第四話 シブヤ・リンク・フォース~作り物じゃない景色~

◇◇◇


 第2エリアから志願したことを知ると、皆一様に目を見張る。その後には、露骨に避ける人間と伏し目がちに距離を置く人間に別れるのが常だった。


 そんな反応はありふれてしまって、ザインは感慨なく彼らを一瞥するのみであった。リンク・メイトと共にいられるだけで充分と考えていたのである。


 彼のリンク・メイトは大斧だった。その武器を振るった日は、決まって昔の事を思い出す。戦闘後の帰還路、物資補給の最中、或いは寝床に入ってから。必ずといっていいほどの頻度で。


 まず、思い出の蓋から子供の声が流れてくる。それから蓋が開き、二人の少年が現れる。蓋の外れた思い出は、当時の景色を頭の中に充満させ、色も匂いも鮮やかに蘇る。


 今だってそうだ。大型の化物を殲滅したばかりなのに、ザインは思い出に沈んでいった。



 幼い声。好奇心と、勇気を感じさせる口調。


「お前、約束だぞ!」


 それに答えるのは、控えめで憂鬱な声。


「うん……大丈夫。誓うよ」


 二人は対照的な存在だった。片や健康、片や病身。太陽のような笑いと、湿った無表情。


 健康な少年は外の世界、つまり地上に強く焦がれていた。


 一方で病身の少年は、世界を厭世的に捉えていた。地下コロニー第2エリアは富裕層の区画であり、従って色々な事実も漏れ聞こえてくる。リンク・メイトがなんなのかも、その中のひとつだった。


 彼がリンク・メイトについて知ったのは『貴族』と呼ばれる特別階級の男の演説が発端だった。


『貴族』は声高に第2エリアの特権を讃えた。曰く、我々は真の優遇住民であり、2桁コロニーの無知な妄想の結晶たる優遇住民とは決定的に異なっている。幸せを噛み締めよ、諸君らは夢に溺れて愛する人間を犠牲にする哀れな労働者とは違うのだ、と。後で優遇住民について大人に訊ねると、彼らはあっけらかんと真相を口にした。


 それを知った晩、病身の少年は眠る事が出来なかった。そして朝方、ベランダから第2エリアの人工の朝焼けを眺めながら、ある感情が心に芽生えた事を知った。


 生きていたくない。


 けれど、死んでしまうのも嫌だ。それが病身の少年の率直な意識だった。


 健康な少年は、早くから真実を耳にしていた。あちこちを駆け回って見境なく会話に首を突っ込む性格ゆえ、だ。リンク・メイトの事を知ったときは、さすがに気落ちした。けれども彼は器用に考え直した。大切な人と繋がれるのは幸福なのではないか、と。それに地上の景色だって楽しめる。人工太陽の光や、作り物の星や月にはうんざりしていた。偽物の世界。そんなふうに地下を捉えていた。そしていつか、本物の世界を目にするのだと。


 そんな二人が出会ったのは幸福だったかもしれない。病身の少年は健康な少年に惹かれ、その夢を後押ししてやりたいと考えるようになったのだ。リンク・メイトの真実は残酷だったが、彼のためなら犠牲になってもいいかもしれない、と。生きていたくないし、死にたくもない。そして健全で眩しい少年と共に地上に行く事が出来る。


 病身な少年が、リンク・メイトにしてくれと告げたとき、健康な少年は反対した。しかし彼の説得を聞くにつれ、地上への憧れが現実味を帯びていくように感じた。そして少年たちは誓い合ったのだ。


 必ず地上に行く。


 ひとりは戦士として。


 ひとりは武器として。


「世界にはきっと凄い景色が広がってる。こんな作り物じゃない、本物が。お前にも見せてやるよ!」


◇◇◇◇


 ザインが我に帰ったのは、新人隊員に身を揺すられたからだ。ふわふわとした髪や幼い顔立ちは戦士に似つかわしくない。


「隊長!」と叫ぶその顔は、本気で心配しているようだった。


 その新人は昨晩地獄を味わった。リンク・メイトと優遇住民の真実。そして武器のエネルギーの過剰消費を意味するリンク・オーバーをした結果訪れる喪失ロストなどについても、隠す事なくザインは教えたのだ。


