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 目標の本州到達まであと三時間。とうとう出撃命令が下った。状況は最悪だった。最新のデータから、目標が60%の確率で関東平野を直撃することが分かったのだ。俺はプレッシャースーツをグラウンドクルーたちに手伝ってもらって着込み、ぎこちなく歩いて機体に搭乗する。エンジンをランナップし、プリフライトチェック。問題なし。"ユキ"は相変わらず学習を行っているようだ。声をかけても反応しない。エプロンからランウェイ10まで移動タキシングし、一旦停止。


 実はブースターが結構重くて、このままでは滑走路を使い切っても離陸できないのだ。そこでブースターのロケットエンジンを使い、RATO(Rocket Assisted Take Off:ロケット補助支援離陸)をやるのである。


『シリウス11、クリヤー フォー テイクオフ。グッドラック、カーシー』


 管制塔の発進許可が下りた。「シリウス11」はこの機体の今日のコールサインだ。


「さあ、行くぞ」


 俺は操縦桿のブースター作動スイッチを押す。


 ドン!


「!」


 爆発したのか、と思うくらいの凄まじい加速。俺の背中がシートにめり込む。瞬く間にVR(機首上げ速度)に達したF-2は、最大積載重量を超えているにもかかわらず軽々と空中に舞い上がる。俺は慌ててブースターのスイッチを切る。ここでロケット燃料を使い果たすわけにはいかない。こいつの出番は後もう一回あるのだ。


 このまま八丈島に向かい、その東、約16NM(ノーティカルマイル)の沖合上空65,000ftにて、西方向からF-2を目標に突入させる。目標の真正面ヘッドオンからなら衝突の威力は絶大だが、会敵時間が短すぎて回避される可能性も高い。後ろからではとても目標に追いつけない。そこで、目標のコースの真横に当たる西からぶち当てるのだ。ここで衛星が破壊できれば、付近の海は汚染されるかもしれんが、まだ東京を直撃されるよりはマシだろう。よしんば破壊できなかったにしても、間違いなく変形はするだろうから、空気抵抗が増えて東京までは届かず手前の海に落ちるはずだ。


 八丈島の西北西、25NM。俺はドロップタンクを投棄ジェトスン、アフターバーナーに点火しそのまま水平に加速してマック(マッハ)1.5を超えた辺りでズーム上昇。目標高度の65,000ftを目指す。


 ところが。


 予定ではもう終わるはずの"ユキ"の学習が、一向に終わる気配がない。学習繰り返しエポック回数は多ければいいというものではなく、多すぎると却って過学習オーバーラーニングという困った状況を引き起こす。だから、エポック数が必要以上に多くなることはない。なのに、なぜ終わらないんだ?


 タッチパネルで"ユキ"のリソースを確認した俺は、思わず声を上げそうになった。


 CPUの温度が80℃を越えている……


 それで、オーバーヒートを防ぐために動作周波数が落ちて、処理が遅くなっているのだ。


 何でこんなことに……?


 CPUクーラーは水冷式だが、CPUがオーバーヒートしそうなのにその水温は何故か低い。


 まさか。


 ひょっとしたら、離陸の際のRATOの強烈な加速でクーラーヘッドがCPUからズレたか、ヘッドとCPUの間の放熱用グリスが流出したのかもしれない。それで熱伝導率が下がって冷えなくなっているのでは?


 確かに、上下方向のGならクーラーヘッドもグリスもいくらでも耐えられるが、前後方向に強烈なGがかかるのは……想定外だった……


 だが、こんなことはこの商売テストパイロットにとっては日常茶飯事だ。俺はタワーに報告する。


『分かった。カーシー、脱出ベイルアウトしろ! 予定通り、こちらのデータリンクでフォローする!』飛行隊長の村松一佐(TACネーム:キャップ)が言う。


 しかし。


 "ユキ"の助けなしにリモート操縦だけで突入するのは、かなり困難だ。かと言って、失敗は絶対に許されない。


 ……。


 俺は、覚悟を決めた。


 ここはやはり、俺が最後まで操縦するしかない。弟子の不始末は師匠の俺の責任だ。


 幸か不幸か、俺には両親も兄弟もいない。彼女とは昨日別れた。だから、俺が死んだところで、誰も悲しむ人間はいないのだ。


『おい、カーシー、命令だ、脱出しろ! どうした? 応答しろ!』


 キャップさん……すみません。命令は聞けません。


 目標高度で機体を水平に戻レベルオフした俺は、すぐさまブースターのスイッチを入れる。またもや強烈な加速。上昇のため落ちていた機速が見る間に戻り、音速を超える。目標との衝突コースに乗る。接触まであと2分。


 ここで死んだら、俺はAIと心中した史上初めての人間になるのかな……


 そんな、下らないことを考えていた時だった。


「学習完了。タダチニみっしょん開始シマス。I have control」


 "ユキ"の声だった。抑揚のない、女性の合成音声。


 しかし突入まで後一分を切っている。それに、もうマック2にまで加速しているのだ。こんな凄まじい対気速度エアスピードの中に脱出して無事に済むとは、到底思えない。


「ネガティブ。今更遅いよ。俺が最後まで操縦する」


 おそらく「彼女」は、"ネガティブ"という単語だけは間違いなく聞き取れているだろう。「彼女」にはそれくらいの認識能力しか無い。だが、それだけで俺の意思は伝わったはずだ。


 しかし、「彼女」の返答は全く俺の予想外のものだった。


「イイエ。コノママデハ、First principleニ抵触シマス。I have control. Sirius 11, Eject! Eject! Eject!」


「何っ?」


 俺が声を上げると同時にキャノピーシルの火薬カートリッジが作動し、キャノピーが吹っ飛ぶ。続いてアームプロテクション機能が働き、俺の手は強引に操縦桿とスロットルから引きはがされる。両足の間の床からディフレクターが飛び出し、俺の胸の高さで止まる。ロケットモーターが作動。俺の体は濃紺の空のまっただ中に放り出される。


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