第14話 一年A組の教室にて

 昼下がりの廊下に終業のチャイムが鳴り響く。


 僕と明彦が本校舎の一階廊下に向かうと、授業が終わった開放感からか何人もの生徒がざわめきながら教室を出てきていた。


 あれから数時間が経った放課後である。


 小宮くんは約束したとおりに一年A組の教室の前で僕らを待ちかまえていた。


「……それで、先輩。送り主は誰なのか分かったんですか?」

「ああ。ほら、あの右から二番目の奥に座っている女の子いるだろ? あの子だと思う」


 僕が指さした先には波打つ髪を肩のところで切りそろえた色黒で活発そうな女の子が自分の席に座っている。目は少し大きめで、どことなくエキゾチックな雰囲気がある顔立ちだ。


 僕が昨日、目撃した少女もうろ覚えではあるが遠目に見た時の雰囲気が一致していたので、恐らく間違いはないだろう。


 また、よく見ると手に包帯を巻いている。


 きっと慣れない手作りチョコを作ったために指に怪我でもしたのではないだろうか。


 彼女は教科書をカバンに詰め込んで帰る準備をしていた。


「う、うわあ。あんな可愛い女の子が」


 まだ彼女が小宮くんにチョコレートを渡したと確定したわけではないのだが、あえてそこは言うまい。


「名前は羽村ひかりさん」

「えっ。名前までわかったんですか?」


 明彦がここで横から口を挟む。


「ほら。お前と同じ料理部の昭島みやび、あの子も一年A組だろ? だから俺があの子に聞いて昨日の最後の授業が始まる前に教室に遅れて入ってきた子がいなかったか聞いたんだ。そしたら、あの羽村という女の子が最後に戻ってきたと教えてくれたわけだ」


 昭島さんも数か月前に料理部で起こった事件で知り合った女の子だ。ちなみに明彦は彼女に気があって一度告白したものの振られている。しかしその後も連絡先を交換する程度には仲良くやっているようである。


 小宮くんは彼女の顔を見て「そう言えば、あの子の顔に見覚えがあります」と語り始める。


「見覚えって?」

「いや確かあの子、自転車で通学しているんですが。一週間くらい前にチェーンが外れて困っていたんです。それでそこを助けたことがあって」


 人の良い小宮くんらしいエピソードだ。


 明彦が話を聞きながら「ふんふん」と頷く。


「それで、小宮にバレンタインのお礼をしたということなのか。……まあその後何か理由があって自分で回収したのか、他の誰かが盗んだのかはしらんが」


「それじゃ、早速聞いてきたら?」と僕は小宮くんに促した。


「えっ? ちょ、ちょっと待ってください。聞きづらいですよ」


 隣で教室の中を覗きこんでいた彼は怖気づいたようにもじもじと体を縮こませた。


「聞きづらいって? 何で?」

「だって、……何ていうんです? 『もしかして君、昨日僕にチョコレートくれなかった?』っていうんですか? 勘違いだったら自分に気があるものと思い込んで声をかけてきた変な奴じゃないですか」


 僕はやれやれと頭を掻きながらため息をつく。


「その程度のことはどうってことないだろう。一時の恥じゃないか。……僕なんかあれだよ? 自分に気があると思った女の子をデートに誘ったら実は他に好きあっている男がいて、その男子にデートの最中に追いかけられて逃げ出したあげく、川に落ちたことがあるからね?」