 何も知らないまま戦場に出すのは騙しているのと同じだ、という考えのもと


 その新人は暫く使い物にならないだろう、とザインは読んでいた。通常、一週間以内に部隊へ加わる事が出来れば上等だった。


 しかし彼女は一晩で戦場行きを志願した。その目に自殺者の憂愁はなく、だからこそザインは彼女の意志を尊重して地上へ出したのである。


屍舞埜シブヤはあんなに大きい敵ばかりなんですか?」


 彼女と歩きつつ、ザインは頷いた。「23区は、あんなのがゴロゴロいる」


「ひええ」


 緊張感のない叫びにザインは拍子抜けした。昨晩の彼女とはまるで別人だ。


 彼女に資源採取を教える名目で、廃ビルへと入っていった。他の隊員は訳知り顔でそれを見送る。それは通過儀礼のようなものだった。


「あの、どこまで登るんでしょうか?」と聞く彼女に、ザインは「頂上までだ」と告げる。彼女は不思議そうな顔でひたすらついてくる。


 屋上に出ると、ザインは背後から漏れた感嘆の息を聴いた。この瞬間だけは、隊長をやっていて良かったと思える。


 林立する廃ビル郡と、割れた道路。樹木に覆われた家屋。遠くには過去の遺物たる電波塔が二本。それら全てが、太陽の最後の光でだいだいに染められていた。


「わあ……」


 彼女は破れた柵を越えてビルの縁に立った。そして両手を大きく広げた。


「危機感がないな。落ちたら即死だぞ」


 彼女の隣に立ち、ザインは言った。


「こんなに素敵な場所を見せたザインさんのせいですよ!」


「お前ほど立ち直りの早い隊員は初めてだ。……良い戦士になる」


「えへへ、光栄です」


 彼女は俯きがちに笑った。その姿は、夕日を受けて赤く染まっている。


 ザインは地平線の果てに沈む太陽を眺めた。


「良い場所だろ?」


「ええ、とっても」


「初めて地上に出る奴には必ず見せるようにしてるんだ。……自分の選択を呪い続けるだけでは、あまりにつらいからな」


 風は心地良く、空気は新鮮だ。大地は色彩豊かに変化し、その流れを感じつつ多くの生命が息づいている。それを肌で知ることが出来るのは、地上に出たリンク・フォースだけだ。


 彼女はぽつりと呟いた。「……隊長さんは第2エリア出身ですよね。なら、リンク・メイトの事も知っていたんじゃないですか?」


 ザインはビルの縁に腰を下ろした。


「そうだ。知っていて志願した」


「……きっと理由があるんですよね」


「そうだな。……語らないが」


 彼女がそれ以上追求する事はなかった。遠景に眼差しを向けて、ただ微笑んでいる。ザインはその顔に寂しさの影を見た。


「お母さんなんです」


 唐突に彼女は切り出した。ザインは瞬時に、それが優遇住民を指している事を理解したが口を挟まず黙っていた。


「お母さんが優遇住民の指名欄に、無理やり自分の名前を書かせたんです。本当は別に指名したい人がいたんですけどね。……それで、昨日真実を知って……」


「気が晴れたか?」


 彼女は首を振って否定した。


「凄く落ち込みました。だってリンク・メイトに初めて触れたとき、まるで自分の身体みたいに感じたから。それってつまり……」


 彼女の言葉に、ザインは無言で頷いた。リンク・メイトには魂が宿っている、文字通りの意味で。


 両者の繋がりが弱ければ、武器は使用者の手に馴染むことはない。


 つまり、彼女は母に愛されていた。そして今も、愛はリンク・メイトを通して彼女に注がれている。


「だから私も、精一杯応えようと思うんです」


「地上に出ることで?」


 彼女は小さく頷いた。寂しげな微笑が口元に浮かんでいる。


「なら、地上にしかない景色を見せてやるといい。屍舞埜シブヤの夕焼けだけじゃなく」


 夕景の美しさ以外にも、地上は素晴らしい体験が溢れている。勿論、化物を倒せる実力を持たなければそれらを味わう事も出来ない。


「景色……」と彼女は呟いた。


「そうだ。地上は広い。これから幾らでも経験出来る。……リンク・メイトと共に」


 彼女の頬に、ぽろり、と涙が零れた。口元には不安定な笑みが浮かぶ。硝子細工のように脆い泣き笑い。


 それからザインは、今まで見た世界の姿を語った。それは神秘に満ちた体験ばかりだった。


「隊長さんは色々な区域に行った事があるんですね」


「ああ。市区は全部制覇したし、23区も殆ど経験済みだ。転属希望ばかり出していたからな。……だが、もう冒険は出来ない。隊長は担当区を離れられないからな」


 その区域で生命を全うする。それが隊長だった。


「隊長さんが行った区域で、一番素敵な場所はどこでしたか?」


「そうだな……どれも素晴らしかったが、一番は苦煮立クニタチだな。ビルから眺める夜景は抜群だ」


「じゃあ」と彼女は立ち上がり言う。その瞳の輝きは、涙や夕日のせいばかりではない。「私、苦煮立クニタチに行きます。そこの隊長になって、毎日お母さんに素敵な景色を感じてもらいます」


「頑張れよ」とザインが言うと、彼女は嬉しそうに手をひらひらと振った。


 夕日に目を戻し、ザインは過去に浸りつつある自分を思った。この背の大斧に籠った魂は、地上を存分に楽しんでくれているだろうか。


 おい、と内心でリンク・メイトに呼びかける。


 お前はこの世界を感じているか?


◇◇


 ある日、健康な少年は事故に遭った。物資を積んだ荷車が坂を転げ、運悪くそこを通りかかった彼が巻き込まれたのだ。腹は破け、頭からは血が流れていた。


 本来、その坂は近付いてはいけない場所だった。坂を越えればそこは第1エリアであり、優遇住民の培養施設がある。少年二人は施設長に直接志願するために坂を登るところだったのだ。健康な少年は坂を転げる荷車をいち早く見つけ、病身な少年を弾き飛ばし、自分だけが荷車に轢かれたのである。


 目と鼻の先には培養施設。健康な少年は、おびただしい量の血液を流していた。


 迷いなんてなかった。


 病身の少年は施設に乗り込み、その背に負った健康な少年の延命を望んだ。


 所長は彼の望みを受け入れ、延命は遂げられたのだ。そして、その魂は大斧に宿る事となった。


 病身の少年は各地を巡り、本来は健康な少年がするはずだった様々な経験をした。荘厳な遺跡も、目の眩みそうな巨大な電波塔も、光の踊る森林も、全部味わった。


 作り物じゃない景色。その中に自分と、友人がいる。


 少年は青年になり、やがて屍舞埜シブヤ区の担当部隊長に就任した。


 彼の武器には、未だに好奇心旺盛な魂が息づいている。

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