第45話 床からおじさん
「イーヴァル兄弟が木を沼地へ持って行くから、ついでにお供に…」
ジェリスが説明しかけた時だった。
家がグラっと揺れた気がした。
「今…」
少しだけバランスを崩したジェリスも、大きな瞳をさらに見開いてリオを見る。
ガツン!ガツン!
私たちが立つのは玄関のポーチ。板張りの下から何かぶつかる音がした。
ジェリスが素早く屈み、ポーチの板を軽く押さえる。
「この下にペット飼ってる?」
変な質問をされた。
「い、いいえ?」
「この板の間から、何か通ったのが見えたのよ」
「えーー?!」
出たよ!ホラー!
やっぱりホラー!百人出ても大丈夫!
って物置のコマーシャルじゃないんだから…。それに、百人も出たら嫌です。
ちょっとしんみりしたのに…。
しんみりしていたら、じんわりポーチの板の隙間から水が溢れ出てきた。
え?玄関まで水浸し?!
玄関であったことが幸いなのかどうなのか。リオはシューズラックから、子供用長靴を取り出してはいた。
これは牛の皮を鞣して、木のヤニで底を覆ったものらしい。母の小さい頃の靴だそうだ。後ろにリボンが付いている。
「あら、可愛らしい靴ね!」
「わぁ!ありがとうございます!」
とか、喜んでいる場合ではなくて。
「ん?何か入ってる」
「なになに?」
長靴の中に紙みたいな物が入っていたので、それを取り出す。
「お手紙?」
ジェリスも興味深く見ている。
「はい。あ、母の字です」
「うわー、素敵!なんて?」
「えっと、困ったことがあったら、リオレイア・ローウェンを訪ねなさい」
うーん、ジェリスは上を向いて少し考えて、
「それって、ローウェン伯爵じゃないかしら。お医者様なの」
「お医者様?」
「そう、王都ではないところの都市に…何処だったっけ?また、帰ったら調べたら良いわ」
「はい、そうします」
うんうん、とジェリスは頷くが、何か通ったのかサッと下を見る。
「あ、見えた!」
ええ?!リオは母のメモをポケットにしまった。
ジェリスさん、何が見えたのか教えて下さい!
リオもポーチの板の隙間から、屈んで下を見てみる。
だけど、暗くて何も見えないし、何よりこの下に、何か空洞的な空間があるとは思えない。
「リオちゃん、ちょっと失礼するわね。また直させるからね」
そう言い、剣をサッと身構え、何かを呟いた後、ポーチの板の間に切っ先を食い込ませた。
バリッと大きな音をたてて、板一枚分がめくれる。
2人で覗き込むと、カビ臭い匂いと共に、ふわりと紫の煙が上がってきた。
暗闇で見えないが、奥は空洞となっているようだ。
「今、煙が…!」
「見えたのね?」
「はい」
「私、こう見えて、暗闇の中でも目がきくの!」
こう見えるも、どう見えるも、考えたことなかったです。でも、騎士としては優秀な方なのかな?
ジェリスはもう一度覗き込んで、確信を得たように人差し指を立てた。
「この下にお魚がいたのよ!」
「お・さ・か・な?」
さかな、さかな、さかな〜♩
突然、自分の意には反して脳内に流れ続けるあの音楽。かなり古いけど…。
リオは音楽を振り払うように、頭を振った。
「その魚は、沼から来たのでしょうか?」
見渡せば、家の周囲は湖面の中心にあるようだった。どんどん水が地面を侵食して行く。
「そうかも知れない。魚影は、かなり大きかったから」
「もう、この家、沈んでしまうかも…」
「水が引けば大丈夫よ!」
ジェリスの変な自信に励まされる。
「でも、もう一度この下を見てみるわね、リオちゃん」
ジェリスが前髪をかき上げながら屈む。リオも横に並んで座った。
下の方から『ゴゴゴ』と何か岩にぶつかるような音がする。
2人とも、思わず顔を見合わせる。
見合わせた瞬間、ジェリスの開けた穴からひょこっと何かが出ているのが、目の端で見えた。
ジェリスも顔色が変わった。
目の端でそれを捉えたのだろう、下がって!という目線が伝わる。
ジェリスが剣の柄に手を当てると同時に、リオは三歩飛び退くように下がった。
水平に剣を凪ぐように振り抜く。
しかし、その現れた物は上手く下へ潜ったようだった。
「魚でしたか?」
実は、リオの右目からは位置的に良く見えなかった。
それで聞いたのだが、聞かなければ良かったのかも知れない。
「ううん、おじさんの顔だったよ?」
「え?魚じゃないん…ですか」
は?おじさん?
床下からおじさん?
ほら、ホラー!
ほら、またすぐホラーじゃん!
その、キョトンとした感じで言われるのも、すごく怖い。
「そのおじさんを切ろうとしました?」
「そうそう、物凄く怖い顔の」
ちょっと、下を見て考えるジェリス。
「ごめん、もう一つ、穴開けるね」
「あ、はい」
ジェリスは、先程と同じ動作で板をくり抜く。一つ目の穴とは少し離れて、穴が空いた。
「こっちからなら、奥まで見えるんじゃない?」
「え、こっちですか?」
穴を覗き込む。紫の煙は出ているものの、濃くはない。
「リオちゃん、後ろ!」
これ以上、早く振り返れないほど振り返る。
瞬間、白目のない真っ黒な目をしたおじさんと目が合って、ひょこっと引っ込んだ。
「うわぁ!」
思わず尻餅をつきそうになったが、下が浸水しているため、一歩足を引いて、リュックの肩の手持ち部分を持ち、何とか耐えた…。
めちゃくちゃ怖いよ…。
なんていうのかな…。他のものは何も見えない、おじさんの黒目がインパクトあった…そんな感じ。
あの鳥と似た雰囲気の怖さ…。やはりあれは宿屋の息子さんなのだろうかと推測する。
「リオちゃん、何か見えたの?」
「いえ、煙は見えたのですが、石や鳥よりも薄くて、でも宿屋の息子さんではないかと…」
「やっぱりね!分かったわ。ここは私たちに任せて。リオちゃんは薬を届けに、行ってらっしゃい!」
朝の番組のように「今日も元気に、行ってらっしゃい!!」みたいな雰囲気で言われても、行きにくいよ…。
「後でイーヴァル兄弟追いつくから、とにかく行っててね。これ以上ここに居ると、下に引き込まれるかも知れないわ」
下へ引き込まれるの?
それ、すごく怖い!
「分かりました。よろしくお願いします」
何がよろしくお願いしますか分からないが、とにかくここから出て薬を届けないと。
沼に直結の裏口は水没しているから遠回りかな?
リオはようやく、沼地へと続く道を遠回りして行けることになった。
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