第三話 ハチオウジ・リンク・フォース~ここにいる理由~

◆◆◆


 一瞥ののち、それは森へ消えていった。



 鉢殴似ハチオウジは他市区と比べて広大な地域である。加えて、地上行きの拠点も数が少ない。担当部隊が踏破したエリアは鉢殴似ハチオウジのごく一部と言って差し支えない。未だに謎の多い地域。それが鉢殴似ハチオウジだった。


 ハクアとシルビアは鉢殴似ハチオウジ担当部隊の前線を広げる役を担っていた。二人で未踏破エリアに突っ込んでいって、安全確認済みの灰色狼煙を上げる。他にも、化物との交戦を意味する赤色狼煙や、退却の黄色狼煙、救援要請の青色狼煙があったが、彼女らは灰色しか使わなかった。どんな強力な化物も二人きりで殲滅するからである。従って赤色狼煙を上げる意味はなく、黄色狼煙を上げるに至ったこともない。他の無能な隊員を呼ぶ理由もないので青色も不要だ。


 廃墟郡から離れた山の中腹で、ハクアは円筒の蓋を外した。しゅぽん、と小気味良い音がして空へ灰色狼煙が上がった。


 使い捨ての円筒を放り捨てて、ハクアは嘲笑した。「蟻さんおいで」


 それを聞いて、シルビアはくすくすと笑った。そしてハクアの言葉を繰り返す。「蟻さんおいで」


 蟻。二人は他の隊員をそう呼んでいた。安全確認済みの道を辿ってぞろぞろと現れ、資源採取をしてコロニーへ戻る姿をハクアが揶揄したのである。彼らは地下へ餌を運ぶだけの蟻だ、と。


 その点、二人は一切の資源採取を拒否していた。自分たちは開拓のための戦力であり、採取なんてチマチマした事はしない、と部隊長に宣言していた。隊長は忌々しく思いながらも、実際二人に適う存在など鉢殴似ハチオウジにはいなかったので渋々認めていた。


「くだらないよなあ」とハクアは呟く。山道は左右を森に挟まれており、差し込む木漏れ日に彼女の浅黒い肌は斑に照っていた。


「なにが?」


 そう返すシルビアは、廃墟から見つけた傘を差して、日光から肌を守っていた。


鉢殴似ハチオウジ」とハクアは答える。


「そうね。やっぱり市区は詰まらないわ。早く23区に行きたい……」


 戦闘。彼女らはそれを望んでいた。武器の力を存分に発揮し、危機的な状況を信頼出来る相棒と乗り越える。そんな憧れがあった。


 二人は訓練校の同期であり、卒業後は別々の市区に配属された。二年後の配置転換で偶然再開したというわけである。


 彼女らは訓練校時代に語り合った戦闘への渇望を確かめ合い、そして互いを相棒として共闘するようになった。


 今や二人は、市区の比較的穏やかな環境では満足出来なくなっていたのだ。次の転属では、二人セットであることを条件に23区内に志願しようと決めていた。


 転属希望が出せるまで、まだひと月ほど残っている。


「一ヶ月もここにいなきゃいけないなんて、うんざりだ」


「ええ、本当に」


 二人は遠くの廃墟郡を見つめてため息をついた。隊員は勿論、隊長でさえ彼女らの実力には及ばない。


 シルビアは自分のリンク・メイトである弓を取り出して見つめていた。点検といった雰囲気ではない。


 それと察したハクアは、ぶっきらぼうに言う。「落ち込むなよ。……仕方ないだろ。あたしたちにも優遇住民にも罪はないんだから」


「違うの」とシルビアは首を振る。「この子がいつまでもってくれるか、って思うと……」


 あらゆる武器は破損の道を免れない。リンク・メイトは例外なく、振るう毎にリンク・エネルギーを消費する。リンク・エネルギーの一日分の生産量は優遇住民に依存するので、使用しつつ限界を見極めねばならない。一日分のリンク・エネルギーを使い尽くしても武器を使用する事は可能だが、代わりに消費されるのは優遇住民の生命力である。一線を超えれば生命を脅かす事になるのだが、シルビアは何度か一線を超えてしまっていた。


