』って言うネ。辛い事あっても人生の糧思って頑張るネ」

 リィリィ=ドランゴはいつになく真剣にエリリアやジークマリアに助言を与えると、勤務先でもらって来た料理を盛大に振舞った。


「達者でな。この街は懐が深い。いつでも帰ってくるがいい」

 と、ジュゲム=ファランはほどほどによそよそしく告げた。


 また、ここに帰ってこよう。

 閉人は心のどこかでそう思い始めていた。



 そして。


「参りましょう、姫様」

「ええ。閉人さん、行きますよ」

「へーい」


 朝日が昇る頃、一行はグログロアを東に抜ける道に立っていた。


 閉人は振り返り、すり鉢状の街を見下ろした。

 今日もグログロアは濛々と迷宮の吐き出す魔(エーテル)煙に包まれている。


「ありがとう。行ってきます、グログロア」


 閉人は小さく呟くと、エリリアとジークマリアに続き、遥かなる旅路に向かった。



 目指すはバードマンの里があるという北東の地、ハイランダー山脈。


 偉大なる魔導書マグナ=グリモアを巡る旅が今、始まったのであった。



『断章のグリモア』

 その13:騎士将棋について


 騎士将棋は、マギアス魔法王国創成期の賢者たちが考案した騎士養成パズルが起源であるとされている。長らく騎士にとっての必須教養とされていたが、時代が降り軍事形態が移りゆくにつれて純粋なゲームとして広く愛好されるようになった。魔術統治が安定し始めるころには賭け将棋のみで食いつないでいくような流離いの棋士というのも少なからずいたし、優れた棋士を求めた有力者たちによって競技会が主催されるようなことも珍しくはなくなっていた。技芸としての確たる地位を獲得していたのである。


 騎士将棋の基本ルール

 ・九×九マスの正方形のマス目を用いる二人用対戦ゲームである

 ・相手の「王」の駒を取ったプレイヤーが勝利する

 ・プレイヤーは手番につき一回だけ駒を動かすことができる。移動した先が敵の駒である場合、その駒を取ることで盤外に除くことができる。自分の駒を飛び越えたり取ったりすることはできない。

 ・パスが可能だが、互いのプレイヤーを合わせて二回連続でパスが行われた場合、最後にパスをしたプレイヤーの敗北となる

 ・各プレイヤーの陣における駒の初期配置は以下の通り(□は空きマスを示す)で、手前側が先攻する


 9 弓 騎 弓 魔 王 魔 弓 騎 弓

 8 □ 将 □ 輜 □ 輜 □ 将 □

 7 槍 槍 槍 槍 槍 槍 槍 槍 槍

 6 □ □ □ □ □ □ □ □ □

 5 □ □ □ □ □ □ □ □ □

 4 □ □ □ □ □ □ □ □ □

 3 槍 槍 槍 槍 槍 槍 槍 槍 槍

 2 □ 将 □ 輜 □ 輜 □ 将 □

 1 弓 騎 弓 魔 王 魔 弓 騎 弓

   一 二 三 四 五 六 七 八 九


 各駒の機能

 ・王(王)…全方向に一マス動ける。勝敗を決する

 ・魔術師(魔)…斜め後ろ以外に一マスずつ動ける。輜重隊と隣接時、二回動ける(一回目に動く前に輜重隊と隣接している場合か、一回移動した後に輜重隊と隣接した場合にこの二回目の移動を行える。二回目の移動は行わないこともできる)

 ・将軍(将)…前後左右に任意の数だけマスを動くことができる。ただし、駒を飛び越えることはできない。輜重隊と隣接時、斜めにも一マスだけ動くことができるようになる

 ・輜重隊(輜)…全方向に一マスだけ動くことができるが、敵の駒を取ることができない。前後左右一マスずつの範囲で隣接している自分の駒の能力を強化することができる(移動後に輜重隊と隣接しなくなった場合、あるいは輜重隊が相手の駒にとられた場合はこの強化は無効になる)

 ・槍歩兵(槍)…前方向に一マスだけ進むことができる。輜重隊と隣接時、ニマス進むこともできる

 ・弓兵(弓)…左右に一マスだけ移動できる。また、前方一列で一番近い敵の駒に弓を放つことで移動せずに取ることができるが、一度弓矢を打った後は、一回行動分に相当する弓矢装填を行うまで再び弓矢を打つことができない。

 ・騎馬兵(騎)…斜め一方向に任意の数だけマスを動くことができる。ただし、駒を飛び越えることはできない。輜重隊と隣接時、前後左右に一マスだけ動くことができるようになる。

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