297.闇へ垂らすクモの糸を手繰れ

「見て、これ。目玉みたい」


 はしゃいだ声を上げるクリスティーヌは、無邪気に拾い上げて走ってくる。その手に握られた球体は、命を持つように動いた。ぐるりと自ら向きを変える球体は、中央に核がある。


 クリスティーヌが目玉と称したのも、あながち間違いではなかった。中央の核を透明で軟体の膜が覆う。核の向きが変わるのが面白いのか、クリスティーヌは手の中で上下左右関係なく回した。しばらく遊んだ後、オレの手に押し付け、また何か拾いに行く。


 子供らしい興味の移り方だが、押し付けたのだから持ち帰る気だろう。


「師匠、こっちも」


 今度は崩れかけた箱をウラノスに持たせた。魔力視が強い吸血種は外見の変化を得意とするため、見た目を重視しない。魔力で判別した己の感覚を信じ、ウラノスを見分けた。


「ハーフでも吸血種ですな」


 感心したように呟いたアルシエルが、目を細める。臭いを確かめるように鼻をひくつかせ、オレが収納へ放り込もうとした物体を睨んだ。


「我が君、そちらを見せていただけますかな?」


 彼の手の上に置くと、確かめるように臭いを嗅ぐ。竜族は臭いに敏感だ。爬虫類である蛇の嗅覚が優れているのと同じだろう。竜は空を舞い、広大な大地の上にある物体を判別する。その際に視力で補えない部分を鼻に頼った。暗い洞窟の中で何百年も眠り続けることがある竜にとって、暗闇でも敵や餌を見分ける嗅覚は重要なのだ。


「……何かあったか」


「先ほどの闇と似た臭いがしますぞ」


 言いながら、アルシエルは結界で目玉に似た物体を囲った。生物である可能性も高く、他者を乗っとる闇の一部が残っていれば危険だ。スライムのような魔物であっても、毒を持つものもいる。彼の用心は過剰ではなかった。


「同じ臭いがするものを探せ」


「これも!」


 クリスティーヌは目で追っているらしい。腕を組んで様子を見ていたアスタルテが、納得した様子で頷いた。


「この子、人間とのハーフじゃないのね」


 魔力が弱い吸血種でハーフと聞けば、大抵は人間との間に生まれたと考える。しかしクリスティーヌの魔力は少ないが、濃度が濃い。それに魔力以外の能力も備えていた。他の魔族が見ても判断できないが、吸血種の始祖であるアースティルティトは見抜いた。


「吸血鬼の血は母親の遺伝だわ。父親の種族は?」


「……ご想像にお任せしましょう」


 戯けた口調を装うが、ぴくりと動いた眉に気づいたアスタルテの指が、赤く塗られた唇に触れる。その仕草は見覚えがあった。獲物を見つけたときのほくそ笑む口元を隠す所作だ。


「私の魔力視をもっても、あの球体から何も感じなかった。でも竜種の嗅覚は信じてるの。つまり……」


「それ以上は口になさいますな。痛い目を見ますぞ」


 ぎりりと歯を食い縛る唇をこじ開けた声が、低く怒りの響きで漏れた。ウラノスの表情を確認して、アスタルテがにっこり笑う。


「ありがとう、確証が取れましたわ」


 鎌をかけて反応を窺った。そう告げた彼女の手腕に「見事だ」と本音が漏れる。魔王の右腕を自称する彼女は振り返り、優雅に一礼してみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る