 僕の言葉に明彦と小宮くんは目を丸くする。


「お前のメンタルはチタン合金か。良く生きていられるな」

「僕ならトラウマで登校拒否案件ですよ、それ」


 そんな目で見るなよ。まるで僕がかわいそうな人間みたいだ。


 二人の僕に対する目線に気圧されたわけではないが、ここは二の足を踏んでいる小宮くんに代わって僕が行ってあげた方が良さそうだ。


「わかった。それじゃあ僕が訊いてくるよ」

「え。いいんですか? でも何ていうんです?」

「昭島さんとは同じクラスだし面識あるみたいだからね。その流れで話を振ってみるさ」

「はあ。すみません」


 状況的に見て彼女の他に該当する人物がいるとは思えない。それならばさっさと確認してけりをつける方が時間の無駄にならなくていい。


 そんなことを考えながら僕は教室に入ると、問題の少女に近づいたのだった。


「えっと、ごめん。ちょっといいかな」

「はい?」


 携帯電話をいじっていた羽村さんは急に知らない先輩に話しかけられて驚いたのか、少し目を見開いてみせる。


「僕は昭島さんの知り合いで、二年の月ノ下っていうんだけどさ」

「はあ。……アキの知り合いですか」

「そう。昭島さんが料理部に入っているのは知っている?」

「ええ。知っています。他の知り合いもいますよ。同じ中学のカズちゃん……中神さんも同じ部活ですし」


 中神和枝という少女は僕も数か月前に料理部で知り合って面識がある。そこまでかかわりがあるなら話が早い。


「じゃあ、そこに所属している小宮くんって知っているかな?」

「……え? ああ。そんな人もいましたね」


 おや? 反応が鈍いな。


「それで、昨日のバレンタインデーに彼にチョコレートを渡したりしなかったかな?」

「えっ? そんなことしていませんが」


 彼女はびっくりしたような、予想外のことを訊かれたという表情で僕を見上げる。


 本当は渡しているけれど、照れ隠しで否定したという感じではなさそうだ。


 僕が見る限りは嘘をついている様子はない、と思う。


 というより嘘をつく理由もないだろうし、そうなると本当に彼女は小宮くんにチョコレートを渡していないのだろうか。


「そ、そうか。変なことを聞いたね」

「いえ」

「ああ、ところでその指はどうしたのかな」

「え、私バレーボール部なんですけど、一週間前に骨折しちゃいまして包帯を巻いているんです」

「ふうん。……帰るところを邪魔して失礼したね」

「いいえ、別に」


 何食わぬ顔で彼女に背を向けながらも、僕は狼狽していた。


 もうこの一件はほぼ解決したも同然、そう思い込んでいた矢先の予想外の答えである。


 一体どうなっているのだろう。


「どうだったんだ?」

「何だか微妙な雰囲気でしたが」


 戻ってきた僕に明彦と小宮くんは口々に結果を尋ねる。しかし、僕はおもわしくない成果を語ることしかできなかった。


「それが……どうやら僕らはそろって勘違いをしていたみたいだ」

「え?」

「どういうことなんですか?」




 廊下で立ち話をするのもなんなので、僕らは人通りの少ない校舎裏へと場所を移した。


「じゃあ、その子は小宮にチョコレートを渡した覚えはない、というんだな」

「うん。そう言っていた」

「そんな。……でも教室に出入りしていたのはその子のはずですし、現に昭島もその子が最後にA組の教室に戻ってきたと証言しているんですよね」


 小宮くんも訳が分からない、と言った様子で頭を抱えた。


 一方で明彦は眉をひそめて考え込む。


「いや、でも俺さ。冷静に考えるとあの子が小宮にチョコレートを渡したと考えるのもおかしい気がしてきた」

「え?」

「どういうことです?」

「だって、チョコレートは教室の『ロッカー』に入っていたわけだろ? だが、あれって『名札も何もついていないただの物入れ』じゃないか。出席番号順に使用しているわけだが、そうなると他のクラスの人間が誰がどこの『ロッカー』を使っているのか、なんてわかると思うか?」


 僕は明彦の言葉に「ううむ」と唸ってしまう。


 小宮くんも「……そういわれてみればそうかも」と呆然とした声を漏らす。


 そう。あの「ロッカー」は教材や上着、着替えなどを保管するのに使う物入れで、客観的には使用者本人以外の誰がどこの棚を使っているのかはわかりにくいのだ。何ヶ月も使用していればクラスの誰がどこを使っているかは何となく覚えるかもしれないが、他のクラスの人間がそれを把握するのはほぼ困難だろう。


 ということはあの子がチョコレートを入れたわけではないということなのだろうか。


 しかし僕の記憶では確かにあの子がC組の教室からあの時出てきたように見えたし、明彦が聞いたという昭島さんの証言もそれを裏付けているではないか。


 僕が頭を悩ませていたその時。


「あ。こんなところにいた」

「こ、小宮くん。部活、始まっちゃうよ。遅れると立川先輩が機嫌悪くするから」


 二人の少女が校舎の角から姿を現した。


 小宮くんと同じ料理部員の一年生、昭島さんと中神さんだった。彼女たちも数か月前のケーキが消えた事件で顔見知りになった間柄である。ちなみに昭島さんが一年A組、中神さんが小宮くんと同じC組だったはずだ。


 髪を後ろで結い上げた大人しそうな少女、中神さんが不思議そうに僕らを見る。


「月ノ下先輩に雲仙先輩まで一緒に。どうかしたんですか?」


 昭島さんもアシンメトリーに分けられた前髪を揺らしながら目鼻立ちのはっきりした顔をいぶかしげにしかめる。


「もしかしてさっき雲仙先輩が聞いてきた『昨日最後に誰が教室に戻って来たか』とかって質問に関係あるんですか?」


 明彦が「いや、実はさ、小宮がバレンタインにもらったチョコレートを誰かに盗まれたみたいでな……」とここまでの経緯を簡単に説明した。


 その言葉に昭島さんが「あー。昨日私が『誰かからチョコ貰えた?』っていじったら、『僕にだってくれる人はいる』って自慢してたもんね。……盗まれたの? ひどいことする人がいるね」と胸の前でぽんと軽く手を合わせながら反応する。


 小宮くんは傷口に塩をすりこまれた気分になったのだろうか。「うっ」と声を漏らして泣きそうな顔で肩を落とした。


 そんな彼を可哀そうに思ったのか中神さんが声をかける。


「げ、元気出しなよ。そんな落ち込まなくても……。とりあえず部活行かないと」

「あ、ああ。……す、すみません。雲仙先輩、月ノ下先輩。部活行ってきます。力になってくれてありがとうございました」


 弱りきった小宮くんの声に明彦も「お、おう。俺たちも、もう少し手掛かりがないか考えてみるから」と慰めた。


 小宮くんたち料理部員が去って、二人だけになったところで僕と明彦は顔を見合わせる。


「……手掛かり、か。でもチョコレートの贈り主の最有力候補だと思っていた本人から否定されたところだしね。どうしたものかな」

「そうだな。しかし小宮の奴、チョコレートをもらったことを同じ部の奴に話してしまっていたんだな。ありゃあ気まずいだろうな。『実はもらっていないのに見栄を張ったんじゃないか』なんて勘ぐられそうだし。……同情するわ」


 明彦が哀れむようにため息をついた。


 一方、僕は改めて今回の状況の不自然さを思案する。


 小宮くんの証言を聞く限り、タイミング的に昨日の最後の授業の前の休み時間に誰かがチョコレートを教室の彼のロッカーに入れたとしか思えない。


 そして僕自身もその時、あの羽村という少女が教室から出てきたところを目撃したというのに、本人は渡したことを否定しているのだ。


 だがA組の羽村さんがC組のロッカーの位置を把握するのは難しいのではないかという明彦の指摘も説得力がある。


 こういう不可解な出来事が起こった時には誰かに相談して客観的な立場から状況を整理してほしいところなのだが。


 そんなことを思うとき僕の脳裏に浮かんでくるのは、やはりあの艶やかな黒髪と白い肌をした少女の姿だった。

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