 その事実をハクアは知っていた。


「大丈夫さ。そんな簡単に命が終わってたまるか」


「そうね……」


 自分がいつまで戦えるか。その問題はリンク・フォースには常に付きまとっている。二人も例外ではない。


「シルビア、リンク・エネルギーはあとどのくらいだ?」


「十発分くらいよ。バーストすればリンク・エネルギーを超過する」


 リンク・メイト毎に通常の攻撃方法と、バーストと呼ばれる特殊な攻撃があった。バーストはリンク・エネルギーを大量消費する代わりに、強力な攻撃を放つ事が出来る。


 ハクアはニヤリと笑った。「こっちはバースト一回分は残ってる」


「なら、もう少し先まで行けるわね」


 シルビアは立ち上がり、ハクアの返事を待たずに山道を登った。


 シルビアは可憐な容姿に似合わず頑固でせっかちなところがあり、ハクアは毎度の事ながら彼女のあとを追うのだった。


◆◆


 それ・・を目にしたとき、二人は息を呑んだ。


 全長三メートルを超える細長い身体。手には大鎌。頭には角の生えた頭骨を被っていた。全身は黒の靄に覆われている。


 こんな化物は二人とも見た事がなかった。


「逃げよう、シルビア。もしかしたら……」


 ハクアは訓練校や部隊で度々話題になった人型の化物を思い出していた。市区では滅多に遭遇しないが、化物の中には人型の個体が存在する。個々に姿形が異なり、習性もまちまちで対策が難しい。加えて、恐ろしく強い。


 シルビアは震えていた。


「シルビア!」彼女の手を取ると、ハクアの背にぞわりと嫌な感覚が広がった。


「ハクア。逃げるなら一人で逃げて。私、今とってもドキドキしてるの。23区でしか会えないと思ってた人型が目の前にいる……」


 シルビアは笑っていた。


 ハクアは彼女の手を離し、自身のリンク・メイトであるハンマーを構えた。「そうだな。これから幾らでも遭遇する相手だ」


「一緒に戦ってくれるかしら?」


「当たり前だ」


◆◆◆


 ハクアは血溜まりに倒れ込んでいた。意識が朦朧とする。大鎌に裂かれた目や腕や腹から、絶えず血が流れていた。


 バーストを打ち込んでも、その人型は倒れなかった。そして全身を切り裂かれ、あえなく倒れたのである。


 シルビアは距離を置いてなんとか戦っていたが、ハクアは彼女が限界である事を見抜いていた。いつ大鎌の餌食になるとも知れない状況。


 シルビアが丁度十発目の矢を放ったのを確認し、ハクアは絶望した。自分もシルビアも、ここで人型に殺される。23区ではなく、この鉢殴似ハチオウジで優遇住民と共に死ぬのだ。


 諦念に沈んだハクアに、シルビアは笑いかけた。


 直後、彼女は弓を天に構えた。華奢な腕が弓弦を限界まで引く。弦に、リンク・エネルギーの結晶たる輝く矢が出現する。それは、ハクアが今まで目にしたどんな光よりも煌々と輝いていた。


光芒驟雨レーゲン・リヒト」とシルビアは叫んだ。


 光芒驟雨レーゲン・リヒト。シルビアは自分自身のバーストにそう名付けていた。その事はハクアも当然の如く知っている。


 やめろ、と叫ぶ事すら出来なかった。ハクアの喉では、血がゴボゴボと不快な音を立てただけだった。


 矢が放たれる。


 刹那、天空から人型の化物向けて幾本もの輝く矢が降り注いだ。人型の鎌を砕き、頭骨を吹き飛ばし、靄を散らし、その身を串刺しにする。


 やがて人型は動かなくなった。それと同時に光も消える。


 シルビアはハクアに笑いかけた。「やったよ」


 それが彼女の最期の言葉だった。


 直後、彼女の身体はバキバキと折れ、手にした弓は彼女の腕にミチミチと音を立てて一体化していった。


 折れた関節から白いあぶくが沸き、肉体はみるみるうちに変貌していった。


 人馬。ハクアの目にはそう見えた。のっぺりとした上半身は紛れもなく人のそれであり、一方で下半身は歪な四足に変異していた。その右腕には、体躯にあわせて巨大化した弓。その全身が、ぬらぬらとした白色だった。


 一瞥ののち、それは森へ消えていった。


 ハクアは上手く動かない身体に鞭打って円筒を探した。そして、種類もろくに確認せずに蓋を開けた。


 ハクアは天に昇る青色の狼煙を、なんとも皮肉に感じながら意識を失った。


◆◆◆◆


 三年後。


 鉢殴似ハチオウジ廃墟区域。


「しかし、鉢殴似ハチオウジ部隊も変わったねえ」


 新たに転属された髭面の部隊員は、元々鉢殴似ハチオウジ部隊所属の出戻り隊員だった。


 ハクアは潰れていない方の目で彼を眺めた。


 髭面は軽い口調で続ける。「部隊は随分と武闘派になっちまった。部隊長殿のシゴキのお陰かねえ。……しかし、あれだけ鉢殴似ハチオウジを離れたがってたのに、どうしてまた隊長なんかになっちまったんだ?」


 ハクアは遠い山並みを見つめた。その稜線が、陽光を背に不思議に白く縁取られている。


「特別な理由わけが出来たのさ」


 知らず、ハクアは拳を握った。

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